言語コーチング / 10年前の教育大学院 / カウンセリング、セラピー / グラデーション / 帽子をかぶる / シチュエーショナル・リーダーシップ / ジャグリング / 学校で教わった経験 / 10年後のティーチングとコーチング
倫子
このポッドキャスト『まなびのはなし』では、大人の学びをサポートしているふたりが、それぞれ見つけた、考えたことを話したいから話しています。
今日もよろしくお願いします。
えみ
お願いします。今日の話したいことは、「ティーチング」と「コーチング」っていう2つについてです。
倫子
大人の学びをするときに、両方出てきますよね。
えみ
コーチングだけ、あるいはティーチングだけっていうやり方もあると思うんですけれど、私も倫子さんも両方やっている気がするので、そのあたりをお話しできたらなと思っています。
倫子
私が「コーチング」という単語を自分の仕事の中に入れる、もっと前から、えみさんはご自身のプロフィールとかお仕事のウェブサイトに「コーチング」っていう単語を入れていた印象があります。
「言語コーチング」ってそもそもどういうことなのか、ちょっとお伺いしてもいいですか?
えみ
えーと、言語コーチングにもいくつか考え方があるんですけど、私は教授法の1つと位置づけています。
長ーい話なので短く言いますね。笑
私が学習者の方に伝えたいことがあって、いろんな伝え方がある中で、コーチングを使ってお伝えするのが一番しっくりくる。「コーチングをやっている」というよりは、「本人に伝えたいことを伝えるためにコーチングを使っている」っていう感じです。
なので、もしもっといい方法があったら、コーチングじゃない方法に変える可能性はあります。
倫子
なるほど。コーチングを使って伝える場合と、コーチングを使わないで言語を学習している人に気づいてほしいことを伝える場合とでは、何が具体的に違うんですか?
えみ
私が主体になって何かを誘導したり教えたりするのではなく、学習者本人に決めてもらう、考えてもらう、選んでもらうというのが、私のやりたいことに合っていて、そこに違いを感じています。
もともとは私、勝手にやりだしたんです。2010年頃、「誰かそういうことやってる人いないかな」と思って探したんですけど、当時はネット上でも見つけられませんでした。
ようやく見つけたのが2013年、つまり始めて3年ぐらい経ってからです。ヨーロッパでレイチェル・ペイリングという人が言語コーチングをやっていて、そのコーチを養成しているっていうことがわかったので、コンタクトを取って、その講座を受けることができました。
それ以来、彼女の考え方を取り入れて、コーチングがどういうものなのか学んだり、実際に実践したり、仲間と一緒に練習したりしています。
倫子
2010年から13年までの間、レイチェルさんが登場するまでは、日本だけじゃなく英語圏でも、言語コーチングは出てきてなかったってことなんですかね。
えみ
そうですね。後から聞くと、他にも2000年前後ぐらいから「言語コーチング」という名称でやっていた人はいたので、「ネット上に情報が出ていなかった」というのが正確な表現だと思います。
倫子
なるほど。当時からえみさんは英語コーチングを形のあるプログラムでやって日本で広めているイメージでした。私は「言語コーチングのプロって何してるんだろう?」と思いながらも、コーチングは全然身近になくって。
当時の私は研修やワークショップをデザインして、場を作ったり、教えることを準備したり、どちらかと言うとファシリテーター、ティーチャー寄りの立場でした。ゴールはこっち(教える)側にあって、参加する人がそのゴールの方へ行けるように場を作っていく、みたいな仕事です。
だからコーチングってすごい遠い世界の話だったんですよね。受けたこともなかったですし、自分の仕事にコーチングが関わるとはイメージしてなかったです。
えみ
当時、私自身も教育大学院にいましたけど、いま倫子さんがおっしゃったファシリテーションがティーチングに入ってきて、「ティーチャーよりもファシリテーター」という考え方が定着してきている、みたいなタイミングでした。
倫子
うんうん。そうそうそう。
えみ
そういう中で「コーチング」は聞いたことなかったですね。
倫子
なかったですよね。
この間たまたま、ハーバードの教育大学院にいま行っている日本人の方と話したんですけど、「コーチングが名前に入っている授業が3つあるんですよ」って教えてくれて。
えみ
おおおー、時代が。
倫子
「10年前はなかったよ!」みたいな話になりました。
当時、主流だったのはスキャフォールディング(足場かけ)、相手のペースに合わせて学びを順番に届ける、ファシリテーション、相手の認知のことを考えながら学びの道のりをデザインする、とか。
えみ
プロジェクトベースとかね。
倫子
そうそう、PBLね。まさにそういうのだった。笑
えみ
うわあ、昔の話をしている感じですね。笑
倫子
