#16. 太田 みず穂さん

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日本のインターナショナルスクールからアメリカの大学に進み、現在は博士課程で細菌の研究をする太田 みず穂さんに、日本にいながら英語で教育を受けた経験、言語とアイデンティティ、日本語に対する苦手意識などについてうかがいました。

太田 みず穂 Mizuho Ota

愛知県日進市出身。カリフォルニア州サンディエゴ在住。名古屋インターナショナルスクールにプリスクールから通い始め、高等部から2009年に卒業。同年、マサチューセッツ州アマースト大学(Amherst College)に進学するために渡米。2013年に生物学科にてBachelor of Arts学士号取得。その後、University of California, San Diegoの生物化学博士課程に進み、今に至る。

博士課程の研究内容はシアノバクテリア(光合成を行う細菌)の生態。シアノバクテリアが同じ環境に住む捕食者(アメーバなど)から逃れるためにどのような特徴をもっているのか、またその特徴はどの遺伝子から来ているのかを問う。大学院後の進路は未定。英語、科学、クリティカルシンキングなどのスキルをうまく活用できる職業を模索中。日本語に対しての苦手意識を克服するのが目標。

Emi
自己紹介からお願いできますか?

Mizuho
太田みず穂です。現在はカリフォルニア大学サンディエゴ校で大学院生をやっております。

Emi
プロフィールによると、「シアノバクテリアの研究」を?

Mizuho
はい、そうです。「藻」ですね。

Emi
藻?

Mizuho
海、川、池、湖などに住んでいる緑色の細菌です。

Emi
身近にいるヤツらなんですね?

Mizuho
そうですね。金魚鉢に生えたりするヤツです。一口に「藻」と言ってもいろいろあるんですけど、そういう感じのものです。

Emi
なぜそれに興味を持った?

Mizuho
特に興味があって研究を始めたというよりは、ラボ(研究室)の雰囲気や心地よさに重点を置いて決めました。私のプログラムでは、大学院に入ってから、良さそうなラボに試しに10週間ぐらいずつローテーションで入らせてもらえるんです。それでお互いの都合が合えば、本格的に入るというシステムです。

Emi
いろんな研究室をまわって、「ここがいいかな」と思ったのがシアノバクテリアの研究をするところだった。

Mizuho
あと、細菌って増えるのが速いので、せっかちには向いています。

Emi
みず穂さん、せっかちなんですか?

Mizuho
ちょっと… かなり… はい(笑)。マウスだと赤ちゃんからおとなになるまでに時間がかかりますが、細菌は1日培養すれば増えちゃいます。ただ、マウスではより人間に近いことが研究できますが、細菌ではそれができない。何が知りたいのかによってモデルの選び方が違ってきます。

Emi
マウスを実験に使うのは、人間よりずっと成長が速いからなのに(笑)。

Mizuho
それでも遅いっていう(笑)。

 

「英語を勉強した」という記憶はないです。

 

Emi
日頃、英語と日本語を使う割合は?

Mizuho
95%英語です。身近に日本人の知り合いがあんまりいないので、日本語は、親や弟と話すときに使うだけです。

Emi
ご家族は日本にいらっしゃる?

Mizuho
はい。弟は英語が話せるんですけれど、親は英語を話せないので、会話は全部日本語になるんです。

Emi
ご家族とは日本語で話すしかない。それを除くと、日常生活はずっと英語?

Mizuho
考えたりするのも全部英語です。日本に帰ると、考え方が日本語に戻ったりするんですけれど、そこへ行くまでにちょっと時間がかかります。

Emi
いちばん最初に英語と出会ったのはいつどこで?

Mizuho
うーん、私は幼少の頃からインターナショナルスクールに通っていたんですけれど、その前からチューターみたいな人に教えてもらっていた覚えがあります。たぶんアメリカ人だったと思います。

Emi
日本在住のアメリカ人らしき人が、家に来ていた?

