#03. 嶋田 健一さん(ハーバード大学医学部 博士研究員)

ハーバード大学医学部で薬学の研究をする嶋田 健一さんに、日本の受験英語や“理系”研究者の英語、異文化間コミュニケーションにおける心構えなどについてうかがいました。

嶋田 健一 Kenichi Shimada

ハーバード大学医学部で薬学を研究する博士研究員。薬は病気の治癒を助けるありがたいものですが、ときに肝臓などの臓器を傷つけることがあります。この損傷に気づかず薬の服用を続けると、やがて臓器は完全に機能を失ってしまいます。こうなると現在の医学では治せません。私は、生物学・化学・情報科学を活用して、このような薬によって引き起こされる病気を研究しています。

東京出身。小学生のころ父親の仕事の都合で4年間オランダに滞在(日本人学校なので英語は話せず)。その後は修士号取得まで日本で過ごすが、一念発起して2006年よりNYのコロンビア大学の博士課程に入学。抗がん剤の研究で博士号を取得後、2015年より現職。

Emi
自己紹介からお願いできますか。

Kenichi
現在は、ハーバード大学の医学部で博士研究員をやっています。普段は主に研究室で研究をしていて、実験室で白衣を着て、たとえばマウスにいろんな薬を投与したりしている時間がだいたい半分くらい。あとはコンピューターの前で、いわゆるビッグデータと言われる大量のデータセットの解析をしています。

特に肝臓に対する薬の副作用を詳しく調べて、たとえば重篤な、肝硬変などの病気を患ってしまった人を治すための手段を見つけるという研究をしています。

Emi
お医者さんではなくて、医学の研究をしていらっしゃる“ドクター”ということですね。

Kenichi
そうですね。よく「基礎研究」と言われますが、僕はお医者さんではない研究者、Doctor of Philosophy (PhD) です。人間を診る資格は持っていませんが、多角的に医学研究のトレーニングを受けている人たちのことです。

Emi
私たちが病院で会うお医者さんの、その後ろにいらっしゃる感じ?

Kenichi
それは非常に的確な説明だと思います。

Emi
それをアメリカでしているということは、日々の研究や生活は英語で?

Kenichi
そうですね。特にこのボストンという街には日本人の研究者の方がたくさんいますが、普段、周りに日本人はほとんどいないので、コミュニケーションのツールは英語です。

 

英語との出会いはオランダでした

 

Emi
そもそも最初に英語に出会ったのは、いつどこで?

Kenichi
小学校1年から4年のときに、父親の仕事の関係で住んでいたオランダです。両親は「日本のカルチャーで、日本の教育を受けさせる」という方針だったので、日本人学校に通っていたのですが、オランダでの生活では、たとえば親についてどこかへ行くたびに、彼らが英語でコミュニケーションしているのを見ることがありました。

また、日本人学校では、週1回、英語に触れる機会がありました。よくわからないけれど、英語の不思議な響き、口から出てくる音が、日本語とは明らかに響きが異なるということが、すごくおもしろいなと思いました。

でも、よくわからないまま日本に帰ってきています。英語の教育としては、他の日本人とまったく同じで、中学から学び始めました。そのとき、頭のどこかにはなんとなく英語をしゃべる人たちのことをイメージしながら学んでいたかもしれませんが、特に英語に興味があるということはなかった気がします。

Emi
英語との出会いは、小学校1年生でオランダに行って、ご両親と現地の方などが英語で話しているのを見聞きしたとき。

日本人学校というのは、外国に文科省が出している学校なので、カリキュラムや教科書は日本の学校と同じ?

Kenichi
はい。完全に日本のカリキュラムで、日本の教科書を使った、日本の教育を受けていました。

Emi
その当時でも、学校の授業として英語が入っていた?

Kenichi
英語が入っていたといっても、ABCもままならないような、日本語でしかしゃべれない小学生に対する授業なので、英語の歌をみんなで歌ったり、まずは簡単な挨拶を身につけさせるレベル。「まずはモチベーション上げようか」ぐらいのクラスだったような気がします。(笑)

Emi
自然な感じで、カリキュラムの中にも英語があった。それで日本に帰ってきた?

