#01. 村井 裕実子さん(マサチューセッツ工科大学メディアラボ 博士研究員)

マサチューセッツ工科大学メディアラボにお勤めの村井 裕実子さんをお迎えし、日本での幼少期から留学準備までの英語学習の思い出、ニューヨークでの大学院生活、ボストンであらためて感じた英語の難しさなどについてうかがいました。

村井 裕実子 Yumiko Murai

マサチューセッツ工科大学メディアラボ 博士研究員。オンライン学習コミュニティにおける人的つながりの発達と学習者のやる気および自信について関心をもち、研究活動を行っている。現在は、クリエイティビティ教育やSTEM分野における教員トレーニングへのオンライン学習コミュニティの活用や、Massive Open Online Courses (MOOCs)と呼ばれる大規模オンライン講座における非英語圏学習者の参加サポートなどのテーマに取り組んでいる。日本で環境情報学学士・メディアデザイン学修士を修めた後、2010年に大学院留学のため渡米。2015年に教育学博士を取得し現在にいたる。

プロフィール MIT Media Lab

Emi
では、自己紹介からお願いできますか?

Yumiko
はい、村井裕実子と申します。現在、マサチューセッツ工科大学のメディアラボという研究所で、博士研究員をやっています。大学院では教育心理学を勉強したんですが、かねてからオンライン教育に関心を持っていて、「オンライン学習コミュニティにおける人的なつながりの発達と、学習者のやる気および自信をどうやってサポートしていくか」という研究をしています。

Emi
「自由に英語を使えている人というのは、いったいどこをどう通って今に至っているんだろう」というあたりをお聞きしていきますが、まず、裕実子さんが生まれたのは日本ですね?ご両親も日本人で、おうちの中は100%日本語?

 

英語 = “秘密の会話”

 

Yumiko
両親は日本人で、家の中は100%日本語なんですが、母が英語の先生で、小さいとき、子どもに知られたくないことがあると英語で話していました。でも、私が正式に英語を勉強しはじめたのは中学に入ってからです。

Emi
その秘密の会話を受けるお父さまも、英語で話していらしたということですか?

Yumiko
そうですね。父は研究者なんですが、その頃アメリカで仕事が多かったですし、英語はちゃんと話せていたんだと思います(笑)。

Emi
じゃあ暗号のようではあるけれど、おうちの中にわりと頻繁に英語が入ってきていた感じ?

Yumiko
頻繁にというほどではないですけど、日常的に英語を話している人がいました。内容は理解できないものの、「わからない言語があるんだ」という感じは常にありました。

Emi
子どもの裕実子さんは日本語だけで生活しながら、「意味のわからない言語というのが、この世にあるんだな」という感覚があった。後々、その言語が英語だったとわかる。いま振り返って、そのことが何か影響していると思いますか?

Yumiko
うーん、それ自体がということではないかもしれないですけど、そのときに、「何を話してるんだろう」「何を話しているのか知りたい」という気持ちがすごくあったのは覚えています。それが、「英語をしゃべれるようになれば、知らないことを知れるかもしれない」みたいなことを最初に感じたきっかけだったかもしれないと思います。

Emi
モチベーションというほど大がかりなものではないにしても、うっすらと、「英語を勉強すると、この秘密の言語が秘密じゃなくなるかもしれない」という感じがあったのかな。

このあたりは、英語学習者本人よりも、日本に大勢いらっしゃる「我が子には英語を話せるようになってほしい」という親御さんが興味を持たれるところでしょう。いわゆる「浴びせかけ」に効果はあるんだろうか、ないんだろうか。浴びせかけは、もしかすると学習の種まきにつながるかもしれない?

Yumiko
そうですね。ただ、「シャワーのように浴びせられた」というよりも、「なんか隠してるな」「子ども扱いされて、隠されているという状況が悔しい」ということに結びつけられていたのが強かった気がします。

Emi
「図らずして学習につながった」というところが面白いですよね。親御さんが子どもに向けて英語を話すのではなく、「あなたは仲間に入れないわよ」「あなたにわからないように英語を使っているのよ」というのが、かえってやる気にさせた。お母さまが計算の上でされていたんだったらすごいですね。

Yumiko
(笑) そうですね。たぶんそうじゃないけど。

 

アメリカの保育園に入れられていました。

 

Emi
「中学から」というのは、日本の一般的な公教育を受けられて、中学1年生の授業で英語と出会ったということ?

