#06. 下向 依梨さん(教育クリエイター)

教育クリエイターの下向 依梨さんに、日本の小中学校や英会話教室、中学の頃のカナダ滞在、スイスでの高校生活、アメリカ訪問などによって変化してきた英語学習に対するモチベーション、日本にいながら英語を学び続ける方法についてうかがいました。

下向 依梨 Eri Shimomukai

大阪府出身。教育クリエイターとして主に小学生向けの英語・算数・教科横断教材・カリキュラムの設計、教室運営のコンサルティングを行う。

中学卒業後、単身スイスにわたり全寮制の高校に進学し卒業後、帰国し、慶應義塾大学総合政策学部に入学。

社会起業家の経験値や暗黙知をパターン・ランゲージの手法を用いて言語化した『チェンジメイキング・パターン』を 日本語と英語で製作し、英語版を出版。2014年に渡米し、ペンシルベニア大学教育大学院にて、学習科学・発達心理学の修士号を取得。再度帰国し、東京の全日制のオルタナティブ・スクール(小学校)にて教鞭をとる。

後に現職のLive Innovation取締役・教育クリエイト事業部マネージャーをつとめる。

Elämä(エラマ)

Emi
自己紹介からお願いします。

Eri
はい、下向依梨といいます。教育クリエイターという肩書で、主に教材を作る仕事や先生に向けたトレーニングをしています。「頭のいい人を育てるより、心の豊かな人を育てることによって、豊かで平和な社会をつくる」というコンセプトで、感情や社会スキルにアプローチするような教材を作っています。

Emi
最初に英語に出会ったのは、いつどこで?

Eri
出会いは2種類あります。本当の本当の最初の出会いは、5才のときに『サウンド・オブ・ミュージック』という映画を両親が見せてくれたのがFirst encounterでした。そこに出てくる7人兄弟のいちばん下の女の子がちょうど5才なんですよね。その子と同じ5才のタイミングで、両親が大好きだった映画を見せてくれたというわけです。私は当時から歌うのがすごく好きな子どもだったので、有名な『ドレミの歌』など、映画に出てくる歌を口ずさんでるうちに、勝手に英語をしゃべってるみたいなことになっていました。

Emi
場所は日本?

Eri
そうですね。大阪の自宅です(笑)。

Emi
(笑)大阪で、ご両親は日本人。日本語の環境で5才になって、そこで映画によって初めて英語を聞いて、英語の歌を覚えて歌っていた。

Eri
母親がもともと歌手だということもあって、母がよく歌っていて、そこに姉と私がのせて歌ってるみたいな状況でしたね。

 

姉の英語に、「悔しい」「もっとしゃべりたい」

 

Emi
「英語との出会いが2種類あった」ということですが、もう1つは?

Eri
映画は「英語だかなんだかよくわかんないけど、楽しいからなんとなく口から発してる」という出会いだったと思うんですけど、本当にリアルに英語に触れたのはおそらく小学校3年生のときです。両親の仕事の関係で、職場に英語ネイティブの方が6~7人いらっしゃって、週末にみんなでお食事や遊びに行っていました。両親が彼らの面倒を見てあげたいと思っていたこともあって、家族ぐるみで付き合いがあったんです。

当時中1だった姉と小3だった私とでは、一緒に歌を歌っていたと言えども英語力に差があるわけですよ。ネイティブの方たちがしゃべりかけてくれるのに対して、姉はすごい英語で答えていて。一方、私は「なんとなくこんな感じかな」とわかっていつつも、にこにこしてるだけ。それがリアルな英語を話すという体験で、それは「悔しいな」とか「もっとしゃべりたいな」という気持ちが生まれた瞬間でもあると思います。

Emi
最初の、5才での映画や歌での出会いは、英語なのか何なのかよくわからない状態。2つめの小学校3年生になってからの出会いでは、もうはっきりと「これが英語なんだ」とわかっていた。

ご自身は日本にいて、そこへ英語を母語とするネイティブの人たちが入ってきた。依梨さんのまわりに現れた英語ネイティブの人たちは、大人ばかり?

