#04: 松川 倫子さん

ニューヨークを拠点に世界各地で活躍するAcumenマネージャーの松川 倫子さんに、帰国子女として経験した日本の教育、アメリカ留学、社会人になってから感じた英語の壁についてうかがいました。

松川 倫子 Tomoko Matsukawa

NPO法人Acumenマネージャー。社会的課題を解決するために必要な物事の見方、スキル、リーダーシップに関する学びのコンテンツのデザインに関わる。具体的には+Acumenが提供している大規模オンラインコースの立ち上げと、現在パキスタン、インド、東アフリカで提供中の対面型Acumen Fellows Programに主要メンバーとして携わる。ゴールドマンサックス証券会社、株式会社グロービス勤務後、2012年に大学院留学のため渡米。2013年に教育学修士号を取得し現在に至る。ニューヨーク在住。2016年よりNPO法人PIECES(日本)の理事。

ブログ『Learning?』
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Emi
自己紹介、お願いしてもいいですか。

Tomoko
はい。アメリカのニューヨークに住んで4年目になる、松川倫子と申します。仕事はNPO(非営利)団体のAcumenという会社で教育系のコンテンツのカリキュラムデザイナーをしています。生まれと育ちは日本です。

Emi
ニューヨークにいて、日常生活は英語で?

Tomoko
そうですね、会話をする相手は日本語をしゃべらない人が98%なので、日常会話はほとんど英語です。

Emi
英語に出会ったのはいつごろ?

Tomoko
いちばん最初はおそらく4才の幼稚園のときです。ほとんど記憶がないんですけど、父の仕事の関係で、アメリカのワシントンに、たしか半年ぐらい家族で行きました。その間は現地校の幼稚園に行ってたらしいです。

もう少し意識がちゃんとある段階で英語に関わったのは小学校4年生と5年生の間の時期からです。父の転勤でイギリスに3年間住んだのですが、赴任する3か月前ぐらいから、子ども向けの英語を勉強する塾みたいなのに行って、アルファベットの歌とか、基本的な英語の構文を妹と一緒に習いに行った記憶があります。

Emi
いちばん最初は4才。アメリカに行って、現地の幼稚園に入った。ただ、その記憶はない?

Tomoko
子どもたちと一緒に遊んでる写真が何枚かあるので、「メアリーという友達がいた」とか、そういう記憶は少しあるんですけど、日常がどうだったかはまったく覚えてないです。

Emi
はっきり覚えているのは、小学生でイギリスに住んでから。そこでも現地校に通っていた?

Tomoko
そのときはアメリカンスクール、インターナショナルスクールで、現地の人に限らず、イギリスに赴任しているいろんな国の人たちが行く私立の学校に通っていました。

3年間の滞在のうち、最初の2年間は主にESL*という英語が母語じゃない人のためのクラスを受けていて、最後の年にようやく現地の人たちと一緒に授業を受けるようになった記憶があります。
*English as a Second Language

Emi
インターナショナルスクールというと、英語で授業を行う学校。カリキュラムはアメリカ式だった?

Tomoko
そうだと思います。あんまり詳しいことはわからないんですけど、基本的に英語の教材を使っていました。たぶん最終的にはアメリカの大学に行くための学校だったんですけど、私はそこに小学校5、6年生と中1の3年間いました。内容は、いま振り返ってみるとアメリカのカリキュラムだったかなという気はしますね。

Emi
小学校の高学年から、イギリスでアメリカ式と思われる教育を受けていた。

Tomoko
学校は完全に英語でしたが、日本人の補習校にも行っていたので、そこで日本語と英語のバランスを得ていました。

Emi
月曜から金曜まではアメリカンスクール、土日に日本語補習校に通っていた。

英語学習は、お父様の赴任が決まった時点で、日本の英会話学校みたいなところに行って習った。最初に英語を習ったときの印象は?

Tomoko
うーん。あんまり覚えてないですけど、いちばん覚えているのが、日曜日から土曜日までを英語で覚えるための歌ですね。♪Sunday Monday Tuesday… その曲と、1月から12月の♪January February March… それを習ったけれども、当時は♪ラーラララ ラララララーって、結局ぜんぜん学ばないまま赴任に行った気がします。

Emi
(笑)

Tomoko
いつだったか、大人になってから「あ、あのときの歌はこういうふうになってたのか!」って気づいたくらい。塾はぜんぜん役に立ってなかった気がします。

Emi
(笑)きっと親御さんとしては「このあと英語環境に入るから」ということで通わされたんだと思うんですけど、本人にその感覚はなかった?

