テイラーメイド / 最大公約数 / 多様性 / ソーシャルスタイル理論 / オブザベーショナル・ラーニング / 経験学習 / コルブ (David Kolb) / VAT(または VAK)モデル / 視覚・聴覚・運動感覚または触覚 / 教育者の役割
倫子
このポッドキャスト『まなびのはなし』では、大人の学びをサポートしているふたりが、それぞれ見つけた、考えたことを話したいから話しています。
今日もよろしくお願いします。
えみ
お願いします。今日は、学習者のスタイル。「自分も他の人も、いろんな学び方があるよね」ってあたりをお話しできたらなと思っています。
倫子
はい。前回、前々回にも、「えみさんはマンツーマンで英語教育をしていて、濃いんですよ」みたいな話があったと思うんですけど、学習者によって、なんか調整するために見ていること、きっかけにしていることってあるんですか?
えみ
そうですね。うちのプログラムでは「テイラーメイド」っていう言い方をしています。もちろん比喩的に、「その人にピッタリ合うように仕立てていく」ということです。私は本当にテイラーでスーツを作るような感覚で接しています。
たとえばサイズを測るみたいな意味で、「いま英語をどんなふうに使ってますか?どういう感じ?」とお聞きしたり、実際に英語で話してみて、「あ、こういうサイズ感なんだな」と確認したり。
(学習者の)好みや、出来上がりのイメージを聞き取ったり。それが最初の部分ですね。
テイラーメイドが新鮮で、「既成品で、私に何が似合いますか?」と求めている人には、「いや、既成品じゃなくて、一から全部作るんですよ」って説明したりする。
それに対して、「他の人と違っていいんだ」って、割とすんなり受け入れられる場合と、「みんながやってないこと?私だけ変じゃないかしら?」となる場合があります。
質問をしたりお話をしながら、その反応を見て、「こういう感じかな」って、私の方で(一人ひとりの)違いを少しずつインプットしていくということでしょうかね。
倫子
なるほど。じゃあ、すべてがテイラーメイドっていう感じなんですかね。
えみ
うん、そうですね。特に最初の段階では、「本人が自分のことをどれくらい知ってるかな」っていうのも含めて、聞いていくより他にありません。
その後は、二人三脚しながら「お、ちょっと変わってきたかな」とか、「こんな面があったんだな、早く言ってよ」とかを拾いながら、試しながら進みます。
本当にお仕立てなので、仮縫い段階で一回着てもらって、「袖の動きが思ったより良くないです」とか、「丈が短いです」とか言ってもらって、「じゃあ、ここ変えましょう」。そんな作り方ですね。
倫子
コーチングとティーチングの違いを話した時に、えみさんが「いつコーチングを使うべきか、ティーチングを使うべきかって、相手の人が教えてくれますよね」っておっしゃっていました。
テイラーメイドの仕立て屋さんをずっとやっているえみさんは、「この袖、動かしたらキツい」って言ってもらうことに慣れてらっしゃるからなんだろうなって思いました。
私は集団研修の畑からやってきた人間なので、一人一人の洋服を作るお金もゆとりもない、目も手も足りないみたいな状況の中で、「多様な人たちに、誰を排除するでもない、最大公約数的な場所を作るには」みたいな視点で考えることがあります。
「どういう多様性があるかな」っていうのも、テイラーメイドではなくてもっと雑に、「サイズは SML」みたいな感じ。そうすると、切り口をそんなにたくさんは持てない。
えみ
いや、その方が、たとえば「学習者のスタイルに合わせていこう」という場合、難度が高いと思います。
英語教育の場面で言うと、20人、30人いる教室で教える先生は、いま倫子さんがおっしゃった状況にすごく近いと思います。そっちの方が難しい。
私みたいに1対1で、いつでも好きなようにデザインを変えられるのは、すごく恵まれた環境だなと思っています。
倫子
確かにそうですね。私はどちらにもいいところがあるなと思います。
理想的には、集合があって、個人でフォローされて、集合があって…ってなるといいんですけど、ま、なかなかね。
集合の場合は、どうしても(対象者を)4種類ぐらいのカテゴリーに分けて考えることになります。
1つの軸は、「感情を表現する、抑える」。もう1つは「意見をたくさん主張する、言わないで聞いている」。その2つの軸で4象限に分けます。
具体的にはアナリティカル(分析・思考型)、ドライバー(実行・行動型)、エクスプレッシブ(直感・感覚型)、エミアブル(温和・協調型)。
その4種類の人が目の前にごちゃごちゃにいるという仮説をもとに、研修の設計をするんですよね。