Mizuho
たぶん私が後々通うことになったインターナショナルスクールの関係者だと思います。半分デイケア、半分ベビーシッターみたいな感じで英語を教えてもらっていたのかな。3歳頃のことです。

Emi
幼稚園に当たるプリスクールからインターナショナルスクールへ。それ以前にも家で外国人に英語を教えてもらっていた記憶がある。かなり小さいときですね。「日本語」とか「外国語」とかではなく、言語を獲得する時期にはもう身近に英語があった。

Mizuho
そうですね。あまり意識して英語を勉強したという記憶はないです。

Emi
「両親は英語が話せない」ということでしたが、ご両親はみず穂さんのために「生まれた時から英語の環境を作ろう」というお考えだった?

Mizuho
そうしようと思った理由として私が聞いているのは、母がある時期ピアノ教師をしていて、そこで教えていた人がインターに通っていたというものです。それで、インターというものの存在を知って、試しに行かせてみたら合っていそうだった。だからそのまま通わせた、という感じですかね。(笑)

Emi
「インターナショナルスクールに通わせる方針だったというより、たまたまお母様のピアノ教室に来ていた生徒さんの中に通っている人がいたので、試しにプリスクールに入れてみたら合っていた。

Mizuho
「このまま英語が使える人になるんだったら、いいんじゃないか」ということで。

Emi
学校が近所で、気軽に行ける感じだった?

Mizuho
いえ、通学は車で40分近くかかっていました。親が本当に教育に熱心でいてくれたんだと思います。

Emi
プリスクールに入った頃、覚えていることは?

Mizuho
他の子と遊んだり、みんなで集まってお歌を歌ったり、という感じですかね。

Emi
もちろん言語は全部英語で。子どもたちはどこの国から来ていた?

Mizuho
主に日本人だったと思います。今は外国人が多いようですが、当時は日本人が多かったです。

Emi
そのくらいの年齢だと、つい日本語が出ちゃうことも?

Mizuho
プリスクールの時は、言語に関する規則はあまりなかったと思います。日本語で話す時は普通に日本語で話していました。教育は英語でおこなわれていたと思いますが、遊んでいるときは日本語が出たりしていました。

Emi
自然に話す言葉がたまたま日本語だったり、英語だったり。言語的な規則はゆるかった。

 

英語=学校のことば、日本語=家のことば。

 

Emi
小学校に入ってからは?

Mizuho
小学校ぐらいから、規則として「日本語を使わない」と言われるようになりました。「ここは英語を使う場所で、学校に来ている生徒の中には日本語が話せない子もいる。日本語で話すとその子たちにわからないから、みんな英語で話しましょう」みたいなルールがありました。

Emi
「ここに来たら英語を話すんだよ」と教えられていた。授業はもちろん、休み時間や友達と話すときも英語だった。

日本語で学ぶ授業はあった?

Mizuho
高等部卒業まで、ずっと国語みたいなクラスがありました。普通の国語の教科書を使って、読んだり、漢字ドリルをやったり。

Emi
学校では英語を使いながら、カリキュラムの中に日本語の授業があった。

Mizuho
でも、たとえばアメリカ人が習うような日本語のクラスではありません。たぶん、教科書や読むお話はできるだけ日本の小学校に合わせてありました。だから「ジャパニーズ」ではなくて「国語」という感じの授業でした。

Emi
「外国人向けの日本語」と、「日本人向けの日本語」、いわゆる国語とでは中身が違いますからね。みず穂さんの学校では、日本の一般の学校でやる国語に近い授業がおこなわれていた。

Mizuho
家で日本語を話している子はそのクラスを取っていました。たぶん家で英語オンリーの人はついていけないから、別のクラスでした。

Emi
“日本語ネイティブ向けの国語の授業”が選択できるようになっていて、みず穂さんはそれを取っていた。

たとえば小学校低学年のとき、「家では日本語、学校では英語」という切り替えはどうしていた?

