#07: 井清 桜さん&蘭さん

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アメリカの航空会社で働くふたごの姉妹、井清 桜さんと蘭さんに、英語ゼロから始まったアメリカ現地校での思い出、英語に対する苦手意識、社会人になって訪れた英語の転機についてうかがいました。

井清 桜 Sakura Isei

香川県出身。父の転勤に伴い11歳で渡米し、ニューヨーク州の現地校にて7年間を過ごす。帰国後、すべての授業を英語で行う上智大学 国際教養学部に入学・卒業。都内の大手金融機関に入社し総合職として働く。日本の労働形態に疑問を感じると同時に、自己の英語力低下を痛感し、アメリカにて転職を決意。現在はユナイテッド航空の客室乗務員として働く。Instagram

井清 蘭 Ran Isei

1992年生まれ、香川県東かがわ市出身。2003年に親の転勤を機に渡米、小学6年よりNY州の現地校に通う。2010年秋、上智大学国際教養学部への入学と同時に東京へ移住。在学中にはサークル創設、イベント発案・運営を経験。大学4年時にテキサス州で行われたアメリカン航空の採用イベントに参加。大学卒業後、2ヶ月弱の航空保安訓練を経て、2015年春より客室乗務員として正式採用。2016年からロサンゼルスに生活拠点を置く。

Emi
お一人ずつ自己紹介をお願いできますか。

Sakura
井清桜、25歳です。父の転勤の都合で、中学、高校の間はアメリカに住み、日本で大学を卒業しました。その後しばらく日本で働いていたんですけれども、今年アメリカで就職をしまして、今に至ります。

Ran
井清蘭です。桜とは20分差のふたごとして生まれ、生まれてから大学卒業まではまったく同じ道のりを歩んできました。私は新卒でアメリカに来まして、現在も働いている航空会社に勤めています。3年めです。

Emi
プロフィール写真ではお二人とも制服姿なんですが、ブルーにグレーの制服の方が姉の桜さん。濃いブルーに赤が入っている制服が妹の蘭さん。

今はお二人ともアメリカにいて、アメリカの航空会社の客室乗務員。ただ、違う会社で、ここに至る道のりも微妙に違っている。そのあたりもうかがっていこうと思います。

現在はどこにいらっしゃいますか?

Sakura
私、桜の方はカリフォルニア州サンフランシスコにいます。

Ran
そして私、蘭はロサンゼルスにいます。

Emi
お二人とも西海岸で、わりと近くにいらっしゃる。

Sakura
これは会社の都合、仕事の関係で配属地がそこだったということです(笑)。

Emi
では、英語のお話をうかがっていきます。お二人が英語に出会ったのは、いつどこでですか?

Ran
おそらく二人とも同じ時期だと思うんですけど、本格的な英語に出会ったのはアメリカに来てからですね。小学校6年のときに来て、初めてちゃんとした英語の会話を聞いた記憶があります。

父が転勤すると決まった頃、アメリカに来る約半年前に、週に1回ほど父の会社から英語の教師の方がレッスンに来てくれていたような記憶はあるんですけど…

Sakura
ほとんど覚えてないです(笑)。

Emi
(笑)二人とも覚えていない?

Ran
英語に触れたことはほとんどありませんでした。出身地の香川県東かがわ市というのは小さな街で、外国の方も珍しく、英語に触れる機会は全然ありませんでした。

Emi
お父様の転勤が決まったのが11歳のとき。それまでは日本で、日本の小学校に行っていた。ご両親とも日本人で、おうちの中も日本語。外国人に会うこともなかった。

学校で英語を学ぶことはあった?

Sakura
うーん、ローマ字はやっていましたが、英語はまったくやっていなかったです。

Emi
名前がローマ字で書けるぐらい?

Sakura
そうです。まさにそのレベルですね。

Emi
それでいきなりアメリカに来ちゃった?

Sakura
はい。来たときはまったく話せなかったので、授業にもついていけませんでした。中学のときもまだ話せませんでした。

Emi
小学校6年生でアメリカへ移って、現地校と呼ばれる学校に。たとえばアジアの国だと、特に都会では日本人学校に行く場合が多いですが、アメリカではほとんどのお子さんが現地校に入りますね。

引越した先は、あまり日本人がいないエリアだった?

Ran
(笑)そうですね。日本の企業は父の勤めている会社しかない街で、日本人は私たち一家ともう一家族の二家族しかいませんでした。学校に通っている年齢の子どもは私たち二人だけ。街全体で見ても日本人の子どもは私たち二人だけでしたね。

Emi
11歳で初めてアメリカの学校に行ったときの印象は?

Ran
私は、「そんなに変わらないな」と思った記憶があります。

Emi
え?香川の外国人が全然いない小学校から、アメリカの日本人が全然いない学校に移って、「あんまり変わらないな」?