Yumiko
そうですね、正式に学んだのはそうです。ただ、私が小学校1年生のときから3年生のときにかけて、母がアメリカの大学院で勉強してたんです。母は大学の教員で、自分の夏休みを使ってシアトルに。その間、日本で父が私と妹の面倒を見ていました。私は夏休み中の3週間程度、母に会いにアメリカへ行っていましたが、母は忙しいので、私は保育園みたいなところに入れられていました。そこでアメリカ人の他のお子さんと遊んでいたのは記憶しています。

そのときに何語でしゃべっていたのかはよくわからないんですけど、おそらく何か英語っぽいものを話していました。たとえば、「お手洗いはどこですか」とか、「お腹すいた」、「私の名前は…」とか、そういうフレーズを親に教えてもらって、それだけを持って保育園に行ったのをすごく覚えています。

なので、勉強したのは中学1年生からなんですけど、英語を使ってみるというのはそのときが初めてだったかな。

Emi
英語科という科目で触れるよりもずっと前に、アメリカで、アメリカ人を相手に、なんらかのコミュニケーションをとっていた。現地の保育園にポーンと入れられたのは、別に「怖かった」とか「イヤだった」とかいう記憶はない?

Yumiko
私、そういうのすごくイヤなんです(笑)。知らない場所に入っていくというのが、英語に関わらず得意ではありません。ただ、責任感の強い子どもだったので、「親は仕事しなきゃいけないんだから、自分はワガママ言わないで、ちゃんと保育園に行かなきゃダメだ」みたいなことを強く感じていました。

いつも行くまでは本当に怖くて、でも行くといろんなアクティビティがあって、部屋も楽しいものであふれているので、楽しかったのを覚えてますね。3回とも同じ場所に行ったのですが、毎回行くときはめちゃくちゃ怖くて、イヤで、でも行ってみるとわりと楽しくて、最後は楽しんで帰ってくるみたいな感じでした。でも、すごくイヤでした。

Emi
日本に帰るときには、「帰りたくないな」とか「残りたいな」、あるいは「またここへ戻ってきたいな」「すごく楽しいから、これが続いたらいいな」と思っていた?

Yumiko
…そこまで記憶してないですね。小さかったし、わりとドライだったのかもしれないけど。

Emi
英語に対する印象という意味では、「英語を話さなきゃいけないからイヤだ」とか、「英語を話していると楽しいから続けたい」とか、どちらもあんまりなく、ニュートラルな感じ?

Yumiko
そのときは、英語というのをあまり意識してなかったですね。「舞台の上で踊らなきゃいけない」みたいな恥ずかしさはあったけど、たぶん「英語がしゃべれるから」「しゃべれないから」というところまでは考えていませんでした。

小学校1年生から行っていて、3年生のときの方が友達ができにくかった記憶があるので、それは、あとから分析すれば「英語が頭に入りにくくなってたのかな」と思います。でも、そのときは英語が好きとか嫌いとか、あまり言語のことは意識していなかったかもしれません。

Emi
英語が自然な存在として、溶け込んでいたんでしょうね。

 

中学で、「やっと英語を学べる」

 

Emi
小学校3年生以降はアメリカに行くこともなく、中学に入学。中学では授業に「英語」という名前が付いているし、自然な流れではなく、「これが英語なんだ」と突きつけられたでしょう。何か覚えていることは?

Yumiko
私、英語がすごく好きだったんですよね。なぜかよくわからないんですけど。英語を勉強しはじめたときには結構好きで、授業が楽しくて。「やっとちゃんと学べる」みたいな感じがありました。「学校で学びたかった」というのがあったような気がします。

Emi
「お待ちかねの、英語をようやく学べるときが来た」というような?

Yumiko
そうですね、教科書とかもすごくうれしくて、楽しんでいたような気がします。

Emi
教科書や授業で、何か覚えていることは?

