#10. 立石 亮さん(三菱商事勤務、スタンフォード大学MBA)

スタンフォード大学ビジネススクールに留学中の立石 亮さんに、受験や資格試験の英語と実際に使う英語との違い、留学に至った経緯、実践を通じて新たに獲得したマインドセットなどについてうかがいました。

立石 亮 Ryo Tateishi

1985年生まれ。東京大学法学部卒業後、2010年三菱商事に入社。2011年の震災後、船舶ビジネスに携わる傍ら、個人として石巻でボランティア活動を継続的に行う。2012年に環境・CSR推進部 復興支援チームに異動。被災地域の中小企業や起業家への投融資事業と、福島における農業支援の一環としてのワイナリー事業を主に担当。現在はStanford Graduate School of BusinessのMBAプログラムに在籍し、「企業が生み出す社会的価値の新しい形」を中心テーマとして勉学に励んでいる。

Emi
自己紹介からお願いできますか?

Ryo
はい、立石 亮と申します。今スタンフォード大学のビジネススクールに留学しております。もともと三菱商事という総合商社に勤めておりまして、その社費の留学生としてこちらに来ております。

Emi
アメリカには留学生としていらっしゃっている。いつ頃から?

Ryo
去年、2016年の6月末に渡米してきました。

Emi
じゃあ1年が終わって、2年目に入るところ?

Ryo
そうです。プログラム自体は去年の秋に始まったんですけど、英語があまりにもできなかったので、スタンフォードの大学院生向けの英語プログラムに2ヶ月ぐらい通ってから、ビジネススクールの方に参戦という感じです。

Emi
大学院が本格的に始まる前に英語のプログラムに。さっそく英語の話に入ってきましたが(笑)、亮さんがいちばん最初に英語に出会ったのは、いつどこでですか?

 

英語を含め、“お勉強”全般が得意だった

 

Ryo
たぶん中学1年生の、学校の英語が初めだったと思います。

Emi
小学生までは、まったく英語に触れることがなかった?

Ryo
まったくなかったと思いますね。中学1年生の1学期に、ローマ字から始めるみたいな。

Emi
その時の印象は?

Ryo
どうですかね。なんか特段…ないかな。自分で言うとアホらしいですけど、比較的お勉強はできるほうだったので、別にずば抜けて得意でもないですが、問題なく学んだ感じでした。

Emi
英語は日本の小学校にはなくて、中学から新しく加わるわけですけど、他の科目と違いは感じなかった?

Ryo
なかったですね。そういうフレームワーク自体が自分の頭の中になかった気もします。中学に入ってからはカリキュラムの全体像がなんとなく把握できた感じですけど、小学校のときは、「科目、学んだっけな?」「勉強してたっけな?」みたいな感じです(笑)。

Emi
なるほど。「お勉強が得意だった」ということでしたが、科目ごとの記憶や「英語という新しい教科」の印象は特にない?

Ryo
ないですね。ちょっと古い記憶なので間違ってる可能性もありますけど、あんまりなかったと思います。

ただ、アメリカ人など英語ネイティブの先生がサポートに来てくれるプログラムで英語を話す機会があったとしても、積極的に話す感じじゃなかったですね。「この人とめちゃくちゃ話せるようになりたい!」とも思っていなかったです。うーん、あんまり強烈な記憶はありません。

でも、一つ記憶があるとすると、中学の終わり頃、選択科目的にスピーキングのクラスを取ったことです。公立中学だったので、あんまり選択科目ってないはずなんですが、1コマ2コマ選べるのがあって、なんか英語をしゃべるクラスを選んだんですよね。「テストの点数はすごくいいのに、そのクラスでは、他の生徒に比べて、あんまりしゃべれてなかったなぁ」という、うっすらとした記憶があります。

Emi
普段の試験はよくできていて、授業にもついていけていたので、英語に関して特に思い出はない。ただ、選択科目として話すことがメインの授業を取ったときに、「自分より話せるヤツがクラスにいる」ということに気づいた。

Ryo
そうそうそう。「話せるヤツがいる」どころか、クラスの中で、「結構話せてないかも、俺」みたいな(笑)。その不思議な感覚は、すごい残ってます。

Emi
英語ができているのは間違いないですよね。結果は残してきていますし。

Ryo
そうですね。結果は残してる。100点(笑)。

Emi
「100点取ってるのに、なんだこれは!」ということが起きた。

Ryo
それはありました。その時は自分の中でもそんなにハイライト*しなかったし、別にそれで思い悩んだりもしなかったんですけど、なぜか中学時代を思い出す場面の一つではあります。「そういえば俺、あのとき全然しゃべれてなかったな」と。
*highlight:強調する、浮き彫りにする

Emi
数少ない、不可解な出来事だった?

