#14: 岩野 仁香さん

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小児救急医の岩野 仁香さんに、英語と出会った頃の怖い(笑)思い出、英語にハマっていた中高時代の学習法、留学をやめて日本の大学に進んだ経緯、アメリカで医師として患者やその親と話す英語などについてうかがいました。

岩野 仁香 Mika Iwano

ニューヨーク州バッファローで働く小児救急医。ドイツ・ハンブルグで生まれ、2歳からは兵庫県西宮市育ち。2007年から1年間、ロータリー財団の国際親善奨学生として米国カリフォルニア州・サンディエゴに留学。その後、関西医科大学を卒業、兵庫医科大学病院で初期研修、後期研修の一部を行った後、2012年に渡米。ニューヨーク州ブルックリンで一般小児科研修と小児ホスピタリストフェローシップを行う。現在は小児救急専門医課程2年目。一児の母。米国一般小児科専門医。日本語を話すときは、初めて会う人が驚くほどの関西弁。

Emi
では自己紹介をお願いいたします。

Mika
岩野仁香です。名前の漢字が「にんべんのニに、香り」なので、みんなからは通称で「じんか」と呼ばれています。去年の6月からニューヨーク州バッファローにある小児病院の救急救命室に勤務しています。小児救急のフェロー、後期研修医という、一般小児科の専門医向けのトレーニングを受けていて、3年間のうち1年半が経ったところです。

Emi
子どものための救急医療。小児救急医は、日本にもたくさんいますか?

Mika
いや、正式なトレーニングはまだ整っていません。日本では、かつては一般小児科の人が交代で救急外来というセッティングで患者さんを診るのが一般的だったんですけれども、今は成人の救急から小児救急を診る医師もいますし、小児科から救急医療を専門にする医師もいます。私はもう6~7年日本を離れているのでどういう感じかちょっとわからないですけれど、おそらく小児救急の専門医はまだないと思います。だから、そのためにアメリカの小児科一般の研修を受けてから救急のトレーニングを受けている次第です。日本で3年半の経験後、2012年に渡米して、現在6年目です。

Emi
現在の患者さんは、アメリカの現地の子どもたち。同僚や親御さんを含め、普段は一日中英語を使っている生活?

Mika
1才半の息子がいますので、息子には日本語で。それから、お母さん仲間は日本人が多いです。でも、仕事ではすべて英語です。

Emi
ご家族と、地域の日本人のお母さん方と話す以外はずっと英語の生活。そんな仁香さんが、いちばん最初に英語と出会ったのは、いつどこで?

Mika
小学校の英語の授業です。

 

小学校の英語の先生が、怖かったんです。

 

Mika
小学校で、日本人の先生が教えてくれる英語の授業が週に1~2回あったんです。絵を見て、英語でなんていうか書いた紙を貼ったり、「ティーポットの歌」を歌ったり。あとは暗唱ですね。小さな女の子の部屋の中から本のある場所を見つけて「There is a book under the desk.」と言う、みたいなのを習いました。きっと一応メソッドがあったと思うんですけれど、どういうふうに教えられたかは覚えていません。「There is」と言われても小学生にはわからないですから、「『ありますよ』というときは『There is』って言うんやで」みたいな授業でした。

英語の先生は植田先生という年配の女性で、その先生が入ってくる前には、机のところで立って待っとかないかんのですよ。「Miss/Mrs./Ms.」の論争があった頃だったのかわからないですけど、「Missには、『先に生まれた』という先生に対するリスペクトが入っていない」ということで、「Miss Ueda」と呼んではダメ。授業はほとんど英語やのに、「Good morning, 植田先生」って言わなくちゃいけなかったんですよ。

Emi
(笑)

Mika
これ本当の話ですよ。立って待っとくんですよ、気をつけして。もう亡くなられたみたいですけど、そういう信念を持った先生でした。「Good morning, 植田先生」、「Thank you, 植田先生」。「『Teacher』には『先生』のニュアンスが入っていない」ということを1年生の最初から教えられ、「ほぉー」って聞いていました。怖いから言われたとおりにしてますけど、もちろん当時は今のように「そういう背景があってしてたんかな」とは全然思っていなかったです。通信簿で発音に「△」をつけられたのだけは覚えています。(笑)

