#04. 「学び」とは

えみ

このポッドキャスト『まなびのはなし』では、大人の学びをサポートしているふたりが、それぞれ見つけた、考えたことを話したいから話しています。

倫子

はい、今日もよろしくお願いします。

えみ

お願いします。

倫子

今回は改めて「学び」という単語の定義について話してみようかと思います。このポッドキャストのタイトルが「まなびのはなし」で、今まで3回のエピソードでも、「学び、学び」っていろんなところで言っているんですけど。

えみ

「学びとは」って、倫子さん、考えたりします?

倫子

仕事で考えることがありますね。

お仕事が来るときって、対象者がある程度決まっていて、「(その対象者に)こういうふうになってほしい」っていう期待値もなんとなくあることが多いんですよね。

「こういうふうになってほしい」という情報から、どういう行動やスキル、またはその背景にどういう考え方や価値観があると「こういうふう」になるのかな、と考えます。

次に、対象者の方々は今どういうことを考えて、どういう行動をしているのか。(期待値との)ギャップを考えるという順番です。

(研修などの)デザインをするときは、その2つの情報がどちらも必要なんですよね。

えみ

どういう学びを起こすのか、この人たちをこれからどういう学びに出会わせてあげようか。そういうときに「学び」を考える感じですかね。

倫子

そうですね。インストラクショナル・デザインという、ゴールがある学びを設計するときのやり方です。

でも、このポッドキャストのタイトルに入れたときの学びのイメージはそれよりちょっと広いもの。ゴールが明確でなくても、体験することによって学びを達成させるワークショップみたいな、(ゴールがある)研修とは違うイメージです。

私もえみさんも人生経験を積む中で、ただ生きてるだけでもいろんな学びを得るじゃないですか。それも(タイトルの「まなび」に)入っているんです。

えみ

英語学習の文脈で言うと、たとえば「文法が理解できる」「語彙が増える」っていう学びと、「英語を学んでいくってこういうことなんだ」「英語を使って私はこういうことがしたいんだ」という学び。その2つは両輪で走っている感じがあります。

倫子

我々この『まなびのはなし』ってタイトルでやっているけど、厳密に「この学びについて話そう」って決めてないですよね。全部混ざってる。

えみ

そうですね。私自身は、根本的には「何してても学びになる」っていう考え方なのかな。

「どういう時に考えるか」っていうことで言うと、教師向けの研修や教育大学院など、教育者が集まる場では「学びとは」みたいなのを語る機会が結構あります。

なので、一般的にはあんまり考えたことない人が多いかもしれないですけど、「先生」って呼ばれるような仕事をしている人たちは、意外と「学びとは」を話し合ったり考えたりするんですよ。

倫子

そうですよね。学習理論を詳しく勉強されている方たちは常に議論されています。学びとは、知識を受け取るものなのだろうかとか、それとも意味を見出すものなのだろうかとか、いろいろありますよね。

えみ

今回こういう機会なので、世の中で「学びとは」をみんながどんなふうに定義してるのか、私と倫子さんでザーッと出してみたんですよね。

倫子

検索してみると、定義が無限にありますね。日本語と英語の両方で見たから、なおさら無限。

えみ

日本語の場合は「学び」、英語の場合は「ラーニング」。「学び」と「ラーニング」は、まったく同じとは言えないところもありますけど、ここでは定義としてどちらも見てみました。

すでに話に出た「変わる」とか、「行動する」とかが入っている定義が多いですかね。

倫子

そうですね。プロセスについて書いている定義もあれば、何が起きたかに軸を置いている定義もある。変化が永続的に残るとか、トランスフォーマティブ(変容的)であるとか。あと、知識とスキル、What について書かれている部分にも違いがあったりしますよね。

学びの段階や評価の基準も、学びの定義によって違う。学びの定義を追究すると沼ですよね。

えみ

まあそうですね。定義を追究したり、定義を議論したりする目的は、答えを出すことではありません。それについて考えて、「あ、自分はこの方向で『学び』を語ってるんだな」って気づくことが目的です。

倫子

仕事の中で、いろんなタイプの学びに関わることができているんだなと改めて思いました。自分たちの体験ももちろんそうですけど、仕事相手の学びにもいろいろある。

えみ

私の場合は、「英語を学びたい」っていうモチベーションを持ってこられることがほとんどなので、英語とは切っても切れないんですけど、相手の方の専門はいろいろです。たとえばお医者さんだったり、海外で営業している方だったり、大学の研究者だったり。