Tomoko
たぶん、ぜんぜんなかったですね。

Emi
英語教室でやっていることに、いちおう参加はしているけれど、何の関係があるのかはよくわからない。(笑)

Tomoko
実際、イギリスに行った後の記憶を考えても、あんまり役に立ってなかったですね。

Emi
(笑)まぁいちおう英語に触れてからイギリスに行った。インターナショナルスクールに入ったときの印象は?

Tomoko
ESLのクラスには、他にも自分と同じくらいの英語力の子がいて、一緒にやる活動はビジュアルで楽しかったです。いちばん記憶があるのは、デジタルストーリーメイキング。当時はコンピューターが導入されはじめた頃だったと思うんですけど、ページを作ってその下に自分なりのナレーションをつける、というような活動を楽しくやっていました。なので「アメリカンスクールでの、最初の体験は?」というと、ショックというよりはESLの楽しい感じです。

それから、たぶん多くの日本の人がそうだと思うんですけど、クラスに入ると、算数などが現地の人よりも得意な状態なんです。いちばん最初に現地の人と混じったのは算数の授業でしたが、算数なら英語のハードルはそんなにありません。課題を解いて先生に褒められて。でも文系の授業は、やっぱり大変でした。

Emi
ESLのクラスは基本的に英語の力を補うためのクラスで、無理のないカリキュラム。それがスムーズな入口になった。一方で、他の子たちと同等に受ける授業は、なかなか厳しいところがありますよね。

Tomoko
歴史の授業では結構早い段階から現地のクラスに入っていました。当時は電子辞書がまだない時代だったので、白くて細長い、ページのすごく薄い辞書を使っていました。裏側からは日英、こっちからは英日みたいな辞書。それをもう黒くなるまで使いました。

歴史の教科書はすごく分厚くて。今だったら「サラッと見ればいい」とわかるんですけど、当時はわからなくて、一文一文訳していました。「ネイティブ・アメリカンの伝統文化のなんとかかんとかについての考察を述べよ」みたいな宿題が出たのですが、「教科書50ページ分の、ネイティブ・アメリカンの文化について該当するところを読んでから考察を書くように」というものでした。それをやるために、その50ページを一行一行訳すというのを、かなりマニュアル(手作業)でやっていました。「人生でいちばん学んだのはあのときなんじゃないか」っていうぐらい。「辞書に向き合ったあの日々。」(笑)それがイギリスの生活の記憶で、いちばん濃いかもしれないです。

Emi
小学校高学年で、すでに授業の内容がかなり深くなっているところへ入った。他の子たちとのギャップも大きく、大変だったのでは?

Tomoko
いま自分が小学校5年生で、新しいところに行って勉強するとしたら、たぶんもっとGoogleを活用すると思うんですよね。「ネイティブ・アメリカンや、トーテムポールについて」だったら、まず日本語で検索して、それに対する知識を理解してから英語の教材を見て、何が書かれているかを推察しながら宿題を考えるというプロセスにすると思います。でも、当時はコンピューターを使うというのが頭の中になくて、電子辞書もなかったような気がするので、辞書をとりあえずぺらぺらぺらぺら…

Emi
基本、紙ベースですよね。

Tomoko
(笑)そうですね。いまならYouTubeでもっとわかりやすいビデオとか、ありそうですけど。

Emi
「辞書を引いて、一文一文を訳して理解する」という方法は、誰かに習った?

Tomoko
いや。当時は両親も別に英語がペラペラの状態で行ったわけじゃなかったので、「とりあえずわからない単語は引こう」みたいな感じでした。親と一緒に調べものをしていた時期もありました。

Emi
その“アナログ”な方法で、辞書を引き引き文をしっかり読んで理解していったのが、「人生でいちばん英語を勉強した時期」?

Tomoko
教科書の読み込みをすごく頑張って、読んだものをもとに宿題の文を書くことから、教科書の文章を真似してみることができました。ただ、話す・聞くはまたちょっと違うルートだったかな。ESLの授業や、友達の誕生日会での会話、スポーツを一緒にするなど、話したり聞いたりするときに、辞書で引いたものを使うということは、あんまりなかった気がします。

Emi
辞書を引くなど、読み書きの部分に関して、「勉強したな」という印象が強い。

振り返ってみて、聞く・話すは、どうやってできるようになったと思う?