Ryo
ああ、そんな感じかもしれないです。

 

美しいパッシブと、深みのない学び

 

Emi
授業の内容については、わからないこともなく、しっかり理解していた。

Ryo
そうですね。まったく意味ないですけど、文法とか、やたら得意でした(笑)。まあ意味なくはないけど、いま振り返ると、「そこにそんなに力入れるかねぇ」みたいな感じです(笑)。

Emi
たとえば文法のどこに力を入れて、どんな学習をしていた?

Ryo
いやぁ、ぜんぜん覚えてないですね。

高校もそうでしたけど、「典型的な、テストができる人のサイクル」でした。与えられる課題をキレイにこなして、いい点数をとって、次の課題が来て、いい点数とって…。すごくパッシブ*な学習プロセス。精度の高い、すごく美しいパッシブでしたけど(笑)。
*passive:受け身の、いいなりの

Emi
「美しいパッシブ」(笑)。

Ryo
いま振り返ると、まったく深みのない学びでした。もちろん、今たとえば課題で「このケース読んどけ」と言われたときにそれなりのスピードで読めるのは、その頃に培った文法のおかげだなとは思います。でも、もしその当時に帰れたら、もう少し「英語でコミュニケーションするとは何か」という核心に近いところから学びたいですね。

Emi
プロフィールにあるとおり、進学先は東京大学。日本の受験英語は、ほとんど完璧にこなしていたということですよね。

Ryo
そうですね。自分で「そうですね」とかって、すごいアホらしいですけど(笑)、その定規でいったらそうだと思います。

Emi
「受験英語を完璧にやる」というのは大したこと。文法にしても語彙にしても、100点を取るのは簡単ではない。かなりの時間と労力を費やして、そこまで頑張れた理由は? 「英語」や「言語」に対する興味ではなかったとすると、「課題を完璧にこなす」ということに情熱を傾けていた?

Ryo
おっしゃるとおりだと思います。これ、言葉にするとすごくつまんない人間なんですけど、特段なにかに情熱があったわけじゃないんですよね。与えられたものをこなして、高い点数を取って、褒められたり、なんとなく満足感を得たり。そのサイクルに入ったまま、駆け抜けただけ。それ自体がたぶん気持ちよかったんです。

高校のときはサッカーをやっていたのですが、たとえば練習で夜遅くなると、家もちょっと遠かったので、帰るのは9時ぐらい。夜ごはんを食べてお風呂に入ったら11時。そこから頑張って、1時間、授業の予習なり復習なりをする。翌朝は6時に起きて、朝練に行く。それを毎日やってたんです。

それって傍から見たらストイックですけど、たぶん自分の中では「自分が満足を得るためのサイクル」でした。「嫌なことを一生懸命、尻叩いて」「苦しいことを我慢して」というわけじゃなかった。だから別に、そんなに見上げたものじゃないんです(笑)。

Emi
中学生高校生の亮さんは、「決められたことをきちんとやる」「毎日決まったパターンで、必ず漏れなくこなす」ということが好きだった?

Ryo
はい、好きでした。

Emi
今もそうですか?

Ryo
今はねぇ…。20代前半、ちょうど大学生ぐらいの頃に、そういう自分の在り方に疑問符を付けて以来、むしろ反対の方にすごくフォーカスを当てるようになっちゃったんです。「敷かれたレールをひた走るだけの、特急列車みたいな自分の在り方」が嫌になって、「このレールは、俺が敷いたんだよな」というのを必要以上に確認するようになっちゃったというか(笑)。

Emi
中学高校のうちは、特に疑いもなく、レールの上を進んできた。まあ、特急といっても、きちんと情報を拾った上で、さらに速いということですけどね。

Ryo
(笑)…うーん、まあそうですね。

Emi
大学に入り、20代になった頃から、ちょっと角度が変わり、「電車を降りて、レールの点検をする」というようなことが始まった?

Ryo
(笑)そうですね。それ以前は、敷かれたレールであることにすら気づかずにいました。それが幸せで、気持ちよかったわけですからいいんですけど、大学に入って、「ちょっと違うぞ」と思い始めました。今はだいぶ違うマインドセットで生きてるんだろうと思います。

 

「漏らせない」「落とせない」というプライド

 

Emi
大学受験までは、きっちりと与えられたものをこなしていた。英語は得意だった?

Ryo
そうですね。「センター試験は200点(満点)が当たり前」みたいな感じで。

Emi
200点を取る秘訣はある?

Ryo
今のセンター試験と同じかわからないですけど、当時はやっぱりとにかく「与えられた課題をこなすのの集大成」みたいなところがありました。それは英語に限らず、センター試験全般に言えることかもしれません。

高校時代は本当にサッカーに打ち込んでいました。3年生の11月かな、「卒業まで4ヶ月、受験まで2ヶ月」という時期まで部活をやってたんですよ。そうすると勉強する時間がないので、すきま時間に授業の予習復習だけはちゃんとやるようにしていました。そのやり方で、センター試験の成績は全科目9割、それも満遍なく9割取れていました。

それで、当時の自分としては、「センター試験レベルなら、与えられたカリキュラムの枠組みの中できちんと授業の内容を消化していけば、点が取れる」と思っていました。センター試験に対して何か言えることがあるとすれば、そんな感じです。

Emi
早い段階から、「このくらいまでやっておくと、この試験には十分だな」という枠が見えていて、「それを満たすにはどうするか」というアプローチだった?