たとえば、「質問ありますか?」って言った時に、発言したい人からは出てくるかもしれない。でも、発言しないけれど(質問を)持っている人たちが、(発言する人と)同じように何かを得られるようにするには、どういうふうに時間配分するといいかな、みたいな。
そのくらいのレベルで多様性に対応することを考えていますね。
えみ
「最大公約数」っていう表現がありましたけど、それに加えて時間的な制限もあります。
さらに、その時間を自分のものとして使いたいタイプの人と、「いえいえ、私に時間を割かないでください」っていうタイプとが混在しています。
あんまり質問されたくない、自分の意見を言いたくない人は、「(自分以外の)他の人たちで進めていってもらいたい」っていうのを希望していたりしますからね。難しいですよね。
倫子
大学院で初めて聞いて、面白いなって思った単語に、「オブザベーショナル・ラーニング」というのがあります。
たとえば、先生が子供たちに教えていて、発言している子供と、それを横で他の子供たちが聴いているような場面で、(他の子供たちが)その先生と質問している子供をオブザーブ(観察)することによって、会話に入っていない人に学びが起きるという概念です。
「そのことに名前が付くんだ」って、当時すごく新鮮だったんですよね。
えみ
私は子どもの英語教室がきっかけで教育の世界に入っているんですけど、そこでの体験を思い出しました。
積極的な子が質問してきたりして、それに答えている時に、「他の子たちがすごく見てるな」と感じたんです。
「Aという子から質問を受けたけれど、Aにだけ答えているわけじゃないんだな」「私はこのAを含むクラスの子たちに対して答えているっていう意識を持ってないといけないな」っていうのを、新人の頃に感じたことがありました。
倫子
ああ、すでに体感されていた。
これ、結構あると思うんです。
ChatGPTについて話した回で、「モヤモヤっとしてはいるけど、まだチャットに聞く言葉を紡げない段階の気持ちはどうなる」みたいな話がありましたよね。
オブザベーショナル・ラーニングがはまる段階にいる人たち、それが合う状態にある人たちは、他の人が発言している内容に対して、「自分がモヤっとしてた、よくわからなかったことを代弁してくれている」と感じることもあるわけです。
その場にいるだけで何かを得られるって、結構いろんなシーンでありそうですよね。
たとえば、100人ぐらいいるセミナーで、(セミナーの内容より)質疑応答のほうが面白い場合があるじゃないですか。「その質問してくれてありがとう」みたいな。あれも、その場にいて会話をオブザーブしているから得られるものだろうなと思います。
えみ
留学初期とかもそうじゃないですかね。
倫子
ああ、そうですね。
えみ
たとえば、アメリカで、英語で質疑応答やディスカッションがなされている時。もちろん言語的なものもありますけど、文化的に「そういう質問するんだ」「そういう言い方するんだ」みたいなのをオブザーバーとして吸収する期間がないと、自分が質問をしたりされたりする立場には、なかなかなれない感じがしますね。
倫子
転職して新しい組織に入ったときも、大体みんな ”お作法” をキョロキョロしながらキャッチしますよね。
でも、それをどのぐらいやるかには性格が出るなと思います。長く、多面的に観察する人もいれば、さらっとおさらいして、「こんな感じかな」って行動に移す人もいたり。
えみ
あまり慎重にその期間を長く取りすぎると、行動に移すハードルが上がってしまうこともあり得ますからね。
倫子
笑 うんうんうん。
それにつながる話なんですけど、経験学習のコルブさん (David Kolb)、いらっしゃるじゃないですか。
コルブさんは「人は経験から学ぶ」をさらに細かく、4ステップのモデルにしています。
1で体験をして、2でそれを振り返り、3でそこから学びを抽出して「こういうことかな」って抽象化した後に、4でそれをさらに新しい状況に適応する。
「それをぐるぐる回しながら人は学んでいくぞ」みたいなことを言っています。
また、その4ステップのうち、たとえば1と2の間が得意とか、2と3の間が得意とか、いろいろな人がいるので、「得意な部分と、そうじゃない部分をバランスよくやっていくと一番学習が高まるよ」みたいなことも言っています。
オブザベーショナル・ラーニングで、慎重に見る傾向の人は、2から3の、抽象に落とし込むとか内省をするとかが比較的好きなのかもしれません。
逆に、そこにはあまり長居したくなくて、仮説を立てて「こんな感じかな」って飛び込んでいくのが好きな人は、4と1の間にいるかもしれない。
コルブは9タイプいるって言ってますけど、そんなふうに「いろんな学習スタイルがある」っていう話を聞くと、いろんな人が自分の頭に浮かんできて、「あの人はこう…、私は?」とか考えました。
えみさんに2つ質問です。1つめは、コルブさんのこの経験学習をどこで聞きました?