Eri
20代後半~30代前半の方ばっかりでした。イギリス、カナダ、ニュージーランド、アメリカなど、結構いろんな国からいらっしゃってました。

Emi
いろんな国から来ている人たちがいる場で、「ずっと一緒に歌を楽しんでいたお姉さんが、英語を使っているじゃないか!」と。

Eri
そうなんです。「英語は使うものなんだ」「人と人とがコミュニケーションするためのツールなんだな」と気づいた感じです。

Emi
依梨さんの英語学習は、その小学校3年生のときからすぐ始まった?

Eri
わりとその後すぐ、半年ぐらいのうちに始まりました。小学校4年生に上がった時にクラブ活動が始まって、週に1回、自分の好きな活動をすることになり、私は英会話クラブを選んだんです。

先生は、別に留学経験があるわけじゃないけれど英語がすごく好きな方で、メンバーは10人くらい。1時間ぐらいの間に、毎回新しいフレーズを使って寸劇をする。その時間がすごく楽しかったんですよね。フォーマルに英語学習したのはそれが初めてで、そこが自分の英語学習のセカンドステージだったと思います。

Emi
小学校3年生でちょっと悔しい思いをして、まもなくそんなクラブ活動が始まるとは、いいタイミングでしたね。

Eri
迷わず、「ああ自分は英語がやりたい」と思いました。やっぱり悔しかったし、「もっとしゃべれるようになりたい」「いつもにこにこしてるばっかりなので、月に1回のお食事のときに、英語を披露したい」と思ってました。

Emi
「次のお食事会までに、これを言えるように」など、具体的なモチベーションが持てた?

Eri
そうですね。覚えたフレーズを言うたびに、彼らが喜んでくれたり褒めてくれたりするので、自分としてはゲーム感覚ですごく楽しかったです。

 

「英語は使うと自分のものになる」と実感

 

Emi
クラブでどんなことを覚えて、実際に食事の場でどんなことを言ったか、覚えている?

Eri
「Can I help you?」とか、「Excuse me, where is ~?」「Where is the bathroom?」とか。すごく基礎的なものだったと思います。「I am hungry.」と言ったら、ネイティブの人たちが「あぁすごい」となって、「おなかすいてるんだね」「What do you want to eat?」とか聞かれてしまって。「え、何言ってるの。そのあとはわかんない」みたいな(笑)。

そこで、「学んだことや自分が吸収したものは、使ってみないと自分のものにならない」、逆に言うと「使うとすごく自分のものになるんだな」と感じました。

Emi
実際に使ってみる大切さを知った。相手の反応が見えたり、思いがけない展開になって「あ、ちょっとそこまではまだです」みたいなことも、やってみないとわからないことですからね。

Eri
そうですね。それに、たとえば「Where is the bathroom?」と言ったときに、「Right-hand side.」と言われたら、「あ、“右”は“Right”って言うんだ」とわかる。それが新たな単語をピックアップ*する機会につながったりしました。
*pick up:習得する、覚える

Emi
実際に使ってみると、関連する視覚情報やジェスチャーが入ってくるし、現実と言葉を照らし合わせることで意味がリンクしてくる。

 

英会話スクールでネイティブとの会話に燃える

 

Eri
4年生のときはそんな感じだったのですが、その外国の方たちが立て続けに帰国されたり、私自身も習い事が忙しくなって、彼らとのインタラクションが減ってしまいました。その代わり、ある有名な英会話スクールがうちの近所にできて、そこに子ども英会話みたいなのがあったので、親に懇願して、「自分もやりたいです」とお願いして行かせてもらいました。4年生の後ろの方から5年生の秋ぐらいまで、1年弱ぐらい通って、そこで基礎を固めた感じです。

Emi
「ネイティブの人たちと話す機会が減ったから、なにか別のことをやらなきゃいけない」と思った?