Ran
言葉は全然わからなかったですし、もちろん授業の形式も違うんですけど、たとえばクラスの雰囲気としては、香川もニューヨークものどかな地域だったんです。のんびりした空気が流れているところは、そんなに変わりませんでした。

ただ、周りの人たちが言っていることは全然わからなかったので、もう、うなずくしかなかったですね。わかっていなくても、とりあえずうなずくしかありませんでした。

Emi
香川の日本人しかいない学校から、アメリカ人しかいない学校に移った。いろいろさておき、雰囲気としてはどちらものどかな場所の小学校。本人としては、「あんまり変わらないな」と。ただ、「言ってることは英語なので、全然わからない」。

Sakura
私は、まったく言葉が話せない状態でも、「周りの人が助けてくれるなぁ」という印象でした。

私の方からは何も話さなくても、同じクラスの友達が「桜、これ要る?」とか「次の授業はこれだよ」とか言ってくれているのが、なんとなくわかりました。すごく話しかけてくれるんですけど、私はもちろん意味が理解できないので、「うん、うん」と、とりあえずうなずいているだけでした。

「Yes」と「No」は言えたので、「意外と意思の疎通はできるな」「あんまり英語が話せなくても行けるな」という感覚でした。

Emi
お二人は同じクラスに?

Sakura Ran
そうです。

Emi
いろいろわからないなりにも、「アメリカ人の子たちが助けてくれるな」というのがわかって、わりと大丈夫だった?

Sakura
わりと大丈夫でした。寂しい思いはしなかったですね。

Emi
学校には、お二人以外にも外国人がいた?

Sakura
いなかったですね。ポツンと二人きりでした。

Emi
お二人の間ではどうやって会話を?

Sakura
二人の間では所構わず日本語を話していました。授業中も、たとえ他の人が英語でしゃべっていようと、「二人の間では絶対に日本語」というのがずっと続いていました。それは、いまだに変わってないです。

アメリカに長年住んでいるきょうだいは、「2~3年めから二人の会話が英語になる」ということが多いですけど、私たちは一度もそうなったことがないんです。

Emi
お二人の間で英語を話したことはない?

Sakura Ran
ないです(笑)。

Emi
それは結構、珍しいですよね。きょうだいに限らず、家族や友達の間でも、バイリンガルの人たちの会話は日本語の中に英語が混ざったり、完全に英語に切り替えてしまうことが多い。お二人の場合は、たとえ学校で周りが英語だらけだろうと、「日本語で話す」というのを貫いていた。

たとえば学校でわからないことが起きたとき、どうやって解決していた?

Sakura
解決はしてなかった気がします。悪い癖なんですが、日本人によくある「わかったフリをする」という、ありがちなパターンをとってしまっていたんです。

Emi
じゃあ、「なんだかわかんないけど、ニコニコして、うなずいて」?

Ran
そう、「ニコニコして、うなずく」。日本人の悪い癖!

Sakura
いま思うと、そこで直していればもっと速く英語を学べたんじゃないかなと思うんですけど。まあ仕方ないですね(笑)。

Emi
二人一緒だったのが心強かったのかも?

Sakura Ran
はい。

Emi
学校にESL*はあった?
*English as a Second Language:英語が母語でない人向けの英語のクラス。

Ran
ありました。中学の終わりまでESLのクラスを作ってもらっていて、確か週に1~2回、1時間ぐらいずつ受けていました。生徒は私たちしかいなかったんですけど、英語を教えるためのESL担当の先生が外部から来て、私たちの指導をしてくださっていました。

Emi
アメリカでは外国人の多い地域だと、学校にESLの常勤の先生がいて、クラス数もかなりたくさんある。でも、お二人の場合は二人しかいないから、週1~2回で、先生はそのときだけどこかから来る。

Ran
はい(笑)。わざわざ来てくださっていました。

Emi
ESLで初めて本格的に英語を学んだときのことで、覚えていることは?

Ran
印象としては楽しいものでした。私たちしか生徒がいなかったので、先生が私たちの英語力に合わせて毎回授業を練ってくれていました。絵のついたカードを使って会話を進めていったり。たとえばケーキのついたカードを見せて、「ここから話を広げてください」というような内容でした。

それから、日常で使う単語をたくさん教えてもらいました。「お手洗いに行きたい」ですら知らなかったので、そういう言い回しをひたすら学びました。黒板があって教材があって…という授業ではなかったので、楽しかったです。

Sakura
ビジュアルでわかるような学び方だったので、私も苦痛なイメージはなかったです。私はもともと座学がちょっと苦手で(笑)、机に座ってずーっと書いているのが苦手なんです。でも、そうではなく、フラッシュカードを使ったり絵を描いたりしながら学ぶスタイルだったので、楽しくできました。

それと、アメリカに行ったばかりの頃から、現地の人が家庭教師に来てくれていたので、そこでもESLと似たような内容を学びました。『Dr. Seuss』 など幼児向けの本を何回も何回も繰り返し読んで、その先生に発音を直してもらったりしていました。

