#09: 野藤 弓聖さん

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トリニダード・トバゴにお住まいの野藤 弓聖さんに、アメリカ英語との出会い、イギリス留学の経験、津軽弁とトリニダード英語の間に見えてきた意外な関係などについてうかがいました。

野藤 弓聖 Misato Noto

1989年生まれ、青森県弘前市出身。洋楽・洋画好きの母の影響で小さい頃から英語・海外の文化に憧れを持つ。東京外国語大学外国語学部英語専攻への入学と同時に東京へ引っ越す。大学3年の時には1年間休学して、イギリスの大学に留学し、国際関係を学ぶ。大学卒業後、故郷の青森県に戻り公務員として3年間勤務。その後、留学時代に出会ったトリニダード・トバゴ人のパートナーと結婚して、トリニダード・トバゴに移住。現在は、長年憧れだった字幕翻訳者を目指して勉強中。その他、TED Talksで字幕翻訳のボランティアに携わったり、地元の人に日本語を教えたりしている。

プロフィール TED Translator

Emi
では、自己紹介からお願いできますか?

Misato
はい。野藤 弓聖といいます。青森県出身の28才です。いま、カリブ海のトリニダード・トバゴという国で暮らしています。

Emi
「トリニダード・トバゴって、どんなところ?」と思う人もいるかもしれないですね。カリブ海のどのあたり?

Misato
カリブ海の南の方で、かなり南アメリカ大陸に近いです。南米のベネズエラにすごく近いところです。

Emi
その中のどこにいらっしゃるんですか?

Misato
私は首都のポート・オブ・スペインというところにいます。

Emi
首都というと、都会?

Misato
うーん、まあ都会といっても実は国自体がものすごく小さくて、日本で言うと千葉県ぐらいの大きさの国なんです。人口も、私の出身地である青森県と同じ130万人ぐらい。なので、首都といってもそこまで都会という感じはないですね。

Emi
外国人は結構いる?

Misato
最近はベネズエラからトリニダードへ引越してきている方がものすごく多いです。中国人も結構多くて、中華料理のレストランや中国の食材を売っているスーパーがあります。建設関係でも中国の方が会社をおこして、中国から従業員を連れてくるという感じがありますね。

Emi
アジア食材も手に入りやすい?

Misato
私は個人的にはトリニダードの地元の料理を作るようにしています。

Emi
たとえばどんな料理?

Misato
いちばんのメインはカラルー (callaloo)という料理です。タロイモの葉っぱを細かく切って、オクラ、かぼちゃ、唐辛子、ココナッツミルクなどで煮込みます。煮込むとドロドロネバネバした感じになるんですけど、それを「ごはんですよ」みたいにごはんにかけて(笑)、肉や魚と一緒に食べます。

Emi
わりと日本人の口に合いそうな感じですね。

Misato
そうなんです。私も4~5年前、初めてトリニダードに来たときは心配だったんですけど、意外にも日本人の口に合うんです。お米も食べますし、鶏肉やカレーもよく食べるので、食生活的には合っています。

Emi
個人的にはカーニバルのイメージがあります。

Misato
ああ、カーニバルが有名で、毎年イースターの前に催されます。同じ時期にはスティールパン全国大会もあります。スティールパンというのは、ディズニー映画『リトル・マーメイド』の『Under the sea』という曲に出てくる楽器ですが、実はトリニダードが発祥です。

毎年2~3月になると、日本人もたくさん来ます。日本人のスティールパン奏者は大会前にこちらに来て、現地のバンドに加わって、一緒に出場したりしています。

Emi
公用語は英語。英語の他に、たとえば街の標識などに使われている言語はありますか?

Misato
南アメリカに近いので、政府関係の建物の標識は必ず英語とスペイン語の両方で表記があります。でもやっぱり国としては英語しか使わないので、スペイン語をしゃべる人はあまりいないです。

Emi
弓聖さんの日常も100%英語?