Kenichi
日本では普通の小学校に行ったので、その頃の英語の記憶が使われたり、そこからさらに引き伸ばされたりということは、少なくともしばらくはありませんでした。

Emi
4年生で帰国してから中学までは、ほぼ英語のない生活?

Kenichi
そうです。英語にはまったく触れていませんでした。

ただ、4才離れた妹が、結構ペラペラ英語をしゃべっていたということがありました。オランダの現地校はオランダ語ですが、ブリティッシュスクールという英語の学校があって、妹は幼稚園からそこに通っていました。「同じ家族の、年下の妹が、急によくわからない言葉をしゃべってる」ということにすごく興味を持っていました。

妹の方はずっとそのブリティッシュスクールにいたので、6才で帰国する頃にはだいぶペラペラになっていました。親によると、けっこう難しい単語もしゃべれていたみたいです。だから、それが頭のどこかに強烈に残っていたかもしれないですね。英語を学び始めるときには、「ようやく自分も英語に触れることができる」と思っていた気がします。

Emi
ひとくちに、「周りに英語がある」と言ってもいろんなかたちがある。おにいちゃんから見て、「ちっちゃい妹が先に知らない言語を使ってる」というのは不思議な感覚だった?

Kenichi
たぶん当時は、コンプレックスも多分にあったでしょうね。

Emi
「悔しい」みたいなこと?

Kenichi
そうでしょうね。どう自分が背伸びしても太刀打ちできない感じになってしまって。そもそも言ってることがわからない時点でスタートラインにも立てない。そこは結構大きかったかもしれないですね。

 

受験のための英語塾へ

 

Kenichi
だからといって、中学高校に入ってから英語がすごく好きになったかというと、決してそんなことはありませんでした。中学高校のときはずっと塾通いで、中学の時から英語の塾にも行っていたんですが、それも自分の意志とは関係なく行っていたところがあって。(笑)

Emi
誰の意志だった?

Kenichi
ま、母親ですよね。わりと教育ママのもとで育ちました。後で考えてみればいいレールをはかせてくれたと思うんですが、ただ、英語を学び始めると同時に塾に行くという経験をしたので、正直、あんまり楽しい思い出はなかったですね。

Emi
英語は“お勉強”という印象が強い?

Kenichi
“お勉強”もそうだし、自分の中での英語というのは、やっぱり日本の、特に受験英語でいうところの文法や構文解釈などのかたちから入っていくという印象だったので、高校を終えるまで、あんまり楽しいと思ったことはなかったです。ま、それなりには楽しいんですけれども、特別英語に惹かれるとか、小さいときに感じていたようなミステリアスな部分というのは、あまり感じませんでした。

Emi
子どもの頃に出会った英語と、日本の中学高校で出会った英語とは、ちょっと違うものだった?

Kenichi
そうですね。違うものだった気がします。

Emi
その英語塾というのは、他の教科はやらず英語だけ、それも受験用の英語をやる塾?

Kenichi
受験用の英語だけをやる塾でした。中学の早いうちに、高校まで必要とされる文法の細かいところまでを詰め込んでしまって、「あとは単語を覚えてひたすら読みまくれば、受験でうまくいく」というようなシステムをとっていました。だから、たとえば英語しかしゃべれない人がやってきて、何か質問をされたときに、それに対して脊髄反射ですぐに返答ができるようには決してならなかったです。(笑)

日本の受験生は、特に英語ができる人であっても結構そういうパターンが多いと思うんですけど、一文一文をしっかり理解していくということに重きを置いていると思います。実際は、たとえば英語の文章であれば、読み進めていくうちにだいたいわかってくるもので、その過程は日本語とかなり近いところがあると思うのですが、日本の受験英語は一文一文、100%。それってわりと実生活では逆行するところがあって、しゃべれるようにはならない気がします。

Emi
英語塾では、一文一文の解析、文法的に分解したり展開したりする練習を積んだ。でも、「そういう“訓練”を高校生まで綿密に積んでも、英語をしゃべったり、たとえばアメリカ人が普通に読む文章を理解することにはつながらない」という印象?

Kenichi
そういうことでしょうかね。

Emi
受験をうまく勝ち抜いてきた、いわゆる成功した受験生の中に、「英語は公式だと思っていた」と言う人がいるが、その意味がわかる?