学習者の方にいろんな分野を持ってきていただいて、私はそこで使う英語を学ぶことになるので、世界を広げていただいてる感じがすごくあります。

倫子

素敵。学びに関わる人間にとって理想ですよね。

「学びを届けてるつもりが自分が学ばされている」っていうのはあるなぁと思います。それがたくさん起きる人もいますが、そこまで機会を活用しないで、その場を作っておしまいにする人もいます。えみさんの世界が広がっているっていうのは、双方がすごく濃い体験をしているんだろうな。

えみ

いやー、ありがたい。

倫子

あとマンツーマンですもんね。内面の話もスキルの話も、その人に合わせて縦に全部カバーできていいな。学びに関わる専門家としては「濃くて楽しそう」っていう印象があります。

えみ

『学びとは何か』っていう本を読みだしたんですが、「学びは新しい学びを呼んでくる」みたいな言い方をされていて、本当にそうだなぁと思いました。

知識を暗記するとか、何か覚えるとかではなくて、生きた知識を使っていくことによって、また新しい学びが生まれてくるみたいな。私の解釈で、あやふやですけど。笑

倫子

笑 なるほど。それは本当そうですよね。

それとすごく近いかなと思うのは、学んでる人、賢い人は自分の知らないことを知っている、みたいな。

えみ

無知の知。

倫子

そうそうそう。自分が学んでいくと、どんどん自分の領域が広がるわけじゃないですか。そうすると、広がった領域と一歩先の暗闇が見えてくる。

「暗闇には何があるんだろう」って、またちょっと歩くことで自分の領域、明かりが灯されているところが少し広くなってくる。けど、永遠に黒い世界は目の前にあって。そういうのに重なる話かなと思いました。

えみ

そういう暗闇や光の中を、自分が自分の足で歩いてる映像を思い浮かべると、学びって結構、勇気が要ることなのかな。

倫子

いや、そうですよ。そうだと思います。

いろいろなタイプがありますけど、私が好きなのが、”learning at the edge” っていうフレーズ。

えみ

いやあ、なんか怖い。笑

倫子

笑 怖いですよね。

エッジというのは、私の中で崖のイメージ。その近くで学ぶ。または、さっきの光と闇の間に立ってる。一寸先が闇だと、立ってるだけでも怖いじゃないですか。

「居心地が悪い、心がソワソワドキドキするところには、学びの機会があるんだよ」みたいなことを言われたりしますよね。

えみ

ああ、コンフォート・ゾーンも、いつか話しましょう。

倫子

そうそうそう。そうですね、確かに。

そういう意味で、「勇気」っていうのは、すごくわかるんですよね。

えみ

学びは、自分の知らないことを自覚して、なおかつそこに飛び込んでいく行為なので、「学ぼう」と思っている人は勇気があるっていうことでしょうね。

倫子

もう一つのパターンは、別に勇気を持って学ぼうと思っていないのに、何らかの形で暗闇にポトンと落とされた場合ですね。

必死で、自分で火でも焚いて足元を照らしながらキョロキョロして、とりあえずサバイバルみたいな。後から振り返るとものすごく大変だったけれども、自分の足元の、光の領域が広がった経験になるっていうパターンもあります。

準備OKだった場合じゃなくても、学んだケースって結構あるなと思います。

えみ

気づいたら、もう崖から落とされていた。笑

倫子

笑 そうそうそう。そういうのも全然ある。どっちの方が多いんですかね。あらかじめ勇気を持ってよいしょって、世の中そんなガッツがある人ばかりじゃないと思うんですよね。「やんなきゃいけなくなったから」とか。

えみ

うーん、やらなきゃいけなくなった、会社や誰かの要請によって学びの世界に突き落とされたとしても、その環境の中で自分なりに発見することがありますよね。学びのプロセスの中で、「崖」は常に発生する気がします。