Eri
そういう部分もあったし、あとは「もっと真面目に、本物の英語に触れたいな」と。やっぱり英会話クラブだと先生も英語のプロとかネイティブってわけじゃないし、1週間に1時間で、生徒も10人ぐらいいる。それで、マンツーマンで英会話のレッスンを週に2回ぐらい受けることにしました。

Emi
かなり英語にハマっていた?

Eri
子ども英会話教室はガラス張りになっていて、外から見えたり、会話が少し聞こえるような状態になってるんですけど、見学に来た親子が、「えぇっ、なんかあの子めっちゃ英語しゃべってるよ」と感動するのを見て、「もっと頑張ろう」「うれしいな」とすごく思っていました。すごい単純なんですけど。

Emi
見学に来た人が依梨さんのことを「あの子すごくしゃべってる」と言っているのを、レッスン中に聞いていた?

Eri
そうですそうです(笑)。盗み聞いてました。

Emi
(笑)それをまたモチベーションに?

Eri
そうですね。当時の私は「相手に投げられたボールを、いかに落とさずラリーを続けられるか」みたいなことにモチベーションを燃やしていました。先生に、「こういうふうに言いたいんだけど、この場合どうすればいい?」とか、単元*にないことをプラスアルファで聞いたり、「I see.」「What do you mean?」「What’s that?」「Wow!」など、対話の中で自然に出てくるリアクションの言葉を特別に教えてもらったりしてました。
*単元:カリキュラムの構成単位。ユニット。

Emi
プライベートレッスンで、外国人の先生を相手に、いわば独自のカリキュラムで?

Eri
(笑)勝手に先生からコンテンツを引き出してました。

Emi
それ以前から、英語以外でも「教科書外のことを引き出そう」という姿勢で学ぶ習慣がついていた?

Eri
それ、すごくいい質問ですね。学校での自分と学校の外での自分は結構違っていました。本当は教科書に載ってないことやその外にある関連すること、いろんなことを聞きたかったんですけど、小学校1~2年生ぐらいのときに、「あ、それを聞いたら周りの人の迷惑になるんだな」と思ったんです。それで、学校ではある程度空気を読んでそういうことをしなくなりました。その代わり、自分に対して真摯に向き合ってくれる大人に対しては遠慮なく。1対1だとガンガン邪魔できるじゃないですか。家でもそうしてましたね。

Emi
日本の小学校では、「空気を読む」というか、他の子どもたちのカルチャーにある程度溶け込む必要があり、「もっと聞きたい」「もっと広げたい」と思っても遠慮していた。それが英会話のマンツーマンでは遺憾なく発揮できる。それもひょっとしたら楽しい要素の一つだったかも。

 

どっぷり英語で知った難しさ、苦しさ

 

Emi
小学校5年生ごろから、英会話学校で、文法を含む学習が始まった。それをずっと続けていた?

Eri
中学受験をすることになって塾の方が忙しくなってきたので、5年生の秋に英会話は辞めました。でも、その受験で学校を選ぶときには、「普通の学校より英語がたくさんできる環境に行きたいな」というのを基準にしてました。

Emi
中学校を選ぶときも、英語という教科が軸になっていた。英語に対する興味を、さらに伸ばせる環境はどこかなという基準で学校選びを?

Eri
英語や、日本の外での経験、スピーチコンテストに出ることに対してのサポートがあるかなどを重視していました。

それで、第一志望の学校に入りました。英語教育が本当に古くからある私立の女子校です。キリスト教、プロテスタント系の学校なので、たとえば讃美歌を英語で歌ったり。ALT*の先生が常にどのクラスにもいて、日本人の先生とチームティーチングになっていました。英語は1年生で週に7時間、2年生7時間、3年生が6時間とかだったと思います。英語をどっぷりやりました。
*Assistant Language Teacher:外国語指導助手

Emi
中学の授業で習う英語は、それまでの英会話スクールや、もっと前の映画などを通じて触れた英語と、イメージが変わった?