Kenichi
僕はそこまで英語が得意ではなかったので、「公式だ」と言えるほど達観した見方はできていません。ただ、結局受験では、たぶんそれぞれの科目を“公式”のような、あんまり頭で複雑に考えなくても、簡単に条件反射的に答えが出せるところまで落としこめると、点数が取れるというふうになっていると思うので、その感覚はわかる気がします。

 

英語を使うために、海外へ一人旅

 

Emi
大学受験までは、言語とは別の「英語科」という科目として付き合ってきていた。では、まとまった文章を読んで理解したり、子どもの頃に感じた、「誰かと話すための言語」というイメージにつながってくるのはどのあたりから?

Kenichi
大学に入った後、できることの自由度が非常に高くなって、ひとりで海外に行ったんです。あんまりお金がないのでアジアの国を中心に、バックパックで行きました。無計画で、その日泊まるところも決まっていなかったり。そこで、「英語を使わなければやばい」「ちゃんと食べていけない」という感覚を強く持ちました。ま、むしろそれを感じるために行ったというところもありました。異文化のいろいろを見ると同時に、英語を実用的なものとして使いたかったんです。バックパックの旅でもツアーでも、現地の人と触れる機会があれば、そこで無理やりにも英語を使ってみよう、という感じでした。

Emi
受験までは勉強というイメージだった英語を、日本の大学生になってから、「使ってみよう」と思ったのはなぜ?

Kenichi
うーん。「なぜ」。おもしろい質問ですね。

Emi
日本の大学生なら、「受験も終わったことだし、もう英語は忘れちゃった」ということもあるのでは?

Kenichi
ああ、それは僕の場合、英語に限らずいろんな科目に関して共通して言えることですが、「せっかくこんなストイックな思いをして勉強をいっぱいしたんだから、その知識を使っていきたい」という気持ちがあります。よく、たとえば数学とか、「こんなもん実生活で役に立たないじゃないか」と言って学ぶのを止める人がいますが、僕の場合はその思考をむしろ逆転させて、「必ずどこかで使い道はあるはずだから、せっかく築き上げた自分の力をもう少し伸ばしていこう」と考えます。たぶんそれが英語の場合も働いて、「旅行や実生活で、無理やりにも英語を使ってみたらどうなるんだろう」と感じるようになったんでしょう。

Emi
「勉強してどうなるんだ」というのは、先生方も尋ねられることが多いですね。「受験を乗り越えて終わり」ではなく、自ら知識を使う機会をつくる。それが英語の場合は、「英語を使わないと寝る場所も見つけられないような状況に、自分を追い込む」ということだった?

Kenichi
そういうことだと思います。それから、これも英語だけではないですが、それぞれの分野のエキスパートに対する憧れが強いんです。たとえば研究なら各科目のエキスパートなど、あるサブジェクトを、自分よりも明らかに自由に扱うことができる人がいますね。

ピアノなど楽器の場合も、弾き始めの初学者がプロの演奏を見ると、「自分もうまく弾けたらこういうふうになるのかな」と妄想する。僕の場合、特にそれが英語に関して働いたんだと思います。現地の人、英語を普段からしゃべっている人をいっぱい見てみたかった。

Emi
英語に不安があって、うまく使えていないなという時期に、「自分の先を行っていて、これを自由に使いこなせる人とはどんな人だろう」「実際に人々が英語を使っている場面を見てみたい」と思った。

バックパックの旅で、英語を使わざるを得ない状況に自分を追い込んだ時、どんなことが起きた?

Kenichi
これは後々留学の話にもつながってくるところですが、ひとつには、「ツールとしては、いま自分の持っているスキルだけでも十二分に使えるな」と感じました。ただ、同時に「必要最低限のコミュニケーションをするために自分が使う実用英語では、あんまり文法や表現の複雑さは要求されないな」とも感じました。たとえばすごく極端な話、安宿街の店に入って、「ディスカウントプリーズ」って言うとか。(笑)

「思ったことを日本語でしゃべるレベルと、英語でしゃべるレベルというのは、だいぶ違う」と認識させられました。英語で、しかも限られた時間内にメッセージを伝えようと思ったら、頭の中でいちばん言いたいところだけを残してシンプルにするという作業を、口に出す前にすごくしなければいけないなと感じました。もちろん日本語の場合も多少は頭の中で推敲しなければいけないけれど、日本語の場合と英語の場合は大きく違う。

「話が通じた」という自由さと同時に、不自由な点も結構あるなと感じましたね。「このあと伸ばすべき道が見えた」とも言えるかもしれないです。

Emi
初めての外国で、「実際に自分の持っている英語はどのくらい通用するのかな」という“実験”をしてみたところ、「ある程度は通じる」「自分の持っているもので十分」という結果がひとつ。もうひとつは、「日本語と同じようにはいかないんだな」「ギャップがあるんだな」と発見した?