Emi
学校のESLは二人しかいないので、完全カスタマイズ。二人に先生が一人付くというのは、贅沢な環境ですよね。そこでは、絵を使ったりアクティビティをしたり。そして、「トイレに行く」など、小中学生にとって大事なことも、学校に行ってから習った。

さらに、家庭教師がいて、おうちで英語を教えてもらっていた。

Ran
家庭教師の先生はすごく親身になって教えてくれて、発音も1つずつ直してくれました。日本に行ったこともなく、日本のことをまったく知らない方だったんですが、こちらの言うことを理解してくれようとしていたので、「日本語を使わず、片言の英語でコミュニケーションがとれた」ということが自信になりました。

Emi
日本語の通じない人が相手なので、英語でなんとかコミュニケーションをとるしかない。それが「結構通じるもんだな」という感じにつながった。

中学では、友達と話したり、学校での活動やテストなど、二人の間で相談できないような場面もいろいろと出てきたでしょう。何か思い出すことは?

Ran
私は読書課題、読み書きが苦痛で苦痛で。

厚さ2センチくらいの課題本を1ヶ月に1冊ぐらい、先生から渡されるんです。2センチもあるのに、それを1ヶ月で読み終わらなきゃいけない。1ヶ月で1冊というのは、アメリカ人の、他の子たちにとってはちょうどいいスピードですけど、私には無理でした。一語一語、単語を辞書で引いて調べなきゃいけないので、一晩で1ページがやっと。とてもじゃないけど終わらず、夜更かしして読んでいました。苦痛のイメージしかないです(笑)。

Emi
日本でいうと国語に当たる科目でしょうね。月に1回、ネイティブの人たちと同じペースで読むように本を与えられて、それに対して感想を求められる。一つ一つ単語を辞書で引いて、理解しながら進めていった。

Ran
全然わからなかったです(笑)。

Emi
感想を書くときはどうしていた?

Ran
それも辞書ですね。辞書ばっかり使っていました。といっても電子辞書なので、別にそんなに手間がかかるわけじゃないですけど…

Emi
いや、手間はかかるでしょう?

Ran
もう、面倒くさくて面倒くさくて。

それで、書くときも家庭教師の先生と一緒にやりました。読んだものに対する自分の感想を、片言の英語で「こういうふうに書きたい」と先生に伝える。すると、「じゃあ、どこから始めたらいいかな」みたいな感じで誘導してくれたり、「こう書いたらいいんじゃないかな」とアドバイスをくれたり。そんな感じでなんとか課題を済ませていました。

Emi
家庭教師の先生がガイドするようにして、蘭さんの口から感想を引き出して、それを文章や書き言葉にしてくれた。

Ran
といっても、当時の課題は、中学生なのに小学3年生ぐらいの英語力でしか書けていなかったと思います。でも、それは学校の先生もわかってくれていました。間違っているところは「間違っている」、良いところは「良い」とちゃんと採点してくれたので、それを通して学ぶことができました。

Emi
英語を話すことが先にできてきて、後から読み書きが追いついてくる。その最初の段階ですね。

桜さんは?

Sakura
英語を書くことへの苦手意識は蘭とまったく一緒。がんばれた理由は、唯一、数学だけができたことです。

日本の数学のレベルはアメリカと比べるとかなり進んでいるので、授業は普通に理解できる内容でした。数学さえがんばっておけば両親にも褒めてもらえますし、「他ができなくても、数学ができるからいいや」と自分を励ましつつやっていました。

Emi
数学は「数字」という“共通の言語“がありますからね。

Sakura
はい(笑)。

Ran
アメリカの学校の良いところは、数学も「特進・普通・ゆっくり」のようにクラスが分かれているところです。日本では普通の点数しか取れない私ですが、アメリカでは特進に入れてもらっていました。なので、英語ができなくても「勉強をサボっている」という感じにはならずに済みました。

Emi
「英語は大変だけど、得意な科目もあるから、そっちでがんばろう」と。

クラスの中で友達と話すのは、どうしていた?

Ran
いつもつるむ友達は、ある程度決まっていました。授業中は私語禁止で休み時間も3分ぐらいしかないので、友達と話すのはお昼休みの30分、お昼ごはんを食べているときぐらいでした。お昼の時間にはいつものメンバーと集まって、わわわわっと食べる。私たちは片言ですけど、向こうがしゃべってくるので、「Yes」「No」とか返してコミュニケーションをとっていました。

Emi
桜さんからも「最初から助けてくれる友達がいた」というお話がありましたね。

アメリカ人の子が何か言ってくる。それに「Yes」「 No」で返す。それも一番最初は本当にわからないところからスタートした。どこかで、「あ、結構わかるようになってきたな」という感じはあった?

Ran
私は高校に入ってからですかね。なんとなく「ちゃんとわかってきたかな」と思ったのは。

Sakura
同じくです。私も高校に入ってからでしたね。

Emi
どんなときにそう感じた?