その崖を発見するたびに、やっぱり勇気を出さないといけなくなるんじゃないですかね。

倫子

それがだんだん楽しくなる人がいるんだと思うんですよね。笑

新しい世界が広がる体験がいくつか重なることで、「こういうの楽しい」って、学び自体が好きになる人がたくさんいるんだろうな。

そういう自分の身体感覚で、「なんか気持ちいい」みたいなことを積み重ねているかどうかが、暗闇にチャレンジし続けるかどうかにつながってるような気もします。

えみ

「前に勇気を出したとき、あんないいことがあったな」とか、「他に勇気を出してる人がいて、一緒なら、一人じゃないならいけそうかな」とか。

倫子

そうだと思います。そうすると、だんだんと「勇気を出す」みたいに意識しなくても、いつの間にか楽しくなってるっていう人もいるだろうな。

えみ

そうやって勇気があんまり要らなくなってくると、学びに飛び込むハードルが下がる効果がありそうですね。

倫子

ちなみにえみさん、大人になってからそんな学びはありましたか?崖から落とされた、または自分で暗闇を照らしに行った経験。いっぱいあると思うんですけど。

えみ

いや、いっぱいないですって。(事前に)倫子さんに「トップ3挙げときましょうか」って軽く言われたんですが、そもそも3個もあるかどうか。笑

倫子

いやいや、自分が投げた割に考えてない。「思いつく3つ」でよかったのかもしれない。

えみ

なので、ちょっと無理矢理3つ出してきました。大人になってから学んだこと。1つは「辛いもののおいしさ」。

倫子

笑 せ、性格現れますね。どういうものを出すかで。

えみ

そう。「何を学びと思っているか」が現れるエクササイズだなと思いました。

倫子

本当だー。すごい興味深い。辛いもの?

えみ

私ね、辛いものが一切食べられなかったんですよ。大人になっても全然食べられなかった。ですけど、ここ数年で、「あ、こういうことか!」って急にわかって、わさびとか唐辛子とかが食べられるようになりました。

倫子

… 学びの体験として、何があったんでしょうかね。笑 なんかふっと降りてきたんですかね。

えみ

「あ、これが世の中で辛いものがブームになっている理由か」っていうのが、なんか急に理解できて。それで食べられるものも増えて。

倫子

は!光が広がった!

えみ

今は「好きな食べ物、キムチ鍋」と言えるぐらい。楽しくなりました。

倫子

まさに、さっきの定義のどっかにあった「変容」じゃないですか。変容が起きてます。

えみ

変容が起きました。なんか別の人になった感覚です。

倫子

そりゃそうでしょうね。今まで食べられなかったものがそんなに食べられるようになったら、世界変わりますよね。

え、最近って言いました?

えみ

最近。ここ2~3年ですね。

倫子

へー。これからの人生、楽しいですね。笑 なるほどー。いや、面白い。

えみ

2つ目は、「自分の特徴がよくわかるようになってきた」。

倫子

ああ、自己理解。

えみ

大人になってから、「他の人と自分って、どこがどう違うのかな」って考える機会がすごく多くなったからです。ま、正確には「知ってはいたけれど、明らかになった」でしょうか。

たとえば、「私はシャイなんだな」とか。「注目されていないとリラックスできるな」とか。「目標を立てるより、振り返りの方が得意だな」とか。

あとは時間の感覚。私の時間の感覚って、時計より早いんだけど、カレンダーより遅いんですよね。

倫子

笑 何ですか、それ?ポエム的な。初めて聞きました。え、どっちが早いんでしたっけ?

えみ

時計よりは早いんです。だから1日の中で、「あ、まだこの時間。だったらこれができる」みたいに行動できるんですけど、カレンダーになると、他の人なら1年ぐらいで到達できることに、私は5年10年かかる。そういう遅さ。

倫子

なるほど。取り組んでることが大きいんじゃないですか?

えみ

いやいや、辛いものとかもそうです。みんなにはすぐわかることが、わかるまですごく時間がかかる。そういう感覚の違い。長くなっちゃいましたけど、それが「自分の特徴がわかるようになってきた」。

で、3つ目は名言、クォート(ことわざ、格言)みたいな感じなんですけど、「命とは時間」っていう言葉を学んだこと。

これ、日野原重明先生の言葉なんですけど、命の使い方、つまり時間の使い方。「自分のために使っていた命を、他の人のために使う」のように、どう使うかが自分にかかってるんだって知ったことで、自分の行動や考え方が変わったかなと思います。

倫子

いやぁ、最初の「辛いもの」で、一体どんなことになるのかと思ったけど、つながってますね。学びの特徴として、ご自身に対する理解、自分についての解像度がすごく高まった、みたいなのがあったのかなと思いました。なるほど、なるほど。