Tomoko
うーん…。しゃべれるようになってたかどうかも、あんまり記憶にないんです。

3年目の、慣れた頃に帰国が決まりました。一つ覚えているのは、家庭教師です。中国系の方で、英語しかしゃべれない人でした。何を教えに来ていたかは記憶にないんですけど、放課後、たしか月2,3回、妹と私のために宿題を助けに来てくれてたか、または英語のトレーニングだったか。その家庭教師のおねえさんとしゃべるときは英語を使っていた記憶があります。

Emi
英語を話す機会としては、ESLで直接的に習ったことと、普通に子どもたちが参加するイベントで。強烈な記憶はなく、なんとなくそこでは過ごせていた?

Tomoko
たぶんイギリスの現地校ではなくアメリカンスクールでよかった点は、多様なメンバーがいっぱいいたことです。英語が母語じゃない人も結構いて、子どもたちがそれに慣れている世界だったので、「自分は英語ができない人だ」と意識することもなかったんだと思います。

Emi
ネイティブだけの中に、たった一人ノンネイティブとして入るのと、他にもノンネイティブが多い多様な環境の中で紛れてしまうというのとでは、印象が違いますからね。

いずれにしても、特に「このエピソードが!」というような強い記憶はない?

Tomoko
そうですね。

Emi
イギリスに3年間いて、その後は日本へ?

Tomoko
中学2年の4月の段階で帰ったので、編入試験を受け、都内にある私立の中高一貫の女子校で5年間、日本の教育を受けました。

Emi
中学での英語の授業について、なにか覚えていることは?

Tomoko
桐朋女子という学校で、アメリカンスクールではない日本の学校でしたが、帰国子女枠がちゃんとあるなど“帰国子女ウェルカム”な印象だったので、親に勧められて受験しました。英語は2つのトラック*があって、帰国子女の中で希望すればアドバンスト(上級)クラスに入れるようになっていました。
*track:能力別編成クラス

私は英語圏から帰ってきていたのでアドバンストの方に行きました。他にもマレーシアなどから帰ってきた子たちがいました。その授業を受けていて…、うーん、そうですね、普通な感じでした。自分が特別できるわけでもなく、クラスが特別難しいわけでもなく。「まあ他の授業に比べると、英語の授業はラクだったかな」という程度です。英語以外にいろいろ忙しい授業がいっぱいあったので、あんまり英語の記憶はありません。

なんか日本の英語教育で使われている、英語圏ではあんまり使わなそうな文章を、一生懸命分析したり、発音してみたり。カリキュラムは他のクラスと同じ、日本の教科書に沿ったもので、何が違うかというと、「ディスカッションするとき、みんなの発音が少しいいな」とか、「発言したい人が多いな」とか、そのぐらいですね。

Emi
日本に帰国して、日本のカリキュラムに沿った英語の授業を受けた。とはいえ、その環境は、たとえば一般の公立の中学の生徒のように初めて英語に触れる子がいるクラスではなく、帰国子女が集まる上級クラス。そこでも、たとえばすごく違和感があるとか疑問を感じるとかいうことは特になく、淡々と過ごしていた?

Tomoko
アドバンスト・クラスの先生たちは、いろいろ工夫をされてたかもしれないんですけど、あんまり記憶にないです。

Emi
「記憶にない」というのはかなり興味深いですね。

Tomoko
(笑)中高時代、勉強の記憶がないんです。高校の化学と数学では、すごく深く教えてくれる、いい先生たちがいたので、かなり楽しいと思いながら授業を受けていました。あとはもう課外活動。授業の後の、文化祭の準備と体育祭の練習と部活。そんな感じの学生生活でした。

Emi
学校の中での好きな科目は化学と数学。興味のあることは授業外のイベント。英語に対しては印象がない?

Tomoko
ないですね。塾でも英語の受験対策をやってたはずなんですけど、記憶がないです。

Emi
英語が好きとか嫌いとかということもなかった?

Tomoko
なかったです。特に別に好きでもなかったですし、特に嫌いでも、得意でもなく。ま、苦手ではなかったですけど。

Emi
英語は、ただそこにあって、問題なくこなしているという感じ?

Tomoko
数学や化学は得意だったので、さらにのめりこむという感じでしたが、英語は、特にそのアドバンスト・クラスの中で周りの人と同じぐらいだったので、「こなす」という感じでした。

Emi
好きとか嫌いじゃなく、普通にできているから、周りの人たちも誰も「得意」と思っていなかったのかも?