Kenichi
そうですね。そういう実験結果でした。(笑)

 

「失敗するのが全然怖くなかったんです」

 

Emi
その不足部分が、留学につながってくる?

Kenichi
留学に関しては、ひとつには、バックパック経験の前後から「海外で暮らしたい」という思いが強くなってきたというのがあります。たとえば、近くの研究室に、日本に来ている留学者がいて、その方たちとコミュニケーションをする機会もあったので、そこで多少、英語を使うことに対する喜びみたいなのが出てきました。

でも、僕の場合はそれよりも、まさに今やっている研究がきっかけでした。研究の手法が、明らかに日本よりもアメリカの方が進んでいた。だから、「英語や生活など仕事以外の興味と、仕事の上での興味が合致して、アメリカに来たくなった」というのが、留学のいちばん大きな理由だと思います。

Emi
日本ですでに始めていた研究を続けていく場所として、アメリカがいいだろうという判断から留学が見えてきた。同時に、日本にいる外国人と英語で話す機会がすでにあった。

たとえば周りの人たちは、ニューヨークでの留学が始まった2006年の時点で、「じゅうぶん通用する」と思っていたのでは?

Kenichi
(笑)そうでしょうね。

Emi
本人はどんな予定だった?

Kenichi
その当時は、どういうわけだか根拠のない自信にあふれていて、失敗するのが全然怖くなかったんです。なんかセンサーが壊れていたんですよね。

たとえばクラスでは、授業や同級生の英語がほとんどわかりませんでした。理系の博士課程の学生の過ごし方というのは、2年目以降は各研究室に配属されて、主に自分の研究テーマを追究するのがメインになるので、実はあんまり会話をしなくても成立してしまいます。でも、1年目には必要最低限の知識をかなり詰め込むカリキュラムになっているところが多いですから、留学が始まると同時に英語の嵐。当たり前だけど、みんな英語を普段からしゃべっている人たちです。「自分にはまだ足りない部分があるな」とおぼろげながら思っていたところを、思い切り刺激されました。“刺激”というのは柔らかい言い方ですが、ま、要するにさっぱりわかんなかったんですよね。

ただ、生物学に関しては一度日本語で勉強していたので、「授業がよくわからなくても、結論は知っている」という事柄が多くありました。なので、わからなくなって、「あ、ちょっと自分の知ってることと違うぞ」というのがひどくなってきた場合には、授業を…、これ、かなり嫌なヤツだったと思うんですけど、質問してインタラプト*していました。「ここは、僕の感覚ではこういうことだと思うんですけど、それってあなたが今しゃべってることですか?」って。(笑)
*interrupt:さえぎる、一時的に止める

Emi
ええっ、1年目で?

Kenichi
1年目ですね。同級生は16人ぐらいしかいなかったんですが、その中で「ああ、あいつは空気読めないヤツだ」というキャラが確立してしまったので、そこからは授業をインタラプトするのは苦ではなくなりました。周りの人は、ニヤッとして、「またあいつ、なんか言ってるよ」みたいな感じで。

英語に関しては、「足りないな」と強烈に感じましたが、フォロー*できないからといって、「みんなから置いてきぼりをくらってるな」とは、あまり感じなかったんですよね。
*follow:聞き取る、理解する

Emi
それは、アメリカで、留学生として授業を受けはじめた頃のお話ですよね。日本で、アメリカを目指していた頃は、“根拠のない自信”があって、「大丈夫だろう」と思っていたけれど、現地でガーンとやられた。

Kenichi
どう自分が背伸びしても、簡単には手の届かないところにいる人たちに囲まれました。実は、大学生のときにはそういう人たちを求めていたところがあって、「ようやく居場所を見つけた」「燃えるものが出てきた」と感じられたのかもしれないです。

Emi
厳しい環境に身を置きたかった。それが叶った?