Misato
はい、100%英語です。

昔、トリニダードに奴隷制度があったとき、奴隷同士で会話するときにパトワ (patois)という言葉を使っていたというのは聞いたことがあります。フランス語の影響を受けた言語だそうです。トリニダードの小さい村に行くと、今でもパトワを使っているところがあるらしいです。

Emi
弓聖さんの生活圏内ではない?

Misato
ないですね。まったく。

Emi
では、現在日常的に英語を使っている弓聖さんが、英語に出会ったのは、いつどこでですか?

Misato
英語に触れたいちばん最初の記憶は、小学校3年生くらいで、ビートルズの曲に出会ったときです。車のコマーシャルだったと思うんですけど、ビートルズの『オブラディ・オブラダ』という曲がテレビから流れてきました。その曲がすごく強烈に気に入って、母に「こういう曲、知ってる?」と尋ねたら「うちにCDがあるよ」と言われ、CDを出してもらって、他の曲も通しでずっと聴くようになりました。

Emi
なにげなく見ていたテレビから流れてきた音楽がきっかけで、ビートルズのアルバムを聴くようになった。それは、「音楽」より「英語」の印象が強かった?

Misato
どっちだろうなぁ。ちょっと…うーん、どうだろう。覚えてないです。(笑)

Emi
CDと一緒に歌っていた?

Misato
そうですね。気分が良くなって一緒に歌ったりしていた記憶があります。でも、歌詞カードを見てという感じではなくて、本当に耳で聞いたまま、適当にムニャムニャ歌っていたと思います。(笑)

Emi
聞こえてくるように口から出して、合わせて歌っていた。

Misato
そうですそうです。

Emi
その後、「あれは英語だったんだ」というのは、どのタイミングで気づく?

Misato
小学校高学年になってからです。当時はまだカセットテープが主流だったので、「自分のお気に入りのCDの曲を編集して、カセットテープに落とす」ということをやっていました。ご丁寧にも、カセットテープの裏面にタイトルを書いていたんですけど、そのとき「あ、英語だ」と意識したのかなと思います。

Emi
タイトルを書くときに、英語のタイトルはそのままアルファベットで書き写していた。

小学校の間は、英語を使ったり勉強したりという経験はなかった?

Misato
そうですね。でも、小学校の頃の英語に関する思い出が、あとニつあります。

一つは、それも3年生くらいだったと思うんですけど、青森県三沢市の米軍基地に行ったときのことです。通常、日本人は基地の中に入れないのですが、1年に1回、 米軍の方たちが屋台を出したりイベントをやったりして、特別に公開する日があるんです。

そこへ母と一緒に出かけて、屋台で飲み物を買うことになりました。うちの母は別に英語がしゃべれるわけではないんですけど、アメリカ人の店員さんに注文するときに、ジュースのボトルを指差して、「Two!」と言ったんです。(笑)

Emi
お母様と弓聖さんの分ですね。(笑)

Misato
(笑)そうです。それで、「お母さんが英語しゃべった!」みたいな。しかもちゃんと2本買えたので、「すごい。お母さんが英語をしゃべって、その英語が通じてる」と思いました。それは私の中ですごく強烈でした。母はただ「Two」と言っただけだったんですけど、 それがもう「英語をしゃべっている。カッコいいなあ」と、ちょっと憧れたという思い出です。

Emi
地元にたまたま米軍の基地があって、そこのイベントに行った。米軍ですから、アメリカ人ばっかり。そこへ特別に入っていったら、普段日本語で話しているお母さんが、外国人を相手に英語をしゃべった。(笑)

Misato
(笑)

Emi
しかも意味が通じて、ちゃんと2本買えた。それが衝撃的で、「お母さん、カッコいいな」と思った。

Misato
はい。そのときはすごく強烈でした。しかも買ってもらったジュースも、日本のジュースとは違って、真っ青。見た目からして違うし、味も日本にはないような味。それも衝撃でしたね。

Emi
その日の特別な雰囲気、そこにいる人たち、お母さんが英語をしゃべったということ、外国の飲み物の色や味。異文化に一挙に触れた感じですね。

Misato
どこを見てもアメリカ人ばかりですし、普段自分が暮らしている街とはだいぶ違った雰囲気がありました。今でもすごく強烈に覚えています。

Emi
地元ではあるけれど、すっかりアメリカの文化に入った感じ。良い印象でその日一日を過ごした。

英語の思い出、もう一つは何ですか?