Tomoko
(笑)クラスには海外で生まれた子が何人かいて、彼女たちの発音は抜群の良さだったので、たぶん彼女たちの方が得意といえば得意だったと思います。

Emi
英語に関しては淡々と進んできた。高校まで日本にいて、その後は?

Tomoko
高3の5月に、「進路を考えなきゃ」と思って受験校を絞っていた時に、化学の先生のアドバイスもあって、あまり深く考えずにアメリカの大学を受けることを決めました。夏休みは海外大学留学に必要な試験対策をして、その後、秋冬は担任の先生と家族と総がかりで志望動機を説明するエッセイや推薦書など、受験に必要な書類の準備をしました。

Emi
「アメリカに行こう」というアイディアが出てきたのが高校3年生になってから。得意だった化学の先生から「これを伸ばしていくにはアメリカの方がいいかもよ」と言われた?

Tomoko
先生のアドバイスは、私が学部が選べず困っていたことに対してでした。理系に進むことは決めてたんですけど、「理系の中で、消去法でどこにしよう」とモヤモヤしてたときに、先生に「アメリカの大学だと、もっと学部の選択肢が広い」「実際に入学した後に、いろいろ模索を続けられる」など、仕組みのことを言われたんです。それで、「なるほど」と思って調べたら、確かにたくさん学部があるので、アメリカの方に興味がわきました。

英語に関しては、高校1年か2年のときに英検とTOEICを受けるのにはまっていました。理由は忘れちゃったんですけど、仲間が受けてたからかな。自分の力試しをしたかったというのもありました。英検とTOEICを受けて、満足して落ち着いたころに受験が始まったという感じでした。でも受験が始まったらTOEFL*を受けなきゃいけなくなって。受験を決めてから初めてTOEFLを受ける勉強をしました。
*Test of English as a Foreign Language 英語が母語でない人々を対象とした英語能力測定試験。

Emi
アメリカ留学の話が出てくる以前は日本の大学に進学するつもりで、英検やTOEICなど資格試験を受けながら英語の力試しをしていた。アメリカの大学に行くとなると、資格試験とは方向性が違ってくる。そこでTOEFLを受け始めた。

Tomoko
そのあと立て続けに、SAT*というセンター試験みたいなものの準備をしました。SAT対策のときに、結構英語のハードルが高いことを痛感したのが記憶に残ってます。
*Scholastic Assessment Test 大学進学適性試験。

Emi
アメリカの大学に興味がわいたのも、決して英語がきっかけではなさそうですよね。

Tomoko
そうですね。アメリカンスクールのときの影響が大きいです。勉強がプロジェクトベースで楽しかった記憶があるんです。たとえばさっきの歴史の、アメリカの民族の伝統だと、トーテムポールを実際に紙で作ったりとか。そういう楽しい授業を体験してから日本の中高に戻ったら、ほとんどすべてがテストベース。「大学に行って学ぶならば、楽しく学びたい」というのも少しありました。

Emi
イギリスで垣間見たアメリカの教育と、日本の教育とを比較して、「自分にはアメリカの大学の方がいいかな」というところから進路が決まってきた。

留学の準備段階で、「SATで英語のハードルの高さを感じた」というのは?

Tomoko
TOEFLは、TOEICと少し趣向が違うだけで基本的に求められるタイプの能力が似ているため、そんなに衝撃を受けませんでした。でもSATは現地の英語ネイティブの人にとってもかなり難関なセンター試験。英語力というよりは、論理思考力が問われます。また、謎の“SAT語”というのがあって、「たぶんSAT以外では一生出会わないだろう」というくらいの英単語の難度の高さ。もう他の試験とはまったく比べ物にならない水準です。

実際にSATは模擬試験で衝撃の低い水準が出て、プリンストンレビューの塾に通ったんですが、やっぱり短期間ではそんなにたいして数字は上がらないんですよね。「留学生はSATの国語の分野ではネイティブの人より低くてもいい」というのがなんとなくあるので大学には入れました。

国語ほどすごく敗北感におそわれることはなかったですけど、化学も数学も、SATではすべてが英語です。日本語でならわかる簡単なことも、4つの選択肢から正しい答えを選ぶときに、ちょっとした英語の理解ができなかったために答えが間違っちゃう。SATの準備は英語と切り離せない苦しさがありました。

Emi
SATはアメリカの高校生が大学に入るために必要な試験なので、外国人とかノンネイティブとかはまったく関係なく、みんな同じ問題で受験する。どの科目の問題文も英語で書かれているので、それが理解できないと答えることもできない。

それに対してどうやって勉強した?