Ryo
どうですかね。「蓋を開けてみたらそうだった」という感じです。もしかしたら、傍から見るとすごい偏執的に見えていたかも。授業の内容についていけないのが嫌だったんです。

わからないことがあると、「押さえておかないと」みたいな、すごく駆り立てるものがあって、防御的に学んでいたところがあります。「抜け漏れがないように」「生わかりの状態で前に進むことは絶対やめよう」と、かなり偏執的に思っていました。

Emi
(笑)

Ryo
だから、「『センター試験って、こういうもの』というのが見えていた」というよりは、「1を教えられたら、ちゃんと1を吸収して前に進む」ということを繰り返し、日々やっていただけです。それしかやる時間がなかったので。

Emi
部活に忙しく時間がない中、「もらった情報をいかに漏らさず、確実に身につけて、積み上げていくか」、しかも「きちんと積み上げていく」というところに情熱を傾けていた。

Ryo
そうだと思います。「教えられた1に対して、1吸収する学生」ってそんなに多くないので、周りからは「お前は要領がいいな」と思われていました。

Emi
(笑)

Ryo
たぶん、当時はちょっと変わった情熱を持っていたんです。「情熱」というか、もしかしたらゲーム感覚に近いかもしれないですけど、「漏れることに対する恐怖」みたいなものがあったんでしょうね。(笑)

Emi
「攻略していくおもしろさ」とともに、「漏らしてはいけない」という脅迫みたいなものがあった?

Ryo
ああ、確かに。脅迫に近かったかもしれないです。たとえば学年実力テストで3番とか4番とかになったときには、「もう落とせない」と思ったり(笑)。そういう名誉や地位に対する欲がたぶんありました。まあ、プライドみたいなものかもしれないですけど。

Emi
それが、自分を前に進める原動力になっていた。

Ryo
まあそうです。「前」かどうかはわかんないですけど。(笑)

Emi
辛口ですねぇ(笑)。

Ryo
いや、「前」だと定義すればいいんですけど。「前か後ろか定義すること、それが本当は大事なんだな」と後々思うことになるんですけど、当時は“レール敷かれモード”だったので、それが前かどうかを問うこともなく、ただひた走っていました。

中高の定規でいったら、そういう生き方をしていれば認められるし、褒められるので、「何も悩むことなく進んでいた」という感じだと思います。

Emi
本人に不満はなく、周りにも認められ、しかも一般的には良い方向なので、誰に止められることもなく進んできた。他の人の目にどう映っていたかはわからないけど、本人としてはある種の情熱をもって受験勉強を成し遂げた。

 

ボートに打ち込んだ大学時代

 

Emi
その結果、大学に入学。その後の英語との付き合いは?

Ryo
一言でいうと、大学時代の英語は「ミニマム」。大学時代は私、ボート部に入っていて、ボートで日本一になりたかったんです。

本当にそれしか考えてなかったんで、学校の成績も授業も二の次。英語も、数ある科目の中で成績を取らなきゃいけないものでしかありませんでした。大学1~2年生のときは英語の授業に出席しなきゃいけなかったので、「いやいや行って、最低限こなす」という感じでした。

Emi
大学に入って、攻略や情熱の向かう先がボートに移った。英語を含め、それ以外のことは「最低限やっておけばいいや」と。必修の授業の単位を落とさない程度にやっていた。

Ryo
そうですね。まさに。

でも一方で、英語だけはなんとなく気になる存在だったんですよね。「ちょっと留学とかしてみたいな」みたいな、漠然とした何かがありました。それが何なのかはわかっていなかったのですが、「広い世界を見てみたい」「そのために英語は使えるようになりたい」みたいな思いがありましたね。

Emi
「周りに留学している人がいた」などの影響があった?

Ryo
なかった気がするけどなぁ。ボートの世界はめちゃくちゃ閉じた世界だったので。埼玉県の戸田公園というところに各大学が合宿所を持っていて、そこで寝泊まりしながら、ひたすらボートを漕ぐ毎日。狭い世界の最たる例でした(笑)。

Emi
(笑)じゃあ日頃は、生活の中で英語が必要になったり、英語を使う人が現れたりすることはなかった?

Ryo
なかったです。いま思うと、もしかしたらその狭さゆえに、どこかで留学への憧れを持ち続けていたのかもしれないです。

Emi
自分が現実に見ている世界の対極に、広い世界、知らない国があったのかも。

その漠然としたイメージが、具体的になってくるのはいつ頃?

Ryo
どうかなぁ。ボートが終わった後か終わる前かに、なんか思い立って、留学相談みたいなのに行ったことはあるんですよ。どっかのカウンセラーのところだったんですけど。

Emi
日本の大学から海外の大学院へ留学する相談?

