#09. メタ認知

倫子

このポッドキャスト『まなびのはなし』では、大人の学びをサポートしているふたりが、それぞれ見つけた、考えたことを話したいから話しています。

今週もよろしくお願いします。

えみ

お願いします。先週の自己効力感の回で、倫子さんのお話の中で「いま私、自己効力感低いなって、”メタで” 認知してます」みたいのが出てきましたので、今日は改めて、「メタって? メタ認知って何?どういうことなの?」っていう話ができたらいいかなと思います。

倫子

「メタ認知」って、たまに使いますけど、結構どういう意味かわからないで使ってることも多いです。笑

えみ

倫子さんはすごく自然に言ってました。やっぱり日常的に使ったり、体験したりしていらっしゃるんでしょうか。

倫子

そうですね。「メタだね」って言ったりしません?

「メタ認知」っていうワード自体はあんまり使わなくなった気がするんですけど、「メタで考える」とか、「メタの視点で」っていうのは使うかなと思います。

大人の学習においては、メタ認知をスキルとして意識することはあるかなと思いながら、今回改めていろいろ考えてみました。

えみさんは「メタ認知」っていうワードを聞いた時、どういうことが頭をよぎったりしました?

えみ

私が提供しているプログラムでは、英語学習者の方が自立して、一人でやっていけるようになって卒業していただくっていうのが一番大きなテーマなので、「メタ認知」を意識して、(学習者に)持ってもらって、旅立ってもらおうっていうのがあります。

「メタ認知」っていうワードを使うかどうかは別ですけど、都度都度、「あ、メタで見えるようになってきてるな」とか、「そこ、もうちょっとメタに考えてほしいな」とかって思うことは結構あります。

倫子

うん、ありますよね。

けど、改めて「メタ認知の話をしよう」ってなった時に、私の(「メタ認知」の)使い方は、自己認識やリフレクションの話とごっちゃになってるのかもなって思いました。たぶん「メタ」が一番広いんですけど。

たとえば経験学習で、「経験したという行動を、一旦ちょっとメタ認知して、自分の中で振り返る」みたいな話では、リフレクションとメタ認知の使われ方が重なっています。

または、自分の思考の癖。「こういうシチュエーションになったら、こういうふうに物事を捉える癖があるな」みたいなことを自覚するためにお手伝いする時は、相手のメタ認知を促進するサポートですが、自分のことをメタで認知するっていうのは自己認識と重なるなとか。

そこらへん、結構ごちゃごちゃしてて、私はざっくり使っているかもなって思ったりしてます。

えみ

「メタ認知とは」って調べるといろいろ出てきます。たとえば、「自分の認知活動を客観的に捉える」。

「自分の認知」っていうのは、考える、感じる、記憶する、判断する、「いま自分はそれをやってるな」って感じること、みたいな。

今の倫子さんの話を聞きながら思ったのは、リフレクションはメタ認知を体験する手段の一つなのかなってことです。

リフレクションは、口頭だったり書いたり、いろんなアウトプットの仕方があるし、アウトプットしなくても構わないですけど、それをすることによって「自分が何を考えていたか、感じていたか」っていうことと少し距離を置くことができる。だから、メタ認知するための手段なのかなっていう気がしますね。

倫子

うんうん、そんな気がします。

たぶん自己認識もリフレクションも、大きくはメタ認知の傘の下にあるイメージなんですけど、面白いのは、「メタ認知のスキルがないと、リフレクションがうまくできない」みたいな鶏と卵みたいな関係もありそうで。

えみ

そうなんですよね。

倫子

なので、「手段とアウトカム(結果、成果)」っていう関係だけでもなさそうだなって。そこが、厳密に使い分けしないでがっさり使っている背景なのかもしれない。

えみ

そうですね。

単純な例だと、「どんなことを知っていますか?」みたいな質問をしたときに考えてもらう内容。

「今どんなふうに理解しましたか?」「どういう順序で考えましたか?」っていう質問をしたときに、「あ、そういえば自分はこうして、こうなっていったな」みたいな。

それ自体を「メタ認知」と私は捉えていますね。

倫子

うんうんうん。

今回、教育者向けに「メタ認知」について話しているポッドキャストをいくつか聞いたんですけど、今まさにえみさんがまさにおっしゃったような、「学習者が学習している自分の行為を振り返り、その時に起きていることを引き出す」みたいな関わり方の話をしていました。