Tomoko
SATの専用の、すごい分厚い問題集を買って、ひたすらそれをやりました。たまに訳したりしながら、問題を解く練習です。化学や数学は、一回単語を覚えてしまえば「学んでる」「解決に向かってる」という感じがしました。たとえば「『ナトリウム』が英語ではナトリウムじゃない」とわかれば、問題に「Sodium」が出てきたときに「あ、ナトリウムだ」とわかったり。ただ、国語はちょっとその手掛かりがないまま試験を迎えた記憶があります。

Emi
これは学部に入る話なのでSATですが、大学院から留学をする場合はGRE*という試験がある。ボキャブラリーのセクションは、何ヶ月かの勉強ではなかなか追いつけないですよね。
*Graduate Record Examinations

Tomoko
単語以外に、文脈のカルチャーギャップもあります。SATに出てくるのは詩や、いろんなタイプのジャーナリストが書いた文章、ラテン語が入った昔の文など、私たちが「英語を学ぶ」という場面で見るようなきれいな文章ばかりではありません。たとえばシェイクスピアが引用されていたら、ネイティブの人でも結構難しいですが、シェイクスピアを英語で読んだことのない人が見ると、もう「ハテナ?」という感じになってしまう。あるいは、学術論文が引用されていて、「そこから考察せよ」となると、もう単語ではなく英語の書き方そのもので止まってしまって、時間との勝負の中、読み終わらない。SATではそんな記憶があります。

Emi
高校生に至るまで、なんとなく、問題なく過ごしてきた英語が、ここで初めて倫子さんの中で立ちはだかった?

Tomoko
(笑)そうですね。いまSATやっても、たぶん全部は答えられない。

Emi
でも高校3年生になってからSATの存在を知ったのに、わりと短期間で克服して、無事アメリカの大学に進まれている。

Tomoko
(笑)たまたまです。SATも結局、点数は数学でカバーという感じでした。

Emi
アメリカの大学に進んで、実際に生活が始まってからはどうでしたか?

Tomoko
大変でしたね。総合大学で、自由選択の幅は広く、学部も最後まで決めなくてもいい学校に行ったんですけど、必修の授業で受けた心理学などは難しくて。文系の科目は最初の2年ぐらいは本当に難しかったです。まず予習が追いつかない。睡眠不足で授業に行ってもあんまりよく覚えてない。(笑)統計や生物など理系の授業は結構サクサクと行けた記憶がありますが、文系の読む本が多い系は結構つらかったですね。

また、大学生活という意味で、新しい文化に慣れていく中では、必ずしもすべての時間を勉強に充てられないというのもありました。ノンネイティブが片手間でやろうとすると、だいたい失敗して、成績に影響します。

一年目は寮生活が義務付けられているので、日常生活でも英語が不可欠な環境でした。

Emi
高校を卒業してすぐにアメリカへ。あらゆることが初めての生活だった。

予習にすごく時間がかかっていたとき、どんな勉強方法を?

Tomoko
クラスにもよりますが、読み物系が多いクラスはもう読むしかない。さすがにロンドンにいたときみたいに全ページを訳すことはもうしなくなってましたけど。

「友達と一緒に図書館に行く」という、ピア・プレッシャー*を活用する勉強がよかった気がします。やっぱり一人では絶対そんなに長い時間できないですし、他に誘惑がいっぱいあるので、そういうことに克つためには、仲間と一緒に勉強に行くことが遊びになるようにするしかないという感じでした。
*peer pressure:仲間から受ける影響。

Emi
「スケジュールに勉強を組んでしまうこと」と、「同じサブジェクトに向かって勉強している人たちの中に参加しなくっちゃ」というプレッシャーですね。

Tomoko
それから、私は途中で学部を変えたため、3年生の後半から4年生にかけてはプロジェクトやデザインが授業の中心になって、読むものが少なくなったというのがあります。話さなきゃいけなくはなりましたけど、3年4年では哲学や理論を読み込むのが少なくなっていた。それも、英語の壁を感じずに卒業できた理由のひとつかもしれないです。

Emi
そうはいっても、英語の壁を感じないっていうのはすごいことだと思います。

生活に慣れ、仲間たちの助けを得て、乗り越えて、学部を卒業。入学時に一時、英語が立ちはだかった感じがあったが、消えていった。

Tomoko
おもしろいなと思います。そのあと人生で2回ぐらい、また英語の壁があったんですけど、確かにそうですね。最初にあった壁がなくなって、またいつか違うときに来る。

Emi
次の壁はいつ来た?