Ryo
そう。留学とは何かそもそも知らないから、自分にどんなオプションがあるのかも全然わかんなかったんですけど、「とりあえず行ってみよう」ってことで行ってみたんです。そうしたら、「興味のある分野は何だ」とか、いろいろ聞かれて。なんとかぐちゃぐちゃ答えてみるんですけど、要領を得ない。それで、その日は「ああ、そうか。こういうことを考えないといけないんだな」と思って帰ってくるんですが、その後はノーアクション(笑)。

Emi
(笑)日頃はボートの世界にいて、英語は使わない。ぼんやりと「いつか外国に行ったり、留学したりするといいのかな」とは思いつつも、現実味はなかった。

Ryo
あとは、一人、英語の先生でコロンビア大学かどこかに留学された経験のある方がいて、すごく気さくでおもしろい先生だったので、いつだったか、「留学したいです」みたいなことを言って相談に乗ってもらったことがあります。

そんな感じで、節目節目に「留学したい!」という欲求が出てきてたんですけど、当時はどこへも行く当てのないまま、またボートの世界に戻っていってました(笑)。

Emi
(笑)なるほど。どこかに留学したい思いはあって、時々それが盛り上がってくると、カウンセリングや留学経験のある先生のところへ行って打ち明けていた。でもその気持ちはまた引っ込んで、留学は実現しないまま、日常に戻る。

Ryo
そんな感じだった気がします。とにかく当時はボートで日本一になりたかったんですよね。もう本当に、「生きる意味はそれだけ」ぐらいの感じだったんです。

Emi
日本一には、なれたんですか?

Ryo
なれませんでした。これは大きな挫折でした。

Emi
そうですかー。でもまあ、大学時代はボートに一生懸命取り組んだ。

英語に関してはそのまま、大学が終わってしまいますか?

Ryo
そのまま終わってしまいます。残念ながら。

 

TOEIC高得点、「意味ないじゃん」

 

Emi
大学時代は、英語とあまり接点がなかった。卒業後、就職先では英語を使った?

Ryo
使いましたね。三菱商事というのは、ご存じのとおり英語ができる人がわりと集まる会社で、日々の業務でも英語を使うことが結構あります。私がいちばん初めに配属されたのは、船のトレーディングや、船を保有するビジネスをやっている部署で、そこのアジアチームに入りました。香港、台湾、韓国などの船を持っている人や海運会社さん向けに、日本の船を紹介したり販売したりする仕事。ですから、当然、日々の業務で英語を使うわけです。英語の電話、英語のメール、契約書なんかも英語。

これ、笑っちゃうんですけど、やっぱり“お受験勉強”をマスターしてきたので、TOEICの点数は取れちゃうんです。私が内定をもらったときに持っていたスコアは880点。たぶん留学経験もなく帰国子女でもない人の中では高い方でした。さらに、入社してすぐ、一週間ぐらい英語の研修があって、その直後に再びTOEICを受けたら、945点まで上がりました。

Emi
おぉぉ、素晴らしい。

Ryo
で、その後、入社して2ヶ月ぐらい経ったときに、そのスコアが上司の手元に渡ったんです。上司はスコアを見て一言。「お前、TOEIC全然意味ないじゃん」。(笑)

本当にまったくそのとおりでした。いま思い出しても、当時の自分は英語の電話を受けるのもすごく嫌でしたし、メールも必ず上司に添削してもらってから出す。とてもとても現実世界で使える英語じゃなかったんです。

945点というスコアと、その「TOEIC全然意味ねえじゃん」という上司の一言が、英語という軸で自分の人生を振り返ったときの一つのターニングポイントというか、すごく象徴的な出来事になりました。「自分がこれまで積み上げてきた英語は、まったく意味がないとは言わないまでも、少なくともこの実用的なビジネスの世界では、役に立っていない」と感じました。

Emi
大学卒業まで英語と縁のない生活をしてきて、就職活動するに当たってTOEICのスコアが必要になり受験した。会社側としては、特に英語を使う部署に配属する社員を探しているので、「TOEIC何点以上」という、足切りのような面もあったかも。試験は得意なので問題なくクリア。さらに入社後の研修で945点にアップ。TOEICは満点が990点なので、ほとんど満点を叩き出した。留学経験者や、長年英語をやってきた人でないと到達できないと言われている高いレベルに、点数的には到達した。

Ryo
間違って到達しちゃったんです(笑)。

Emi
(笑)
ただ、業務上、電話やメールで苦戦していることを知る上司からは、「実際の英語の状態とスコアが見合っていないじゃないか」と言われた。

Ryo
そうそうそう(笑)。

Emi
「上級者に分類されるスコアと、現実の世界で使っている英語との間に、ギャップがあるな」という自覚はあった?

Ryo
まあ、相当知ってましたよね(笑)。だって、日々の業務こそが大事じゃないですか。日々自分が抱えている課題の方をすごく強く認識している中、「945点」はちょっと自分を満足させてくれる、精神安定剤的なものでしかない。それ自体のインパクトは小さいわけです。だから、上司に指摘されたときも、「てへ」って感じでした(笑)。

Emi
(笑)じゃあ自分の中では心当たりがあって、とどめを刺された?