Mizuho
うーん、その時は本当に意識していなかったです。それについては、むしろ今の方がよく考えます。

たとえば家族と話す日本語って、カジュアルを通り越して、家族以外の人が聞いたらわからなかったりしますよね。職場などで使う日本語とは全然違う。そういう意味での「別の言語」だった気がします。

Emi
小さい頃、おうち以外で日本語を話すことはあまりなかった?

Mizuho
学校の外での人付き合いは、多少あったんですけど、ほとんどなくて。「日本語は主に家族と話すもの」という感じでした。

Emi
「日本語と英語」というより、「おうちの言葉と学校の言葉」という感じだった。一般の小学校に通っている子でも、学校で先生と話す言葉と、家でお母さんと話す言葉を自然に使い分けている。それがみず穂さんの場合は、たまたま日本語と英語に相当していた。

Mizuho
その表現が近いと思います。

 

日本語を使うとき、緊張します。

 

Emi
「日本語・英語を切り替えている」と意識しはじめるのは、いつ頃?

Mizuho
コンビニの店員さんとか、「家族以外の人と日本語をしゃべらなきゃいけない」という時に、意識して切り替えていたと思います。でも、「他の人たちは、英語がわからないんだ」という意識はいつもありました。だから「日本人に対して英語が出ちゃう」ということはないです。

Emi
なるほど。同じインターナショナルスクールでも、たとえばアメリカにある学校に通う子とは事情が違う。「日本の社会の中にいて、ここの人たちは基本的に英語を話さないんだ」ということを、子どもながらに理解していた。一人で買い物に行く年齢になると、そこで「日本語を話さなくちゃいけない」と、言語の切り替えを意識するようになった。

英語学習では、このお話の「日本語」と「英語」が反対になるわけですね。同じようなことが起きるということです。

日本語については、「使わなくちゃいけない」という意識や、「これで合ってるのかな」という感覚が強かった?

Mizuho
そうですね。今でも自然にはできません。メールひとつ打つのにも、英和辞典を見たり、ググって自分の書いたものが正しいか検索したり。親と話すときは不器用ながらに話せるんですけれど、他の人が相手だと「この人、大丈夫かな?」と思われたくないので、事前にある程度チェックするようにしています。

Emi
日本語を使うときは緊張する?

Mizuho
緊張しますね(笑)。語彙も英語の方がずっと大きいので、不満に思うことがあります。英語でなら普通に思いつくことを、日本語では言えない。頭の中で取りに行って、「ないな」と思ったりするんです。

Emi
何かアイディアが浮かび、「これを言葉で表現したい」と思ったとき、まず英語の表現が出てくる。「同じことを日本語ではどう言うんだっけ」と探しに行って、もちろん見つかればいいけれど、見つからないこともある。それは、みず穂さんが知らないからかもしれないし、ひょっとしたら日本語の中にないのかもしれない。

Mizuho
たいてい、私が知らない方ですね(笑)。

Emi
いや、わからないですよ。日本語にないコンセプトかもしれない。とにかく、そこでマッチしないと「出てこなかった…」となってしまう。

最終的に見つからなかった場合はどうする?

Mizuho
できるだけあるもので、あり合わせるという感じです。どうしても言えないときは、「もう、いいです」みたいな。「黙っていれば大丈夫」という感じです(笑)。

Emi
(笑)近い表現に言い換えて伝えられそうだったら言う。引っ込めて、黙ってしまうこともある。これ本当に、日本語と英語をひっくり返したら、心当たりのある学習者は多いと思います。

インターナショナルスクールでは、英語を使って授業を受けたり友達と話したり。何か強く印象に残っていることは?

Mizuho
クラスの中にも「日本語の方が自然に使える」という子と、「英語の方が自然」という子で、ある程度わかれていました。私は主に「英語の方が使いやすい」という人たちと仲良くしていました。

Emi
「英語を勉強したい」という意思で来ている人と、「日本語がまったくできない」「英語の方が使いやすい」という人たちとが混在している状態。その中で、みず穂さんは「英語の方が早いグループ」にいた。

 

読書と英語習得

 

Mizuho
子どもの時は、すごくよく読書をしていました。英語で読書していたことが、英語の習得を速めた大きな理由だと思います。その影響は大きいです。

Emi
小さい頃から、英語の本をたくさん読んでいた?