Eri
「知れば知るほど難しいんだな」というイメージでした。楽しさより難しさの方が先に来てしまって。

その学校では、最初の1ヶ月、ひたすら発音しかやらないんです。発音記号とともに発音練習をしたり、フォニックス*で単語を学んだり。そうやって耳と口で音を学ぶぶんには楽しくて、それはその後もそうだったんですけど、結構ガンガンガンってすぐにレベルアップしてしまって。
*Phonics:文字ごとの発音(音素)を覚えることによって主に単語を読む力を促す方法。

中学3年生が終わるまでに、高校2年生ぐらいまでの文法事項を全部さらっちゃうみたいな学校だったんです。なので、自分のレベルを超えているものを課せられて、最初はしんどかったですね。

Emi
学校の授業といっても、公立の一般の中学とは少し進み方が違うようですね。発音記号やフォニックスなど音を学ぶ段階では、それ以前にやっていた英語とそんなに印象は変わらず、楽しく進んでいた。でも、文法が詰め込みで来て、「あ、英語にはこういう側面もあるんだ」と。その部分はあんまり好きになれなかった?

Eri
そうですね。最初の方は100%理解する前に、先へ進んじゃう感覚があって、「んー、苦しいな」と思ってました。

Emi
時が経った今、特に教育を専門にしている立場から見て、どこが中学生の依梨さんにとって楽しくなかったところだと思う?

Eri
やっぱり自分の生活からちょっと距離があったところでしょうか。習ったことをどう使うのかがわかりませんでした。たとえば、文法どおりに文章が作れても、喜びとかその次の発展性みたいなところが見えなくて。つまり、生活の中で使ったときには見えていた発展性を体感できなかったことが、たぶんいちばんの理由だと思います。

Emi
わりと早くから、「英語は使うものだ」という意識を持っていた依梨さんにとって、「やるにはやるけど、これがいったい何になるのかわからない」というのは、ちょっと納得がいかなかった?「これをやって何になるんだろう」と?

Eri
はい、そうですね。覚えなきゃいけない単語や文法事項って、自分にとって覚える理由が明確じゃないと、なかなかモチベーションにつながらない。

中2の途中ぐらいまで、結構成績は良かったんですけど、その後、まあ自分が思春期でいろいろ調子の良くない時期もあって。そういう時期に、何か漏れがあって文法事項が一つポンと抜けてしまうと、その次をキャッチアップ*するのが結構大変になっていました。
*catch up:追いつく、補う

それで、自分としても身が入らないし、英語も鳴かず飛ばずな、あんまり得意とも言えないような状態でした。ただ、しゃべらせると「依梨、英語うまいよね」と言われるようなキャラではいたので、完全に英語が嫌いになったわけじゃなかったんですけど。「やっぱテストは嫌だな」みたいな感じでした。

Emi
中学のはじめの頃は英語が大好きで、英語を理由に選んだ学校に入学。スタートしてみると、文法や単語を覚えるなど、英語の別の部分があんまり楽しくなくなってきた。でも、たとえば発音や話しかけることは上手にできているから、周りの評価はあいかわらず高く、「英語が得意」と思われている。自分としては「最初ほど好きじゃない」。ギャップが生じている感じですね。

Eri
英語にはいろんな“顔” ― 科目としての “顔”、リアルにコミュニケーションツールとして使うための“顔”など、いくつかあると思うんですけど、いま思えば、「テストに向けての英語の“顔”」があんまり好きじゃなかったんでしょう。「意味ないな」「Pointlessだな」と思ってました(笑)。

Emi
(笑)なるほどなー。でもやっぱり中学校になると、英語のテストは切り離せない。「英語は好きなのに、英語のテストが嫌い」みたいな状態になっていた。

 

カナダのサマースクールで人生が変わった

 