授業中とか、課題を与えている最中に問いかけをする。あとは、学習する前に、本人がどういう思考を持って学ぼうとしているか、メタ認知させるきっかけをあげる。

(学習の)前、真ん中、終わり。全部のところで学習者に働きかけることができるんですよ、みたいな話があって、「なるほどなー」って思ったりしたんですよね。

えみ

最近、私は小中学生の学習支援を始めたんですが、子供たちって正解を出すと喜んで終わりにしちゃうから、「ちょっと待って。今どういうふうに考えた?」とか、「どうやってその答えにたどり着いた?」とか聞くようにしています。

大人の学習者は、たとえば「メタ認知」っていう言葉を知っていても知らなくても、「あ、そうか。このことが学びには必要なんだな」とか、「あ、それ聞いてもらって初めて考えました」みたいに反応がわりと早いんですが、子供は「なんでそんなこと聞くの?」「それ、意味あんの?」みたいな反応をすることがあります。

やっぱりメタ認知って、大人の学びによくある現象なのかなっていう気がします。

倫子

大人の学習理論の前提の一つに、「大人はそれまでに持っている知識とか経験とかに乗っけて学ぶ」みたいな話がありますね。

やっぱり大人はみんないろいろ持ってるから、それを中から出してもらうことが、学びのプロセスに必要かもしれないですね。

えみ

私は、メタ認知ってとても便利な道具だと思うので、大人の方が持っていることが多いとすると、それは子供の学びより有利な点だなって感じますね。

倫子

そうですね。

「学習スタイル」の回で話したと思うんですけど、人によってメタで認知したり、抽象化して物事を考えたりすることが好きなタイプと、好きじゃないタイプってグラデーションがあると思います。

「大人がグループでプロジェクトをやって、そのプロセスでグループとして強くなる」みたいな、グループ・ラーニングの授業で、自分たちが置かれている状況をメタ認知するっていうのが、実はグループのパフォーマンスを高めるためにすごく重要なんだけれども、立ち止まって振り返るプロセスを忘れがちのグループが、会社の中とかでも結構多いっていう話を学んだんですね。

別のクラスでグループワークをしたときに、私たちにもそういう傾向があることを自分たちで気づくぐらいで、先生に「ここでこういうふうに立ち止まって話さなきゃいけないって教えたじゃん」って言われて、自分たちでも「ああ!」って。

そのぐらい、グループには「前に向きたい」っていう、自然な行動の癖があるんです。

それを改めて、立ち止まるきっかけとして「なぜメタ認知が大切か」みたいなインプットをいろんなところですれば、効果があるなって思うんですよね。

「メタ認知」っていう単語を使うかどうかは別として、とりあえず状況を客観視する、考えるために立ち止まることで、次のステップがもう少し意図的に、賢くできるみたいなのは、大人の学びの文脈でよく聞きますね。

子供が同じことをやるかどうかというと、発達の段階からしても、それはまた違うような気がします。

えみ

前に出てきた「推論のはしご」の話と少し似てるなと思いました。

結果や結論を急いでしまうと、「今どういう考えだったのかな」って立ち止まるチャンスを失いやすいですよね。

倫子

確かに。前提を疑わないでいると、気づいたら同じ結論を何度も繰り返してて、自分の思考の癖のトラップにはまるみたいな。大人あるあるだったりしますよね。

えみ

自分が「知っている」と思っていること、「わかっている」と思っていることに対して、改めて「いや、どうなのかな?」って考えてみる。そういう習慣があるかどうかも(メタ認知と)関わっていそうですね。

倫子

そうですね。だから、メタ認知のプロセスっていろんなところで出てきますよね。

学習者を支援する我々の場合は、無意識のうちに問いかけのデザインに入っているかもしれないし、宿題のデザインに入っているかもしれない。

コーチングだと、問いかけによって、(学習者が)メタに行けるようにして、相手に自ら気づいてもらう、みたいなことを意識するときもありますね。

えみ

そうですね。

倫子さん、そもそも「メタ認知」を初めて知った、聞いたのはいつ、どこですか?