Emi
もうおもしろい話がいっぱいありましたけど(笑)、最初に英語と出会ったのは、日本の小学校。1年生から週に1回、英語を教えに来る日本人の先生がいた。

Mika
小学校に雇われていた常勤の先生だと思います。学校には英語クラブもありましたから。

Emi
その先生が来るときは、全員起立、気をつけ。先生に対するリスペクトを見せる。英語の授業ではあるけれど、わりと…

Mika
超えてますよね(笑)。

Emi
英語のカルチャーらしからぬ雰囲気ですよね。

Mika
いま考えれば、ちょっとクセありましたね(笑)。

Emi
(笑)日本でも、ちょっと前の時代みたいな感じの。

Mika
年配の先生だったし、そういう、ちょっとクセのあることが許されていた時代だったんじゃないでしょうか。他の小学校には英語の授業なんてなかったでしょうし、みんなも「そんなもんか」と思っていたんでしょう。親も「厳しくしていただいて」って。今やったら、なんか…ねぇ(笑)。

Emi
週に1回来る英語の先生は、怖くて厳しかった。日本で小学生の頃に英語をやっていたというと、「楽しかった」「遊びみたいだった」という声が多いので、新鮮な感想です。

Mika
そうですか。

Emi
「内容はそんなに覚えていない」とは言いながら、結構具体的に記憶されていますね。「ティーポットの歌」というのは…

Mika
知ってます?

Emi
「♪I’m a little teapot」ですよね?

Mika
そうですそうです。それをこうして、こうしながら歌うんですよ。あと、「There is a cat under the desk. This is her cat.」…いや、ちょっと覚えてない。覚えてないですけど。

Emi
いや、すごくよく覚えてますよ。

Mika
bookとcatがあったんですよ。本が3冊あって、肌色に赤のタイトルマークで、絵だけなんですね。食べ物のページや動物のページがあって、そこで覚えているのは「hamburger steak」と「cup and saucer」。「へぇ、そんな言い方するんや」ってすごく思ったのを覚えています。2学期になると、プリントを配られて、「cup and saucer」って書いてあるのを切り取って絵の下に貼っていくんですよ。切ったり貼ったりすることが好きやったので、すごく楽しくて。高学年になると縦に長くなって、そこに女の子の話や詩のようなものがあって、それを何回も何回も暗唱するんです。カードもあって…、それでめっちゃ怒られたな。なんでやったんやろ。(笑)

Emi
(笑)

Mika
大文字と小文字のカードなんですよ。大文字だったら2個全部使う、小文字だったら下の半分に入る。何回も練習するんですけど、そのゴムを…

Emi
カードをとじるゴム?

Mika
そうそう。ゴムに自分の名前を書いて持っていかないかんかったんですよ。持っていくのを忘れたんでしょうね。「なに考えてんねん」みたいにめっちゃ怒られて。怖かった。で、下向いて「すいませんでした。I’m sorry、先生」って言ってた。それが小学生時代の記憶です。(笑)

Emi
英語の話かどうか、だんだんわからなくなってきました(笑)。

英語のクラスは基本的にピリッとしたムードだった。大文字・小文字のカードは、文字の大きさの違いや、書き方の基本を学ぶためのもの?

Mika
そうですね。高学年では、「先に丸を書いて、縦棒」など、書き順を習っていました。

Emi
「発音だけ△だった」ということは、成績がついていた?

Mika
覚えてないんですけど、きっと全体的な成績は数字でついて、「発音」や「筆記」のような細かい項目があったんでしょう。それをうちの母がものすごく笑ったんですよ。私、めっちゃ“目立ちぃ”やったから、なんかしろって言われたらたぶん「ハイハイ!」ってやるんだけど、それなのに「発音が△やった」っていうのが母親的にはめっちゃおもろかったみたいで。「あんた、やりたがりやのに発音悪いんや」みたいな感じで(笑)。

クラスには、2年ぐらい日本にいなくて5年生ぐらいで帰ってきた帰国子女がいて、発音や身振り手振りがものすごくかっこよかったんです。で、「負けてたまるか」みたいな感じで、手挙げて前に出るんですけど、いまいち(笑)。下唇噛んで「フ (/f/)」とかやってたけど(笑)。まぁ「△」は笑い話なんです。

Emi
断片的に、色や形状、質感まで、すごく細かく覚えていることがありますね。

Mika
そうですね。でも、えみさんとお話しするまでは考えたこともなかったです。(笑)

Emi
記憶の扉が開かれましたね(笑)。

ネイティブに近い発音や身振りをする帰国子女がいるクラスで、英語の授業には積極的、前向きに参加していた。

Mika
目立ちぃで、本当に張り切りでした。ぽちゃっとしてメガネかけてて、ものすごい仕切りで目立ちな小学生。今もあんまり変わらない(笑)。

Emi
いやいや、全然想像できないですよ(笑)。

英語の授業は楽しかった?

Mika
大切に思っていましたね。まあ怖い先生でしたけど、真面目やったんで、「なんでもちゃんとしな」みたいな気持ちでした。もうすべて全力ですから、小学校の私は(笑)。

Emi
特に「英語だから」というわけではなく、全教科がんばっている中で、英語も手を抜かず参加していた。

少し戻ってしまいますけれど、プロフィールによると、生まれはドイツ?