Ryo
そうそう。「自分は英語ができない」という認識が強くあって、「945点」はおまけ程度でした。

 

英語学習をやり尽くすも、成果にはつながらず

 

Emi
「英語ができてないな」と思いながらも、日々メールは届くし電話はかかってくる。会議にも出なきゃいけない。そんな状況の中、どんなことをした?

Ryo
英会話スクールに行ったり、英語の参考書をたくさん買い込んだり。あの手この手をやり尽くそうとしていましたね。当時はとにかく自分のパフォーマンスを上げたかったので、お金も時間も労力も惜しまず、いろんなことにチャレンジしましたが、「なんとなくこなれた感じのメールが、ちょっと出せるようになったかな」という程度でした。まあ、英語の上達には時間がかかりますよね。振り返って、「これがよかった」「この方法がよかった」みたいなのは一切ないし、自分の英語能力がすごく変わった実感はまったくありません。

結局その部署には2年間いて、そのあと全然違う部署に移りました。それ以降は国内業務が中心だったので、業務で英語を使うことはなくなりました。

Emi
入社して最初の2年間、アジアの人たちとやり取りをする中で英語を使っていた。「これではダメだ」「業務がうまくいかない」ということで、参考書を買ったり英会話学校に行ったり、いろんなことを試した。でも、2年経って、すごく英語ができるようになった実感はない?

Ryo
ないですね。あんまり変わらなかったです。

Emi
その後は英語を使わない部署に移って、また英語と切り離された生活に?

Ryo
切り離されましたね。新しい部署に移ってからは、たぶん何もしてなかったと思います。そのときにやらなきゃいけないことの中で、「英語」というピースがたまたまなくなったという感じでした。

Emi
部署が変わって業務内容が変わり、英語を使うことがなくなった。たとえば、「せっかくだから、英語を続けよう」とも思わなかった?

Ryo
思わなかったんでしょうね。異動先は三菱商事のCSR*、つまり社会貢献的な活動をする部署で、東北の復興支援に従事するチームに入りました。そこにいた4年半の間は、ずっと「そのときにやらないと、いつやるの」みたいなことの連続で、相当走っていました。だから、業務と直接関係のないことには時間もエネルギーも費やせなかったんだろうと思います。
*Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任

Emi
2011年の震災後、東北の復興支援に。「その時々に必要なこと、業務に直接関わること以外、やる余裕がない」という中で、英語が離れていった。

 

仕事と並行して、留学準備

 

Emi
その英語が、また亮さんの生活に戻ってくるのはどのタイミング?

Ryo
留学したくなったんですよ。大学生の頃に持っていたものが、ずっと自分の中で消化不良のまま残っていたんでしょうね。

当時関わっていた復興支援の仕事の中で、ビジネスと社会貢献の中間みたいな領域のことをやらせてもらっていました。この中間領域は、ビジネス・プラクティスとして、欧米ですごく進んでいる分野なんです。なので、「これをもっと深く学びたいな」と思いました。

ちょっと細かい話になっちゃいますけど、今でこそCSRには結構いろんな形があって、「ビジネスの主要部分を通じて、どれだけ社会に価値を生み出せるか」ということに各社が注力しています。でも、当時はまだ「儲けた利益を使って社会貢献活動をしましょう」というのが主流で、「それって欧米ではもう古いモデルだよね」みたいな感じになってきていました。

自分としても、「確かに事業のコアの部分と結びつくかたちで社会に価値を生み出していく方が、全体的にサステナブルだよな」という想いがあったので、「この分野をより学びたいな」と考えるようになりました。その想いが先にあって、それともともと自分の体の中に消化不良として残っていた「留学したいぜ」という漠然とした想いみたいなものとが噛み合わさって、「ビジネススクールで学びたい」という結論に至りました。

Emi
「なんとなく留学したいかな」という感じだった大学生の頃には、「留学して何がしたいの?」と聞かれても、はっきり答えられなかった。ところが、英語と関係のない生活をしながら業務が変わっていく中で、今度は「学びたいこと」が現れてきた。そして「その分野については、日本の外に出て、欧米で学んだ方がいい」とわかり、「留学したい」と「学びたい」という気持ちがリンクして、「じゃあ留学して、ビジネススクールで学ぼう」となった。

仕事をしながらの留学準備はどうでしたか?

Ryo
これはしんどかったですよ。もうねぇ、しんどかったですね。

Emi
どこから始めた?

