#13. 関根 大輔さん(アスレティックトレーナー)

アスレティックトレーナーとしてアメリカのスポーツ界に携わる関根 大輔さんに、日本の学校英語、大学留学、「居心地の悪い環境」の大切さ、筋トレに見立てた英語学習法などについてうかがいました。

関根 大輔 Daisuke Sekine

埼玉県出身。現在は、アメリカン大学にて、アスレティックトレーナーとして勤務。高校を卒業後、パスポートも持ったこともなければ飛行機に乗ったことすらなかったにも関わらず、大学進学のため渡米。留学前は、大学卒業後は日本に帰国し就職することを微塵も疑っていなかったものの、結局大学院に進学し修士号を取得、その後もアメリカに残り、リハビリクリニック、高校、大学のアスレティックトレーナーとして職を転々としながら今に至る。

Emi
まずは自己紹介をお願いいたします。

Daisuke
はい。関根大輔と申します。ワシントン D.C. にあるAmerican Universityという大学で、アスレティックトレーナーとして働いています。仕事の内容は、日本でいう体育会の部活動に関わる選手たちの健康管理、ケガの診断やリハビリなどです。

Emi
大学生など若い人たちと話す機会が多い?

Daisuke
そうですね。基本的に自分たちが診る患者さんは大学1年生から4年生までのスポーツをやっている人たちに限られているので、同僚以外では学生としゃべる機会が多いです。

Emi
最初に英語と出会ったのは、いつどこでですか?

Daisuke
たぶん小学校6年生ぐらいで、NHKのラジオ講座を聞いたときです。『基礎英語』の最初のレベルみたいな番組でした。

Emi
どうしてそれを聞くことに?

Daisuke
それが実は今の仕事と関連しているんです。当時、自分もスポーツをやっていたんですが、ケガをしてお医者さんに診てもらったとき、そのドクターがアメリカに行ったことのある人だったんです。そこで「アメリカにはスポーツ選手の治療をメインにやる仕事がある」「こういう人がいるんだよ」という話を聞きました。スポーツが好きでしたし、人間の体の仕組みなどにも興味がありました。

もちろん誰でも「スポーツ選手になれたらいいな」と思うものですが、そのくらいの年齢になれば「スポーツを仕事にするのはなかなか難しい」ということがわかってくる。なのでその話を聞いたとき、「どうせ中学に入ったら英語の授業が始まるんだし、一日15分とかの短い番組なので、できるときにやってみようかな」という感じで始めました。

Emi
アスレティックトレーナーという職業の情報が先に入って、「それになるためにはアメリカ。アメリカに行くためには英語」という順序だった?

Daisuke
そのときは別に「将来、絶対にやるぞ」というわけではなく、それほど真剣に捉えていませんでした。「来年には学校で英語の授業が始まるから、無駄にはならないだろう」というぐらいで(笑)。

 

英語に対して、特別な印象はありませんでした。

 

Emi
「英語はどっちみちやるんだろうし、ちょっと早めに始めておくか」というような感じだった。ラジオ番組を最初に聞いたときの印象は?

Daisuke
ローマ字は小学校で習うので、アルファベット自体は見たことがありましたけれど、新しい言語だったので、「全然わからないな」という感じでした(笑)。

Emi
6年生からウォーミングアップとしてラジオを聞き始めた。中学に入り、英語の授業が始まってからはどうでしたか?

Daisuke
普通の学校だったので、特別な印象はありません。「普通に授業を受けて、テスト勉強をして…」の繰り返しでした。聞いたりしゃべったりする機会はあまりなく、授業でリスニングのセクションがあればやるぐらい。読み書き中心の、いわゆる普通の学校教育の英語でした。他の教科と特に違いはなく、「いっぱいある授業の一つ」という感じでした。

ラジオ講座は、いちおう聞く時間があるときには聞いていたんですけど、中学に入ると部活もあるので、それも飛び飛びになったり。

Emi
英語は特に好きでも嫌いでもなく?

Daisuke
ああ、好き嫌いだけで言えば、割と好きな方だったかもしれないです。国語もそうなんですが、言語が好きだったんです。でも、それ以上ではなかったですね。

Emi
「言語が好きだった」というのは、どんなところが?

Daisuke
なんですかね。もともと本が好きでよく読んでいました。ラジオを聞き始めたのは、テレビなど「目で見る媒体」より「耳で聞く媒体」の方が好きだったからです。「聞く」ということ自体が他のことより好きで、今でもラジオなどをよく聞いています。

英語と日本語では抑揚やアクセントが違いますが、それは音楽でいう、種類の違いに近い感じです。人によって「クラシックが好き」「ロックが好き」というような。

Emi
ラジオ講座から始まったということは、英語も音声から入っているわけですしね。音楽のたとえがありましたが、言語全般が好きで、国語/日本語と英語を「別ジャンルの言語」と捉えてどちらも楽しんでいた。

 

海外という選択肢は、時々ちょっとよぎる程度。

 

Emi
中学の授業では読み書きが中心で話すことはあまりなかった。最初の動機である「アメリカに行って勉強する」ということは、ずっと考えていた?