倫子

たぶんなんですけど、「metacognition」って英語で学んだのが最初です。

大学院のときに、コンセプチュアル・チェンジという、学習者の信じている概念、見方を切り替えるみたいな変化を起こすためには、どういうふうな学びの設計をするべきかみたいな、認知科学の授業を受けたときに読んだペーパーです。そこにメタ認知のことがたくさん書いてありました。

当時、すごくインパクトが大きかったらしく、ブログを書いてあるんです。後から読むと何を書いているか、全然わからないんですけど。

心理学系の認知科学の話で、すごく複雑なことが書いてある。当時、初めて触れたときは、たぶん「わあ!」って思って、そのままメモしたんですけど。

いま実践しながらメタ認知に向き合っている人間からすると、なに書いてんのかよくわかんない。笑

けど、たぶんあれが自分が触れた、最初に学んだきっかけの証拠だなって思ってます。

えみ

いやあ、まさに「メタ認知に対する、ご自身の認知をメタで見てる」って感じですね。笑

倫子

笑 確かに確かに。いや、本当に意味不明のブログを書いてたんです。

えみ

そういう段階って大事ですよね。本人は理解しているんだけれど、それがうまく他の人には伝わらない段階。

倫子

笑 そうそうそう。

えみ

それが後に血肉となって、肉付けされて、自分の言葉として発することができるようになる。そのプロセスを今まさにご自身で観察してらっしゃるんだなって感じました。

倫子

優しい。えみさん優しいな。ありがとうございます。

10年前ぐらいに書いた記事なんです。コンセプチュアル・チェンジとかメタ認知とか。

えみさんは、いつ?

えみ

私もたぶんなんですけど、それこそ初めて聞いたのが英語だったので、「あれはアメリカだったんだろうな」と思って記憶を辿ってみました。

で、ちょっと調べたら、metacognition っていう用語自体は、1976年にフラベルさん (John H. Flavell) っていう方が提唱されたんですけど、第二言語教育の中でメタ認知がよく言われるようになってきたのが、90年代後半、2000年ぐらいから。その頃からすごく研究が増えています。

私がアメリカの大学院に行っていたのは2006年からなので、おそらくその頃には研究が出そろっていて、授業の中でも当たり前に、第二言語研究とメタ認知を絡めた話が出てきていたんだろうなっていう、そんな感じです。

倫子

えっ、そうなんですね。全然知らないんですけど、その分野の話。

第二言語を学ぶときにメタ認知が重要っていうのは、どういう感じで出てくるんですか?

えみ

まさにさっき倫子さんがおっしゃった教育面です。「どういうふうに授業を持っていくと、学習者のメタ認知が上がるだろうか」とか。

ただ「できたから終わり。アウトカムが合っていれば、パフォーマンスが正しければ OK」ではなくて、「どんなふうに考えたかな?」とか、そのプロセスを聞く。

あるいは、自分のパフォーマンスを自分で評価できるようにするとか。

2015年頃には、「第二言語研究におけるメタ認知」のメタ分析があったので、そのくらい、いろんな人が研究してるっていうことです。

倫子

私とえみさんが、このポッドキャストをやってるのも、ある意味、私たちのメタ活動なんだろうなっていう気はしますね。

えみ

そうですね。

倫子

自分たちが持ってる思考の、バイアスとは言わないけど、そもそも持ってるものを客観視して、言葉にしてみて、相手に聞いてもらって、相手のことを聞いて、改めて自分の持ってるやり方とかを考えて。

そうやって行き来をしているのが、メタ活動かなって思ったりします。

えみ

私も倫子さんも、「大学院」と言ってるのは、教育学の大学院のことなんですよね。

教育学って、「教育を教える」だったり、「学ぶことを学ぶ」だったり、メタなことがいっぱい起きる分野なんですよね。

倫子

笑 確かに確かに。それが結構、面白いんですよね。

えみ

メタ認知を学習者に伝える場面ってあるんですか?