Ryo
ビジネススクールへの留学というのは、噛み砕いていくといくつかの要素に分かれます。まずは、スコア。これはTOEFL*とGMAT**という試験です。両方ともめちゃくちゃしんどかったです。それからエッセイやレジュメ。これをちゃんと書くというところ。もう一つは、インタビューでちゃんと自分の思っていることを伝える。もう全部が大変でした。
*Test of English as a Foreign Language **Graduate Management Admission Test

Emi
大学院への留学準備は、大きく3つに分かれますね。試験の部分では、TOEFLというノンネイティブ向けの英語の試験と、GMATという、大学院でも特にビジネススクールに入るための試験。エッセイでは、志望動機や「入学後に何をするか」を表明する。インタビューではそれを口頭で説明する。この3つを、どうやって“攻略”した?

Ryo
エッセイなどに進むためには、まず試験でスコアを取らないといけないというのがあったので、そこから始めました。自分の得意だったフィールドに戻る感じになりますけど、とにかく参考書を買い込んで、塾にも通いました。お金を惜しまず、「とにかく点数を出すために必要なことをやる」というモードでした。

Emi
高校生以前の試験に向けた準備や、アジアの人と話す部署に入ったときの頑張り方がここで再び活きてきた。

スコアは無事に上がっていった?

Ryo
かなり時間はかかりましたけど、振り返れば、「まあまあ順調に伸びたかな」という感じですね。

Emi
準備期間はどれくらいだった?

Ryo
2015年の1月ぐらいから本腰を入れて勉強を始めて、9月10月ぐらいまでが、試験でいい点を取ることに注力した時期でした。社内で留学を認められるのに必要なTOEFLの点数を取るまでの助走期間があったので、そこから数えると2年ぐらいになりますけど、本当にフルスロットルで駆け抜けたのは、その9~10ヶ月間だと思います。

 

ぜんぜん書けない、しゃべれない

 

Emi
約2年間の準備期間のうち、特に後半の1年弱で、「いかにも英語の勉強」という勉強をした。ただ、そうは言っても、ゼロから始めたわけではない。センター試験はほぼ満点、TOEICもほぼ満点、業務で英語を使ったこともある。それ以前にはなかった新たな難しさ、足りなかったところはどこだった?

Ryo
リーディング、リスニング、ライティング、スピーキングがありますよね。リーディングは本当に蓄積でしかないので、90~100% 取れるわけです。リスニングも、あんまり聞き取れてはいないんだけど、なんとなくカンが働いて点は取れる。実はリスニングは、むしろ留学してからの方が苦労したし今もしてるんですけど、点数を取るには問題がない。やっぱり問題は、ライティングとスピーキング。これはもう、極めてひどかったです。全然書けないし、しゃべれない。

Emi
いわゆる4技能と呼ばれる区別でご説明いただきました。リーディングに関しては、やはり受験で読む訓練をかなり積むので、その蓄積のおかげで問題なくクリア。リスニングについても、試験のテクニックみたいなものを持っているので、クリア。一方、エッセイを書いたり、インタビューで話すというところでは苦労した。

Ryo
しんどかったですね。

Emi
ライティングでは、どんなトレーニングを?

Ryo
ライティングは、最後までわかんなかったんですよね。いろんな参考書を使ったり、ライティング専門インストラクターのサービスを受けたり、結構いろいろしたんですけど、最後まで伸びなかったです。

スコアでいうと、スピーキングが著しく低くて、いちばんの問題でした。ライティングはその次に問題だったんですけど、それでも「まあいっか」ぐらいの点数は取れていました。ただ、やっぱりもう一歩先までは行かなかったんですよね。

いま試験を受けたら、たぶんもっと取れると思います。大学院ではアサインメント*でたっぷり書きますから。当時は表現を知らなかったし、たとえば「アメリカ人から見ると、どんな文章がわかりやすく、シンプルなのか」がわかっていませんでした。暗闇に球を投げるような感じでしかなかったのかもしれないです。
*assignment:課題

自分の人生の中で、この1年ほど、「すごく英語が伸びたな」と思ったことはありません。やっぱり英語を使う環境にいないと、なかなか難しいですよね。自分も結構いろんな英語学習をやってきたほうなので、投じたお金と時間を考えると悲しくなりますけど(笑)、「英語を使う場所に来て、自分を英語の環境に浸しちゃうのが、やっぱりいちばん早道だよな」というのが、今のところの結論です。

Emi
留学準備にもあった4技能の中で、リーディングとリスニングという、受け取る能力については、日本にいてもかなり身につけることができる。一方、ライティングとスピーキングという自分から発信する能力については、試験は通ってきたし、それに対してすごく頑張ったけれども、自分としてはあまり伸びた感じがしなかった。その2つに関しては、「アメリカに来てから大きく伸びた」という実感がある。

 

「自信をもって間違える」マインドセットの転換

 

Ryo
すごくわかりやすい例がスピーキングです。試験を受けていた頃は、「正しい文法ってなんだっけ」と考えるたびに、自分のしゃべるフローが寸断されていました。

このマインドセットは、英語を使う経験を積まないと変えられないんです。今だったら、しゃべりながら「ああ、いま俺、単語を間違えた」と一瞬思っても、かなりブルドーザー的に突き進めます。別に止まる意味はないから、「言い切っちゃおう」と。もしあまりにも文法を間違えすぎて伝わっていなかったら、「伝わってない」ということはわかるものなので、自信を持ってパラフレーズ*するわけです(笑)。
*paraphrase:言い換える