Tomoko
大学を卒業して日本に帰り、外資系の証券会社に入りました。最初の3年間は、上司も日本人で日本人のお客様が多い部署。英語は読み書きで使うけれど、話す必要はほとんどないというチームにいました。ところが、その後2年間は外国人のお客さんを担当する営業のチームへ。同僚とボスは外国人または英語ペラペラの日本人。営業はしゃべらないと意味がない仕事です。私は書くことに慣れていたんですけど、書くとスピードが遅くなるので、書きつつも話さなきゃいけない。

さらに、たとえば「朝8時30分から35分があなたの時間なので、この時間に電話でその日いちばん重要な情報をまとめて伝えてください」というお客様も。その方には、5分の間に英語で重要なことをロジカルに伝えなきゃいけないわけです。同じ英語を使う場といっても、プレッシャーがうんと強い。それが次の私の壁でした。英語で端的に話し、相手を動かす、または相手に感心してもらえるようにコミュニケーションするというのは新しい体験でした。8時30分が近づくにつれて、メモにいろいろまとめ、ドキドキしながらダイヤルをするという日々でした。

Emi
最初は日本的な環境の中で読み書きに英語を使っていた。そこでは問題がなかったけれど、どっぷり英語環境に入って状況が変わった。場所は日本でも、そんなことはもう関係がない。さらに、制限された時間内に相手を説得するような話し方をしなくちゃいけない。そこで英語の壁が登場した。

Tomoko
説得はしなくても、有益な情報を伝えなければいけない場でした。お客さんに「この人と話す5分間は時間の無駄だ」と思われたら、次の四半期にそういうフィードバックをもらう。プレッシャーを背中に感じながら、「いかにこの5分間が、その人にとって有意義なものになるか」と考えながら英語を使っていました。とてもいい訓練でした。

Emi
それはもう、聞いているだけで胃が痛くなりそうです。

Tomoko
(笑)ま、慣れますけどね。

Emi
「慣れ」ということは、そこで現れた壁も、またいつの間にか消えた?

Tomoko
もしかしたら大学のときも、今も、これからもそうなんですけど、壁に慣れるというのは、要するに話す相手との信頼関係なのかもしれません。信頼関係がある程度できて、お客さんに私がどういう人間かわかってもらえると、ドキドキが少し減るし、たぶんその5分間にちょっぴり失敗しても、全然大丈夫だったりフォローアップができたり。それを知ると少しリラックスできます。たぶん大学のときも、英語という言語を使ったコミュニケーションだけでなく、相手との信頼関係があったから、英語以外でいろいろカバーできたのかなという気がします。

最後の壁は、今いる組織でありました。その壁は抽象論をすることで、この組織に入って初めて経験することでした。証券会社にいたときは、話す内容はかなり具体性が高く、ポイントが明確なものだったのですが、今の組織では「社会の善悪について」「リーダーシップ」など、ほわっとしたものを扱う。そういう抽象的な話を「どう具体的に持っていくか」という会話をすることが多いうえ、会話の相手は自分と違う前提を持っている人たち。だから、前提について確認しながらコミュニケーションすることになるわけですが、そういうときに、英語力がちょっぴりボトルネックになっていました。

英語ネイティブならきれいにまとめて簡単に伝えられる抽象的な概念を、私が説明すると冗長になって3行ぐらい多くなってしまったり。そうするとポイントがずれて、混乱が助長される。そういうときに「うぅーん!」みたいな。(笑)言語の壁を感じますね。

ネイティブにとっても難しい内容を、ノンネイティブが話すとさらに難しい。頭の中で、「日本語で考えて整理して、自分が言いたいことを理解したうえで、それを英語にする」というのを繰り返しやっているのかなと思います。

Emi
倫子さんが社会人になってから出会った2つめの壁。1つめの壁があった日本での証券会社時代の後、アメリカで大学院生活を経験し、そのさらに後、今いるニューヨークでの社会人経験の中で、抽象的な話をするときに、また違う種類の英語の壁が出てきた。

確かに、「具体的な情報を伝える」というのもハードルには違いないが、今度は「形のないものを言語化して話す」「前提の違う人を相手に説明する、お互いに理解する」という難しさ。それを克服したコツは?