2つめは、このいろんな学びのタイプがある中で、えみさんはご自身の「得意な学ぶスタイルはこう」みたいに自己認識されたりしますか?笑
えみ
笑 そうですね。たぶん教育大学院で聞いているんだろうと思います。でも、あんまり印象がないんですよね。
倫子
あー、そうなんですね。私は企業研修とかで結構この経験学習のモデルに触れていたんです。
いろんな経験をしても、しっぱなしだと本来の意味で学びにつながらないので、振り返って、「それがどういう意味だったのか」を立ち止まって考えて、「自分はリーダーとしてこうありたい」みたいなことにつなげようね、みたいな話です。
えみ
私が忘れただけかもしれないんですけど、見覚えがないんですよ。
倫子
あ、そうなんですね。今日初めて聞いた。笑
えみ
笑 そうそうそう。本当に初めて聞いたって感じなんですけど
倫子
面白い。うんうんうん。
えみ
この中だと、リフレクティング(内省)か、アナライジング(分析)が傾向として強い気がします。
倫子
なるほど。リフレクティングとアナライジングということは、経験が終わった後に内省して、それを抽象化するフェーズにいるとき、心地が良いというか、学びが結晶化されていく感じなんですかね。
えみ
そうですね、おそらくそうだと思います。倫子さんはどうですか?
倫子
えみさんの場合は観察した後の考える、振り返るみたいなところかなと思うんですけど、私は先に行動することが好きですね。たぶん私はえみさんより多動なので、多動な中、振り返る。
たとえば、「自分はこういうときに焦るんだな」みたいな体験をして、「本来だったらそういう自分じゃないのに、あの時はめっちゃ焦って、こういうふうになってしまったな」って振り返って、「教訓としては」みたいな感じで抽象度を高めた上で、「自分がありたいバージョンの自分になるために、次回、同じ状況が揃ったときにはこうしよう」ぐらいの明確なコミットメントができると、(4ステップを)回ったことになると思うんですよね。
えみ
なるほど、なるほど。いま聞きながら、英語学習者の場合を考えてました。
たとえば、「実際に英語を話してみる」っていうのが、(1の)具体的な経験ですよね。その後で、「ここができたな」「あそこ間違えちゃったな」みたいなことが2番。
で、たとえば、「話してる間、緊張してたな」「頭が真っ白になったな」までいくと、「緊張しないために、どうしたらいいかな」とか、「次に頭が真っ白になったとき、どうするとその状況から抜け出せるかな」と考える。そういうステップでしょうかね。
倫子
うん、そうだと思います。けど、最後のところって、やらなくても済んでしまいますよね。もちろん、やったら学びが高まるんですけど。
下手すると「ちょっと振り返って、おしまい」みたいなことになりやすいなと思うんですよね。
一人だと、そもそも抽象的に引き上げる必要がないので、よほどそういうことが好きじゃない限り、または誰かにその学びを伝えなきゃいけないとかじゃない限り、しない気がするんですよ。
だから、最後のステップをやるためには、モチベーションとなる仕組みを作っておくのが重要だと思いますね。
えみ
抽象度を高めるっていうのも、自分では十分高めたつもりでも、結局は表現を変えて同じところをぐるぐるしていただけ、っていうことがありそうですよね。
倫子
そうですよね。ここで言う抽象化って、その後ろに「次に行かせる」っていう目的があることが重要なんだろうなと思うんですよね。
前回、我々は「学びとは」ってああだこうだ喋ってましたけど、コルブさんは「自分の経験から独自の考え方を紡ぎ出す、その能動的なプロセス」を学びって呼んでいます。
だから、こういうサイクルを回すことが学びで、それを実践するなら3番、4番がしっかり起きるように自分で意識するのが大切なんだろうなという気はしますね。
えみ
それが自らできるようになると、学びの達人になっていく。笑
倫子
笑 うんうんうん。
もう一つ、学びのスタイルとしてよく聞くのは、視覚的か聴覚を使うか、それとも運動、手や身体を動かすか。
えみ
VAT モデル。
※Visual(視覚的)Auditory(聴覚的)Tactile(触覚的)
倫子
そう、これよく聞きますよね。ビジュアル(視覚)とかアクースティック(聴覚)とか。
ちなみに、えみさんはどういうモードが自分の学びに合っているとかってあるんですか?
えみ
うーん、学ぶものによるんですけど、耳と目が同時に働いているとき?
倫子
あー、なるほど。じゃあ動画のイラストレーションとかが入りやすい?