Kenichi
そういうことになるかもしれないですね。ま、ちょっとMっ気が出てきてますけども。(笑)

Emi
ですねぇ。(笑)

希望どおりのとても厳しい環境にいると自覚した。ただ、そこで単純に「英語ができないとダメなんだ」と凹んでしまうのではなく、「ま、それはそれとして、自分で授業の流れを変えてみよう」「“健一流”に持っていこう」と考え出して実行した?

Kenichi
いや、たぶんそこまで強くはありません。先生のイメージしている授業のストーリーラインを変えようという気は一切なかったです。ただ、自分の質問や意見を多少ねじこんでも、それをフレキシブルに授業の内容に反映してくれる、スキルの高い先生が多かったので、「言葉が足りなくても、みんな我慢強く聞いてくれる、受け入れてくれる」という、よくわからない自信がありました。

 

留学1年めだからこそ、「聞くは一時の恥」

 

Kenichi
それに、「わからないまま先へ行ってしまうと、後々大変になるぞ」と、なんとなく肌でわかっていたので、「事態が悪化する前に聞いてしまおう」と思っていました。特に、それが後々絶対に試験で必要になってくる場合には「その場で処理しておいた方がいいだろう」と。周りの人には「とりあえずごめんなさい」と思いながらも、自分の方向に持ってくるために、「一回ちょっと戻って」という言い方をした、というぐらいの感じでした。

Emi
今の話は、文脈としては大学院というアカデミアの場ですが、たとえば会社などビジネスの場でも同じ。聞き流していいところと、絶対に聞き流してはいけないところ、聞き直さないことによって後々すごく展開が変わってしまうところは誰にでもある。

もちろん聞き直した方がいいし、多少流れを止めてでも、質問することはそこにいる人の権利でもある。特に大学のような環境では歓迎される動きでもある。ただ、それが正しいとわかってはいても、なかなかできないのでは? 何回かやれば、クラスメートの間で「あぁ、また健一か。じゃあいいや」いう空気はできてくるが、最初は怖くなかった?

Kenichi
これが正解だとは思っていませんが、自分のキャラクターとして、日本にいるときにも質問をはさむことが多かったんです。それに対して、周りの人たちは「勝手にやってるな」ぐらいにしか捉えない。そのことをなんとなく知っていたので、周りがどう思うかは気にしていなかったかもしれないです。アメリカに行って、いちばん初めの日から手を挙げて、「すみません、いま何言ってるのかわかんないんですけど」と言うことが、あんまり恥ずかしくなかったのかな。詳しくは覚えていませんが。

クラスには、僕以外にもアジア人が何人かいましたが、その人たちはすごく行儀よくしていました。おそらく英語の理解度は僕よりもはるかに高くて、質問をしない代わりに「一語一句、聞き漏らさないぞ」という意識があるのをすごく感じました。おそらく僕は「日本人ってことは、たぶん算数はよくできて、全然しゃべらなくて、しゃべってみると何言ってるかわかんない」というステレオタイプで見られていたと思うんですが、僕はむしろ「そのイメージが固定する前に、『あぁ、こいつはちょっと、そのステレオタイプからずれているな』ということを、みんなの意識に植え付けよう」「それには、初めの方が楽だな」と思ったんです。

コミュニティが自分にとって居心地のいい場所になればなるほど、自分のふるまい方を変えるのは難しくなる。なので、このコミュニティの人たちと長く付き合っていくために、日本にいるときにはさすがにしなかったようなバカみたいな質問も、「初めだから、むしろいっぱい出せる」と、意図的にしていました。

「ここでたくさん取りこぼしてしまうと、後々関係がこじれ、みんなとうまくつながっていけないな」と思っていたので、周りの人たちに「自分の英語のレベルはこんなもんだよ」とアピールすることによって、なんとなくわかってもらおうという感覚でした。

Emi
「1年目だからこそ」という気持ちが強かった。「後々このコミュニティで、この仲間たちとやっていく。今はその最初の部分なんだ」という意識が初めからあった。

「最初だから遠慮してしまう」「今はとりあえずいいかな」という先送りは、視野として短期的なもの。長い目で見ると、最初の失敗なんて、本当に些細なことですよね。

Kenichi
ビジネスのシチュエーションなど、「その場でわからないままにすることによって、後々事態が大きくなる」というのは、どういう状況でもあると思う。「わからない」と即座に言えることが、特に自分ひとりではなく集団で働いているときには、本当にすごく大きな差になってきます。