倫子

日本語で対応する比喩が思いつかないんですけど、英語圏でのリーダーシップ教育では、「リーダーは、ダンスフロアとバルコニーっていう2つの場所を行き来する必要がある」、みたいな言い方をします。

「ダンスフロア」、体育館のフロアで踊っている人たちがいる中で、たまに体育館2階、1階のフロアが眺められるところに行って、ダンスしてると見えない全体感を改めて俯瞰する。

そして、「あそこの人たちが困ってるから、下に戻って行った時は手伝ってあげよう」とか、「ちょっとこっちに偏ってるから、もう少し分散するように促す働きかけをしよう」みたいな意図を持って、フロアに戻ることがリーダーには重要ですよ、みたいな話です。

バルコニーにいる間は、メタ認知をたくさんしなきゃいけない時間っていう感じです。

もちろん、ダンスしながらメタ認知する必要もあるとは思うんですけど、相対的にできる時間が少ないので。

えみ

いいですね。フロアとバルコニーの距離感とか、上から見る感じとか、すごくイメージしやすいでしょうね。

うちの場合は、一人の学習者が自分をメタ認知しなきゃいけないので、よく使うのは「幽体離脱」です。

倫子

笑 ああ、なるほど。それ、リーダーにも大切ですよね。

えみ

自分で自分を見られるように。

倫子

うんうんうん。

えみ

あとは、コーチングだと、私っていうコーチと対面している期間の後には、「自分で自分をコーチして進めていけるようになっていこう」っていうのがあります。

特にプログラムの後半には、たとえば倫子さんに「倫子コーチだったら、どんなふうに言われますか?」って問いかけることで、幽体離脱を強く意識してもらうことがありますね。

倫子

あー、なるほど、なるほど。そうですよね。あれは練習ですからね。

「セルフコーチングができるようになるために手伝う」っていうプロセスがないと、習慣にならなかったりしますもんね。そういう問いかけで補助輪を。

えみ

「別の自分を客観視する」ということが、最初からできている方もいらっしゃいますけど、文化的な側面もあって、厳しいコーチになってしまいがちなんですよね。

倫子

うんうんうんうん。

えみ

なので、欠点だけを見つけるんじゃなくて、コーチング的に「もう一人の自分を育てていく」みたいなサポートが必要だなって感じることはありますね。

倫子

ああ、それはバルコニーのリーダーもありそうですね。

自分に対してだけじゃなく、他者に対して厳しめの監督になりがちな人とか、「足らざる」だけに目が行ってしまうみたいな。

最初の頃に、「バルコニーに乗っている間、どうするか」の補助を入れておく。

えみ

そうですね。

倫子

けど、理想は同じですよね。(学習者が)ご自身で、一人でできるようになれば、私たち要らず。

えみ

うん。お金もかからないし。

倫子

笑 本当そうですよね。

えみ

いつでも、どこでも、自分でできるようになるから便利なんですよね。

倫子

でも、自分に対しての幽体離脱も、組織やチームを振り返るもそうですけど、やっぱりたまには、他の人に自分の考えていることを話すことが重要だなとは思いますけどね。

フィードバックももらえるし。スキルがあったとしたとしても、自分だけで全部やるのは限界があるんじゃないかなと思います。

えみ

「壁打ちの相手」がいてくれるとやりやすいですよね。

倫子

うんうんうん。

えみ

今日も、いいメタ認知ができました。笑

倫子

笑 そうですね。

思いのほか大きなテーマだったなって思いますけれども、ま、そんな回もありますよね。笑

面白かった、メタ認知。意外と向き合ったことがないテーマだったので、改めてちょっと思いを馳せてみる時間、貴重でした。

えみ

はい。

倫子

じゃあ、こんな感じで、また1週間に1回配信をしていきたいと思います。

引き続き『まなびのはなし』をよろしくお願いします。