Mizuho
最初はたぶん絵本だったと思うんですけれど、絵本だと読み聞かせが多いじゃないですか。その後、たぶん小学校1~2年生ごろには、絵の少ない本に変わって行きました。あんまり難しい本ではなく、『Roald Dahl』や『Goosebumps』など簡単なものを選んでいました。

本は、学校にあったもののほか、ブックフェアで手に入れていました。当時Amazon はなかったのですが、学校で定期的にScholasticの販売がありました。

Emi
絵本から入って、だんだん絵のない物語の本へ。ごく自然に移行していった。

Mizuho
チャプター・ブック*などですね。
*chapter book:章ごとに区切られた7~10歳向けの児童書。挿絵が豊富。

Emi
日本の普通の本屋さんでは、子ども向けの洋書はなかなか買えなかった。今でもそうかも。

Mizuho
ある程度は置いていると思うんですけれど、Scholasticのカタログは、特に子どものために選ばれていたので便利でした。それを見るとアメリカの子どもに人気の本がだいたいわかるので、選びやすかったんだと思います。

Emi
当時のアメリカの子どもが読んでいた本を、リアルタイムで読んでいた?

Mizuho
どこまでシンクロしていたのかわからないですけれど、子ども向けの本ってコロコロ変わるものではなかったので、中にはアメリカの子たちが読んでいたのと同じものもあったと思います。

Emi
どこの国でも、子ども向けの名作として誰もが読む本はある程度決まっている。年齢的にみて、アメリカの子どもたちと同じくらいのタイミングで読んでいた。

Mizuho
たぶん読むのは他の子どもに比べて早かったと思います。

Emi
言葉や文字に対する興味があった?

Mizuho
うーん、どうだろう。子どもの時から、「人とつながるより、本を読んでいる方が楽しい」というタイプでした。読書はいつでも、一人でもできるので、それが大きかったですね。

今の私はほとんど本を読みません。「できるだけ読みたい」と思ってはいるんですけれど、やっぱりインターネットの影響が強くて、活字を読むのはほとんどインターネット上のみ。でも、子どもの時は本しかなかったので、それを読んでいました。読みたくないものを読まされた記憶は全然なくて、本当に読みたいものを読んでいた。だから、「意識して、頑張ってやっていた」というわけではありません。ただ楽しかったから読んでいました。

Emi
本当に好きで読んでいた。いま振り返ると、それが英語の習得に役立ったような気がする?

Mizuho
親から英語を教えられたわけではないので、何が役に立ったかというと、幼い頃の読書がいちばん大きいんじゃないかと思います。

Emi
読んだ本について、誰かと話すことはあった?

Mizuho
あんまりそういう覚えはありません。私は昔から、「一人で読んで、一人で消化して」という性格で(笑)。

Emi
一人静かに読んで、一人で完結。「読むのが速くなってきた」という感覚はあった?

Mizuho
子どもの時は速かったです。続きが読みたいから 、バーって。何時間もずっと読んでいて、結構な量を1日で読んじゃったりしていました。

Emi
次のページが待ち遠しいような気持ちで読んでいて、時間を忘れることも。分厚い本でも「あ、こんなに読めちゃった」という快感があったのかも。

 

振り返ると、「文化の違いがあったんだな」

 

Emi
学校の授業には本を読む部分もあるけれど、特にインターナショナルスクールだと、話をしたり、ディスカッションやプロジェクトなど、他の子と一緒にする活動が多いのでは?