Misato
今度は小学校6年生のとき、初めてALT*の先生が1時間だけ特別に授業をしてくれたときのことです。
*Assistant Language Teacher:外国語指導助手

中学では定期的にあったんですけど、ALTの先生が小学校に来てくれるというのは、私のときはその1回しかありませんでした。「初めてアメリカ人の先生が授業をしてくれる」ということで、私はワクワクして待っていました。

すると、担任の先生と、知らないアジア人の男性が教室に入ってきました。男性は、なんかもじもじした感じの人でした。小学生のイメージでは、アメリカ人といえば金髪に青い目。「あれ、ALTの先生はどこかな?」と思っていたら、そのもじもじしてたアジア人の男性が、教壇のところに来てみんなの前に立った瞬間、「ハーイ!」みたいな感じで、パッと明るくなって。バリバリのアメリカンな英語で話し始めて、「すごい!」となったんです。

Emi
見た目にはアジア人の男性が、突然ネイティブの英語をしゃべりだした。それ、さっきの「お母さんが急に英語をしゃべった」という衝撃に、ちょっと似た感じがありますね。(笑)

Misato
(笑)そうですね。

そのALTの先生は「中国系のアメリカ人で、ミシガンで育ちました」と言っていたので、そのときに「アメリカという国には、自分が今までイメージしていた白人ばっかりじゃなくて、アジア人もいるんだな」ということに、すごくびっくりしました。

Emi
「ミシガン出身で、中国系」と、その先生が英語で話しているのが、弓聖さんにはわかったということ?

Misato
それがね、今ちょっと…。どうだったかなと。(笑)「なんでわかったんだろう」と、今しゃべってて不思議に思ったんですけど、何だったんだろう。(笑)

Emi
(笑)謎ですね。

その後、中学に入って、英語の授業はどうだった?

Misato
1年生の担任が英語の先生だったんですけど、その先生はアメリカに留学したことがあって、発音が良かったんです。きれいな発音で、英語をしゃべりながら授業をしてくれたので、「先生すごい」「カッコいいな」という思いで、惹きつけられたというか、魅了されました。それで英語に対する憧れが強くなって、英語を一生懸命勉強するようになった気がします。

Emi
中学に入って、たまたまアメリカに留学した経験のある英語の先生が担任に。その先生の英語を話している姿が、弓聖さんの目にはカッコよく映っていた。

「英語を勉強をしていったら、先生みたいにしゃべれるようになるんだ」というイメージで頑張っていた?

Misato
その当時、最初のうちは「英語をしゃべりたい」という強い気持ちはあんまりなく、ただ学校の教科の1つとして、好きな教科だから勉強していたような気がします。

Emi
どんなところが好きだった?

Misato
いちばん最初の、単語を勉強していた頃は、「日本語と違って、 一つの単語を作るのにすごいいろんなアルファベットが出てくる」ということに興味がわきました。たとえば「フレンド」という言葉に対して、F-R-I-E-N-Dでアルファベットが多い。「音に対して、やたらとアルファベットが多い」という感覚でした。(笑)

Emi
スペルと音の関係ですね。日本語では、たとえばひらがなで考えると、「一つの音で、一つの文字」と一対一の対応。「英語はそうじゃないんだ」「音の数に対して、文字の数が多い」というところに興味があった。

Misato
そうですね。

Emi
同じ理由で、「英語が大嫌いだった」という人を知ってますけどね。(笑)

Misato
えぇぇっ!

Emi
弓聖さんは「数が合わないところがおもしろい」と感じていた。教科書に出てくる単語を書いて覚えたりも、楽しくできていた?