えみ
それが、文字情報なんですよね、私の場合。
倫子
はー、文字で耳と目。つまり、口に出して読むってことですかね。
えみ
そうですね。目で追いながら音読をするとか、読み上げてもらいながら目で追うとか。
あるいは耳で聴きながら文字起こしをするとかが、いちばん脳に入っていく感じがあります。
倫子
なるほどー。やっぱ耳、いいですよね。
私は耳一つでも結構好きなんですけど、耳と目のセット。さらに加えると、私、議事録とるの好きなんですよね。
えみ
そうですね。笑
倫子
笑 あれやってる時って、脳がすごく、すごくアクティブに動いていて。
えみ
倫子さんの議事録はすごい。
倫子
いやいや。手を動かすっていうのがすごく必要なんですよね。
聴きながら、手でタイプしながら、目で書いていることを見て…っていうのをセットでやれるから、すごく集中できる。
えみ
いや、すごいな。いいなー。
私は手を動かした途端に目も耳も入らなくなってしまうので、手はなるべく動かさないようにしています。
倫子
へー、そうなんですね。
どっかのエピソードで、私、「高校の時に学びが面白いと教えてくれた先生がいた」みたいな話をしましたよね。
化学の先生の教え方がすごく不思議で、すーごく分厚い、100ページか200ページのノートを指定で買わなきゃいけなかったんです。
そのノートの左側は、先生が黒板に書いたことを書く。右側には、その左に書いたことにつながる話とか、自分の覚え書きとか、自由に使うように教えられていました。
それが今の自分の議事録につながっている気がするんですよ。余白を埋めるじゃないけれども、手を使って、概念を見える化するみたいなのを、あの時に教えられた気がする。
「あ、ノートってこうやって2つのバージョンを同時に走らせるのか」みたいなのが新鮮でした。
いま思うと、ビジュアルでもありますね。右側には図とかイラスト、矢印とか、線を無視して書くこともできるので。
ビジュアルで覚える、手を使う、もちろん先生の講義も一応聞いているので、耳の方にも入ってくる。複数の学習スタイルを横断する学びの場だったのかもな。
えみ
なるほどなー。
ビジュアルもね、「目から入る」って一口に言っても、倫子さんの場合はどうやら図や絵も入ってくる感じですね。
倫子
そうですね。色とかも使ったり。
えみ
そうですよね。
うちの受講生の場合、もちろん(学ぶ内容が)英語なので、どうしても文字情報が多くなります。音声だとしても、話し言葉だったり。
でも、やっぱり「絵に描くと学びやすい」とか、「色を使った方が学びやすい」とかがありますから、最初の ”採寸” の段階でいろいろ聞いておくんです。
たとえば、形容詞がうまく入らないなっていう時に、「じゃあ絵で描いてみましょう」ってやると、意外と言葉がスーッと入る方もいらっしゃる。
「いろんなタイプがいる」っていうことを知っておくのは、本当に大事なことだなと思いますね。
倫子
そうですね。特に、これから教える側としては。
「この人とこの人の学び方は違う」とか、昔はそういう情報があまりなかった気がするんですよ。
でも今は「明らかに違うね」みたいなのが言われ始めているので、教える側、関わる側がそれを想像しないってことは、だんだんなくなってくるんじゃないかなと思うんですよね。
えみ
そうですね。たとえば、「一度で覚えられない子は落ちこぼれる」みたいな、こちら(教える側)のやり方に合うか合わないかで測っていた時代が長かった気がします。
でも、もう今は、それにこれからはそうではなく、「この学習者たちは、どういう学び方をしていくと、それぞれ学んで、進んでいけるのかな」っていうことをプロデュースする役目がありそうですね。
倫子
何がその人たちの学びのゴールなのか。そして、そこへの向かい方、到着の仕方にはいろいろある。「45分のテストで成果を出さなきゃいけない」みたいな狭いルートだけじゃなくて。
「この概念を理解する」っていうのをゴールに定めれば、いろんな形で表現できるかもしれない。自由課題で何かを作ると理解しやすい子もいれば、論文書くのが好きな子も、プレゼンテーションしたい人もいるかもしれない。
えみ
一人一人の学習者に対してプロデュースしてあげようっていう気持ちはありつつ、たとえばクラスや団体であれば、その相乗効果みたいなもの、オーケストラとして「みんなでどうするか」を考える必要もあります。
その場合は、コンダクター(指揮者)的な役割もありそうですね。
倫子
確かに確かに。
前はどちらかというと、旗を降って「後ろ、ついてきてるか!」みたいな役割でした。ついてこれてない子は遠すぎて見えない。
オーケストラの指揮者は、すべての楽器の人たちに目が届く立場に立っているけど、必ずしも一個一個、細かく指示をするわけではない。そういう役割になっていくのかもしれないですね。
えみ
その時々に、一人一人のプレイヤーがどういう動きをするのか。それをちょっと面白がったり、「あ、そう来るなら、じゃあこっちはこうしようか」みたいな。
そういうこともできた方が、きっとお互い楽しいですよね。
倫子
確かに。
学習スタイルっていうだけでも、いろいろな可能性があって、教育者の役割に対しても影響がある。いろんな話になりました。
『まなびのはなし』は毎週1回配信しますので、また聴いていただければと思います。
では、また次回。