Mizuho
4~5年生ぐらいになると、他の子と協力してプロジェクトをやるというのが結構ありました。たとえば本を読んで、話の続きを考えるとか。単に感想文を書くだけではなく、科学など他の授業で習ったことを使ってジオラマを作るというアサインメント*もありました。熱帯雨林のジオラマを作ったことがあります(笑)。
*assignment:課題

Emi
課題の中には、一冊の本をみんなで同時に読んでその続きを考えるというクリエイティブなものや、サイエンスの知識を元に、習ったことを結集させて物を作るというのもあった。

Mizuho
そんな感じです。いろんな課題がありました。

Emi
インターナショナルスクールに限らず、最近は日本の文科省が国際バカロレア*を推進しているようです。「ただ情報をもらって理解する」というだけではなく、「習ったことを、実際に自分の体を使って表現する」ということが授業に取り入れられていた。
*参考資料:文部科学省:国際バカロレアについて

いろんな文化背景を持つクラスメートたちと共同作業をする経験の中で、文化的な違いを意識したことは?

Mizuho
当時は全然なかったのですが、振り返ると「あれはそういうことだったんだな」と思うことが結構あります。たとえばアメリカ人で、親がディプロマット*という子がいたのですが、その背景を踏まえると、その子の性格や言っていたことを振り返って「そういうことだったんだな」と思うことがあります。
*diplomat:外交官

Emi
「英語と日本語」と同様に、そこには当たり前に違いがあった。「何だろう、これ?」とうっすら違和感のようなものがあっても、理由はわからないまま。言語の違いなのか、文化の違いなのか、あるいは単に個性の違いなのか。

Mizuho
家庭ごとにも違いがあるので、当時は「そういうもんなんだな」と。

Emi
小さいうちは、違いの原因を追求せず、そのまま受け入れていた。大人になってから振り返ると、「あれはこういう根拠があって出てきた違いだったんだな」と気づく。

Mizuho
最近になって、「ああ!」という感じですね。

Emi
納得(笑)。

Mizuho
そうそう。

Emi
「英語学習」「異文化理解」などの文脈では、つい“違い”が先に立って、そこから「では現実的にどうしよう」「どこを合わせていこう」という話になりがち。そうではなく、当たり前に違う人たちが集まっているから、わざわざ違いを取り上げない。

Mizuho
でも、それは大人になってからでは大変ですよね? 私自身も、「今だったら自然にはできない」と思います。自意識が芽生えちゃった後だと、結構できないことがあるのかな。

Emi
「違いに気づく前、自意識が芽生える前に多様な環境にいたおかげで、自然に受け入れることができたな」と感じている。

 

日本で、日本人が英語を話すということ

 

Emi
弟さんもインターナショナルスクールに通っていた?

Mizuho
はい。弟は6歳下なんですが、彼が3歳になった頃に同じ学校に入りました。

Emi
姉弟そろってインターナショナルスクールに通っていた。一方、親御さんは日本の教育を受けてきている。「子どもたちが、自分の見たことのない教育を受けている」ということを、ご両親はどう感じていた?

Mizuho
たぶんいろいろと歯がゆかったと思います。たとえば家に持って帰るプリント。私が小さい時は、プリントに日本語版が付いていて、それを読めばわかるようになっていました。でも、ある時点から英語オンリーになって、私が通訳をすることになりました。たぶん親にとっては、できないことが多いというか、不自由な部分があったんではないかと思います。

Emi
生徒がまだ通訳できない年齢のうちは、遠足など、親御さん向けのお知らせに日本語版があった。生徒の年齢が上がってきたら、「これを伝えておきなさい」と?

Mizuho
私が小学校を卒業する頃には、たぶん学校の方針として、英語を話せない家族の入学を減らしていたんだと思います。

Emi
ご両親に通訳をしてあげる時には、「日本語と英語の切り替え」がはっきりしていたのでは?

Mizuho
そうですね。意識してやらないとできませんでした。

Emi
その時の感覚を覚えている?