Yumiko
教科書に付いていたCDを聞いていました。たとえば「ハンバーガー屋さんでハンバーガーを注文する」とか、エピソードごとに会話があったのですが、私、それに一生懸命になって、完全に暗記するぐらい聞きこんで、めちゃめちゃ頑張ってたのを覚えてます。

「覚えたら、そこに載っているフレーズは口から自然に出てくるようになる」と気づいて、「これが言語を習得するってことなのか」と感じましたね。

Emi
始まる前から楽しみにしていた英語が、予想どおり楽しかった?

Yumiko
そうですね、結構楽しかったです。先生もよかったんだと思います。歌を歌ったり、映画を観たり、いろんなマテリアルを使って授業をやってたので。

ベイブ』っていう豚が都会に行く映画の、簡単な英語だけで書かれた本を読むというのをやってくださっていた先生がいました。「英語で本を読める」というのが私にとってはめちゃくちゃ誇らしくて、読めるようになることがすごくエキサイティングでした。

Emi
「お勉強」という感覚ではなさそうですね。

Yumiko
単語の試験はちょっと苦手でした。勉強しても全然頭に入らなくて。でも映画を観て、その映画の本を読むとか、そういうのはすごく好きでした。

 

「日本語に訳す」ということ

 

Emi
日本の学校では、教科書を日本語に訳すというような作業が多いですが、今のお話だと、あまり日本語を介していなかったのでしょうか?どうやって英語を理解していた?

Yumiko
いや、日本語にしていたと思いますね。紙の辞書を使って、かなり日本語に訳していました。左側に英語を書いて右側に日本語を書く、細いノートがあって、それを買って、ちくちく書いたり(笑)。

でも、先生にも親にも、ずっと「訳しちゃいけない」と言われていた気がします。わからない単語は調べていいけど、訳さないこと。「英語を日本語に訳して理解すると、ステップがいくつも入って時間がかかるし邪魔になるから、英語でそのまま理解しなさい」というのはずっと言われていたような気がします。それがすごく頭に残っていました。

ただ、「英語を日本語に訳しちゃいけない」って、留学のヒントでもよく言われていることだと思うんですけど、私はアメリカで大学院に入ったときに考えが変わりました。私は思考が日本語なので、やっぱり日本語に訳さないと、本当の意味でよくわからないようなところがあって。そこからはハイブリッドというか、「訳さないとわからないときは訳すし、訳さなくてもわかるならそのままでもいいし」というふうに、考え方が変わりました。

Emi
日本語の比重が大きくなったのは、ずっと後になって、自ら編み出して取り入れてからなんですね。アメリカに渡って、大学院に入った後、日本語を引っぱり出してきた?

Yumiko
そうですね。それが良いのかどうかわからないですけど。そうしないと大学院を切り抜けられなかったんです。

 

TEDで留学準備

 

Emi
日本で中学、高校、大学、大学院まで行き、その後アメリカへ。留学前、英語に関する準備はあまり必要なかった?

Yumiko
いやぁもう、すごくしましたね。留学生活のために勉強する余裕はまったくなかったんですけど、大学院に合格するために、TOEFL*のスコアを上げなきゃいけないとか、志望理由書を書かなきゃいけないとか、そういうのが突然目の前にやってきて。
*Test of English as a Foreign Language 英語が母語でない人々を対象とした英語能力測定試験。

もちろんTOEFLの問題集もやったんですけど、英語の文章を読んだり聞いたりして、サマライズ(要約)する練習をしました。自分が楽しくできるものをと思って、TEDトークの中に、ちょうど設問と同じぐらいの短いものがたくさんあったので、それを聞いて訳すっていうのをずっとやってました。それはすごく役に立ったと思います。

トランスクリプトや字幕は使わず、ただ英語を聞いて訳しました。「次の5分間のスピーチやレクチャーを聞いて、1分で書き出しなさい」みたいな問題があるので、その練習として、ただ聞いて、ばーっと書き出していました。本当にレクチャーだと思って、書けるだけ書き出して、っていう練習です。

Emi
自分で「これが自分の好きなやり方かな」と考えてやった。自分の向き不向き、個性や得意をなかなか見つけられない人が多いけれど、それが見つかれば、英語に限らず、やる気にもなるし、やった手応えも大きい?