「今はわからないけれど、後々誰かに聞いてフォローしよう」という思考回路が有効な場合ももちろんありますが、僕の場合、全部そうしてしまうと、周りの人に迷惑をかけすぎてしまって、あまり度が過ぎると嫌がられてしまう。そのさじ加減を学んだのも1年目でした。

「聞かなければいけない」「ここで理解がそろっていないと後々事態が深刻になる」という部分をうまくおさえておく。そのために、「聞くは一時の恥」というのが絶対にあると思います。

Emi
本当に、「聞くは一時の恥」。その「恥ずかしい」「怖い」のために後々犠牲になることの大きさを考えたら、まったく比較にならない。

Kenichi
そこは誰だってわかってるんでしょうけどね。「一時の恥」のリスクの大きさが、普段あんまり質問をしない人と、質問をし慣れていて、「バカバカしい質問をしても、なんてことない」と思える人とでは、受け止め方に差があると思います。

日本人の場合、アメリカなど異文化な場所ではどうしても言葉が足りなくなってしまう。そういう状況に置かれたときに、その「一時の恥」のリスクは本当に小さいもの。聞かないことによって事態を重くするリスクの方がはるかに大きいというのは、本当に今でも強く感じるところです。

1年目の自分にとって、「すごくありがたかったな」というエピソードがあります。先ほどお話ししたように、大学院では授業を受けると同時に、自分で所属する研究室を決めて、先生のもとで研究をするというシステムになっています。実はたまたま選んだ研究室がすごく多国籍で、それが僕の中ではありがたかったなと感じています。

というのは、同じ英語を使うにしても、英語が母語でない人としゃべるのと、英語が母語の人としゃべるのとでは違うからです。やっぱり外国語として英語をしゃべっている人たちの方が、懐が深い。1年目、外国で住むこと自体が初めてだった僕にとって、過去に同じような境遇を経て、すでに長くアメリカで暮らしている人たちに囲まれて過ごせたことは、すごく癒され、元気をもらえました。

偶然といいますか、大学院で2年を経て、研究室を変えたのですが、その後で所属した研究室はほとんどがアメリカ人。「もし、初めからその研究室だったら、心が折れていただろうな」と思うんです。

Emi
最初の期間に、自分と同じ境遇のノンネイティブで、さらに何年か前からアメリカにいる、ノンネイティブ歴の長い人たちと一緒に仕事をし、それを経て、次にネイティブが多い環境に移った。その段階的なプロセスが、「心が折れる」という言葉に表れているとおり、特に精神的な意味でよかった。

健一さんほど、厳しい環境が好きで、初日から手を挙げられるような人でも、「それが心の支えだったな」と感じるんですね。

Kenichi
いつでも気を張っているわけにはいかないですから。

我ながらおもしろいなと思ったことがあります。僕は自分からすごく強く望んで、海外で生活することも楽しみにしてアメリカへ来ていたんですが、留学生課の人たちによく、「初めての海外生活に自分を適応させていくプロセスとして、ホームシックにかかることは絶対に避けられない」と言われていました。でも僕は「そんなわけはない」と思っていたんです。「こんなに楽しんでいて、しかも今まで使いたかった英語で、チャレンジングな環境で、『いま自分は幸せだ』と明確に言える自分には、当てはまらないだろう」と。

でも、やはり初めのうちは、気を緩めたときに、すごくちっちゃなことでホームシックにかかります。そのとき、境遇をシェアできる人たちが絶対に必要。そういう面で運がよかったから、いろんな場面で初めのステップで挫けずに、だんだんアメリカの生活に慣れていくことができて、最終的に、落ち着くべきところに落ち着きました。アメリカ人ではない日本人が、英語を使って生活を日々していくプロセスの、いちばん初めの心の変化みたいなものも、ノンネイティブの人たちと話せたことで、うまく解消できたのかなという気がします。

Emi
自ら望んでアメリカに行って、誰も心配していない、いわゆる英語ペラペラのような人でも、やはり英語だけに囲まれて、英語とは別の学習をしていかなくちゃいけないというのは、張り詰めた毎日。「厳しい環境に身を置く」という意味では、日本ではありえない、願ってもない厳しい環境?