Daisuke
記憶に残っていたとは思うんですけれど、「絶対やるんだ」というわけではなかったです。「そういうのもいいよなあ」くらいの、本当にぼんやりした感じ。まだ先の話だし、リアリティがなかった。アメリカを含む海外に行ったこともなかったので、イメージするための材料がなかったんです。

映像で見るアメリカは、きれいなキャンパスや球場など、良い印象のものが多いので、「楽しそうだなぁ」と思っていました。でも、本当に漠然と「行けたらいいよなぁ」という程度でした。

Emi
お医者さんに聞いた話がうっすら記憶の片隅に残っていて、スポーツ観戦でテレビを見たときなどに時々リンクする感じ?

Daisuke
そうですね。進路を考える時期になると、「そういえば、そんなことを考えていたな」というのがちょっとよぎるぐらいです(笑)。

Emi
「アメリカに行って、スポーツ関係の勉強をする」ということが具体的になってくるのはいつ頃?

Daisuke
はっきり具体的になったのは高校生のときです。

Emi
何かきっかけがあった?

Daisuke
高校2年ぐらいになってくると、多かれ少なかれ進路を考えるようになってきます。自分の通っていた高校はほとんど100%大学進学する学校だったので、みんな「まあ大学には行くだろうな」と考えていました。でも、受験勉強って科目も多いし大変じゃないですか。自分はほとんどの科目に興味がないというか、「将来あんまり使うことはないけど、受験に必要だから仕方ない」と思いながら勉強する気にはなれなくて。

そんな中、「そういえば昔、海外に行きたいと思ったことがあったな」と思い出し、「それも一つの選択肢として考えてみよう」ということで、両親や先生に相談したり調べ始めたりしました。

Emi
進学校で周りが当たり前に日本の大学受験を視野に入れていく中、「自分はその道でいいのかな」「他にはどんな選択肢があるかな」と探し始めた。そこで、「そういえばアメリカというのがあったな」と思い出した?

Daisuke
「アメリカ」というよりは、「スポーツと関わる仕事に興味があったな」という感じでした。それを中心に、日本の大学や専門学校を探してみたり、アメリカのことを調べたり。たとえば日本の大学で「やりたいことができそうだ」というところがあれば、日本の大学に進んでいたかもしれないです。

Emi
なるほど。「スポーツに関する勉強ができるところ」というリサーチの中には、日本の専門学校や大学もあって、そこへアメリカが入ってきた。

Daisuke
調べた限りでは、「アメリカの方が進んでいて、プログラムがきちんと確立している」「仕事もちゃんとある」という印象だったので、「同じことをやるなら、高いレベルでやった方がいいんじゃないかな」と思いました。

 

学校の英語と、留学準備。

 

Emi
「日本の大学に行くかもしれない、専門学校に行くかもしれない、アメリカに行くかもしれない」という時点で、英語の学習はどうしていた? 周りの人たちが日本の大学受験に向けて準備する中、大輔さんは何か特別なことを?

Daisuke
全然何もやっていませんでした。アメリカ留学を決めるまでの段階では、本当に普通に、みんなと一緒に授業を受けていただけです。

Emi
一般的な日本の高校の授業を受けて、読み書きや受験問題を解く練習などをしていた?

Daisuke
そうですね。本当にみんなと一緒で、授業や予習復習で、単語帳を使って単語や熟語を覚えたり、文章を覚えたり。「他のことをやらなきゃ」という意識がなかったんです。なんとなく、「文章を読んだり書いたりできれば、英語は理解できるんじゃないかな」「学校の授業をしっかりやっていれば身になるだろう」と思っていました(笑)。

Emi
その時点でも、英語は「どちらかと言えば好きなほう」だった?

Daisuke
そうですね。学校の授業の中ではわりと好きなほうでした。

Emi
では、いよいよ「アメリカに行くかもしれない」となって、具体的に留学準備をする段階での英語はどうでしたか?

Daisuke
「留学するぞ」となってからは、「TOEFLを取らなきゃいけない」など基準が出てきました。それで初めて、学校の勉強とは別の、ちょっと外れた形で準備を始めました。

Emi
やはりアメリカの大学に入る準備となると、日本の大学受験用の英語学習では足りないところが出てきた。

Daisuke
TOEFLが必要だということはわかりましたが、日本でできる部分だけをとりあえず勉強するという感じでした。聞くことについてはCDなど音声的な媒体があるし、読み書きの教材もある。でも、しゃべることについては、練習する機会がない。「しゃべれないだろうけど、アメリカに行けば、なんとかなるんじゃないかな」と、のんびり構えていましたね(笑)。

Emi
日本にいる間は、「読み書き」と「聞く」に注力。「話す」に関しては、練習する機会もあまりないし、「どうせアメリカに行ったらしゃべるんだから、後でいいかな」と思っていた。

TOEFLなどの試験対策では、どんなことを?