Yumiko
そうですね。まさにそんな気がします。

 

「指の間から情報が落ちていく」

 

Emi
スコアなど書類関係を整えて、渡米。一人で英語に囲まれて暮らすという生活が始まった。そのときの印象は?

Yumiko
いやぁ…もう本当に、「英語をもっと勉強してくればよかったな」という感じでしたね。授業に参加したときの、私のビジュアルイメージなんですけど、「手の、指の間から情報が落ちていく」と思っていました。手の中にはあんまり残らなくて、授業の中に座っていても、もらっている情報のほとんどが落ちていく。他の学生が発言してもほとんどわからなくて、全部落ちていく。そのイメージをいつも持っていて、「あぁ、また全然わからない」「授業料を無駄にしてるなぁ」と、すごく感じていました。

最初、ぜんぜん聞き取れなくて。単語単語で聞き取れるときがあるんだけど、全然わからなくて、聞き取れた単語や部分を、日本語でも英語でもいいから、ノートに書いていました。とにかくそのスピードで書き取れるだけノートに書くんだけど、意味が全然わからないときもあるし、情報が限られていて、「本当に無駄だな」と思ってましたね。

私のプログラムでは、プログラミングのクラスもあったので、最初の学期はそういうのをやって、「自分はできる」みたいな気持ちを補填しながら、英語をやっていたという感じでしたね。

Emi
言語の重要性が低い科目もありますからね。そうやって気持ちを巻き戻さないと、なかなか続かない。

Yumiko
そう、心が折れてしまう。

Emi
そういう苦しい日々の中でも、やはり「音声を聞いて書き取る」というのがあった?

Yumiko
確かに、そこから入っていったかもしれないですね。やっぱり入口は「聞き取ること」、「聞き取って頭の中でイメージできること」だと思います。聞くだけだと頭にキーワードがふわふわ浮いちゃうだけで全然つながらないのですが、書き出すことで、センテンスとしてわかるという感じ。今もそうですね。ミーティングのときとか、言われたことを書き出していくと、「書きながら理解していく」みたいなところがあるかもしれないです。

Emi
音声を文字に落としていくとき、落とした時点でもう理解できている?それとも後で、文字を振り返って理解する?

Yumiko
両方ですね、たぶん。文字に落としているプロセスの中で理解しているところもあるし、後で読み返してもっとしっかりわかる、というときもあるし。

Emi
大学院で、「最初は指の間から情報がこぼれ落ちてしまっているようだった」。どこかで指が閉じて、「こぼれ落ちなくなってきたな」という感じがあった?

Yumiko
それは、「気づいたら」という感じでしたね。学期が終わって、休みに日本に帰ったりして、ちょっと離れて戻ってきたときに、気づいたら、「あ、わかるようになってる」という感じでした。「どこで」というのは、はっきり覚えてないです。気づいたら、「あ、先学期よりマシになってる」「あ、先学期よりマシになってる」というのが、毎回ちょっとずつあって。

Emi
「マシになってる」というご自身の査定は、リスニングに対するもの?

Yumiko
そうですね、基本的には。やっぱり聞いてわからないと、何を聞かれているのかもわからなくて、返す言葉も思いつかないから。聞いて、何か返すことをその場で思いついたら、それは聞いた中からわかっているサイン。それで、「あ、前よりわかるようになってるな」と感じていました。

Emi
大学院にいた期間で、自分の変化や手応えを感じたのは、リスニングの成長?

Yumiko
そうですね。基本的にはリスニングがすごく強かったかな。スピーキングは、大学院が終わった時点でも未発達なところがあったなと思います。ライティングは大学院でトレーニングを積むので、それをやっていくうちに。それも自分では成長の過程に全然気づかないんですが、他の人が書いたものを見たときに直したいところが見つかるとか、そういうことを通して、「自分の英語がちょっとずつできてきてる」とわかる感覚はあったかもしれないです。

Emi
小さい頃の経験からしても、順調な期間は、英語が自然にそこにあるという感じなのかもしれないですね。トラブルが起きていると、「あ、いま私はリスニングに困ってるんだ」とはっきり自覚できるけれど、気がついたらトラブルが消えていて、英語をあまり気にしなくなっている。

 

ボストンで受けた、新たな洗礼

 

Emi
大学院を卒業後、ニューヨークからボストンに移られたときはどうでしたか?いったん山を越えたら、もう大丈夫?