Mika
そうなんです。父親の仕事でドイツに4年いて、その2年目ぐらいに私が生まれて、2才までいました。

Emi
2才までだと、外国に住んでいた記憶はない?

Mika
本当に断片的な記憶しかありません。それも後からすりつけられた記憶かもわからないので、ないに等しいですね。

Emi
家の中で両親がドイツ語や英語など、外国語を使うことは?

Mika
ないないない(笑)。ないです。「これはドイツ語で、こう言うんやで」というような会話はありますけど、ドイツ語や英語で話すということは全然ないです。

Emi
じゃあやっぱり英語との出会いは、小学校1年生のとき?

Mika
そうだと思います。

Emi
小学校では英語の授業に積極的に参加。その後、中学の英語科では?

 

英語にどっぷりハマってました。

 

Mika
いやもう、ますます張り切った学生生活で、英語は本当に好きになりました。中高一貫の女子校だったのですが、中学の英語は日本語を使わず、全部英語で授業をするんです。だから発音記号から学んで、絵を見て…。小学校のときと同じで、絵を説明するのに、「英語ではこう言うんだ」という感じでした。全部英語で学んでいたので、高校の後半に入るまで、「前置詞」「三人称単数」などの用語はまったく知らなかったです。

プロテスタントの学校だったので、宣教師の先生と日本人の先生の二人がペアになって教えてくれました。英語の授業数もすごく多くて、高校では、「オーラル(会話表現)」、「グラマー(文法)」、「スピードリーディング・アンド・アンサー(速読)」などクラスがいろいろありましたが、全部楽しくて。成績も良くなって、発音も△じゃなくなってました(笑)。

それから、WOWOW (衛星放送)で『フレンズ』、『ドーソンズ・クリーク』、『ビバリーヒルズ』を見て。高校で6週間オーストラリアに留学。もうそれでどっぷり英語にハマりました。

Emi
中学高校の英語の授業は、日本人の先生とネイティブの先生がペアで、文法用語なども全部英語で教わっていた。

Mika
「『past tense』は、昔のことを言うことなんや」ということだけで、それが「過去形」だというのは後から知りました。

Emi
小学校でも中学高校でも、たとえば英語を日本語に訳したり解説したりするアプローチではなく、「この絵を英語で表現すると、どうなるんだろう?」という考え方で、自然な状態をつくって英語で表現する練習を積んできた。

Mika
与えられてしていたことなので、意識はしてないですけれど、そういうことですね。

Emi
一般の中学高校にはなかなかないような、速読などの授業も受けていた。それもよく覚えていらっしゃいますね。

そして、授業とは別に、家ではいわゆる海外ドラマにハマっていた?

Mika
ハマってましたハマってました。女の子のちょっと派手な格好を見て、「わあ素敵やなー」って憧れて。オーストラリアに行った後は、「チキンスープシリーズ」の本を紀伊国屋で買うて、読みあさってました(笑)。

Emi
学校の授業を受けてテレビドラマを見ている段階で、すでに英語がすごく好きだった。特にどんなところが?

Mika
英語で表現できること、ニュアンス、醸し出す雰囲気などに憧れていました。テレビを見ながら、セリフを真似して、ひたすら追いかけてしゃべっていました。とりあえず全部は言えないけど、サブタイトル(字幕)をつけれる時はつけて、それをずっと読みながら言う。それにハマりまくって。

Emi
(笑)

Mika
そこから広がっていく感じが良かったんじゃないですかね。学校には留学生もチラホラいたので、友達になってしゃべったり、オーストラリアのホストファミリーに手紙やメールを書いたり。また、自分ががんばっているのを先生たちがすごく認めてくれて、「あれしてみ、これしてみ」って言うてもらえるのも楽しかったんでしょうね。

Emi
テレビから流れてくるセリフを追いかけて。これは「シャドーイング」という、通訳などでやるトレーニングなんですよ。

Mika
あ、そうなんですか(笑)。

Emi
それを自分で編み出して、勝手にやっていた。音を真似しようとしていた?

Mika
そうですね。見たこともない表現が出てくるのがおもしろくて。今でもそうです。日本語でも英語でも、流行り言葉など、「そんな言い方するんや」というのが好きです。「何その言い方?」と思って調べてみたら「なんということや!」みたいな。毎日、違うことが見つかります。

その頃は、英語の抑揚や、「こういうシーンでこう言いたい時は、こう表現すんねや」というのをテレビから学んでいましたね。

Emi
なるほど。ドラマのセリフには、文脈があって登場人物がいて背景がある。やはり「この状況を英語で言うと、どうなるんだろう?」というのがベースにあった。

ドラマの中の人たちが言うことを真似しながら、「今のは何だろう?」と思ったら調べて、「なるほど、こういう意味だったんだ」。それをまたどこかで使う。そのサイクルがすごくうまく働いていた。そこには褒めてくれる先生がいたり、実際に使えた喜びがあったり。

学校には外国からの留学生がいた?