Misato
そうですね、はい。

Emi
中学高校は、ずっと英語が好きなまま?

Misato
そうです。中学校1~2年生ぐらいまでは、「英語は教科として好きなもの」という感じだったんですけど、たぶん中学3年生か高校の最初の頃かに、それが変わりました。イギリスのアイドルグループ、バステッド (BUSTED)の曲を聴いたときに、「曲がカッコいいな」「みんなカッコいいな」という興味が出てきたんです。

曲を聴くのも好きだったし、「好きなアイドルのインタビューを読みたい」「動画があったら見たい」という気持ちも出てきました。それでインターネットを駆使して、動画を見つけて聞いてみたんです。そこで初めてイギリス英語に触れて、「え?」と思いました。本当に本当に何も聞き取れなかったんですよ。当時の私は、学校ではアメリカ英語しか慣れ親しんでいなかったので、そのときはもう、「これ英語ですか?」くらいの衝撃を受けて、「こういうのを聞き取れるようになりたいな」と感じました。

それまでは「教科としての英語」でしたが、今度は「自分で英語を使ってみたい」「自分でこういうのを聞き取れるようになりたい」という興味が出てきました。

Emi
留学経験のある担任の先生もアメリカ英語の発音。さらに元をたどれば米軍から始まってますからね。ずっとアメリカ英語を学んできて、たまたま好きになったアイドルがイギリス人だった。インタビューを聞いて、「自分の知ってる英語とは全然違う」ということに、また衝撃を受けた。

「インタビューを聞いてみよう」と思った時点では、「ある程度わかりそうだな」という予想があった?

Misato
うーん、どうなんだろう。そのアイドル自体、日本のテレビには映らない人たちなので、当時は「どうしても動いてしゃべってる姿を見たい」「写真で見るとカッコいいけど、動いてるときもカッコいいのかな」というミーハーな気持ちがあって。(笑)

Emi
(笑)なるほど。英語が目的で聞いたわけではなくて、「いつも静止画のこの人は、動画になったらどうなのかな?」とインターネット上を追いかけていったら、たまたま音声が聞こえてきた?(笑)

Misato
(笑)そうですね。

Emi
リアルでいいですね。中学生や高校生の動機って、そうだと思います。(笑)

Misato
(笑)

Emi
動画でイギリス英語を聞いて、「なんにも聞き取れないけど、私もできるようになりたい」と思った。

それ以降、高校では「使う英語」を意識して勉強を続けてきた?

Misato
そういう意識はあったと思うんですけど、「英語を使おう」と思っても、結局は機会に恵まれませんでした。青森県の田舎の、普通の高校に通っていたので、周りは日本人しかいない。英語を話すのは英語の会話の授業か、ALTの先生が来たときだけ。それに、当時は英語を話すことにすごく抵抗がありました。発音も何を気をつけたらいいか全然わからないし、たとえば授業中、「他にクラスメートがいる中で英語を話す」というのは、やっぱり恥ずかしい気持ちがあって。

「自分から進んで英語を話そう」という気持ちはあったんですけど、 なかなか行動に移せませんでした。

Emi
なるほど。ずっと英語に対して良い印象を持っていて、「しゃべれるようになりたい」「勉強も楽しい」と進んできてはいても、英語を使う環境ではなかった。周りに外国人や英語を話す日本人がいるわけではなく、話す機会もないし、専門的に習ってもいない。クラスでは「他の子たちがしゃべらないのに、私が英語をしゃべるなんて、ちょっと恥ずかしい」という気持ちがあった。

たとえば、「英会話学校に行く」、「オンラインで外国人と話す」などの選択肢はあった?

Misato
当時は、そのとき好きだったイギリスのアイドルの音楽を聴きまくることと、映画をいっぱい観て生きた英語を聞くぐらいしか、やってなかったです。

Emi
「メディアを通じて英語を聞く」ということは続けていた。

その環境で高校3年生まで来て、プロフィールによると、東京外国語大学外国語学部英語専攻に入学。 これはもうかなり「英語を専門的にやっていこう」という進学ですよね?