Eri
でも、その後、自分にとってライフ・チェンジング*なことがあったんです。中学校3年生のときに、1ヶ月間カナダのサマースクールに行ったことです。姉が中学3年生のときにカナダに行っていた影響で、「自分も行きたいな」と思って参加しました。
*life-changing:人生を変えるような

そこでは中1から高3まで、学年もバラバラ、国もバラバラでカナダに集まった生徒たちが最初にテストを受けて、レベル別に、確か6クラスに分けられました。私は他の中学よりもずっと進んだ内容をやっていたこともあって、上から2つめのレベルにアサイン*されてしまったんです。
*assign:割り当てる、(クラスに)入れられる

テストでは、たぶん割としゃべれたのと、他の人より文法事項が頭に入ってるので、いろんな表現ができたんですよね。でも、いざクラスに突っ込まれると、本当に全然わからない。「みんなが何をしゃべってるかわかんない」「文法はすごいわかるんだけど、なんかついていけない」「しゃべれない」。日本の中学で起きてるのと逆の現象が起きたことにびっくりしていました。

最初は「もう嫌だな」「1ヶ月もこのレベルにいられないから、下のレベルに降りようかな」なんてことも考えました。私は中3で、周りには高2や高3の人もいる中で、日本人の中では私がいちばん上のレベルにいたんです。それは、「まあうれしいはうれしいけど、でもちょっと見合ってない」と思っていました。

Emi
かなり高いレベルのクラスに入れられたこと自体は、「自分がやってきたことに意味があった」という手ごたえになっていたかも。ただ、クラスには、年上の人も、もっとしゃべれる人もいる。苦手だと思っていた文法はまあなんとかなるけど、逆に、得意だと思っていた話すことが大変だった。

Eri
そうなんですよ。逆に大変でした。なので、下のレベルにいる違う国の子たち、特にアジア圏の子とは話せても、同じクラスの、たとえばブラジルやヨーロッパなど英語と似た言語の国から来た子たちとは同じペースで話せなくて、気後れしていました。

だけど、「ここでひるんだら、自分は成長しないな」と思って、クラスを下げることなく頑張ってみたんです。すると2週間目ぐらいから、周りの子たちの言ってることを聞いて、「あ、結構文法めちゃくちゃだな」と(笑)。「これは私が丁寧に丁寧にしゃべろうとしすぎて、口から出ないんだな」と気づきはじめました。

そこで、ゆっくりでもいいから着実にしゃべるスタイルを貫くか、文法は適当でもとりあえず思ったことを口から出してみるか、どっちにしようかなと考えて、それまでにやったことのない方をやってみることにしました。ブラジルの子たちは本当に文法がめちゃくちゃで、当時私はそれを“ブラジリアンスタイル”と呼んでたんですけど(笑)、「自分も彼らみたいにしゃべってみよう!」と思って。そうしたら、2週間目の終わりごろから自分の中で「しゃべれるようになってきたな」と感じられるようになって、「あ、意外と全然通じる」「それっぽく聞こえる」「ディスカッションにもついていけるようになった」となっていきました。大きな成功体験だったと思います。

Emi
滞在1ヶ月のうち前半は、それまでに体験したことのないような場に入ってしまって、驚いたり動揺したり落ち込んだり。でも後半に切り替えるタイミングがあった。ポイントとしては、「自分の英語はゆっくり丁寧、文法がしっかりしている」「周りの人たちがやっているのは別の方法なんだ」。どこでそれに気づいた?