Mizuho
結構プレッシャーがありましたね。「ちゃんと教えなさいよ」みたいな感じで(笑)。特に、自分の成績を通訳するのが本当に嫌でした。たとえば「あまり集中力がないようです」と書かれていても、それを自分で親に言わなきゃいけない(笑)。それが嫌でした。

Emi
なるほど。良いことも良くないことも、自分の評価を冷静に訳して伝えなきゃいけない(笑)。これは、たとえばアメリカに駐在して、お子さんが現地校に通っているという家庭と重なる経験かも。

インターナショナルスクールで高等部に進学。その頃、日本の一般の学校に通う同世代の友達はいた?

Mizuho
ほとんどいなかったです。習い事などで会う程度でした。私は一時期バレエスクールに通っていたんですけれど、そこで会う子たちは日本の学校に通っていました。その子たちとはもちろん日本語で話すんですけれど、そのセッティングだけで、日常的に一緒に遊びに行くということはあまりなかったです。

Emi
普段付き合う友達は、インターナショナルスクールに通う子たちだった。

みず穂さんの状況は、外国人として日本に住んでいるのとは違う。外国人なら、周りの人も「外国人だ」という反応するし、もし日本語にちょっと不都合があっても「当たり前」と受け入れられる。「日本で生まれて育っているんだけれど、言語的・文化的に他の子たちとちょっと違う子が、日本で暮らす」というのはどういう経験だった?

Mizuho
誰かに会うたびに、「なぜ私は英語がしゃべれるのかを説明する」ということがよくありました。

Emi
「なんでそんなに英語しゃべれるのー?」

Mizuho
そうそうそう、そんな感じです。「英語で何か言って!」と言われても、何を言えばいいのかわからない(笑)。

Emi
そういう時は、どうしていた?

Mizuho
まあ、「インターナショナルスクールに通っていて、そこの授業が全部英語だから、しゃべれるんだよ」みたいなコピーを用意していました(笑)。

Emi
決まった答えを持っていた(笑)。

 

言語、文化、アイデンティティ

 

Mizuho
でも、文化はやっぱり日本的だったんだと思います。たとえば「自分に自信を持つ」などは、アメリカに来るまであまり意識していませんでした。 やっぱり親が日本人なので、教えられることや躾は日本のもの。アメリカの大学に入ってから、「アメリカ人と自分の間には、文化的な違いがあるな」と実感しました。

Emi
言語的には、インターナショナルスクールで英語を使っていた。学校のことをよく知らない人からすると「わぁ、アメリカ人みたい」と思われていたかもしれない。でも、日本を出てアメリカの大学に入ってから振り返ると、「やっぱり自分の育ってきた環境は、日本的だったんだな」と思う。

Mizuho
アメリカン・カルチャーについては、本などを通じてある程度わかっていたので、違和感はあまりなかったんですけど、やっぱりあることはありました。

Emi
日本の一般の学校から、いきなりアメリカの大学に留学するのとは違うけれど…

Mizuho
それよりはスロープがずっと緩やかだったんですけれど、「やっぱり日本人なんだな」と実感することは結構ありました。「なんでこの人、ぜんぜん謝らないの?」と思ったり(笑)。また、これは「日本人だから」というわけではないんですけれど、自分のことをアピールするのは、今でも苦手です。

Emi
日本的なコミュニケーションからすると「いま、謝るところだな」と思われる場面で相手が謝らないようなとき、「やっぱりここは外国だ」と感じた?

Mizuho
私もアメリカに来て8年ぐらい経っているので、今では性格も言うこともアメリカ寄りになってしまっています。自分ではあまり自覚していないのですが、大学に入った頃と今とでは、「アメリカに住んだせいだな」と思われる違いがあります。

Emi
小さい時からずっと普通に英語を使ってきて、アカデミックなことも高校レベルまで英語で学んできた。それでも、アメリカの大学に入って「文化的な面やコミュニケーションの仕方に違いがあるな」と感じた。

Mizuho
そのときにではなく、後で気づくことが結構ありました。私はもともと「自分は変な人なのかな」と考えていたので、アメリカにいるせいや文化的な違いではなく、「ただ単に性格の違いなのかな」と思っていました。

Emi
他の人との違いが、自分の個性なのか、日本から来ているからなのか、何か別の理由なのか…

Mizuho
あまりよくわからない感じでした。今になって、「日本の影響は思ったより根強かったんだな」と感じます。

Emi
他の人と違う理由がわからないまま過ぎていた。後から考えると、「あれは自分が日本人の両親に育てられて、日本で生活していた影響だったんだな」と分析することがある。その例の一つが、「他の人ほど発言やアピールをしない」?