Misato
そうですね。最初に興味を持ったのは音楽、特に洋楽です。それから、洋画好きの母と一緒に映画を観るようになって、海外の文化に興味を持ち始めました。海外の映画では、みんなでパーティーしたり海に行ったりしている。私は内向的な学生だったんですけど、そういう開放的なテーマの映画を観て、「こういう世界で暮らしてみたいな」という気持ちになりました。

また、自分が好きなものについて、「海外の人とだったら話ができるんじゃないかな」という思いがありました。高校生のとき、周りには私と似たような音楽や映画の趣味を持っている人がなかなかいなくて。「いつか自分の趣味について、海外の人と一緒におしゃべりしてみたいな」と思っていました。

あとはちょっと消極的な理由なんですけど、私は数学や化学など理系の教科がまったくできなかったので、その反動もあったと思います。「数学や理科では理解が追いつかず、絶対、仕事ができない。それだったら、好きな英語を極めるしかない」という思いから、大学進学に向けて勉強していました。

Emi
「英語は好きな科目だけど、使うところがない」という状況で、映画を通して英語を聞くようにしている中、英語という言語以外に、外国文化の情報が入ってきた。映画に出てくる人たちの生活の仕方に何か開放的なものを見て、「ああ、私もそういう場所に行ってみたい」。その興味が一つ。

もう一つは、イギリスのアイドルなど自分の趣味の共有。「いま自分がいる環境にはいないけれど、自分が外国に行ったら、趣味を共有できる人がいるんじゃないか。そのために英語が必要だ」とつながっていった。

さらに、将来の職業を考えたとき、外国語大学の英語専攻というのが「英語を極める」、得意科目の英語をさらに伸ばしていくのにいいんじゃないかと。

大学では、実際に英語を学ぶ機会がふんだんにあったと思いますが、入学後はどうでしたか?

Misato
大学に入ってからは、周りの人のレベルがすごく高くて。とりあえず周りが全員、頭良さそうに見えました。

Emi
(笑)

Misato
それに、帰国子女など外国に住んだ経験のある人が結構いて、「もっと頑張らなきゃ」という気持ちになりました。

1年生のうちから、英語を使ってプレゼンするような授業が始まりました。「グループでリサーチをして、わかったことをまとめて英語で発表する」というような、まったくやったことのないことをやりました。周りの人はものすごくバリバリ英語を話していて、中学高校の頃と比べると、だいぶ焦りが出てきました。「もっと勉強しないといけないんだな」という気持ちになりました。

Emi
青森県での中学高校時代は英語が得意で、「これをどんどん学んでいくんだ」という意気込みだった。東京の外国語大学に来てみたら、同級生は外国に住んだことがある人やバイリンガルなど、自分より英語を使い慣れている人たち。授業も、「英語を学ぶ」というより「英語を使って何かする」。そこで、「後れを取っている」と感じてしまった?

Misato
そうですね。うん、ちょっと焦りました。

Emi
「わ、しゃべれる人ばっかり。焦るなぁ」と思ったとき、どんなことをした?

Misato
うーん。そうですね… 何したっけ。(笑)うーん。

Emi
いつの間にか焦りが消えていた?

Misato
うーん、ちょっと諦めたというか。(笑)

Emi
開き直った?

Misato
「ああ、もうどうせできないんだったら、しょうがないな」「どうせみんな私より頭が良いんだから、まあ私は私で大学生活を楽しもうかな」みたいな。(笑)

Emi
(笑)なるほど。

最初は「わ、私以外はみんな頭がいい」「英語もすごい上手」と、面食らったような状態だったけれど、そこで「追いつこう」とか「同じようにしよう」とかではなく、「ま、みんなはみんな。私は私。」と気持ちを切り替えた?