Eri
たぶん観察をじっくりしたんだと思います。「『悔しい』と感じることはいいことだな」と思っていました。自分が「うらやましい」「自分もこういうふうにしゃべれたらいいのに」という気持ちになっていることに気づいて、「だったら、彼らの真似をしてみよう」「じゃあ真似をするために、彼らがどういうふうにしゃべっているのか、じっくり観察、傾聴してみよう」と。それが、気づきにつながったと思います。

Emi
すごいなぁ。

 

観察と気持ちの切り替えがモチベーションに

 

Emi
最初に面くらって、「うわー困った」「クラスを下げようかな」「ここじゃついていけないんじゃないかな」と思いつつも、周りの人が使っている英語を冷静に聞いたり、分析したりしていた。

Eri
当時、具体的にどう分析していたかを振り返ると、私、授業でとるノート以外に『なんだこれフレーズ帳』みたいなのを作っていたんです。”Well…”とか、「なんだこれ」と思う音っていろいろあるじゃないですか。「えぇ?そんな単語、聞いたことない」というのが聞こえたら、とりあえずカタカナでもなんでもいいからノートにバッとメモする。そして、それを後で帰ってからとか先生に聞いて調べる。先生に、「さっきあの子がこういうこと言ってたと思うんですけど、どういう意味ですか」って聞いてましたね。だからそのノートには、なんかよくわかんない文字の列が並んでました(笑)。

Emi
周りでわからないことが繰り広げられているときだからこそ、そのわからないことをとにかく書き取って、後でその“正体”を確認していた。

偉い子ですねぇ(笑)。

Eri
いやぁ(笑)。当時の私は「こうやって全部アミですくえば、自分の英語は上達するんじゃないか」と思ってたんでしょうね。

Emi
観察から気づいた違いもあったし、そこで気持ちも切り替えられた。“ブラジリアンスタイル”に切り替えてからは、会話もスムーズになって、楽しくなった?

Eri
そうですね。たとえば、ディスカッションのトピックにしても、「父親も子育てに参加すべきか否か」みたいなことを語ったり。日本の学校では絶対行われないようなディスカッションでした。だからこそ、「英語で考えて、英語で話すことができるんだ」という自信にすごくつながりました。それで、「日本に帰ってからも、わかんなくてもBBCのニュースを見て、それについて姉や親と話してみようかな」と思いましたね。

なので、その後は教科としての英語に対してもモチベーションがすごく上がりました。ディスカッションの中でも、難しい単語はいっぱい出てくるわけです。だから、「ああ、ボキャブラリーや文法を貯めておけば、そういう場面で自分が表現したいことを表現できて、理解したいことを理解できるんだ」「ある種、これは貯金活動なんだな」と思ったら、モチベーションが上がって勉強につながりました。

Emi
カナダに行く前は、文法にしろボキャブラリーにしろ、「これ、やってどうなるのかな」と納得いかない状態だった。カナダでの経験を経て、「ああ、このためだったんだ」というのがわかって、地道に英語の“貯金”をする気にもなった。

Eri
はい(笑)。その経験をもとに、それから私は中学でうまくいってなかったのもあって、高校で海外に出てしまおうと思いました。海外には、日本で話さない、考えられないトピックがいっぱいある。そして、当時の自分が考えたり学んだりする言語として、英語というストレートな言語と自分はすごく相性がいいかなと。「英語で学ぶ」という環境を選択することにしました。

 

スイスの高校へ

 

Emi
英語の高校といってもたくさん選択肢がある中、プロフィールにもあるとおり、スイスへ渡った?

Eri
「なんでスイスなんですか?」とよく聞かれますが、理由はいくつかあります。最初は「アメリカに行こうかな」と思ったんですけど、「アメリカに行っても、アメリカ人になるだけなのかな」「やっぱり自分は、バランス感覚をもっていろんな世界の側面を知っていきたい」というのがあって、「もしかしたら英語圏の国じゃないところで英語を使って学んだ方がいいのかな」となんとなく考えていました。

カナダやヨーロッパの学校を調べていた頃、両親が「現地校に飛び込むのはあまりにも心配なので、英語で学べる日本人学校にしてほしい」と言ったので、両親と私の意志の折衷案で、日本人がいるボーディングスクール*に行きました。
*boarding school:全寮制の学校

Emi
小学校のときには、日本でいろんな国の人たちと出会っていた。カナダでは、いろんな国の人たちがいる中で英語を学ぶやる気に火がついた。だから、たとえばアメリカに行ってアメリカ人だらけの環境に入るよりも、もっといろんな国の人たちが集まる場所を目指していたのかも。