Mika
高校2年生で来るんです。オーストラリアのメルボルンとアメリカのミネソタに一校ずつ姉妹校があって、こちらからも2年生になると1人ずつ2人が1年間行くことになっていました。

Emi
日本にいても、英語の授業はネイティブの先生がいて授業数も多い。同世代のネイティブもいる。すごく自然に英語を使う機会がふんだんにあった。

Mika
そうですね。で、高2~3でハマりまくって、どんどんヤバくなっていくんですけれど、それは置いといて(笑)。

Emi
(笑)
高校生で6週間、オーストラリアに留学。その時はどうでしたか?

Mika
女の子10人で、南オーストラリアのアデレードからさらに奥地に入った、「3000人ぐらいしかいいひんちゃうか」というような田舎に行きました。その10人の中に1人、シンガポールに住んでいた子がいたんですが、その子と私の2人は、英語で困ることはなかったです。ホストファミリーとの会話でも授業でも、何か言いたいときに、「英語が通じない、どうしよう」ということはありませんでした。

その子は東京出身で、私も関西ですけど都会っ子。あんまり田舎に行ったことがなかったから、キャンプとか、もうすごい嫌やったんですよ。ああ、嫌やったなぁ。嫌やった…。

Emi
また開けちゃった(笑)。

Mika
(笑)
田舎の生活は辛かったんですけど、英語で困ることはなかったです。オーストラリアのアクセントや言い方がおもしろくて、さらに英語にハマって、楽しく6週間を過ごして帰ってきました。

Emi
全国から高校生が集められて、オーストラリアで6週間、10人一緒にホームステイ?

Mika
バラバラの学校ですけどね。たぶん有名な団体がまとめていて、おそらく100人くらいが10グループでいっぺんに行って、オーストラリア全体に散っていました。まずシドニーに着いて、そこから東と西に分かれるという感じだったんだと思います。

Emi
オーストラリアの中でも、かなり田舎の町でのホームステイ。住み慣れない環境で文化も違った。でも、英語に関しては、「通じなくて困った」というような記憶はない。日本でドラマを見ている時と同じように、周りを観察して「こんなふうに言うんだ」、「今のは何かな」と思って調べて、「ああ、そういう意味なんだ」という経験をした。

Mika
アボリジニの名残がある地名の多くはWで始まりますが、その/w/の発音をみんなで練習していたのを覚えています。Wudinnaという場所があって、誰も言われへん(笑)。私が「/w/」って言ってんのに、仲良かった子は「うー」と言うので、「違う違う。/w/」って。

Emi
日本で習っていた英語は、ドラマも含めてスタンダードに近い英語だったんじゃないかと思うんですけれど、オーストラリアの田舎に行って、現地の人たちが話す英語は聞き取れていた?

Mika
そうですね。「can’tがカント」とかは有名な話で「ふーん」と思ってたし、挨拶や特有の語彙が違っても、だいたいその前後でわかりました。何があったかな。覚えてないなあ。

Emi
覚えていないとすると、スムーズだったんでしょうね。シンガポールで生活したことのある、日本でいう帰国子女の子と同じくらい問題なく英語が使えていた。

Mika
どのレベルの会話をしていたのかは不明ですけれど、英語で困った記憶はないですね。

Emi
帰国後、より英語にハマった。どんな変化が?

Mika
オーストラリアに行ったのが高1の夏。高2からは英語の授業でも「もっと深く深く」みたいな感じで、勉強熱心になりました。とりあえず受験に向けて、自分は英語しか好きなことがない。でも、「英語を学ぶ」というよりかは「英語を使って何か」やから、「アメリカの大学行くわ」ということで、アメリカの大学を受験する準備を始めました。

 

留学準備で、英語がぐんぐん上達

 

Mika
大阪にある、帰国子女がTOEFLやSAT*を受けるために通う塾に行きだしました。そこでの友達はみんなインターの子だったので、高校2年生の後半からは、週3回、放課後もずっと英語しかしゃべらない生活に。ますますノリがおかしくなっていきました(笑)。
*Scholastic Assessment Test 大学進学適性試験