Tomoko
一つは、相手に対する信頼関係が重要で、相手が自分に対して少し我慢強くなってくれることを期待するしかありません。もう一つは、メールの返事をする際にいったん一呼吸置いてみて、自分が書いたものをもう一回客観視するというのが役に立っていると思います。

コール(電話会議)の場合はなかなか難しいんですけれど、いろんな人が議論しているところに自分も入り込もうとして、「いや、でも抽象的な話だからどうだろう」と思ったときには、事前に少しだけメモをしておきます。「言いたいことは2つあるんだけれども」などと切り出して自分の意見を言えるように心がけると、しゃべりながら考えるシチュエーションにならずに済みます。考えながら口を開くと、どんどん訳わからなくなるので。そのへんは意識するようにしてますね。

Emi
倫子さんが繰り返し言うように、「信頼してもらう」「お互いを理解する」ということができてくると、初めは「英語の壁」に見えていたものが、意識が移行して「英語じゃなかった」となる。それで、気づくと「英語の壁」がなくなっているのかも?

Tomoko
それと関係するかわからないですが、英語がいかに流暢に話せるようになったとしても、結局、自分が話している相手は本当に自分とは違うところからやってきた人間なので、「言葉のエクスチェンジ(交換、やりとり)に依存しすぎない方がいい」と私は思っています。

もちろん仕事上でも英語をちゃんと流暢に話せた方が、スムーズに行くことは多いですし、ニュアンスも伝えやすいです。でも基本的に、「相手を理解するためには丁寧にコミュニケーションするしかないんだろうな」と。「英語がしゃべれなくても、理解できるときはできるんですよ」って思ったりします。(笑)

Emi
英語ができてもできなくても、通じたり通じなかったり。たとえば通じた場合も、決して英語がうまかったからではないかもしれないし、逆に通じなかったとしても、英語が下手だからだけではないかもしれない。そういう経験を繰り返して、「他にどんな要素が関わっているのかな」という見方ができるようになると、英語と少し距離を置いて考えることができるかもしれないですね。

Tomoko
そうですね。うん、本当にそうだと思います。

Emi
プロフィールにもあるとおり、パキスタン、インド、東アフリカなどの人たちと仕事をする倫子さん。文化が違うかもしれない、前提をまだ共有していないかもしれない人たちと初めて会うとき、何かあらかじめ準備する?

Tomoko
あんまりしないですけど、基本的に、相手に対する好奇心をもって接します。わからないことは「わからない」と言うのが結構重要なのかなと思います。また、「あなたのことが知りたいから、いま話をしている」というスタンスでコミュニケーションをすること。

世界には英語が母語でない人の方が多いです。「自分は他の人より英語が下手」など引け目な感じで接すると、「真摯に相手のことを知りたい」という気持ちの邪魔になるので、そういうことを深く考えずに、聞きたいことを聞けばいいと思います。

Emi
「真摯に」という部分は、すごく大事。当たり前のことだけれど、つい「英語」という言語に気を取られていると、正直さみたいなものが削られてしまって、「それはさておき、きれいに話さなくちゃいけない」「流暢に伝えなくちゃいけない」という方にどうも意識が向いてしまう。

やはりコミュニケーションの根源である、人間関係、信頼、相手への興味、本当に聞きたいことを好奇心をもって聞くこと。それができていれば、たとえ言語に多少不備があっても、かえっていい会話ができる。

Tomoko
いまの話から、仕事で出会ったあるパキスタンの女性のことを思い出しました。このあいだ、彼女が母語ではない英語を使ってステージ上で自分のストーリーを話す機会があったんです。英語が全然得意じゃないので、すごくゆっくりで、ネイティブの人から見たらたどたどしい英語でしゃべっていたんですけど、話している内容そのものがすごくパワフルで人を惹きつけるメッセージがあった。そういうのを見ていると、どの言語であれ、「何を話したいか」「何を伝えたいか」というのをわかりやすく説明できるようにしておくということが重要だと感じます。