Kenichi
そうですね。精神的な部分や我慢するところは、やっぱり日本にいるときと比べると大きいです。

 

英語を使う研究者の心構え

 

Emi
アメリカ人の多い研究室に移った後は、その厳しさを抜けて、順調だった?

Kenichi
研究者はパフォーマンスを示すために論文を書かなければいけないんですが、その論文を書くためのトレーニングが、英語を学ぶのとはまた別の次元で大変だったというのはあります。でも、初めに比べれば、やっぱり英語ができて、コミュニケーションがとれるようになってきて、少なくとも自分の状況を的確に示せば周りの人も的確なサポートをしてくれるので、精神的にはそんなに大変ではなかったかもしれないです。

Emi
論文や研究発表といえば、いわゆる日本の“理系”の中に、「論文や研究発表の英語は、リハーサルもできるので問題ないが、発表後の質疑応答や、国際会議のパーティーのときに困ってしまう」という人がいます。アメリカにいる日本人から見て、日本から来て学会にだけ出席する発表者は、どうしたらいいと思う?

Kenichi
問題の本質はまったく同じだと思います。「会話は、相手の言ってることがわからないと、自分が何をどう発しようとも、うまく相手の欲している答えを与えることができない」ということです。

日本から初めて来るとあまり見えないのですが、アメリカの人たちの英語のレベルは本当にまちまちで、英語が大したことない人でも、十分のびのびとやっています。質問がよくわからなかったら、「もう一回言ってくれ」と言ったり、自分でリフレーズ*してみる。
*rephrase:言い換える、言い直す

パーティーのときも同じです。質問が来たときに、「それってこういうこと?」と聞いたり、「Let me repeat your question(ご質問を復唱させてください)」のように咀嚼をして、「自分は少なくとも相手の言ってることがわかっている」というところに立つ。それで初めて答えを与えることができます。

特に日本の研究者の場合、ほぼ例外なく、自分の研究内容に関して誰よりも詳しくわかっているのは確実なんです。だから、少なくともこの会場にいる中で、この質問に対していちばん適切な答えを与えられる人は自分。そうであれば、相手の質問を2、3回繰り返して聞くことに対して、周りの人が「あぁ、なんだよ。あいつ、あんなことに時間を使ってるよ」とは絶対に感じない。だから、「時間を止めて、ゆっくり自分の理解できるペースで理解をする。そのために目いっぱい時間を使うことを恥ずかしがらない」というのが、たぶんいちばん大事なことだと思います。

場慣れしてくると、小手先の武器はいくらでも増えてきます。でも、いちばん大事なのはあくまでもコミュニケーションとしてのキャッチボール。相手のボールを受け止めて、自分の答えを返すこと。そのプロセスをおろそかにしないことです。

だから、相手の言ってることを何回も聞き直すことに対して、「会場にいる人たちにすまない」と思わないこと。日本の人にはなかなか難しく、トレーニングが要るところだと思います。でも、そこで適切な答えが与えられなければ、質問した人は一生答えがわからないままになってしまうわけですから、むしろそうやって、ちゃんと理解しようと時間を使ってくれることはありがたいと思うはず。それさえできれば、英語のレベルは関係ないかもしれません。

Emi
マインドセットにも関わるところですね。「わからなかった」「流れを止めたら悪いな」など、まったく気にする必要はない。聞き返しは、二回でも三回でも、何回でも。

一回の聞き返しならほとんどの人ができるが、回を重ねることにすごく抵抗がある。聞き返して、二回目でまだわからなかったときに、なんとなくごまかそうとしたり、自分なりに答えた結果、的外れになってしまったり。でも、「自分がきちんと答えられるところまで、とことん聞く」というのが大事ですね。

Kenichi
それと、ただ聞くだけではなくて、自分なりに、「それってこういうこと? Do you mean ~?」と聞いてみる。違っていれば、相手がまた別の表現の仕方をしてくれるはず。それを経るしかないですね。

Emi
相手からの協力も引き出す。いいポイントが聞けました。

Kenichi
(笑)いえいえ、よかったです。

 

英語学習の、次のレベルへ

 

Emi
その後、就職活動を経ていらっしゃるわけですが、英語について何か感じたことは?