Emi
(笑)
オーストラリアから帰ってきて、「大学は、英語を使うところに進学しよう」ということから、アメリカ留学を考え始めた。

Mika
そうです。ただ、英語だけ勉強する学校に行くのはあれやから、英語を使って何かする。ずっと子どもに関わる仕事がしたくて、その頃は文系だったので、法律関係を学びたいと思っていました。なんでそんな突拍子もないことになったのか、あんまり覚えてないですけど、おそらく「日本からでもアメリカの大学に行けるんや」って思ったんでしょうね。周りで誰か行ってたんかな。で、調べてみたらSATを教える塾があった。そこで幸いにも、アメリカ人のものすごい良い先生に巡り会いました。SATのverbalセクションにあるsynonyms(同意語)に、また激ハマりして(笑)。

Emi
(笑)

Mika
ずっとthesaurus(類語辞典)持って。1つの言葉に対して、それと同じような意味を6つぐらい拾えるようにしてました。

Emi
(笑)すごいなあ。

「アメリカの大学に行くという選択肢がある」ということがわかって、その準備のために試験対策の塾に行きはじめた。その塾ではインターナショナルスクールの生徒たちなど、英語を日常的に使っている人たちと一緒に英語を学ぶ。その環境に自ら入っていった。

SATは日本でいうセンター試験のようなもの。SATのverbalセクションで問われる類語、同義語、小難しい表現などを覚えることにハマって、辞書を持ち歩いて、できるだけボキャブラリーを増やすようにした。具体的には、どうやって語彙を広げていった?

Mika
もう丸覚えです。その塾がSAT対策用に作っているドリルみたいな教材を使っていました。選択問題のセクションでは、答えだけじゃなく、選択肢の横にも類語を5つぐらい書き出して、それを単語カードに書き写していました。ミッキーマウスのノートを100冊ぐらい買って(笑)、全部は使わなかったですけど、ページを半分に折って1つの単語に対して横に6つ書いておき、地元の西宮から塾のある梅田までの電車内でそのページを開け閉めしながら覚える。それをやっていたらTOEFLの成績がどんどん上がっていきました。あれは17~18才の柔らかい脳みそですよね(笑)。

塾にはGMAT*などを受験する年上の方たちが多く、高1~2の私は最年少でした。クラスでみんなに「おぉ、いくら点数出したんや」と言われて後押しされるのが楽しくて、「もっとできる、もっと行ける」と。
*Graduate Management Admission Test:経営大学院(ビジネススクール)入学適性試験

リスニングはだいぶ精度が上がりました。リーディングは、先に問題を読むなど、読み方の訓練を受けました。それと、学校でやっている速読にならって、ばばばばばって主語述語だけを読んでいく。そんな毎日がもう楽しくて楽しくて。

Emi
クラス全員が留学を目指して準備する中で、他の人たちより年下だったので、スコアがどんどん上がっていくのをみんなに注目されていた。自分としても、やればやるほど伸びていく。内容的には、リスニング、リーディングともバランスよく成績が伸びていった。

Mika
いま考えたら、親が「そんなややこしいこと言わんと」と言わずにいてくれたおかげです。TOEFLは高額ですが、受験直前には3ヶ月に1回ぐらい受けていました。誰でも同じように学べるわけじゃない。もう感謝しかないですね。私が今、英語で仕事ができてるのは、やっぱり親がなんかおもろがって(笑)「やり」って言うてくれたからやと思います。

Emi
周りのサポートもあった。でもまあ、仁香さんがそれだけ燃えてがんばっていれば、周りも応援したくなりますよね。

その留学準備が、留学につながっていく?

Mika
いや、いかなかったんです。カリフォルニア大学アーバイン校のポリサイ (Political Science:政治学) に決まっていて行くつもりだったんですけれど。そこと、カリフォルニア大学サンタバーバラ校の2校からアクセプタンス・レター*が来ていました。
*acceptance letter:合格、入学許可を通知する書類

 

アメリカ留学をキャンセルして、日本の医学部へ

 

Mika
高3の年末には結果がわかっていたので、受験が早く終わったんです。それでバイトのような感じで父親のクリニックで受付の仕事をしていたんですが、そのとき、「同じ子どもの世話をするにも、やっぱり医者っていうのはいいな」と思ったんです。それからいろいろ考えて、「やっぱり医者になるわ」ということで、アメリカの大学はキャンセルして、浪人して日本の医学部に行きました。

Emi
アメリカ留学の受験準備をする間、英語はハマりにハマってどんどん上達した。子どもが好きで、「子どもに関わる仕事を」と考えて法律や政治学を志望。見事アメリカの大学から入学許可が出た。思ったとおり、希望がかなったんですよね?