Ran
高校で部活動に入って、「チームで何かをする」ということが増えたからかなと思います。

Emi
スポーツですか?

Ran
マーチングバンドです。

Emi
なるほど。マーチングバンドで、「動きや音楽を付けながら話す」というところから、英語がだんだんできるようになってきた?

Ran
まさに、そのとおりですね。

Sakura
おっしゃるとおりです。

Ran
音楽の用語は日本もアメリカも一緒。だから音楽の単語から、その周りの単語がわかってくるような感じでした。

Emi
それまではワーっとひと塊に聞こえていた英語が、音楽の用語など、ところどころ意味がつかめてきた。すると、「このことを言ってるのかな」という…

Ran
そう!全体の流れがわかるようになってきたんです。

Emi
桜さんも、そんな感覚があった?

Sakura
ありましたね。ぼんやりとわかってくると、なんとなく「あぁ、こういうこと言ってるんだなー」とわかったり。あとは部活内だと、話す内容や使う言葉がパターン化してくるので、「前回もこういうことを言ってたな」「あぁ、前も言ってたな」という繰り返しで、だんだんわかるようになりました。

Emi
音楽や視覚による助けと、同じことの繰り返しで、パターンとして理解が進んでくる。

英語のために入ったわけではないでしょうけど、やってみないとわからないもの。部活に入ってよかったですね。

Ran
よかったです(笑)。

Emi
高校を卒業する頃には、普通に話せるようになっていた?

Sakura
日常会話は大丈夫でしたが、専門用語など、ちょっと踏み込んだ話になると難しかったです。

Ran
私は高校3年になっても、まだ電子辞書を使ってました(笑)。

Sakura
やっぱり書くのは難しかったんですよね。日常会話はできても、細かい文法やエッセイを書くとなると、もう。書くのはすごく苦戦しました。

Emi
アメリカの高校レベルのエッセイというのは、日本では大学生でも書かないような内容と量。大変ですよね。

Ran
量が本当に多いんですよね。

Emi
でも、日常会話はできるようになっていた。たとえばクラスで発言したり、発表したりするのは?

Ran
発表は、まあ仕方なくしていましたが、それ以外に自ら発言することはなかったです。あいかわらず自分の英語力に全然自信がありませんでした。意味は通じるけど、文法はぐちゃぐちゃ。たぶん現地の子たちには、「ヘンなこと言ってるな」と思われていたんじゃないかな(笑)。

Emi
6年生から高校卒業までというと7年ぐらい。その間で日常会話はできるようになったけれど、クラスで、たとえば自ら手を挙げて発言したりは?

Ran
もう絶対無理でした。たとえば先生に指名されて、「蘭、今の質問に対してどう思う?」と言われたら片言で答えるぐらいはしますけど、答えたとしても長い答えはできませんから、一言二言。なるべく先生の死角になるようなところに座ってました(笑)。

Emi
隠れるようにして。なるべく当てられないように。

桜さんは?

Sakura
苦痛というほどではないですが、私も同じく、自信がなかったので、できるだけ発言しないようにしていました。

Ran
高校3年になった段階でも、まだたまに先生の質問の意味がわからないことがありました。他の子が答えているのを聞いて、「あ、さっきの質問はこういう意味だったんだ」と、自分の頭の中で答えあわせをするような感じでした。

Emi
先生に質問された時点では「何のことだろう」と思っていて、他の子の答えをヒントに、遡って質問を理解する。理解するまで、まだ少しネイティブの人たちと時間差がある状態だった。

そのときは毎日どんな気持ちで学校へ?

Sakura
私はテストのために学校に行っていたようなものです。「テストでいかに良い点を取るか」ということに焦点を置いていました。テストの点数でおこづかいの額が決まっていたからです。

それがあったので、授業中、発言はしなかったんですけど、ノートはすごく必死に取っていました。「そのノートを持ち帰って家で復習して、テストでがんばって良い点を取る」というスタイルで、そのために学校に行っていました。

Emi
蘭さんが大きくうなずいてますね(笑)。

それは二人で協力して、家で一緒にやったりも?

Ran
いやぁ、それはないですね。

ずっとライバル意識があったんです。もちろん仲はすごく良かったんですけど、勉強に関してだけは、おこづかいが決まってくるので(笑)「どっちがより良い点を取るか」というのをずっと考えていました。「1点差でも桜を抜きたい」「1点でも上回りたい」とずっと思っていました。

Sakura
もうお互いに、闘志がメラメラしてました(笑)。

Emi
学校では、二人とも「なるべく先生に当てられないように」「なるべくしゃべらないで済むように」と同じような行動をしているけれど、家に帰ってテストのために準備をしたり予習復習をしたりするときには、協力するよりは、お互いに戦って切磋琢磨していた。

Ran
戦いです。

Emi
ちょっと意外ですね(笑)。

高校3年生までアメリカの郊外で、外国人のいない、ネイティブばかりの学校に行っていた。大学に進学しようとなったときには、当然周りの子たちはアメリカの大学に行ったと思いますが、お二人は日本の大学に進んだ。これは決めていたこと?