外国では、前提がわからないせいもあって、「あなたは何しているの」とか「あなたは何にワクワクするの」「これから何をしようとしているの」とか、いろんな質問を受けます。そういうとき、英語の前に日本語で答えられないようだと、結局ペラペラっと話したふりをしても、内容がないので、相手につっこまれてさらに話が進まない。やっぱり、人を惹きつけたり、人に何かを残したりするのは言語じゃないんだと思います。

ただ、話す以外にも、私は英語ができるようになってすごくよかったことがあります。インターネット上にある情報の多くは、英語で書かれています。たとえばGoogleを活用するときに、日本語だけじゃなく英語でも検索し、英語でヒットしたもののうち、どれがクオリティが高いものなのかを見極められる力があると、アクセスできる情報や可能性の幅が断然広くなると思います。

Emi
英語でしか得られない情報を取捨選択できるようになるための英語力ですね。

生身の人間を相手に、相手からの協力を引き出しながら自分の言いたいことを伝えたり、相手の言っていることを理解したりするコミュニケーションと、ネット上などで相手の顔が見えない情報を得るコミュニケーション。二つタイプのコミュニケーションにおいて英語の使い方が異なる。

今の話に関連して、「たどたどしい、十分でない英語であっても、メッセージは伝えられる」という見本に触れることが、ひょっとすると自分がどんな英語を目指すのかを決めるヒントになるかも。あまりにも流暢なものばかりを見ていると、「ああならないと英語は使えないんだ」と思い込んでしまうかもしれないですね。

日本では、コツコツ真面目に勉強をしていても「怖くて英語を使えない」「もう少しうまくなってからにしよう」という声をよく聞く。倫子さんのように、いろんな国、いろんな文化の人たちと英語を通じてコミュニケーションしている人から見て、その怖さはどうやって払拭したらいいと思う?

Tomoko
それは英語に限らず、起業家支援をやっているときにも話題に上ります。「Fail fast」、要はどう早い段階で失敗を経験するか、そこから学んで次の行動に動いていくかということです。まあ、みんな頭の中では「早く失敗した方がいい」「英語を早く練習した方がいい」とわかっていたとしても、そう簡単なことではないですよね。

「一歩を踏み出すのはその人次第。行動できるかどうかは本人次第」というのが私の考えですけど、私は、「『リスクを取らなかった場合のリスク』『より後悔するのはどちらか』というシナリオを、自分で考える必要がある」と思っています。失敗を避けて安定を選び、準備をしてから飛び立つことのリスクは意外と大きく、もしかしたら飛び立ったときには“時すでに遅し”だったり、失敗の量が大きくなってしまって重大なケガをする場合もあるのかな、と感じます。

一方、早い段階でリスクをとって失敗して恥をかくというのは、そのときの恥はつらいかもしれないですけど、早めに次のステップに対するアイディアをもらえます。中長期で見たら、最初の恥なんてたいしたことない。

「それでも決意ができない人は、ピア・プレッシャーを使うしかないのかな」と思います。自分の周りを、実際にもう勇気を出して、飛び出した人でなるべく囲んで、「自分以外の人はみんなとっくに勇気を出していた」という環境に自分を置く。「なんで自分はやってないんだろう」と、自分に暗示をかけるなどの工夫をする。戦略的にどういう人の話を聞くか決める。

やっぱり周りにまったく行動していない人しかいない環境だと、行動することのリスクも大きく感じられ、「行動しなくてもいいんじゃないか」という気持ちにもなると思います。「どういう人と時間を過ごすか」に意識を向けて、自分の行動を少しずつ変えるというのがいいんじゃないでしょうか。

Emi
今日ここで、すでに一歩を踏み出して、ずっと先を行っている倫子さんの話を聞いて、「背中を押された」という人が出てくるといいですね。

Tomoko
そうですね。この数年間、いろんな人がいろんなかたちで英語を使って海外で活躍しているのを見ているので、日本の人たちもできると思います。

「日本の学校教育では完全に学べない」というのが現状ですけど、今はテクノロジーもあります。ソーシャルメディアやツイッターも、使い方によっては、自分が近づきたいロールモデルの人と近づけるツールになり得ます。可能性はいろいろあるので、興味につながる一歩になれるといいなと思います。

Emi
どんな環境を整えるかはその人次第。ひょっとしたら、「ちょっと怖いな」と思っている人にとって、今日のこのお話が、その人の環境の一部になるかもしれない。

Tomoko
だといいですね。

Emi
ね。だといいですね。本日はありがとうございました。

Tomoko
ありがとうございました。

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