Mika
ふふふ。そうですね。(笑)

Emi
ところが、日本の大学よりも早く受験が終わって、空いた時間でお父様のクリニックを手伝っているうちに、「『子どもに関わる、プラス医学』というのもいいな」と考えが変わり、アメリカ留学はキャンセル。改めて日本の医学部受験へ。

浪人中や受験の間は、英語が必要ない期間だった?

Mika
しゃべってはなかったと思います。予備校から、「英語を勉強するな」と言われてました。大手の予備校に行ってたんですけど、「英語はもう出来上がっているから、時間の無駄や」ということで、英語のクラスは免除。理転(文系から理系への転向)なので、とりあえず数学を勉強しないとダメだったんです。数学はIII・C までしなくちゃいけないんですが、私はI、IIとA 、B ぐらいの途中ぐらいまでしか終わってなくて。

でも、英語だけは個人塾に行ってました。大阪では結構有名な塾なんですけど、そこで音読があったので英語を読む機会はありました。…外国人の先生おったな。何を教えてたんやろ。覚えてないなぁ。

Emi
(笑)

Mika
そこでも単語テストなどを楽しんでいました。日本で有名な受験用の青い本とか、“頻出”とかを丸覚え。頻出が大好きすぎて、好きで好きで。「週に1日、木曜日だけは英語を勉強していい」って予備校にも親にも言われていたから、その日はもう朝からずっと「英語できる!」って(笑)。

Emi
文系から理系に転向して、「英語はできているから、もうやるな」と“禁止令”が出る状態。とはいえ、本人としては英語をやりたい気持ちがあるので、週に1回、木曜日だけ、「英語をこっそりやる日」を設けていた。

 

「英語のことなら、あいつだ」という存在に。

 

Emi
その後、医学部に進んでからは“英語解禁”。英語を使ったり勉強したりできるように?

Mika
当時ずっとやっていたダンスでアメリカに行きました。また、フロリダのディズニーランド周辺にある子どもたちの長期療養施設でボランティアもしました。エージェントを使って、「家泊めたるから、2週間くらい子どもの世話をしてくれ」という、日本にルーツのある家族を見つけ、シカゴに行ったこともあります。ハワイやグアムは何回も家族で行ってましたけど、それが初めての本土のアメリカでした。

それから、医学部6年間の中で、大学の教授に「ツテがあるから行っておいで」と言われ、4回生の夏休みに初めてテキサス州ヒューストンの病院へ研修に行きました。同級生と2人で、2週間ぐらいだったと思います。毎年そんなんはしてました。誰かの本を読んだかなんかで、「日本の大学を出ても、アメリカで医療ができるんや」と知って、4回生の後半からアメリカの医師免許の試験勉強を始めました。

英語は、そうやってアメリカに行ったときにしゃべっていました。6年生のときには1年間、サンディエゴに行きました。また、大学にお客さんが来たときに、「イキのいいのがいますよ」みたいな感じで引っぱり出されてしゃべったり。日本で研修医を始めてからも、英語のことで何かあったらよく呼ばれていました。

「英語ができる」と「医療ができる」というのは絶対違うし、「英語がしゃべれる」と「英語の論文が読める」というのも全然違うんですよね。だけど、日本人はどこかそれを混同しがち。だから英語の発表のポスターとかも、全然分野が違うから全然わからないんだけど、「直してくれ」って言われるんです。根が真面目なので、「恥ずかしいことできへん」って、時間をとって頼まれたことをやっていました。そういうことがきっかけで、みんなにかわいがられて、おもしろいことがたくさんあったのでよかったです。

大阪のHEP FIVE(ファッションビル)にできたGAPでバイトをしてたんですけど、そこでも「I speak English」というバッジをつけて、時々外国人の相手をしてました。

Emi
日本の医学部に進学後、医学生としてアメリカに行く機会もあったし、大学でも“英語要員”という感じで外国人対応に駆り出されていた。あるいは、日本人の医療関係者が英語を使うときのお手伝いをしたり、アルバイト先で英語の接客をしたり。その頃にはすっかり「英語のことで頼られる人」になっていた。

Mika
研修先の科が国際学会を主幹することになったんです。それはもう、すごく大きなことで、私立の大学病院が、1年以上かけて準備をする。英語も先生を雇って、みんなでブラッシュアップすることに。研修1年目でそこをまわったときに、「2年目、絶対こっちに来い」「手伝ってほしい」と言われました。それで手伝うことになったんですが、学会は夏の京都。みんなは前日まで来ないのに、「仕事せんでいいから、とりあえず京都におれ」って、私だけ5日前ぐらいから京都入りさせられました。空港でドイツ人のお迎え。「えー? 英語関係ない」と思いながら、タクシーで京都から関空へ。それと、大きなレセプションパーティーがあるから「司会」。そして、「舞妓と芸妓の違いを説明するスピーチ」(笑)。