Daisuke
留学の準備をサポートしてくれる会社がいっぱいありますよね。留学するのに何が必要かもわからなかったので、まずはそういう会社の説明会をいくつも回りました。「どの会社も同じことを言っていたら、それは絶対やらなきゃいけないことなんだろうな」と考えて、情報を集めました。結局、そのうちの一つの会社にサポートしてもらうことにしました。

試験対策は、サポート会社のサービスに含まれていた留学準備研修と、あとは普通に「TOEFL対策」みたいな本を買って、家で勉強。それと、学校の授業をちゃんと真面目に受けていました。ちょっと考えが甘かったかもしれないですけれども、「英語は英語なんだから、学校の勉強で大丈夫だ」と思っていました。授業で知らない単語を調べたり、長い文章を読んだりしていれば力がつくだろうと思っていたんです。

Emi
民間の会社のサポートを受けたり、本屋さんで売っている問題集を解いたりしつつも、学校の英語の授業を信頼してコツコツ勉強していた?

Daisuke
まあ、それしかなかったというのもありますけれど。特に英会話学校に行ったりもしませんでした。よく、「学校の英語と、実際の英語は違う」というようなことを聞きますよね。でも、たとえば授業で学ぶ国語と普段の日本語は全然違いますが、国語のトレーニングをずっと続けていけば、読んだり書いたりする力がつきます。また、パッと聞いたとき、知っている言葉は知らない言葉より察しがつきやすい。だから「読み書きのトレーニングもゼロではない」と考えていました。

しゃべるということも、「とにかく読み書きができて、自分の頭の中できれいな文章が書けるようになれば、あとはそれを音声にして発するだけだ」と捉えていました。「聞いて、すぐ言う」「頭の中で構築した文章を、素早く口にする」という速度については、また別のトレーニングが要りますが、自分が理解したことや思ったことを文章にするという点では、「学校で学んだ英語は無駄にならないし、実際の英語と大差ないんじゃないか」と思っていましたね。

Emi
英語学習を始めた段階から「言語」として全体を捉え、「国語と、普段話す日本語」、「授業で学ぶ英語と、後々話すであろう英語」を並べて見ていた。「学校で勉強する国語が普段話している日本語のどこかで役に立つのと同じように、学校で学ぶ英語には、いずれ話す英語に有益な情報が含まれているだろう」と考えていた。

学校の英語の授業と並行して、多少特別なトレーニングを積むことで、TOEFLの点数は基準に達した?

Daisuke
実は、高校3年の夏ごろ、勉強する前にどれくらい取れるか知りたくて、「まずは一回受けてみよう」と受験したときのTOEFLの点数がもう基準に達していました。たまたまなんですけれど、選んだ大学の基準がそんなに高くなかったんです。

入れない大学も結構あるぐらいの点数だったんですけれど、自分が応募しようとしていた大学は他の大学より基準が少しやさしかったので足りていた。「自分の英語は、その間ぐらいのレベルなんだな」というのがわかったので、「それなら今までのやり方を大きく変えなくてもいいな」「勉強量や英語を使う機会を増やせば、TOEFLは何とかなる」と思いました。

Emi
力試しのつもりで一回TOEFLを受けてみたら、すでに自分に必要な水準に達していることがわかった。

Daisuke
当時の形式には今と違ってスピーキングがなかったので、読み書きにフォーカスすればそこそこ点数が取れたんですよ。

Emi
すごいですね。TOEFLのテストの形式は学校で受ける試験とはずいぶん違うのに、一回目である程度以上の点数が出た。「それまでにやっていたことは間違っていなかったんだ」「これに、あとどれくらい足していけばいいかな」というのが見えてきた。

Daisuke
テストを受けること自体は、学校の試験で慣れていました。それに、形式が違うことは知っていました。力試しだし、「英語を勉強して臨む」というより、「どんなテストで、どれくらいの時間のものなのか」だけを頭に入れて受けました。学校の試験だと、わからなかったら白紙で出さなきゃいけませんが、TOEFLは選択式。絶対に無記入にはならないわけです。実際の実力が結果に反映されていたかどうかはわかりません。テストの形式をきちんと知っていたのが大きかったんじゃないかと思います。

Emi
形式を知っていて予想ができていたことと、学校で身につけた試験のテクニックの影響で、総合的にうまくいった?