Ran
いえ、全然。実は私たちも他の現地の子たちと同じようにアメリカの大学を受験して、行き先が決まっていたんです。入学金も振り込んで、寮も決め、引越の準備もしていました。

Sakura
でも、ギリギリのタイミングで日本の大学から合格通知が来て、両親の強い希望もあって、急遽日本に帰ることになりました。

Emi
アメリカの大学を受験しながら、日本の大学も受けていた。

Ran
日本に戻って筆記試験を受けるわけではなく、アメリカの高校4年間の成績とSAT*、TOEFL**の点数、それにエッセイを提出して合否が決まるというものでした。なので、アメリカの大学と並行して進めていました。
*Scholastic Assessment Test 大学進学適性試験。**Test of English as a Foreign Language 英語が母語でない人々を対象とした英語能力測定試験。

Emi
SATは日本でいうセンター試験。TOEFLは英語が母語でない人に大学側が要求する試験ですね。アメリカの大学のために揃えていたのと同じ書類で、日本の大学を受けた。

日本の大学に進んで、久しぶりに日本の教育機関に入った印象は?

Ran
正直に言うと、入学した頃はまだアメリカの大学に進みたくて、「やっぱりアメリカの方がよかったなー」と思っていたんです。でも、実際東京に住み始めると、生活がすごく便利で。東京で暮らしたいがために大学生を続けていたという感じでした。

Emi
「アメリカの大学に行きたかったな」という思いを残しつつ、日本に帰って大学生活が始まった。ただ、やってみると楽しくなってきた。

Ran
本当に楽しくて。両親に、「大学の4年間だけでも、東京の生活を経験した方がいい」ってすごく説得されて、流されるままに来た感じだったんですが、「やっぱり親の選択は正解だったな」と痛感しました。

Sakura
私も最初はアメリカの大学に行きたくて行きたくて。1~2年のころは「アメリカに帰りたいな」と思っていました。けれども3年のときに大学の授業が変わって、楽しくなりました。それと、東京でしかできないような趣味が増えてきて、「あ、やっぱり東京いいかも」となって(笑)そのままずっと東京にいることになりました。

Emi
桜さんの方が少し時間がかかったようですが、最終的にはやっぱり「東京でよかった」と。

Sakura
はい、よかったです。

Emi
日本に帰って、日本語で困ったりは?

Sakura
漢字がすごく困りました。しゃべる方は大丈夫なんですけれど、漢字を書くとき、出てこないんですよね。すごく苦手です。

Ran
私たちの漢字を書く能力は、香川県にいた小学6年までで止まってしまっていました。それ以降はインターネットからしか漢字を学ぶことがなくて。特にパソコン世代なので、打つことはあっても書くことはなかなかありません。漢字を書くのはすごく苦手でしたね。

Emi
いま、お話の流れとしては二人とも日本に渡ってしまったのですが、アメリカでの中高時代、日本語の教育はどうしていた?

Ran
うちから車で約1時間のところにニューヨークの州都があるのですが、そこの日本人の家庭、何軒かの親御さんたちが協力して、月に1~2回日本語学校を開いてくれていたんです。といっても勉強中心じゃなく、文化を忘れないようにするための日本語学校だったので、お茶を点てたり生け花をしたり。そこで多少、月に3~4時間程度は、何かしら日本語で書いていたんですけど、それ以外はまったくナシでしたね。

実は母が、私たちの日本語力を心配して、わざわざ日本から通信教育の教材を毎月取り寄せてくれていました。でも私、全然やってなくて。たぶん高いお金を払っててくれたのに。

Sakura
特に蘭はひどかったよね(笑)。

Ran
たしか毎月テストを提出するんですけど、私は中学の終わりまでに、たぶん3回ぐらい送っただけだと思います(笑)。

Emi
年に1回ぐらいのペース(笑)。

Sakura
気が向いたときだけ(笑)。

Ran
(笑)本当に申し訳ないことをした。

Emi
それは日本語だから嫌いだったんですか?それとも通信教育が嫌いだった?

Ran
通信教育が嫌いだったんですかね。もう本当に勉強が嫌いで。

Emi
桜さんはちゃんとやっていた?

Sakura
わりとやっていました。蘭よりはやっていたと思います(笑)。

Emi
そこでの日本語の読み書きは大丈夫だった?

Sakura
大丈夫でしたね。よく覚えていないですけど、いちおう書くのはできていました。わりと日本の小説を読むのが好きだったので、読むのも問題なかったです。

Emi
アメリカにいる間も、日本語で通信教育を受けたり小説を読んだりと、吸収はしていた。ただ、日本の大学に行ったら、漢字を書くのがちょっと大変だった。

Sakura
大変でした。

ただ、日本の大学といっても私たちの学部は特殊で、授業はほぼ英語だったんです。なので、授業についていけないほど大変というわけではありませんでした。私が漢字が使えなくて苦労したのは、日系企業に就職してからです。

Emi
大学では英語を使っていた。周りにいたのは日本でいう帰国子女の人たち?