手綱を手放して、学習者に行きたいところを見出してもらって、そこに行きたい気持ちを育てるのを手伝ったり、行き方を本人が見出すのを手伝うというコーチング的なことって、やっぱり当時は全然入ってなかったですよね。
唯一あったとしたら、グループ・ラーニングかソーシャル・ラーニングのようにファシリテーターや先生がいない場で学びがどう起きるか、とか。
えみ
スチューデント・センタード(生徒中心)って言われてたやつですね。笑
倫子
そうそう、スチューデント・センタード・ラーニング!そこらへんはあったけれども、コーチングはなかった。えみさんは2010年頃から関わってましたけど、私の見えてた世界では、教育者育成の文脈でコーチングと言われることは2020年代までそんなになかったんじゃないかなと思うんですよね。
えみ
だから最初の頃は、「何それ、怪しい」みたいな。
倫子
笑
えみ
私自身もコーチングを知ってたわけではないんですよね。たまたまきっかけがあって、カウンセリングのことを知る機会があったときに、心理学者の友達がいたので、「私がやろうとしてることって、カウンセリングに近いのかも」と話したら、彼女が、「えみがやりたいことはコーチングだと思うよ」って言ってくれて、「え、何それ?」みたいな感じで。
倫子
わかるー。わかりますよ。すっごい私、うなずいてる。笑
やっぱりコーチングはまだまだ新しい分野ですから。たまに、「本当はカウンセラーとかセラピストとかになりたいんですよ」と言われたときに、よく聴いてると、「コーチングを学べば、その方がやりたいことができるんじゃないかな」と思うことがあります。
カウンセラーの中には、コーチに近い領域までやれる人もいます。セラピスト、カウンセラー、コーチってグラデーションみたいな形でつながってるから、外から見ると違いがわかんないですよね。一方で、キャリアコーチみたいに、もっと明確にゴールがあるコーチングだと、アプローチも違ったりする。
えみ
そうなんですよね。今日は「ティーチングとコーチング」って話しはじめてますけど、実は「あれがティーチング、これはコーチング」なんて白黒つかない。
倫子
うんうん、全然つかない。
えみ
外の人にはすごくわかりにくいんですよね。で、さらにカウンセリング的でもある、コンサルタント的でもある、みたいなこと言われると、もうなんだかわからないから「怪しい」「やめといたほうがいい」。笑
倫子
笑 確かにね。人によって「コーチング」のどんな情報に触れたか、どういう思い込み、イメージを持ってるか、本当にいろいろだなって思います。
だから、「コーチング」という単語にこだわるより、さっき私がえみさんに聞いたような「コーチング的な関わり方がないバージョンと、それを含めた形のティーチングって何が違んですか?」みたいな特色についてコミュニケーションした方が伝わりやすい気がします。
えみ
うちに来てくださる方にも最初にアンケートの形で、「コーチングって知ってますか?」と伺っています。最近は「受けたことがある」「学んだことがある」という方も増えてきました。
「教えてもらう」という感じで来られているのか、コーチングをある程度知って来られているのかによって、スタートから関係性の作り方が違ってきますからね。
倫子
わかります。いやあ、面白いですよね。私は後からコーチングを学んだんですけど、それまでに持ってた道具箱にない考え方や関わり方が追加で手に入る感じがあります。
私はたぶんコーチのみで仕事をすることはないんですけど、人に関わる仕事をしている上で、自分の引き出しの中に入れとくツールとして、”コーチモード”があると、結構役に立つなと思うんですよね。
えみ
そうですね。倫子さんがおっしゃった「道具」や「モード」のお話は、「ハットをかぶる」みたいな言い方もしますね。
ある時はティーチャーのハットをかぶり、またある時はコーチのハットに変えるという考え方。私もそれに近い感じです。
元々の、レイチェルが教えているタイプの言語コーチングは、ティーチャーがスタートで、コーチがゴールにあるという考え方。なので、「変貌して違うものになる」というイメージです。それを初めに学んだので、私もそう考えていた時期があったんですけど、今はそんなに白黒はっきりさせないで、ある時はティーチをする、ある時はコーチをするみたいに変わりましたね。
倫子
リーダー育成の文脈で有名な考え方に「シチュエーショナル・リーダーシップ」というのがあります。
マネージャーが部下に関わる場合、ティーチングとコーチングの混ぜ方には4種類あるというもので、ティーチングだけをやるモード、ティーチングを減らしてちょっとだけコーチングを入れるモード、ティーチングは残ってるけどほとんどがコーチング的な関わり方、完全にコーチみたいな関わり方。それを、相手の状態、相手が向き合っている課題とスキルのギャップなど、いろいろな環境に合わせて選ぶ、みたいな理論です。
部下も同じ仕事を永遠にやるわけじゃないですから、たとえば新しく負荷のあるチャレンジになったら、ティーチングを増やさなきゃいけなくなったりしますよね。そういう感じで、相手に合わせて使うわけです。