Daisuke
そういう印象でした。英語ができていたというよりは(笑)。

Emi
でも一回目でちゃんと点数が取れたというのはすごいですよ。

Daisuke
学校でも別に英語の成績が良かったわけではありませんでした。周りには、交換留学の経験者など、授業中に読みを聞くと「うまいなぁ」と思う人や、英語がすごくできる人がいっぱいいました。「学校の外に出たときの自分は、どれくらいのレベルにいるのか」を知る良い機会になりました。

Emi
その結果が自信になった?

Daisuke
自信になったというよりは、「とりあえず自分の選んだ大学だったら入れるんだな」という安心感が大きかったです。

Emi
それまでは「この学校に行きたいな」とぼんやり思っていたけれど、TOEFLの点数が足りたことで、いよいよ背中を押された?

Daisuke
そうですね。「これでとりあえず大丈夫かな」と思いました。(笑)

Emi
留学準備は他に何かありましたか? SAT*は?
*Scholastic Assessment Test 大学進学適性試験。

Daisuke
いや、SATは受けていません。サポート会社が提携している大学であれば、提出したTOEFLの成績と学校の成績をもとに向こうが判断してくれて、あとは必要な書類を送ると入学できるという感じでした。

Emi
結構あっさりと留学が決まってしまった?

Daisuke
そうですね。サポート企業を使ってラクをしたわけですけれど、必要な書類を用意するだけでした。自分の希望にもマッチしていたので、わりとあっさり行きましたね。

 

こんなにしゃべれなくて、大丈夫かな。

 

Emi
入学許可が出ていよいよアメリカへ。プロフィールによると、「それまでパスポートもなければ、飛行機に乗ったこともない」という状態から、いきなりアメリカで留学生活が始まった。

Daisuke
ほとんど関東地方からも出たことがなかったのに、初めて飛行機に乗ったと思ったら結構遠くへ(笑)。

Emi
(笑)
アメリカの大学に入ってからはどうでしたか?

Daisuke
大学があるのはネブラスカという田舎の州だったので、「だいぶ違うな」という感じでした(笑)。本当に何でもでっかいし、なんか何もないし、「すごいとこに来たなぁ」というのが初日の印象でしたね。

Emi
日本でテレビを見て知っていたアメリカとは違った?

Daisuke
西部劇の映画で見る、砂漠がパーッと広がっているみたいな雰囲気で、「昔のアメリカに近いな」と思いました(笑)。ニューヨークやワシントンなど、「ニュースで見るアメリカとはちょっと違うな」と。

Emi
のんびりした地域で、近代的なアメリカではなく、少し昔のアメリカを思わせる街。「わ、これから自分はここで暮らすんだ」という感じで始まった。

英語に関してはどうでしたか?

Daisuke
最初のフライトは、テキサス州ダラスで乗り換えてネブラスカ州オマハに行く経路で、同じ学校に行く日本人の人たちと一緒に渡米しました。ダラスの空港で「何か買いに行こう」となったんですが、周りの人たちが何を言っているかさっぱりわからない。わからないからマクドナルドに行って、置いてあるメニューを指さして「プリーズ」とか言って(笑)。値段を言われても全然わからなかったので、「とりあえずマクドナルドだし、20ドルぐらい出せば大丈夫だろう」と思ってキャッシュを渡す。お釣りが返ってきても合っているかわからないので、そのまま(笑)。それが最初でした。「これから大丈夫かな」「こんなにしゃべれなくて、生きていけるのかな」とちょっと思いましたね。

Emi
日本にいるうちは、「英語はある程度勉強してきたし、これに少し足せばアメリカでもなんとかなるんじゃないかな」と考えていた。でも、いよいよアメリカに渡り、途中のテキサスの空港でアメリカ人と話してみて、「これで大丈夫かな」と思い始めた。

Daisuke
読み書きはできるので、メニューを見ればどれが何かはわかるんです。でも言っていることが全然わからない。それが本当に最初の印象ですね。

Emi
いま考えても、空港のマクドナルドの人の英語は聞き取りにくいものでしょう?

Daisuke
いま思えば、最初に触れる英語としてはちょっとハードルが高かったです。当時はそれも全然わからなかったので。

Emi
「英語を少し習って、海外旅行へ」という人も、「これが本場の英語か」と衝撃を受けてしまうかもしれないけれど、アメリカに住んでしばらく経つと、「マクドナルドの英語は初心者向けじゃないな」と気づく。でも、その時点では「大変だ。こんな英語の生活がずっと続くのか」と思ってしまった。

 

最初はわからないことが多く、不安でした。

 

Emi
大学に行ってからはいかがでしたか?