Emi
(笑)

Mika
美容院で髪をセットしてもらって、気を良くしてお迎えに行ったら、途中で一人倒れられて。「救急車に乗せるから同行しろ」となって同行して。大したことはなかったんですけど、病院で通訳。そしたらもう電話ガンガン鳴ってて、医局長から「宴会が始まるのに、司会おらへんと始まらん」。「すぐ戻ります!」って言って戻って、舞妓と芸妓の違いを説明。(笑)

Emi
(笑)その「英語ができる」という一点だけで、みんなが頼っている様子がすごく日本ぽいですね。

Mika
そうでしょうそうでしょう。「えみさんならわかってくれる」と思いました。

Emi
アテンドに司会に。英語関係なくなってきてますけど。

Mika
私が7年間、医学部に行ったこともほぼ関係なく。

Emi
医学部の人なのに、通訳者かタレントさんみたいな扱いに。

Mika
いま考えたら別に雇ったっていいんですけど、「岩野おるから、やらせとけ」「あいつ喜びよるで」みたいな感じやったと思います(笑)。

Emi
失敬な(笑)。

Mika
まぁ、ノリノリでやってましたけど。

Emi
本当に重宝されている感じですね。

医師として、子どもや親に対して使う英語

 

Emi
アメリカに行って、子どもと話すときはどうでしたか?普通、私たちが英語を習う場合、「ネイティブから教わる」「盗む」「聞き取る」ということはあっても、「自分から働きかける」ということはなかなかない。でも、やはり大人が、特にお医者さんが子どもの施設に行って話す場合は、立場が逆。話し方など、何か特別に気をつけたことはありましたか?

Mika
うーん、診察するときは、親御さんが一緒にいはりますからね。子どもによって言葉の発達にも違いがあるので、年齢で一括りにもできないですし。たとえば子どものお腹を押さえながら、何も考えずにパッと出た言葉がちょっと大人っぽすぎたら、お母さんらが子どものわかるレベルの言葉に言い換えます。「ここ痛い?」って聞く代わりに、たとえば「ここに圧痛ありますか?」みたいなニュアンスで出てしまったら、お母さんが横から「そこは痛いんか?」って言うとか。正しい英語ではあるけど、レベルが合ってないときは、自分でも「あ、これ伝わってないわ」ってすぐわかるんですよ。だけど診察のときに親御さんがいなくて、子ども一人だけということはあまりないので。

ボランティアに行ったときなど、ちょっとカフェテリアでしゃべったりする場合は、まあ子どもとか、別に人との会話ですから、全部わからなくても「ふんふん」って感じじゃないですか。フロリダで、あるとき7~8才のボランティアの子どもに、「車で送ってあげようか」と言ったんですが、「Sure」って返されて、すごい違和感を覚えたことがあります。こっちは好意で言っているんですけれど、なんか「そっちが送りたいなら、送ってもええよ」みたいに聞こえた気がしたんです。後々は自分も「あ、うん。よろしく」みたいな感じで「Sure」って言うようになったんですけど。

だけど私としては、やっぱり「Yes, please」って言ってほしかった。それをすごく覚えていて、自分が「Sure」って言うたびに、「これはどういう感じで伝わるのかな」と気になります。でもパッて周りを見ても、別にみんな普通にしてるから、「したいならすれば?」みたいには伝わってないんやろなって。そんなんあります? もっとなんか、「よろしく!」「Oh really?」「いいんですか?」って言ってほしいのに、「Sure」って言われたら、「ああ、送りたいならええよ」みたいな。

Emi
ちょっと対等な感じは出ちゃうと思いますね。特にすごく失礼とか、「乗ってあげてもいいよ」という気はないにしても、「ぜひよろしくお願いします」という気持ちでもないでしょうね(笑)。

Mika
なるほどなるほど(笑)。

Emi
「子どもにわかる言い方」というのは、外国人にとって、特に最初のうちは難しいのでは?

Mika
そうですね。それはみんな「boo-boo*」「ouch*」なんだと思うんですけど、なんとなく「そこから行きたくない」っていうのはあるんですよね。「boo-boo」「ouch」が成長段階のどこで終わるのか、ちょっと私の中でもわからないし。
*boo-boo, ouch:軽いケガや傷、痛みなどを指す幼児語。

10才ぐらいの子に「tenderness(圧痛)」というのがおかしいのはわかりますけれど、私と同じくらいの体の大きさの子たちを相手に、「Do you have a boo-boo here?(ここ、イタイイタイなの?)」って言うのも変かなって。自分の中で、「これが一般の、医療関係者じゃない人に対するしゃべり方や」というのがあるので、その一つを子どもに対して使うという感じです。