レイチェルさんの考えを、えみさんがご自身なりに調理したものと似ている気がしますね。
えみ
相手の状態やチャレンジの種類によって、「(ティーチング、コーチングの)どちらでも使えるよ」というふうに持っておいて損はないかな。
倫子
そうですね。面白いのは、リーダー育成の場面で「どういう時に何を使えばいいか、どうやってわかるんですか?!」って質問されるんですよ。笑
えみ
笑
倫子
「あなたはどう思いますか?」って聞きたい気持ちになるんですけどね。やっぱり気になるんでしょう。
「正しいのを使わないといけない」って心配になっちゃうっていうのもあるんだろうなと思います。
えみ
緩やかな、なだらかな、フレキシブルなことが得意な人と、はっきり決めてもらった方が安心できる人とがいますから。そのあたりが、いろんなタイプのコーチングがある理由なのかもしれないですよね。
倫子
「みんなが野球帽をかぶっている場で、一人だけベレー帽をかぶりたくない」っていう感じかもしれないですよね。
えみ
かぶっちゃえばいいのに。笑
倫子
そうそうそう。笑
私としては、「周りの人のことよりも、(目の前の)相手にベストな関わり方が何かはあなたたちが決めるんだよ」という気持ちなんですけど。
えみ
そうか。「どっちをかぶればいいですか?」と言っているということは、学習者や受ける相手ではなくて、自分自身に目が向いているんでしょうね。
倫子
たぶんね。心配というか、「相手のためになる、ベストなやり方でありたい」っていうのがあるんでしょうけど、それは相手が決めることなのでね。
えみ
そうですよね。相手の人が教えてくれますよね。
倫子
そうそう、相手のリアクションでわかります。(与える前は)わかんないのが当たり前だと思うんですよね。
教える側にはどれがこの場でパチッとはまるかはわからないから、試してみて、相手のリアクションを観察して調整する。常にダイナミックな(=状況に応じて変化する)イメージがあります。帽子を両手に持ちながら。
えみ
ジャグリングですよね。笑
倫子
笑 そうそうそう。失敗も全然あるしね。「ちょっと教えすぎたな」とか。「問いが大きすぎて困ってるな」「教えてほしいんだな」とか。やらないとわかんないことが結構あります。
えみ
本当に。
ただね、順序は迷いながらだとしても、大きい問いからだんだんティーチングに向かって狭めていくみたいな方向性はある程度決まっている気がします。
倫子
いや、それはえみさんがコーチだからですよ。心がコーチだから自然にできるんだと思います。
えみ
えー?そんなことない。笑
倫子
私、気をつけないと伝えたくなっちゃうんですよね。デフォルトでは、相手にスペースを与えるとか、問いから入るとか、全然できないタイプなんです。
絶対えみさんの方が根っからコーチ的な気がします。
えみ
いやいや、私は自信がないので、相手がどれくらい知ってるか、何が知りたいかを聞いてからでないと、怖くてスタート切れない。笑
倫子
笑 またまた。謙遜されて。
えみ
英語の文脈で言うと、みなさん学校で教わった経験があるじゃないですか。なので、「英語を学ぶ=教わる」っていう考えがデフォルトになっている人が多いんです。
「ここに来れば何か教えてもらえるんだろう」と思ったら、そうではなくて、むしろ問いを投げかけられるから、「これは何をやってるんですか?」って一旦混乱する。
もともとのイメージを持ってくるという点が、学校の教科にあった英語と、リーダーシップなど大人になって初めて学ぶものとでは違うかもしれないですね。
倫子
それ結構大きそうですよね。
英語のように、テストで試されて、正しい答えを追求する学びを経験してから言語コーチングを受けるのと違って、リーダーシップって「人それぞれだよね」と言われても、たぶんそんなにびっくりしないと思うんですよね。
もちろんなんとなく「イロハみたいな基礎はあるんだろうな」と予感していても、英語みたいにガチガチにあるって思い込みを持ってる人は少ないでしょう。
言語コーチングの入口でアンラーニングするプロセスって、レベルが高そうですね。
えみ
だから(ティーチング、コーチングの)両方持っておくと便利なんです。
さっき倫子さんがおっしゃった「教えすぎたかも」というのも、両方持ってるからこその迷いですよね。
倫子
そうですね。確かに1個しか知らなかったら楽かなとは思いますよね。
「伝え続ければいい」っていう人もいるし、「問いかけ続けて、待つ」みたいなアプローチだけをするっていうのも、極めればすごく大きな効果になるんだろうなと思いますけど。
えみ
そうですね。そういうやり方ももちろんありますし、それが合う学習者もいらっしゃるとは思いますけれど、そうではなく、「揺れ動きながら、一緒に進んでいく人がそばにいる」というのが合う人もいるってことですよね。
倫子さんもハットをかぶり分けている感覚があるんですか?