えみ

倫子さんの「大人になってから学んだこと」、聞きたいです。

倫子

いや、全然違う感じなんです。笑

えみ

違うでしょうね。

倫子

1つはですね、「人は変わる」。

多面的、多層的っていうのかな。いろいろなパーツを全部含めて人間である、みたいな人間論です。

「この人はこうだ」と思っても、3年後には変わっているかもしれないし、環境によって変わるかもしれない。強さを出している部分の裏には弱さがある。その人を見かけたときの角度によって、たまたま見えたものが同じように再現されることはほとんどないかもと思うようになった。すごい極端ですけど。

えみ

いろんな人に会っている倫子さんならではの発見って感じがしますね。

倫子

笑 そうですね。やっぱり外的刺激による気づきが多いんです。自分自身もそうですけど、長い間付き合う中で、友人とかを見て抽出された学びですかね。発見したことに喜びを感じる、みたいなのがあるんですよね。

えみ

「この人にこんなところがあったんだ」みたいなことですか?

倫子

そうですね。それもそうだし、「この人、他の人にはこう思われているけど、本当はこう思われたいところもあるんだな」とか、「こういうところもあるんだな」みたいに、いろんなパーツを知っていると、友人関係、友情、同僚関係とかが強まる。結びつきが強くなる。それがプラスのエネルギーとして自分に戻ってくる。

そういうのを体感しているっていうのもあるんですよ。

えみ

その、「結果として結びつきが強くなる」っていう部分は大事ですよね。ただ知りたがって根堀り葉掘り聞いたのでは関係性につながらないので。

倫子

笑 そうそう。そんなに私、他人に興味ないので。

えみ

自然に付き合っていく中で見えてくる多層性、多面性っていうことですよね。

倫子

そうなんですよ。それが1つ目。

2つ目は、自分のことですけど、すごく影響されやすいんですね。なので、どういう環境に自分を置くかがすごく重要っていうのを学びました。

やっぱり環境が変わると、そこにいる人が変わるじゃないですか。その人たちの価値観とかに、すごく影響を受けるんですよね。

多様性のある、ごちゃごちゃしたニューヨークにいるのが心地よいのは、自分がそういう環境の中で触れ合う人たちからもらう刺激が好きなのもあると思います。非営利団体で8年間働いていたのも、たぶんそういう団体の中で得る刺激がすごく貴重だったからでしょう。

「環境って大きい」っていうのが私の2つ目の学びです。

えみ

これも外から受ける刺激。

倫子

笑 そうそう。外の刺激を踏まえて、自分について気づくんです。

えみ

倫子さんの世界は刺激がすごく多いのと、その刺激を受け取れるだけの受容体みたいなのを倫子さんがたくさん持っているから、すごくいい化学反応が起きるんでしょうね。

倫子

そうですかね。若い時は軸がないのがすごくコンプレックスではあったんですよね。

えみ

あー、なるほどね。

倫子

いろんなところで環境にブレンドしていくというか、カメレオン的になれるので、それはそれでちょっと…。もっと軸のある同世代の仲間を見て、「ふむり」と思った時もありました。

えみ

なるほど。そうやって解釈が変わるのも、学びですよね。

倫子

笑 そうですね。

最後は、やっぱり日本ですね。日本で生まれた意味とか、日本で女性として育ったこと。それが世界の中で相対的に見るとどういうことなのか。

大人になるまでまったく考えたことなかったので、これも外からの環境がすごく大きいと思います。

国外に出て、「日本のパスポートを自動的にもらえた」「国籍を持って生まれた」ということや、「生まれた時から電気と水が普通にあった」「屋根がある家で生まれた」というのはどういうことだろうかみたいな。

ちょっと極端に聞こえるかもしれないけど、そういう自分にとって当たり前だったものを持っていない人たちが、世界にはあまりにも多いことを知りました。

女性については、意識することもほとんどなかったですけど、「東アジア人の女性、日本の女性ということで、無意識のうちに自分が培っていた価値観があるんだな」「外からの視点では、どういうふうに見られるんだろう」とかっていうのは、(日本の)外にいるから考えられることだと感じます。

えみ

なるほどな。ご自身のアイデンティティや、宇宙からの視点で見る、世界の中の自分。

そもそも「学びとは」なんていうのを語れること自体、いろいろなラッキーが重なっていないとたどり着けないこと。それは本当にラッキーなことなんですよね。

倫子

そう。いや本当に。本当にラッキーですよ。

えみ

じゃあ、今週はこんなところでしょうかね。

倫子

はい。思った以上にいろいろな話が出てきましたね。

えみ

『まなびのはなし』は毎週1回配信予定です。それではまた次回。