Daisuke
先生たちは優しいので、ゆっくりしゃべってくれたり、わかるまで言ってくれたりして助かりました。でも、やっぱり最初はわかんないことが多かったです。渡米した直後、夏の間はESL*みたいなのを取ったんですけれど、そこでも宿題の内容やテストの範囲を聞き取るのにすごく苦労しました。授業中に聞いたことも、「これで合ってるよね?」とわざわざ授業の後にもう一度確認しにいかないと不安になる。最初は大変でしたね。
*English as a Second Language:英語が母語でない人向けのクラス

Emi
指示が聞き取れないと、やりようがないですもんね。

Daisuke
授業中にメモっておいて、後で先生や友達に「これとこれとこれで合ってる?これで全部だよね?」と確認するというのを繰り返していました。

Emi
不安そうな様子がすごく伝わってきます(笑)。「聞き取れていない」「何か聞き漏らしていることがあるかもしれない」と、常に気を張った状態だった。「わからない」ということを先生や友達に知らせて、助けてもらうようにしていた?

Daisuke
ESLのクラスは全員が英語を勉強している学生なので、「お互いに助け合おう」という感じでした。

Emi
ESLは夏の間だけ。学期が始まってからは、現地の学生と一緒に授業を受けていた?

Daisuke
いわゆるESLは、僕の学校ではELI (English Language Institute)と呼ばれていたんですが、そこで最初の2ヶ月間、大学の授業を受けるための英語のトレーニングを受けて、9月からは正規学部生として、普通の授業を一般の学生と一緒に受け始めました。

Emi
2~3ヶ月のうちに、「先生の言っていることがわかる」「街で現地の人と話しても不自由がない」などの伸びを感じていた?

Daisuke
自分の感覚としては、「多少、慣れてきたな」と思っていました。いま振り返ると「たいしたことなかったんだろうな」と思いますけれど(笑)。でもやっぱり実感としては、少しわかるようになってきて、アメリカ人としゃべるということ自体に慣れてきたというのがありましたね。

Emi
「慣れてきたな」「わかるようになってきたな」と感じたのは、どんなとき?

Daisuke
授業以外で誰かとしゃべるときに、聞き返さなくてもよかったりすると、「今日は英語がわかったな」と感じていました。

Emi
最初は聞き返したり、ある程度わかった気がしてももう一度誰かに確認したり。それが3ヶ月ほど経って、聞き返さなくても「理解できた」と感じられるようになった。

Daisuke
そういう回数が増えてきました。

 

環境が変わると、また聞き取れなくなる。

 

Emi
正規の学生として、授業を受け始めてからはどうでしたか?

Daisuke
授業のスピードが全然違いました。やっぱりESLの先生は「英語を教える」という意識があって、すごくゆっくりしゃべってくれる。それに慣れてきた頃だったので、他の授業に行くと、「この先生、しゃべるのめちゃくちゃ速いな」と感じました。

また、大きい教室だと聞き取りづらかったです。「教室が小さくて静か」というような、いわばセットアップされた状態の良い環境なら聞き取れていたようなことも、会場が大きくなったりちょっと周りがうるさかったりすると聞き取れない。

さらに内容も、大学の授業なので専門的なことが増えてくる。もちろん最初の1〜2年は一般教養の授業が多いんですけれど、日本で学んだことのある物理や化学、数学などの「内容は知っているけれど、英語で学ぶのは初めて」という科目でさえ、普段自分が読んだり書いたりしていたレベルの文章では見ない単語がたくさん出てくる。初めて聞く単語に、「え、何言ってんの?」みたいなことが多かったです。

Emi
ESL/ELIの英語を学ぶクラスでは、先生はゆっくり話すし、教室は静かで規模も小さかった。あるいは、自分が話す場面でも、話す場を与えられて、周りの人たちが聞いてくれるという環境。そこから一転、現地の人たちが普通に通う大学のクラスに入ると、教室の規模が大きくなり、雑音があったり、先生や同級生たちの話す速度もすごく速かったり。

「大きい教室や雑音のある場面で聞き取りにくくなる」というのは、実際そうだと思うんですけれど、大輔さんはその時点でもう「これは教室が大きいせいだな」「雑音があるせいだな」とわかっていた?

Daisuke
どうですかね。たぶん、「それも一つの原因だし、まだ相当集中して聞かないと拾えないんだな」と思っていました。

Emi
たとえば教室の規模など、本当は他の要素が原因で聞き取れないのに、「自分の英語の力が落ちている」「力が足りない」と思ってしまう人がよくいます。そうは考えなかった?

Daisuke
ああ、「落ちている」とは考えなかったですね。さっきも言いましたけれど、恵まれた環境であればできることが、そこからちょっと外れるとできなくなる。だから、「自分が対応できる幅は、まだ小さいんだな」「日本語だったらうるさくても聞き取れるけど、そのレベルにはまだ全然遠いんだな」と思っていました。

Emi
大輔さんは、わりと初期の段階から「全体に必要なものはこのくらいで、いま自分はこの辺にいるんだな」「ここまで達していて、これが足りていないんだな」という感じで、「自分の英語力が全体のどのあたりか」を計っていたようですね。

Daisuke
それと、「日本語は生まれてからずっとしゃべってきているけど、英語はアメリカに来てまだ3~4ヶ月だしな」とか、「同じレベルでできるわけない」とか、開き直っていた部分があるかもしれないです。

 

実習を利用して、話すトレーニングに。

 

Emi
大学の授業では聞き取れないことがあったり、集中しなければいけなかったり。知らない用語が出てきたり。その大変な状況が、大変じゃなくなってくるのはいつ頃?