倫子
私の場合は、意識的にコーチの帽子をかぶるようにしている感じです。コーチの帽子は、埋もれているとこから引っ張り出して持ってこないと忘れちゃう。
えみ
あ、じゃあティーチが母体で、コーチの帽子をかぶっている。
倫子
そう。そうだと思います。
「この知識、こういう人のストーリーを知れると、いいきっかけになるんじゃないかな」っていうのが頭の中に先に出てきます。「これを伝えたい」とか「この存在に気づいてほしい」とか、すごくコンテンツが強い。
そのコンテンツを渡す前の相手の状態 ― いま何を、どういう順番で欲しいと思ってるか、そもそも何も欲しくないのか ― そういう(可能性を考える)「一拍」みたいなのがちょっと苦手。それを置くためにコーチ(の自分)を呼んでくるみたいな感じ。
集合研修の設計は違うんですけど、一対一の会話だと、私はティーチャーというかアドバイザーになりやすいという自覚があります。
えみ
私から見ると倫子さんは正規のコーチングをしっかり学んでいるという感じです。
コーチングに魅力を感じたきっかけ、コーチングを自分で実践してみようと強く思われたきっかけはどういうものだったんですか?
倫子
きっかけは、友人がコーチングを学んでた時に練習相手をしたことです。その体験の中で「あ、私はあのスキルを持ってない。欲しい」ってなりました。
そのスキルがあると、今まで自分がやっていたことや、比較的得意になってきたパターンの幅が広がるなって思ったんですよね。
学ぼうと思ったのが2019年なので、もう4年前です。
えみ
コーチングを受けると、コーチをやってみたくなるっていう。
倫子
そうですね。コーチングを受けつつも、ちょっとメタで認知していたところがありました。「この人は、どういうふうにして相手に変容を起こそうとしているんだろう」みたいな。ちょっと嫌な人ですけどね。笑
それと同時に、クライアントの体験にも集中してみました。それで、「これって研修やワークショップで私がやっている、『人が A から B の地点に行く』という変化とはすごく違うやり方だな」って思ったんです。
えみ
うちの受講生も、プログラムが終わった後、英語じゃなくコーチングに目覚めて、コーチになっていく人が何人か出るんですよ。笑
倫子
やっぱり新鮮なんですよね。義務教育とか、教えられる学びの印象が強いからでしょう。仮にコーチング的な関わり方をしてくれた先生や親がいたとしても、基本的には、仕組み上ティーチングされたものが多いので、大人になって、そうじゃない体験をすると目立つんだと思います。
えみ
受け手がやる側になっていくのは、コーチングの世界ではよく起きていることかもしれないですね。
倫子
そうですね。受けないと「学びたい」って思わない気がします。何らかの理由で「コーチになりたい」など、目的がよほど明確にある人は別ですけど、コーチングを体験して、自分で価値がわかるというのが重要かなと思います。
えみ
倫子さんが提供している、コーチングを伝える研修でも、コーチングを受けてみる時間を作っていますよね。「実際にやってみて、わかることがある」ということを知ってらっしゃるからこそなんだと思います。
倫子
他の手段ではなかなか代替できないかなと思います。
えみ
いま振り返って、コーチングを受けたこともないのにスタートしてた自分がいかに無謀だったか。笑
倫子
いやいやいや。それはたぶん、えみさんが本質的な性格特性とか価値観としてコーチ的だからだと思います。「コーチ的な関わり方をしたい」っていう価値観が強くあったから、そういう世界観が自然にえみさんから出てきたんだと思うんですよ。
私みたいに外からのきっかけで体験して「は!」って気づくのとは違うルートでコーチングに入ったんだろうなっていう気がします。
えみ
いや、「よい子はマネしないでね」ですよね。笑
そんな感じだったんですけど、今は日本でも「コーチング、知ってます」っていう方が増えてきましたし、言語コーチングも、いろんな場面で見たり聞いたりすることが増えてきました。
倫子
10年後には、ティーチング、コーチングの区別はもうなくなっていて、関わり方として一つのカテゴリーに融合されていくかもしれないですけどね。
えみ
そうですね。
倫子
今のところは、今日のテーマのように「ティーチングとコーチング」みたいな形で概念がカテゴライズされて、両者がグラデーションで続いているみたいなことをあえて説明しなきゃいけない状況ですけど。
えみ
2023年2月現在では、そんな感じだよっていうところでしょうかね。
倫子
『まなびのはなし』は、こんな感じで毎週1回配信予定ですので、ぜひ引き続き聴いていただければと思います。
それではまた次回。