「自信を持ってパラフレーズする。」「自信を持って間違った単語で話す。」 このモードになるまで、かなり苦しくて、すごく時間がかかりました。やっぱり十数年間、「正しい英語とは何か」みたいなものをすごく丹念に叩き込まれた身としては、「いま複数形じゃねえじゃん」などのリフレクション*がものすごく強烈に、自分の脳に届いちゃうんです。そのリフレクションのインパクトをミニマイズ**するのに、すごく時間がかかりました。
*reflection:内省 **minimize:最小限に抑える

今はもう全然気にしないです。「あ、明らかに違うな」と思っても、「すげえブロークンな英語だけど、ごめんね」ぐらいの感じで話しているので、フローは今の方がだいぶいいです。

Emi
今のお話は、「日本にいた頃の亮さんと、アメリカに来てからの亮さんとを比較して、何が変わったか」。日本で学ぶ英語は「正しくキレイに文を作る」「正しい語を選択する」ということに注力しているので、どうしてもそれを強く意識してしまい、そのために流れが寸断されていた。どこかの時点で、そのことに気づいた。

Ryo
気づきました。ていうか、もう試験を受けたときにうっすら気づいてたんですけど、「じゃあ何が求められているのか」がわかりませんでした。その先にいる自分が想像できなかったんです。でも今は、そのときの自分とは明らかに違うペースでしゃべっています。

今も英語は下手ですよ。下手ですし、別に発音もキレイじゃないんですけど、「伝わってる」と思います。伝わる分量が全然違うんです。

Emi
アメリカに来てからの亮さんは、細かい部分の正確性や、文が整っているかどうかは気にせず、「とりあえず伝えよう」「もし間違いがあったら戻って直せばいいから、とりあえず進めちゃおう」と。新しいマインドセットに切り替えた。

 

アメリカの加点主義=玉入れだ!

 

Ryo
これはめちゃくちゃ大変でした。アメリカに来たばかりの頃は、授業で全然発言できなかったんです。すごくハードルが高くて、「発言することを想像するだけで、胃がキリキリ痛む」みたいな感じでした。でも、ある時、その状況にぴったりの映像を思いついたんです。「これは玉入れだ」と。

Emi
玉入れ?

Ryo
個人的にはアメリカ文化全体に言えることだと思ってるんですけど、少なくとも、「このビジネススクールの講義は、玉入れだ」と思いました。

つまり、みんながとにかくカゴに向かって玉を投げている。隣のヤツがすごい明後日の方向に玉を投げても、誰も気づかないし、誰も気にしない。下手したら、隣の人に手がぶつかっても気にしない(笑)。とにかく「玉を入れるかどうか」だけが重要。自分が玉を入れたらうれしいし、他の人が玉を入れたら、もうそれは喜んでハイファイブ*する。日本の減点主義とは対照的な、アメリカの加点主義。その加点主義を自分なりに表現すると、「玉入れ」になったんです。
*high five:ハイタッチ

だから、とにかく気にしないようにしました。「俺は今このカゴに玉を入れることだけにフォーカスすればいいんだ。文法が合ってたか間違ってたか、イケてる表現だったか小学生みたいな表現だったかなんて関係ない。とにかく玉が入ったかどうかだけに集中しよう」と意識して心がけました。「そういうモードで話そう」ということを繰り返しているうちに、そのマインドセットが身についてきました。

Emi
アメリカの加点主義と日本の減点主義というのは発言だけでなく、英語そのものにも当てはまる。「-sを忘れた」「文法が崩れた」という減点主義ではなく、とにかく玉をたくさん投げるようにした。投げ方はどうでもいいし、誰が入れても構わない。「みんなで玉を入れているところに、なんとか自分も貢献したい」という気持ちに変わった。

Ryo
あんまり一般化しちゃいけないですけど、本当に細部に気づかない人たちなので、たまに頭に来ることもあります(笑)。たとえば巨人の川相選手とか、絶対にアメリカでは日の目を見ないなと思います(笑)。

Emi
(笑)「巨人の川相選手」というのは、「技術に優れ、細かい技が使える」というメタファーですね。

Ryo
「バントで貢献します」みたいなのって、絶対こっちの人たちにはわからない(笑)。

Emi
「キメの細かい芸の磨かれた良さは、今いる場所では認められにくいだろうな」と。特に、スタンフォード大学のビジネススクールというのは、みんなが前へ前へと進んでいく中で「いかに爪痕を残すか」が求められる世界。

たとえばESLでの経験やクラスでの課題など、なにか特に「これが役に立ったな」というのはある?