Daisuke
授業に関しては、特に理系は日本の高校ですでに学んでいたことがたくさんあったので、最初のうちはそういう授業を取るようにしていました。それだと英語が多少わからなくても、後で教科書を復習すればそこそこ成績が取れる。そのアドバンテージがあるうちは、英語の能力が足りないのをカバーできる授業を履修するようにしていました。

「毎日一生懸命やっていれば、そのうち慣れてくるだろう」と考えていたのが一つ。あとは実習に行くようにしていました。僕の専攻であるアスレティックトレーニングには、医学部の人が研修に行くみたいな形で、実際に選手たちが練習しているフィールドに入って、プロとして働いている人たちについて回ったり、その人たちのお手伝いをするという現場の実習があるんです。実習に行けば、選手たちと強制的にしゃべらざるを得ない。だからなるべく顔を出すようにしていました。

授業では聞くことがすごく多い反面、話す機会が意外と少ない。まあ、ディスカッションで発言できれば別ですけれど、まだアメリカ人の活発なディスカッションにガンガン入っていける状態ではありませんでした。なので、「話す訓練ができる環境に身を置くようにしないとな」と考えて、実習になるべく多く行って、そこで話すトレーニングを積むようにしていました。

Emi
授業では、すでに持っている知識でカバーできるものはカバー。高校できちんと真面目に勉強していたことが生かせましたね。

Daisuke
そうですね。

Emi
一方、英語を話すトレーニングのために、実習に行って、そこで選手たちと話す機会をなるべくたくさん持つようにした。

フィールドに出て選手たちと話すというのは、ノンネイティブにとって、「大きい教室」や「雑音」どころじゃない辛い環境。その環境で自分に課した「話すトレーニング」はどうでしたか?

Daisuke
コーチがグループに向かってしゃべっているときは、もはや何を言っているかわからない(笑)。もちろん自分は選手じゃないので、いちばん近い所で聞くわけにはいかないし、外だし。「何言ってるかわからないな」ということが多かったです。

それで、たとえば選手たちがドリル(練習)をやっているときに、それを見ている側の選手に話しかけたり、何か頼まれやすいような場所にいるようにしたりして、一対一でしゃべれる時間を作るようにしました。こちらが「何言ってるの?」みたいな顔をしていたら、選手は「コイツ、ちょっと頼りないな」と思って話しかけてくれなくなる。だから、なるべく多くの選手に話しかけるようにしました。仲のいい選手ができれば、「最近調子どう?」など雑談もできるようになる。そうやっていろんな人に顔を覚えてもらって、とにかく見知った顔を増やすようにしていましたね。

Emi
「自分は外国人で、英語がうまくないので助けてください」と言える立場とは違い、選手に信頼されて「コイツと話すと得だぞ」と思わせなきゃいけない立場。

Daisuke
そうですね。大変でしたけれど、ただ、選手との会話には、授業と違ってパターンがあるんです。日常の話をしていると、口癖なども出てきます。同じ人と何回もしゃべると、「はっきり全部はわからないけれど、コイツいつもこんなことを言っているから、こんな感じだな」と、なんとなくわかるようになってくる。アクセントや癖も、繰り返し聞けばちょっとずつわかるようになってきます。

自分の母語である日本語と比べたら、英語をしゃべるようになってからの期間は短い。だから「とにかく量をこなさないとダメだ」と思っていました。なるべく英語だけになる環境に身を置く。そのためにいちばん都合が良いのが実習だったんです。

もちろん、行ったら行ったでやっぱりわからないし、ストレスが溜まる。でも、行かなかったらもっとわからなくなって、後々またストレスが溜まる。「どうせストレス溜まるんだったら、実習に行って『ああ、今日もわかんなかったな』となる方が、後々のために良いに違いない」と思って、とりあえず行くようにしていました。

Emi
選手との人間関係を築きながら、アクセントや言い回しを繰り返し、なるべくたくさん聞くようにしていた。「相手の癖をつかむと、その周辺にある情報がだんだん見えてくるな」という感覚があった?