Misato
そうです。「とりあえず授業の単位を落とさなければいいや」みたいな感じになってしまって、宿題はちゃんとやりますけど、それ以上のことはあまりしていなかったと思います。

Emi
その時点での英語に対する印象はどうでしたか? 小さい頃から、「英語をしゃべれたらカッコいいな」「あんなふうになりたいな」とずっと憧れてきて、大学で「そんなにやらなくてもいっか」みたいな気分になったとき、英語に対する印象は変わりましたか?

Misato
うーん。そう…、うーん。変わったかなぁ。

Emi
あんまりそんな感じはしない?

Misato
英語が好きで、「英語をしゃべりたい」という気持ちはあったんですけど、アカデミックな方の英語は諦めちゃったというか。(笑)

Emi
「大学で発表やリサーチに使うようなタイプの英語は、あんまり好きじゃないな」と思った。一方、実際に外国に行くことや、外国人と話す英語については、別に嫌いになったわけではなく、「できるようになりたい」という気持ちがずっと続いていた。

Misato
はい。大学には留学生が結構たくさんいて、日常的に外国人を見るようになっていました。高校までは、「ALTの先生を一人見たら、その日に会う外国人はそれで終わり」みたいな感じだったんですけど、大学では常にいろんなところに外国人がいて。「いつか、あの人たちと普通におしゃべりできるようになりたいな」という気持ちはずっとありました。

Emi
外国語大学で、いろんな言語を学んでいる人がいる中には、外国から日本に来ている学生や外国人の先生がたくさんいた。日常的に外国人がいる環境に移って、「あの人たちと英語で話してみたい」というモチベーションがずっとあった。

実際に大学の中で外国人と話す機会は結構あった?

Misato
2年生の後期くらいから、留学生と異文化交流するサークルに入って、そこでアメリカやイギリスから来ている留学生と知り合うようになりました。そこで初めて「友達と英語で話す」という経験が始まりました。

Emi
大学のサークルで、外国人と話して友達ができた。その後、3年生のときにイギリスに留学。これは「今度は自分がイギリスに行って英語を使ってみたい」という気持ちから?

Misato
はい。その頃までには、もう本当にずっと映画や音楽からイギリス英語に触れてきていたので、「やっぱり実際に自分でイギリスへ行って、イギリス人と話したり、ライブに行って生で音楽を聴いたり、映画を観たりしてみたいな」と思って留学しました。

Emi
映画や音楽が、弓聖さんを引っぱっている感じがありますね。

イギリスに行ってからはどうだった?

Misato
はりきって行ったものの、実はあんまりイギリス人の友達ができませんでした。大学に1年間在籍して、普通に現地の学生と一緒に授業を取るには取るんですけど、仲良くなるというところまではなかなか行きませんでした。

Emi
仲良くなったのは外国から来ている留学生だった?

Misato
はい。留学先の寮に住み始めたときに、台湾の人たちと仲良くなりました。その中に、私と同じように「イギリスの音楽が大好き」という人が一人いて、その人と一緒にライブに行くなど、台湾人と一緒に遊ぶことが多かったです。

Emi
まさに高校生のときに思い描いていた、「英語を学び続けていたら、いずれ趣味の話ができる」というのが、そこで叶った?

Misato
そうです。

Emi
「イギリス人とは、仲良くまではいかなかった」というお話でしたが、大学での授業や交流、やりとりなどは、特に問題なくできていた?

Misato
やっぱり大学には他の国から来ている人がいっぱいいるので、教授やチューターは誰にでもわかりやすい話し方に慣れていました。なので、授業を聞く分には問題なかったんですけど、たまにあるディスカッションや発表の場で、イギリス人学生の英語を聞くのがすごく大変でした。

Emi
日本の大学でも英語を使って授業を受けていたので、イギリスに行ってからも、授業を受ける分にはそんなに困らなかった。一方で、同世代のイギリス人と話したり、その人たちの前で発表したりするのには抵抗があった。

1年の留学の間に、何か変化はあった?