Mizuho
それが大きいですね。他にはあんまりありません。よく言う「アメリカはindividualistic(個人主義的)で、日本はcollectivistic(集団主義的)」のような、自分と他の人との関係や、社会における自分という存在、自分は何者なのかを意識していることが多いと思います 。

Emi
アイデンティティに関わる話ですね。英語学習にややこじつけて言うなら、英語がまったく問題なく、ほとんど母語と同じか母語以上に使えるような人でも、「自分がどこに属しているのか」「自分は他の人からどう見えるんだろう」と考える時期が来る。

Mizuho
来ますね。特に、「日本で暮らしていたのに、英語の方が使える」というアイデンティティに共感できる人が、私の周りでは学校にしかいなかったからです。アメリカの大学では、さまざまな国から来た留学生が大勢いたので、そこで世界が広がりました。その人たちと出会って、「他の国にも、自分と同じように『私は何者なんだろう』と考えている人がいたんだ」と知ることができました。

Emi
インターナショナルスクールは、「自分は他の人と違う」「お互いの違いを認め合う」という場として象徴的。これはすごく大事なこと。ただその一方で、「自分だけなんじゃないか」と考えやすくなる。自分と同じような経験をしてきた人に会ったことがなく、そんな人が存在しているのかどうかもわからない。

Mizuho
こういう話って、特に私にとっては英語の方がしやすいんですよ。たとえば私はアイデンティティについていつも考えているんですけれど、考える時の言語は英語です。他の人の考え方を読んだり聞いたりするのも全部英語。日本語でアイデンティティについて考えることはほとんどないので、日本語ではどう表現したらいいのかわかりません。

アメリカに比べて、「アイデンティティについて考える」ということ自体が日本では少ないんじゃないかと思います。特にアジア人としてのアイデンティティ。私はアメリカに来て初めてアジア人になった気がしました。

Emi
おもしろい。

Mizuho
日本にいると周りがみんな日本人。それはアメリカでいう白人と似たような経験です。私はアメリカに来てようやく「あ、他の人たちは私をアジア人として見ているんだ」と感じられるようになり、それでアイデンティティについて考えることが多くなりました。日本人が日本で暮らしていると、そういう経験はあまりしないので、考える機会がないのかなと思います。「考えたことがない」という人も結構いるんじゃないですかね?

Emi
まあ、それはある種、幸せなことでもありますよね。

Mizuho
そうですね。

Emi
意識せず、「私とあなたは同じでしょ」という前提で生きていくことにも、良さはもちろんある。

Mizuho
そうですね。日本を批判するつもりはまったくありませんが、「これはやっぱりアメリカに来ないとできない経験だったな」と思います。英語がどんなに話せても、日本に残っていたらありえない経験でした。

Emi
英語を自由に使えるおかげで、後々、「ああ、そういうことだったんだ」と気づける場所に自分を連れて行くことができた。英語という選択肢がなければ、「自分の居場所はどこだろう」と考えることはなかったかもしれないし、「どこだろう」と思っても探しに行けないという事態になりかねなかった。

Mizuho
自分の居場所というのは、みんなそれなりに考えることだと思うんですけれど、そこに言語や文化の違いが絡んでくると、さまざまな場面で考えざるを得なくなります。

Emi
英語を使うことによって考える機会が得られ、さらに英語がその答えや方法を探す道具にもなった。

Mizuho
パンドラの箱ですね。いったん開けたら戻らない(笑)。

Emi
確かに。箱自体もそれでできてるという、二重構造ですね(笑)。

Mizuho
そうそうそう(笑)。

 

日本語に対する苦手意識を克服したい。

 

Emi
プロフィールによると、「日本語に対しての苦手意識を克服するのが目標」。 今後、日本語を使っていく予定がある? 克服しないといけない?