Daisuke
そうですね。「いつもしゃべっている相手の言うことはわかるんだけれど、急に他のヤツとしゃべるとわからない」ということもありました。

特にアメリカでスポーツをやっている大学生というのは、奨学金などの関係で、出身地から遠く離れた大学に来ていることがあるんです。ネブラスカの学生は基本的にはほとんどが白人で、ニュースで聞くような、すごくきれいな英語を話します。でも、アメフトとかバスケとかのチームになると、アメリカ南部から来た黒人の選手が増える。彼らの英語はアクセントも違うし、普段の授業で先生がしゃべっている英語とはやっぱり感じが全然違うので、慣れるまでに結構時間がかかりました。

 

「居心地の悪い環境に、身を置き続けろ。」

 

Emi
大輔さんがいる環境には、同じ場所に住んでいる現地の人たち以外に、別の地域から違うアクセントを持ったネイティブが入ってくる。基本的には「アクセントを観察し、繰り返し聞いて慣れる」ということを一つずつ積み重ねているけれど、その中には常に新しい英語が入ってくるので、観察やトレーニングがずっと続いている?

Daisuke
渡米したばかりの頃、担当教授に言われたことがあるんです。僕の大学には、日本に限らずコロンビアやベトナム、他のアジアの国々など、世界中からたくさんの留学生が来ていました。教授や選手はほぼ全員アメリカ人なんですけど、キャンパス内の10%ぐらいは留学生でした。

担当教授に、「大輔、どうすれば良いアスレティックトレーナーになれると思う?」「何をしなければいけないかわかるか?」というようなことを聞かれました。僕は「もちろん勉強は大事だけれど、アスレティックトレーナーは人を扱う職業だから、とにかく選手とコミュニケーションが取れるようにならなきゃいけない」と答えました。そしたら「それは正解の一つだ」と。そして、「そのためには、とにかく居心地が悪い環境に身を置き続けろ」と言われました。

「留学生はたくさんいるし、アスレティックトレーニングを専攻している日本人が同期にもいる。たとえば休みの日、教室の外、実習のないとき、図書館でなど、他の日本人と一緒に遊んだりハングアウト*していれば居心地がいいだろう。けれど、それをどれだけ排除できるか。どれだけ居心地の悪い環境に自分の身を置けるか。それによってお前がどれだけインプルーブ**できるか決まるぞ」という話をされ、「そのとおりだな」と思いました。
*hang out:一緒に時間を過ごす、つるむ **improve:上達する、進歩する

実習というのは、行かなきゃいけない時間数はあるんですけれど、それ以上は行かなくてもいいんです。学校の単位と一緒で、決められた時間やれば、後はいくらやっても同じ。アメリカ人だったら英語がわかるから、必要な知識だけちゃんと勉強して必要な数字をクリアすれば、それ以上は別にわざわざ行くことはない。でも、僕は英語がわからないし、担当教授に言われた「居心地が悪い環境」のことを覚えてもいたので、「一人で勉強したり友達としゃべったりしていればラクだけれど… うーん、じゃあ行くか」みたいな感じで(笑)。今でもそうですが、当時は特に「居心地の良い環境にいるより、居心地の悪い環境にいる方が成長できる」と思ってやっていました。

Emi
実習に行けば、たとえばコーチが選手たちに話していることを離れたところで聞いていて「わからないな」。ある程度慣れてきた頃にまた別の人が来て、「今日もまたわからなかったな」。それはもう絶対にハッピーではないし、できれば避けたい状況。それも必修じゃないなら、「もう今日は行きたくないなぁ。やめちゃおうかな」という気持ちになることもきっとあったでしょう。そのとき、「居心地の悪い環境を選んで、あえてそこへ繰り返し行く。挑む」という指導教授の言葉を思い出した。

「コンフォートゾーン」といいますけれど、自分にとって居心地の良い環境から、自ら出ていく。英語学習の文脈でいうと、「あえてわからない英語の中に入っていて、それを聞いたり、そこにいる人たちと話したりして、慣れて克服する」。そしてそれが居心地良くなってきたら、また違う英語に挑む。それを今も続けている?

Daisuke
まあ英語に関しては、不便はなくなりました。日常生活でも問題を感じることはあまりないですし、仕事も一応しているので、当時と比べればかなり上達したと思います。いまの自分にとって居心地の悪い環境を選ぶとなると、英語より、仕事など他のことに関してですね。

 

新しい場所、新しい英語。

 

Emi
プロフィールによると、ネブラスカ州の大学を卒業後、アメリカの他の地域へ。英語について何か新たに感じたことはあった?