Misato
最初の頃は、現地の人に話しかけるだけでも一仕事でした。「こう言われたら、こう言おう」とか、「最初はこう始めよう」とか、いろいろと自分の中でブレインストーミングをしてから、やっと話すという感じで。でも、最後の方は、「この人に話しかけよう」と思ったら、普通に話しかけるくらいにはなっていたと思います。

Emi
最初のうちは、いろいろ考えちゃって、「これでいいのかな」「一回ちょっと自分で練習してから」という感じで、話し始めるまでに間が空いていた。それが、留学が終わる頃には、前もって用意をしなくても咄嗟に返すなど、スムーズにできるようになった。

日本の大学に帰ってから、自分の中で成長を感じることはあった?

Misato
帰国後は日常生活で使う言葉が日本語に戻るので、当然、英語力は留学中より落ちたと思うんですけど、気持ち的に楽になりました。留学前は、口を開くまでが大変で、授業でも英語で発言する場面では「言おうかな、言おうかな」というのを経て、「やっと言う」みたいな感じでした。でも、帰ってきてからは、「言いたいことがあったら言う」「質問する」などができるようになりました。

Emi
留学前は、「言おうと思っていたけれど、ためらっているうちに先に進んでしまって、言わずじまい」ということが起きていた。留学後は、「思い切って言ってみる」「タイミングを外さずに会話に参加する」ということができるようになっていた。

大学卒業後は地元に帰って就職。これは英語を使うお仕事?

Misato
まったく英語を使わない仕事でした。

青森県庁に就職したんですけど、本当の自分の希望としては、留学経験を生かして海外に青森県の魅力を発信するなど、観光関係の仕事がしたかったんです。でも、入ってみたら、英語とは全然関係のない統計をやる課に配属。それから3年間、業務的には英語と一切の関係ない仕事をしていました。

Emi
英語を使わない生活を3年間。その間、どう思っていた?

Misato
「仕事で使えない分、どれだけ日常的に英語に触れるようにするか」というのを常に考えていました。たとえば、通勤の電車内で海外のドラマを観たり、ポッドキャストでニュースを聞いたり。イギリスに留学していたときに友達になったアメリカ人が、ちょうど青森県の隣の秋田県に英語の先生として引越してきたので、その子と一緒に遊んで英語を話すようにしたり。「仕事で使えない分、プライベートで英語を使うように」ということを心がけていました。

Emi
仕事では一切英語が要らなくなってしまったので、英語を忘れないように、あるいはもっと上達できるように、通勤時に英語を聞いたり、アメリカ人の友達と話したりする機会を積極的に作っていた。

その後、結婚してトリニダードに引越す。

Misato
イギリスの大学に留学していたときに、友達の紹介でトリニダード・トバゴから来ている留学生の人と仲良くなって、縁があって結婚することになり、トリニダードに引越しました。

Emi
「トリニダードで英語を使う」という生活が始まってからは、どうでしたか?

Misato
それまではアメリカ英語やイギリス英語に触れてきていたんですけど、今度はトリニダード英語に慣れなきゃいけなくなって、それが最初はすごく大変でした。

Emi
トリニダードに来る前は、日本でアメリカ英語に慣れていたし、イギリスに住んだ経験もあるから、そんなに心配していなかった?

Misato
そうなんです。そういう気持ちでやってきたんですけど、それまでの英語の常識がガラガラに崩れたというか。(笑)

Emi
それまではずっと、いわゆる“正しい”英語に慣れ親しんでいた。ところが、トリニダードの英語はクレオール言語 (creole language)と呼ばれ、他の言語の影響も入っているし、少し変形していて、そこでしか通用しないような部分もある。

自分が知っていた英語、実際にイギリスで通じていた英語とは違う英語を普通に使う人たちを目の当たりにして、「常識が崩れた」というか、「こういう英語もあるんだ」と、目からうろこが落ちるような経験をした。

Misato
いちばんびっくりしたのは、たとえば「She does」「She doesn’t」などが、こっちだと「She do」「She don’t」になることです。「I am」は「I is」とか、もうごちゃごちゃ。地元の人はそういうしゃべり方です。

Emi
「She don’t」と相手に言われた場合、もちろん意味はわかる。それに対して、弓聖さんは相手に合わせて英語を変える? それとも、弓聖さんの方ではあいかわらずスタンダードな英語を使って、現地の人はそれはそれとして理解している?