Ryo
語学学校は、まあステップとしてはよかったですけど、やっぱりなんと言っても、とにかく実践。あまりしゃべれなくても、小グループに入れられて、とにかく貢献しなきゃいけない。

アメリカが鍛錬の場としていいのは、日本の文化と違ってコントリビューション*が明確にあるところ。これはある種フラストレーティング**ですけど、わかりやすいし、貢献しそびれそうになったときに引き留めてくれるルールなので、ありがたいなと思います。小グループに入って話している場で、「コイツ何も言わなかったな」みたいなことは許されない。この環境は、まあシビアですけど、自分を鍛えてくれました。
*contribution:貢献 **frustrating:もどかしい、挫折感をもたらすような

そういう意味では、夏に受講したESLはゆるい環境で、そこまでの厳しさはありませんでした。ビジネススクールでは、「お前なんでここにいるの?」みたいな雰囲気が常にある。先ほどおっしゃった「爪痕」をどんどん残していかないと、コミュニティの中で存在することを認められない。これは結構大変でしたね(笑)。だいぶ鍛えられました。

Emi
特にメンタルの部分が大きいでしょうね。やはりESLなど語学のクラスは、「最低限、英語が使えるように」というサポートで、あくまでも準備のため。実践の厳しい場で、容赦なく戦い合う方が、「厳しいけれど、身になったな」と感じている。

Ryo
まあ、どっちもあるとは思いますけどね。準備期間があったから、気持ちの準備もできました。でも、さっき申し上げたようなマインドセットがどこで磨かれたかというと、「やっぱり実践の場でしかなかったな」と思います。

Emi
その厳しさの中で、「あ、これは玉入れなんだ」と思いついて、「いかに多くの玉を拾って、自分の投げられる玉を、自分の投げられるフォームで投げて、加点していくか」と切り替えた。

 

「追いつく」から、「価値を生み出していく」へ

 

Emi
ところで先ほど、「リスニングは留学してからの方が困った」というお話がありましたけど、それはどんなこと?

Ryo
単純に、聞こえないんですよ(笑)。今でも結構よく聞き返します。やっぱり知らない表現がすごく多いんです。日常生活で使われる表現って、教科書に出てこないじゃないですか。まあ逆のパターンで考えたら、「教科書に出てこない、よく使われる日本語」っていっぱいある。同じようなものが英語にもあるということでしょう。

しかも、教科書に出てこない言葉が、「アカデミックの世界で」「スーパーマーケットで」など、いろんなレベル、階層で現れる。それはもう、一個一個つぶしていくしかないですけど、いまだにわからないことがあります。

たとえばスターバックスで注文した後に、必ず「Room for cream?」と聞かれる(笑)。そんなの、どの教科書も教えてくれない。初めは「え、何を言ってるの?何だろう?」と思いました。「そうか、ブラックのコーヒーを注文したから、そこにクリームを入れる隙間 (room) を残すか残さないかを聞いてるんだ」とわかりましたが、そんなの誰も教えてくれないわけです。
(参考資料 How to Order Coffee at Starbucks

こっちからすると、ストレスですよね。なんか聞かれているけど、「Sorry」って言うしかない。

Emi
アメリカで暮らし、厳しいアカデミックの場を経験して、「リスニング試験で聞く英語」「外国人向けの習う英語」とは違う英語に触れた。個人個人の話し方にも違いがある。アカデミックな英語、ショッピングの英語など、場面によっても違う。カルチャーが絡むことによって、新しいリスニングの難しさに気づいた。

でも今は、「わからないことがあっても、それはそれとして、突き進んでいく」という心構えでいる。

Ryo
そうですね。超マニアックですけど、「吉田麻也選手が、海外で活躍するスーパースターの選手に、強烈なタックルを見舞った」というマインドセットはすごくよくわかります。「そっちのゲームのルールで、俺もやるぜ」みたいなのを、必要以上に見せた方がいいというか。それは結構強く意識しています。

留学期間があと9ヶ月あるので、次のステップでは、たとえば「巨人の川相選手が生み出した価値を、この文化の中で自分なりに示せるか」というような渋いところも試してみたい。なんとなくゲームのルールはわかったし、自分のマインドセットもだいぶ変わってきたので、今後は追いつく段階からもっともっと先に進んで、「自分なりの価値を生み出していく」というところに行けたらいいなと思っています。

Emi
「アメリカの人たちがどうしているか」を観察し、彼らのゲームのルールを習う段階から、次は、「じゃあこの中で、日本人として、自分はどんな新しいルールを持ち込めるかな」という段階へ?

Ryo
まあ、そこまで行けたらすごいですけど、でも少なくとも自分が目指せる価値の幅を広げていくことに、もっと注力していきたいなと思っています。

Emi
そういう新たな目標が出てきた。「終わりのない学びの道」という感じですね。

Ryo
本当、そうですね。

Emi
現状に満足している方にとっても、そうでない方にとっても、亮さんのように「いろいろ乗り越えて、また新たな目標を立てて進んでいく人がいる」というのは、すごく大きな励みになるんじゃないかと思います。

Ryo
そうであることを望みます(笑)。

Emi
本日はありがとうございました。

Ryo
ありがとうございました。

おまけ:Room for cream?

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