Ran
はい、そうですね。帰国子女を受け入れるために創られたような学部です。周りの学生は私たちと同じで、「両親の転勤で海外に行っていた」というような人たちばかりでした。英語はみんなの方ができてたんですけど、日本語力は私たちと同じぐらい。大学のうちは日本語と英語がごちゃまぜになった言葉でしゃべっていました。

Emi
授業の言語も、クラスの人たちと話すのも、そんなに不自由はなく、日本語と英語の混ざったような感じでコミュニケーションをしていた。

Ran
そうですね。個人的にはまだ英語に苦手意識があったので、私から英語でしゃべるということはほとんどありませんでした(笑)。でも「相手が英語しかしゃべれない」という場面がよくあったので、そういうときは英語でしゃべっていました。

Emi
帰国子女のクラスにいるけれど、蘭さん本人としてはあいかわらず英語に自信がない状態。英語しか通じないときは、仕方なく英語で話していた。

Ran
それも私が東京での生活を好きになった理由だと思います。東京にいれば、英語しゃべらなくていいじゃないですか。別に日本語が得意ってわけでもないですけど、まぁ「日本語がしゃべれれば生活できるし、ラクだな」と感じていました(笑)。

Emi
入学当時は「アメリカの大学に行きたかった」という気持ちがあったけれど、日本に行ってみたら「英語を使わなくても生活できるって、ラクだな」と気づいた?

Ran
私は入学して数週間で、東京大好きになりました。数日だったかも(笑)。

Sakura
早い早い(笑)。

Emi
桜さんは、2年間ぐらい「アメリカに帰りたい」という気持ちのままだった。それは帰国子女のいるクラスや英語で受ける授業が、アメリカの良さを思い出させていた?

Sakura
そうですね。東京に住むのは楽しかったんですけれど、日常生活の8割方は日本語を使って、英語を使うのはせいぜい授業の中だけ。それで英語力が落ちたんです。「このままずっと日本に住んでいたら、英語がどんどん、より苦手になっていくんじゃないか」という意識があって、「早いうちにアメリカへ帰った方がいい」と考えていました。

Emi
なるほど。桜さんは「ラクだけれど、このままでは日本語ばっかり使っていて英語ができなくなっちゃうんじゃないか」と。「だから早くアメリカに戻った方がいい」と感じていた。

Sakura
そうです。

Emi
大学では授業を全部英語で受け、周りに英語を話す人がいっぱいいたのなら、じゅうぶん英語を使う毎日だったのでは?

Sakura
うーん、そうでもなかったですね。英語を話す環境にいても、やはり「日本語が通じる」とわかった瞬間、つい日本語で話してしまっていたんですよ。そもそも自分の意識の低さが問題だと思うんですけど。

Ran
本当にそう。

Sakura
「英語しか使えない環境にぶちこまれないと、私は無理なんだ」と思っていました。

Emi
たとえばアメリカでもニューヨークシティのような都会だと、「日本語が通じる相手と、英語で話す」ということはある。でも、お二人が住んでいたところでは、「英語しか通じないから、英語で話す」。だから日本に帰って、日本語が通じる人を相手に英語を話すというのは「なんだかなー」という感じだった?

Sakura
そうなんですよ。

Ran
不自然というか、腑に落ちないというか。

Emi
日本で英語を学習している人のほとんどは、「本当は日本語で通じるんだけど、あえて英語で話している」という環境にいる。お二人はそれを「不自然」と感じていた。

Sakura Ran
はい。本当に。

Emi
蘭さんは、「日本語で暮らすのはラクだな」と数週間のうちに感じて、残りの約4年間、日本の生活を満喫していた。なのに、大学生活を終えて、アメリカでの仕事を選んだ?

Sakura
そうなんですよ。

Ran
不思議ですよね。あんなに東京が好きだったのに。

丸2年、就職活動をしたんですが、最終的に「本当になりたい」と思ったのは客室乗務員でした。「客室乗務員になれるなら、どの会社、どの国でもいい」「日本と海外の間を飛び回りたい」と思って外資系の航空会社をひたすら受け、運良くいちばん最初に採ってくれたのが今の会社だったんです。結果としてアメリカに戻ることになったんですけど、もしこれがたとえば中東の会社なら中東に行ってましたし、中国なら中国に行ってました。たまたまという感じです。

Emi
就職活動をするにあたり、先になりたい職業が決まっていて、たまたま採用されたのがアメリカだった。今はアメリカに住み英語という言語を使っているけれど、「そうじゃなくても構わない」と思っていた?