Emi
お医者さんと患者のコミュニケーションは、コミュニケーション学の中でもHealth Communicationという分野で研究されています。ポイントは役割の違い。相互理解だけでなく、お医者さんはお医者さんらしい用語を使い、お医者さんらしい話し方をする。それによって患者さんを安心させ、プロフェッショナルな雰囲気をつくる効果がある。「ノンネイティブで外国人でありながら、同時に医師としてコミュニケーション上の役割を果たさなくちゃいけない」というのはなかなか難しいんじゃないかと思ったんですが、お話をうかがう限り、自然な感じでスムーズにできていたようですね。

Mika
まあチャレンジはありますけどね。相手に外見で判断されて、「すんなり来てないな」っていう雰囲気はやっぱりわかります。そういう時は、しゃべる英語のレベルを上げて、「もうちょっとガツンと行こか」みたいにすることもあります。医者やなんやがあんまり関係ない人もいますけど、それは私の問題じゃないから、そこはアメリカ的な考え方で「It’s not my problem. 私が悪いんじゃない」って思います。(笑)

Emi
情報を正しく伝えることが大前提。その上で、言語を使いながら、「どんな関係性をつくるか」「この人には、このくらいの言語が必要だな」「こういう言葉遣いをした方が効果的だな」という判断をしている。それは今でも日々起きている?

Mika
仕事では、もう毎日そうです。

Emi
そうなってくると、もう「英語ノンネイティブだから」とか「外国人だから」とか、関係ないですよね。

Mika
関係ない関係ない。

まあでも、ニューヨーク州だったというのもあると思います。最初の勤務地はブルックリンで、いわゆる“ちゃんとした英語”をしゃべる人が誰もいませんでした。たとえばアメリカ中西部で働き始めた人の場合は、アクセントのある英語に向こうが慣れていないから、もっとガツンとやられる。でも私は最初から、「いや、あんたこそ何言うてるかわかれへんよ」ぐらいの気持ちで挑んでました。だから幸いなことに、アメリカに来てからも医療の場面においても、「英語が通じない」「何を言ってるかわからない」って、自分の理解力や英語力を疑うことはなかったです。

Emi
アメリカでも場所によっては、ノンネイティブの英語に慣れていない地域もある。そういう地域では、ネイティブのアクセントに寄せて行かなくちゃいけない。ただ、仁香さんはニューヨーク州でいろんな英語が飛び交っている環境にいたので、あまり気にせず、仮に何か通じにくいような状況があったとしても…

Mika
「お互いさまや」みたいな(笑)。

Emi
それはそれとして(笑)、医療の仕事を全うすることに集中できた。

Mika
電話での会話でちょっと困ることがあります。「teeter-totterから落ちた」と言われて、「え?何から落ちたって?」となりました。私は何か恐ろしい、大きなものを想像してて。「ほらほら、あのガッタンゴットンする…」と言われて、「ああ、シーソーや!」って。で、「ああ、see-sawとも言うわね」みたいな。

それから、「Funyunsがのどに詰まった」って言われて、「Choked on* WHAT?」って。「ファニオン」ってスナック菓子なんですけど、食べたことないからわからない。そういうことはたくさんあります。でも、他の部分がわかるから、わからないところだけ聞き返せる。まあ、さすがに「ファニオンをスペルしてください」って言ったら、「綴られへんわ」って引いてましたけど(笑)。
*choke on:~でのどを詰まらせる

Emi
(笑)

 

たくさん触れて、調べて、しゃべること

 

Emi
アメリカで医療を学びたい人や、アメリカで医師になりたい人に向けて、英語に関して何かメッセージはありますか?
(追記:仁香さんは『海外医学留学のすべて』にも寄稿されています。第6章 フェローシップ 2. 小児科のフェローシップ ⑥小児救急科をご覧ください。)

Mika
やっぱりたくさん触れることですよね。脳みその細胞を増やすためにも、気になったことはすぐ調べる。それと、誰か質問できる人を持つというのも大事だと思います。日本語のバックグラウンドがあって、「なぜ私たちがこういう疑問を持つのか」ということがわかる人が周りにいれば、話も通じやすいやろうし、すべてのことがしっくりくる。日本語でも英語でも、ようけしゃべることじゃないですかね。

Emi
遠慮せずどんどんしゃべって、どんどん調べて、身につけていく。

Mika
そう。あとはやっぱりテレビ。テレビ大好き。

Emi
もし周りに英語をしゃべる人がいなければ、テレビや、今だったらインターネットから、英語をどんどん吸収していただきたいですね。

Mika
そうですね。

Emi
本日はありがとうございました。

Mika
ありがとうございました。

 

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