Daisuke
結構ありました。ネブラスカ州の大学を出て、初めて東海岸、メリーランド州の大学院に行きました。大学院卒業後はニューヨークのマンハッタン辺りと州北部で暮らし、その後またメリーランド州、ワシントンD.C.という感じで、ずっと東海岸にいます。

ネブラスカ州から初めて東海岸に来たとき、話す速さの違いにすごくびっくりしました。東海岸の人はしゃべるのがすごく速い。たぶん彼らは「自分たちの英語は標準語だ」と思っていますが、中西部と東海岸とではアクセントがちょっと違う。あとで聞いたのですが、特に自分が行った大学院のあるメリーランド州の東側は、州内でも「Eastern Shore(東岸)」と言われ、独特のアクセントがある地域でした。しゃべる速さ、アクセントのちょっとした違い、よく使われる表現の違いなど、「ああ、またいろいろと新しいことが出てきたな」と思いましたね。

Emi
これをお聞きの方は地図で確認していただくといいと思いますが、ネブラスカ州の位置はアメリカのど真ん中。そこから東海岸に移り、メリーランド州、ニューヨーク州などで新しい英語を聞いて、東海岸特有のアクセントや言い回しに気づいた。

 

盗んだら、即“筋トレ”。

 

Emi
お話をうかがっていると、大輔さんは他の人の言葉をいつもすごく敏感にキャッチされていますね。それは心がけているんですか?

Daisuke
たぶん、「聞くトレーニングの一環」と捉えているんです。留学する前、日本にいた頃は英語を探して聞かないと練習できなかった。でも、アメリカに来てからは、嫌でも英語が耳に入ってくる。聞こえてくる英語には、それを使う人が日常的に言う表現が多く含まれているから、聞き取って真似できたら、その人と同じことが言えるわけです。「あ、いまの場面で、いまの表現すごく良い。巧い言い方だな」というのがあったら、「今度使ってみよう」と思って、とりあえず真似してブツブツ言ってみる(笑)。だから、アメリカに来て独り言が増えました。

Emi
何か新しい表現を聞いて、「いいな」「盗みたいな」と思ったら、その場で、独り言で言ってみる。ちょっと繰り返して覚えておく。

Daisuke
やっぱり言語が違うと、使う筋肉が違います。日本人にとって難しい発音、言いづらい単語というのは、最初は口が回らない。それを意識しなくても発音できるレベルまで繰り返し練習しておくと、ちょっとそれっぽく言えるようになる。これは「スポーツの練習と似てるな」と思っています。何回も繰り返しやると、体が覚える。そのためにいちばん手っ取り早いのが独り言です。「その表現を使う場面が、何回も何回も連続で来る」なんてことはなかなかない。でも独り言なら、その口の動きのパターンが何回でも練習できる。まあ、あんまり怪しまれない状況を選んで、ですけど(笑)。

Emi
まさにアスレティックトレーナーならではの視点。英語学習では忘れられがちですが、発音も話すのも、結局のところ口周辺の筋肉を使ってやっている。「体が覚える」という表現がありましたけれど、口の使い方、舌の使い方、息の出し方を意識して、繰り返し言ってみる。回数を重ねて、考えなくてもその動きができるようになれば、結果的にスムーズに話すことにつながっていく。

それも、使えるチャンスが来るまで待つのではなく、とりあえず独り言で口に出して、一回でも多く“筋トレ”をやってしまう。

Daisuke
たぶん一回聞いただけでは、もし実際の会話の中で使える機会が来ても「あ、今だ」と思っているうちにその機会は過ぎちゃって、使えないままになります。「あのとき言えばよかったな」と思って終わることも多い。考えなくても反射で言えるくらいまで身についていれば言える。そうすると「あ、言えたな」ということが増えてきます。

Emi
せっかく盗んでも使わないままにしておいたら、いざという時に使えない。忘れてしまうかもしれない。そうならないために、使う機会を待たず、拾ったら即座に筋トレを重ねて蓄積しておくということですね。

Daisuke
後々それを使える場面が多くなれば、口癖になって、「あいつ、あれよく言うよな」みたいなことになります(笑)。それが増えれば、自分のしゃべれるパターンが増えるのかなと思います。

Emi
もともとは他の人の発言から拾ったもの。でも、繰り返し使っているうちに、やがては他の人から「口癖」と言われるほど使いこなせるようになる。そのメニューを増やしていけば、「総合的に英語が滑らかに話せる」というところに達する。

Daisuke
「自分が言いたいことを、言いたいように言える」というところにも近づくと思います。

Emi
ただ内容を伝えるだけではなく、よりきめ細かく自分の表現したいニュアンスが伝えられるようになる。それから、言えたときには「できている」と確認すること。このあたりもやっぱりスポーツのトレーニングと関係している?

Daisuke
結構、同じように捉えているかもしれないです(笑)。

Emi
専門は選手のケアで、ご自身にもスポーツ経験がある。それが英語学習にも生かされている。また、精神面でも「コンフォートゾーンを自ら抜け出すんだ」と日々厳しいトレーニングを積んでいる。その結果、現在の英語が使えるところまで来た。

いま日本にいて留学を考えている人や、アメリカでの生活になんとなく慣れて、「このくらいでいいかな」と思っている人など、いろんな人たちにとって背筋が伸びるようなお話でした。

Daisuke
(笑)いやいやそんな。偉そうな感じになっちゃいました。

Emi
本日はありがとうございました。

Daisuke
いえいえ。こちらこそ、ありがとうございました。

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