Ran
本当に「構わない」と思っていました。「この職業ができれば、もう国も住む場所も、どこでもいい」と思っていました。結果的にはアメリカになりましたけど、どこでもよかったんです。

Emi
仕事で使う英語というのは、日本、あるいは高校以前にアメリカで使っていた英語とは違うのでは?入社してからどうだった?

Ran
入社前に2ヶ月弱の研修があるんですけど、その研修が始まる直前、それこそ前日まで、「英語は嫌い」と思ってました。私の英語力、英語への意識は高校時代から何も変わっていなかったんです。

Emi
アメリカにいる間も日本の大学に入ってからも、ずっと英語を使ってはいるけれど、根強い英語への苦手意識があった。

Ran
すごい苦手でした。

Emi
でもアメリカの航空会社に入ってしまった。同僚は主にアメリカ人ですよね?

Ran
ほぼ全員アメリカ人です。中国人などもいますが、共通言語が英語ですから、必然的に英語じゃないと会話が成り立たないんですよね。

Emi
研修は順調に進んだ?

Ran
いやぁ、困りました(笑)。研修では暗記することが多いのですが、私は記憶力もよくないので、それこそ夜中まで起きて資料とにらめっこしていました。また電子辞書を使って、一語一語を引いて。

でも高校のときとは違って、「誰も過去の自分を知らない」ということが助けになったかなと思います。高校では、小学校から知っている間柄の人たちとずっと一緒だったので、アメリカに来た当初の、ウジウジした、英語をまったくしゃべれない自分を知られていたわけです。そのため、英語でガツガツ言うような態度には出られなくて。「英語に自信が持てない」というのも、絶対それが原因だったと思います。

新しい環境では、たとえば訓練時代の仲間は誰も私の本来の英語力を知らない。ウジウジした英語をしゃべる自分のことも知らない。だからトレーニングの前に、「過去の自分は完全に忘れて、英語をガツガツしゃべれる体(てい)で行こう」と決めました。

整った文法で話すことはできていなかったと思いますが、ドヤ顔で(笑)英語をしゃべってみたら、意外と通じるもんなんですよね。「急に英語がしゃべれるようになった」みたいな気持ちになったんです。最初の1週間ぐらいで結構自信がついちゃって、そこからは言いたいことをガツガツ言えるようになりました。

Emi
アメリカ人だらけのアメリカの航空会社に入って、当然そこでは英語を使わなくちゃいけない。「読み物をドンと渡されて、辞書を引き引き読んでいた」というのは高校の国語の課題にちょっと似ている。でも、そこでいわば“キャラ変更”を?

Ran
そう!そのとおりです!

Emi
(笑)会社には、日本から来たばっかりの、子どもの頃のことを知っている人が誰もいない。そこで、「『別にしゃべれますよ?』という感じで行こう」と。

Ran
はい。実際アメリカ人としゃべると、スペイン語訛りなど、結構アクセントの強い人っているじゃないですか。「自分もその体で行ったらいいんだ」と思いました。「『英語はしゃべれますけど、訛ってますよ?』『訛ってますけど、わかってます』という体で行こう」と自分に言い聞かせました。それでしゃべってみたら、意外なことに自信がつきました。

Emi
「ウジウジしている」と表現されるような、「これじゃ通じないんじゃないか」「自信がないな」という自分は封印して?

Ran
完全に封印しました。

Emi
(笑)「アクセントはあるけれど、それが何か?」という強気な態度に?

Ran
そうなんです!そう、本当に、「それが何か?」っていう感じです(笑)。

Emi
それを初めてやってみたら、うまく行った。それで、「あ、これでいいんだ」と気づいた。アメリカでの生活を経て、英語で暮らす日本の生活も経て、就職して、初めてその感じをつかんだ。

Ran
はい、やっとつかめました。

Emi
そこからはもう英語を話すことに抵抗がなくなった?

Ran
まったくなくなりました。もちろん単語数では日本語の方がずっと多いんですけど、表現したいことは英語でも日本語でも同じようにできるようになりました。とにかく自分に言い聞かせて。意外とみんな、わかってくれるものです。

Emi
もちろん、そこに至るまでに蓄積されていたものはあるけれど、自分で「話してみよう」「このやり方でやってみよう」と思い立ったところから、事態が大きく変わった。

桜さんは、日本の大学に入った時点で、「このままでは英語が衰えちゃうんじゃないか」「もったいないな」と感じていた。けれど、大学を卒業後、日本で就職した?

Sakura
そうなんです。蘭とは真逆のパターンです。

私は大学を卒業するとき、まだ自分のやりたいことや夢が見つかっていなかったんです。両親に相談したところ、「だったら、とりあえず今の自分が就職できる中でいちばんいい会社に行け」と言われました。その後、日系企業から内定が出て、そこで働くことになりました。

といっても、その時点では東京が好きになっていたので、アメリカに帰ることは考えていなかったですね。

Emi
大学の中盤から日本での生活が心地よくなっていたというのもあって、日本の会社に就職した。英語で授業をやるような大学を出ているので、就職先でも英語要員というか、「英語ができる人」して働いていたのでは?