Mizuho
うーん。「使いたくないなぁ」という一面もあるんですけれど、やっぱり「日本語が使えなくなるのは寂しいな」と思います。「日本育ちで、日本語が使える」というバックグラウンドがある以上、やっぱりそれを利用していく方が自分にとって良いことなんじゃないかと思っています。どういう形をとるかは今のところ全然わかりませんが、他の人にできないことで私にできることがあるなら、それをしたいです。

Emi
みず穂さんはアメリカ育ちではありませんが、アメリカでは「ヘリテージ・ランゲージ*」といって、親の話す言語を受け継いでいくのか、継がずに英語だけで生活していくのかという選択があります。それに近い感じですね。
*Heritage Language:継承語。

Mizuho
「自分の持っていたもの、持っていた世界を縮めるのは嫌だな」と思います。できるだけ日本語に対する苦手意識をなくして、日本語を話す人と英語を話す人の間で橋になれればいいなと思っています。

Emi
みず穂さんにとって、自身のアイデンティティの中にある「日本語を使う私」というのは大きな存在。もし日本語をすっかり忘れてしまうと、その部分が欠けてしまう。それではもったいない。「両言語を使って、架け橋になれたらいいな」と思っている。

Mizuho
「多少不自由があるとしても、自分の考えをできるだけ忠実に伝えられるよう、日本語の強化を続けていきたい 」という気持ちがあります。

Emi
考えを表現するときの、キメの細かさですね。英語でできる表現を、日本語で同じようにしようとするとギャップが生じる。言語は逆ですが、英語学習でもまったく同じ現象が起きます。ギャップがあるから、どちらかの言語が「苦手」と感じられる。

Mizuho
それから、たとえば私が働いているラボに日本から日本人のビジター(訪問客)が来るという場合、「私は“日本人のフリ”をしなきゃいけないんだな」という変なプレッシャーを感じて、それも苦手意識につながっています。考え方などに違いがあるので、「え、本当に日本人なの?」と思われてしまう。期待を裏切りたくないんです。

Emi
なるほど。「期待を裏切りたくない」というのが“日本人のフリ”?(笑)

Mizuho
(笑)日本から来る人はやっぱり不安なことが多いと思うので、「できるだけ私がその不安を取り除きたいな」と思って接しています。

Emi
優しいなあ。

Mizuho
一人で、言語のわからない、知らないところで暮らすというのは本当に勇気の要ること。私の場合は、別にその勇気があってアメリカに来たわけではなく、普通に英語がしゃべれるから来た。だから私は、わからないところに突進していく人を本当に尊敬しています。手助けできることがあるならしたいです。

Emi
渡米の際、みず穂さん自身は英語に不自由がなかった。だから、英語に困っている人を見かけると、「むしろそっちの方が大変」と思う?

Mizuho
はい。まったくそう思います。

Emi
自分は小さいときから英語を使い慣れている。「後から英語を学んでアメリカに来る人の苦労は、自分の経験とは違うものがあるんだろうな」と感じる?

Mizuho
そうですね。その辺は、「やっぱり私には共感できないのかな」と思うところがあります。新しい世界に来て、私という日本人がいることでリラックスしてもらえるんだったら、それはそれで大切なことではないかと思います。別に相手の方はそんなふうに思っていないかもしれませんけれど(笑)。

Emi
いやぁ、それは伝わっていると思いますよ。

Mizuho
そうだといいんですが。

Emi
その器の大きさも、いろんな経験をして、他の人の振る舞いなどを観察してきた蓄積から来るものかもしれませんね。

Mizuho
そうだといいなと思います。やっぱり世界が大きいと、器が大きくなるというか。「他の人も大変なんだな」と感じられるようになります。

Emi
本日はありがとうございました。

Mizuho
こちらこそ、ありがとうございました。

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