Yumiko
いやぁ、今の職場に移ってからが、むしろいちばん辛かったですね。「振り出しに戻った」みたいな、大学院の最初に戻ったような感覚でした。突然まわりにいる人の英語が全然聞き取れなくなっちゃって。

自分でしゃべるときも、しゃべりながら考えていることがわかんなくなっちゃったり。パーソナルレベルでもプロフェッショナルレベルでも、すごくコミュニケーションに困って、「突然、人と話しづらくなる」という感覚が強くありました。


photo courtesy of Lauren M. Whaley

理由はいくつも考えられるんですけど、エンジニアやコンピュータ・サイエンティストという、全然違う分野の人たちのところに移ったということがあります。それ以前にいた教育大学院では、みなさん外国人の話を聞くのに慣れているし、扱い方にも慣れている人が多かったんです。

今の職場では、外国人の学生や研究者もすごく多いんですけど、外国人でもプロフェッショナルレベルでできる人ばっかり。ぐずぐずしていたら聞いてもらえないし、はっきりわかりやすくしゃべらないとすぐ切られちゃう。そういう環境の変化が大きくて、同じ英語ではあるんですけど、違う分野の人たちのリズムや話し方に慣れるのに時間がかかりました。これも気づいたらかなり慣れていて、今は前ほど気にならなくなりました。

Emi
ボストンに移られたのは1年前と、最近の話ですよね。今日までの1年足らずの間に、新しい“洗礼”を受けて、「振り出しに戻った」と感じ、気づいたらまた溶けて、消えていた。具体的に何が起きたというのは特定しにくい?

Yumiko
特定しにくいですね。たとえば細かいことだと、ミーティングがうまくいかないので、ミーティングのために準備をして話すようにしました。そういうことをやっていくうちに、そんなに細かく準備しなくても、ちゃんと意見を整理してしゃべれるようになってきたり。あと、まわりの人が私のテンポに慣れてきたというのもあると思います。

Emi
「トラブル発生、それを認知する、気づいたらなくなっている」というパターン。それは同じだとしても、この1年間の変化と、ニューヨークでの変化を比べると、そのサイクルはだんだん短くなっている?

Yumiko
そうかもしれないですね。言語に関わらず、「新しい場所に行けば、最初はなかなか通じない」というのが今回すごくわかりました。なので、次のときはもうちょっと速く対処できるかなと思います。わかんないけど。

Emi
言語そのものが問題ではなく、その影響の出る先が言語。「じゃあ、どう対策を立てればいいかな」という考え方になってくる。そういうことが、どんなに高度な英語の使い手になっても、やっぱりつきまとうということ?

Yumiko
そうですね。英語と日本語はものすごく違いの大きい言語だと思うんですけど、言葉って、本当にいろんなレベルで違いがあります。方言はもちろん、分野や立場によっても全然違う。それに慣れるのは、ある程度、時間の問題みたいなところもあります。

観察して、他の人たちの話し方を盗んでいく。結局、英語を勉強するのも、英語を使いながら違う環境に馴染むのも、同じプロセスだったのかもしれないと思います。

Emi
1年前の、「振り出しに戻ってしまった」と思った裕実子さんに、今の裕実子さんから何かアドバイスはありますか?

Yumiko
ひとつは、落ち込まないこと(笑)。「自然な現象だから、しょうがないんだよ」「環境によって言葉が違うのは当たり前」ということです。

あと、萎縮しちゃって、しゃべるのが恥ずかしくなっちゃってたんですよね。英語を最初に学んだときもそうだったんですけど、やっぱりそれはあんまり良いことがない。めちゃくちゃな英語でも、胸を張って人に話しかけていった方が、自分のためにもいいし、まわりの人にとっても、私がどういう人間かがもっとわかるから、大事。だから、「気にしないで、もっとどんどんしゃべりかけていけよ」と思います。

Emi
いま同じような状況にいる方や、不安に思っている方にとって、すごく力強いメッセージではないかと思います。今日はありがとうございました。

Yumiko
ありがとうございました。

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