Kenichi
ほとんどないですね。誤解をしないでいただきたいのですが、決してもう英語に関してコンプレックスを持っていないというわけではありません。

こういう言い方が正しいかどうかわかりませんが、初めの頃は、「アメリカ人になってやるぞ」ぐらいの感じで、ほとんど日本人とつるまず、「研究室の中でも外でも英語をしゃべり続けよう」という気概でいたんです。でも、向こうは日本人として見てくるし、言語的にもカルチャー的にも、自分は絶対にアメリカ人にはなれない。そういうことを考えていくと、日本人としてのスタンスが大事になってくるし、同時に、日本人である自分を再認識する。「日本人としての意見はどうなのか」「日本人としてのふるまいはどうなのか」というところを、自分の中で全部ひとつに捉えようとするフェーズに入ってくるんです。

英語学習に対する貪欲さは、落ちてきているというか…。今でもたとえば知らない単語やフレーズを新たに吸収して自分で使えるようにしたい気持ちはあるにはあります。ただ、「このレベルのことがわかっていれば、周りの人から見ても、自分としても大丈夫」というラインが明確にできているので、もうそれがぶれることはないですね。

今でも、わからないときに質問をはさんで会話を止めたりするのはほとんど習慣化していますが、明らかにその回数が減っている。むしろ、「ここは聞いてはいけないな」みたいな、多少空気を読むところが出てきました。カルチャーを学んだからこそ出てきた行動パターンだと思います。

だから、英語に関しては「今から貪欲にまた学びたい」というより、「ツールとしての学習は一段落」というのが現状ですね。

Emi
おもしろいですね。臆せず、ためらうことなく質問をしていた健一さんが、自分の英語に満足できるフェーズに入ってから、質問しないでおくことを覚えた。

Kenichi
やっぱり自分がわからないことを前面に押して、会話をフォローするところだけを必死にしていくと、特に少人数での会話ではスムーズに進まない。文脈によって話し方や話し出すタイミングを変えるなど、いろんな細かい部分の機微があり、本当にコンテクストに応じてしなければいけない。そういう点で、センサーを全部オフにして、なんでもかんでも聞いてしまうのではなく、他の人がやっているようなしゃべり方を、英語とは違う、一歩細かいレベルで学んでいくフェーズがどうしても必要になってくる。

「あまり質問しなくなってきている」というのは確かなんですが、自分の中では、「質問しまくった過去を経て、ここらへんがいい落としどころかな」と。(笑)今でもたまには質問しますが、「この情報が要るか要らないか」という取捨選択がより瞬時にできるようになってきました。これも、たぶん経験知だと思います。

Emi
アメリカに渡ってきて、自分の英語に意識が向いているうちは、どうしても視野が狭くなっていて、周りの人の英語やふるまいに目がいかない。それが「空気が読めない」という部分かも。

ただ、その「几帳面に、全部わかるまで聞く」という段階を経ているからこそ、徐々に視野が広くなってきた。先ほどの「アメリカは、意外と英語の使い手のレベルに幅がある」というのも、「あ、あの人の英語はすごく上級だな」「あの人の英語はたどたどしいな」というのも、だんだん見えるようになってくるし、「他の人はどんなときに、どういう切り出し方をしているんだろう」「どういう声を使って、どういう話し方をしているんだろう」というところに興味が移っていくのも、やはり段階。すべての必要な段階を経て、自分としては、満足のいくところに到達した?

Kenichi
そうですね。満足というよりは、「突き詰める方向が変わってきたので、妥協せざるを得ない」というところが大きいかもしれないですけど。(笑)

Emi
それも優先順位。自分のエネルギーや時間など、リソースを割く対象が、英語ではないものに移っていくということでしょう。

Kenichi
そうだと思いますね。

Emi
このインタビューを聞いている人たちにとって、アドバイスとなるような内容でした。ご経験に基づいた、貴重なお話をうかがえてよかったです。

Kenichi
もしそう受け止めていただけるのであれば、よかったです。

Emi
本日はありがとうございました。

Kenichi
こちらこそありがとうございました。楽しかったです。

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