Sakura
そうではなかったんです。普通の営業職で、就職してからはまったく英語を使わない日々でした。

Emi
日本で生活し、日本の会社に勤めて、香川以来の「100%日本語」に戻った?

Sakura
(笑) そうなんです。その生活を2年続けました。ただ、それが逆によかったと思います。

日本語だけの生活を2年続けると、さすがに英語力は格段に落ちました。しかも蘭は現地で英語力をメキメキ伸ばしている。英語力が落ちている私との差は歴然でした。それがわかって、やっと「あ、やっぱりこれはいけない」と思い始めました。

Emi
「日本で、日本語だけで暮らせる」というのはラクには違いない。でも、自分の中では「これではいけないな」という感じが残っていた。

さらに、いちばん身近な蘭さんがキャラ変更を機に、すっかり英語がしゃべれる人になっていた。

Ran
(笑)キャラ変更。

Sakura
(笑) そうなんですよ。それで私も、「あぁ、こりゃもうイカン」と思って転職を決意しました。

Emi
桜さんの場合は、英語がかなり転職のきっかけになっていたということ?

Sakura
そうですね。「せっかくアメリカに7年もいて、やっと日常会話ができるまで英語を覚えたのに、これを忘れていいのか」という想いがありました。

Emi
転職活動は「アメリカで」と決めていた?

Sakura
決めてましたね。それと、妹から「実際にアメリカで働くということ」や、「客室乗務員という仕事の内容」について聞いていたので、職種としても興味がわいてきました。アメリカと日本では、労働環境が全然違う。そこにも惹かれました。

Emi
「自分の英語力」が理由の一つだった。また、「蘭さんから聞く環境と、日本で働く自分の環境はずいぶん違うな」と気づいて、転職に踏み切った。

それで、客室乗務員という、おそろいの職業に。

Sakura
(笑) そうなんです。

Emi
日本で100%日本語の生活をしていた2年間は、英語としてはブランク。アメリカの会社に入ったら、英語で研修が始まりましたよね?

Sakura
研修が始まった頃は、やっぱり英語をしゃべるのが億劫になっていました。ブランクがあったせいもあって、日本人独特のアクセントで発音が訛っていたんです。それで話すのが嫌になっていました。

でも、実際に働きだしたら英語は絶対に使わなくちゃいけない。仕事の中で英語を使っていると、「意外と行ける」と思い始めました。周りにはアメリカ人じゃないCA(客室乗務員)もたくさん働いていますが、彼女たちの英語もよくよく聞いてみると、すごく訛っていたり、文法がハチャメチャだったり。「こんな人たちでも何十年も働いてるんだ」と思うと、「私も行けるわ」となって、自信がつきました。

Emi
そのあたりは、アメリカで、「周りが全員ネイティブ」という環境にいた最初の経験が影響していますよね。

Ran
そう!

Sakura
はい、そうなんです。

Emi
「英語を話すということは、ネイティブのように話すこと」「ネイティブと同じように話さないといけないんだ」という意識が強かったのかもしれない。

Ran
最初の7年間、完璧な英語しか聞いていなかったんです。

Emi
そういうことですね。自分たち以外に外国人やノンネイティブがいない環境で、「英語を話す=ネイティブのように話す」というマインドセットがあった。

就職して、他のノンネイティブの人たちが、完璧でなくてものびのびと英語を使っているところを見て、「あ、それなら私にもできるかも」と感じた。そのあたりはすごく大きいですよね。

Ran
本当、「どれだけ気づけるか」ですよね。

Emi
考えてみれば当たり前のこと。英語を話している人が全員ネイティブなわけじゃない。いろんな国の人がいて、私たちの母語は日本語という、英語からかなり遠い言語。そのわりにがんばっている。

「ネイティブのようにならなきゃいけない」と思い込んでしまうとプレッシャーにもなるし、ゴールが果てしなくなってしまう。

Sakura
別に私たちは論文を書くわけでもないですから。

完璧な英語を求めることはいいことだと思いますが、「果たしてそこまで必要か?」と考えて、「今の私には完璧な英語じゃなくてもいいな」という結論に至りました。それがいいのか悪いのかはわからないですが、そう思うことで、英語を話すのが楽しくなりました。

Emi
気が楽になったのかな。

Sakura
そうですね。

Emi
ただ、さっきも言ったとおり、そこまでに蓄積していたものがある。自分で、「この英語では不十分だ」と抑えていたものが、アメリカで中学と高校を卒業し、日本でも英語で大学時代を過ごして、社会人になって花開いた?

Ran
そんな感じですね。

Emi
「完璧に話そうとしなくてもいいんだ」というのは、本当にたくさんの学習者に知ってもらいたいことですね。

Ran
知ってもらいたいです。本当に。

Sakura
はい。

Emi
本日はありがとうございました。

Sakura Ran
こちらこそ、ありがとうございました。

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