Misato
あえて「She don’t」「I is」と言うことはありません。でもやっぱり住んでいると、アクセントがだいぶうつってきて、今は少なからずトリニダード英語の影響を受けていると思います。

特徴的なのは、たとえば「I don’t care」は「アドン ケー」、「Don’t say that」は「ド セイダ」のように発音することです。友達に聞いたんですが、英語の基本的な発音が、言いやすいように簡略化されているらしいです。

Emi
これはバナキュラー(vernacular)と呼ばれますが、アフリカン・アメリカンの英語などもそうですよね。スタンダード英語を自分たちの言いやすいように変形させていって、その仲間内でどんどん広めていく。

アクセントや言い回しの部分では「うつってきてるな」と感じるけれど、文法的にはやはり今も日本で学んだものを使っている?

Misato
もしかしたら無意識のうちにトリニダード風になっているときもあるかもしれないですけど、気持ち的には、あえてそこまで崩すことはしないようにしています。

Emi
そのあたりは、「合わせるのがいいのか」「あんまり合わせに行ってしまうと、違うニュアンスが出てしまうんじゃないか」というところ。やはり住んでいる人ならではの気遣いでしょうね。

ちなみに弓聖さんは青森県ご出身ですけど、青森の言葉もアクセントが難しいですね。それはネイティブですか?

Misato
ええ。バリバリの津軽弁を話します。

Emi
日本一発音が難しく、ボキャブラリーもかなり高度と言われる津軽弁ですか。

Misato
(笑)

Emi
先ほどの、トリニダードのローカルの人たちに対する気遣いには、津軽弁ネイティブであることが影響していますか? たとえば、「おばあちゃんがしゃべる津軽弁に、よそから来た若い人が合わせて話すのは、ちょっと違和感がある」というように重なりますか? それとこれとは別?

Misato
実は私、トリニダード英語を結構楽しみながら学んでるんです。なんて言えばいいのかな、なんか「日本語を話しているときの自分」と、「英語を話しているときの自分」って結構キャラクターが違うと思っているので、トリニダード英語を学ぶことによって、また別の、今までとはまた違うキャラクターを発見している気分になります。

Emi
日本の中学高校で英語を学んでいたお話の中に、「自分は内向的」という表現がありました。ご自身としては、「日本語を話しているときの自分は内向的で、英語を話している自分はちょっと違う人格。さらに、トリニダード英語をしゃべっている自分は、たとえばイギリス英語をしゃべっている自分とはまた違う」という感覚がある?

Misato
うん。ちょっと違うんじゃないかと思います。

Emi
おもしろいですね。言語を使い分けることで、自分に対するイメージも違ってくる。

Misato
津軽弁がスタンダードの環境で育ってきて、トリニダードに来て、また訛りが強いというかアクセントが強い言葉を学ぶというのは、すごく楽しいです。「どんどん真似したいな」という気持ちがあります。

Emi
そうか。日本語は津軽弁のネイティブで育ってきて、東京のアクセントを後から身につけた。そして英語は、アメリカ英語イギリス英語という、日本語でいう東京アクセントみたいなものから入って(笑)

Misato
(笑)

Emi
今は津軽弁に当たるような、トリニダード英語を習得している途中。

Misato
(笑)そうですね。

Emi
日本語と英語を行ったり来たりしながら、英語の中でも、スタンダード英語をベースにトリニダード英語を学んでいる。複数の言語の中を行き来しているような感じですね。

Misato
あ、おもしろい表現ですね。(笑)

Emi
(笑)
自然な流れの中で言語間を行き来しながら、外国に行って趣味の話を共有したり、言語を切り替えることで違う自分を発見したり。言語を学ぶことで、すべてがつながってきているんですね。

Misato
そうですね。はい。

Emi
本日はありがとうございました。

Misato
ありがとうございました。

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