スイスでは、日本人のいるボーディングスクール、全寮制の学校に。

Eri
はい。1年目は英語の授業はESL*だけなんですけど、ESLがだいたい全授業の4~5割を占めていて、あとは日本語で授業を受けていました。2年生からは2つの選択肢があって、日本の大学に進学するためのコースか、海外の大学に進学するためのコースかが選べました。海外に進学する方のコースを選ぶと、数学や物理など、他の科目も基本的に英語でやる。それにプラスアルファでESLの授業が補足的にあって、あとは日本史など必要なものだけを日本語でやるというコースでした。私はそちらの方を選んで、英語以外の教科学習も英語でしていました。
*English as a Second Language:英語が母語でない人向けのクラス

Emi
スイスでのESLは、日本の英語の授業と違いがあった?

Eri
基本的に先生は全員ネイティブなので、日本語をいっさい介さない学習でした。それと、コミュニケーションベースで、扱う教材もやっぱり全然日本人の視点じゃなかったです。それはすごくおもしろかったですね。

Emi
コミュニケーションという面も、日本にない視点というのも、依梨さんの好きそうなところですよね(笑)。

 

アメリカで得た自信と課題

 

Emi
その1年間を経た後は、自分でも「英語ができてきたな」「もう全部英語でも大丈夫」という感じがあった?

Eri
最低限はできていました。実は、1年生と2年生の間の夏休みに、約6週間、知り合いのアメリカ人の家に滞在したんですが、それがニューヨーク州のめちゃめちゃ郊外の田舎だったんです。アジア人もなかなかいないような地域で、ホームステイ先の同い年の女の子がいたので、その子の高校に一緒に通うっていう(笑)。当時の自分には、すごくチャレンジング*なことでした。その経験を通して、英語の総復習になったというか、「今まで積み上げてきた英語で、自分はなんとか生きていけるんだな」という感じで、すごく自信につながりましたね。
*challenging:やりがいのある、能力の試される

ステイ先では、その同い年の女の子と一緒の部屋で寝てたんですけど、話したくても話せない日々でした。やっぱりネイティブの英語と、普段ボーディングスクールで友達としゃべってる英語とは質が違いました。それまでの「英語ができてる」という感覚はESLの中でのものだったんです。初めてネイティブの同い年の子たちと触れ合う機会をもって、また新たに挫折を経験したというか、「あ、次のレベルがあるんだな」と気づきました。それはその後もずっと思い続けるんですけど、当時はESLとネイティブの間の壁の厚さにすごく悩まされていました。

Emi
当時は依梨さん自身も高校生ですが、やっぱり若い子たち、しかも外国人にあまり慣れていないネイティブの英語は、いま振り返ってもハードルとして高いのでは。

ESLである程度自信ができてきたところへ、「これでもまだ次の段階があるんだ」と思った。それは6週間のうちに、なんとかなっていった?

Eri
あんまりなんともならなかったんですよね。だからそれが悔しさとなって、また次の英語学習へのモチベーションにつながったかなと思います。

たとえば、アメリカ滞在中、学校でみんながやっていたLiterature(文学)のクラスなどは全然わかりませんでした。その経験をしてスイスに帰ったら、ちょうどそのときから他の科目も英語で学ぶ時期がスタートしたわけです。「よし、1年後にまたあの高校に行ったら、今度はわかるようになりたい。そのために、いろんなTerminology(専門用語)を覚えよう」と思ってましたね。

Emi
おもしろいですね。小学校のときには「あ、お姉さんっていうレベルの高い人がいるんだ」というところから目標のステップができて、「悔しいから頑張ろう」と乗り越えた。カナダでは「わ、すごいクラスに入っちゃった」と最初に感じたことが、また少し高いところにあるステップとなってそれを乗り越えた。スイスに行ってからも、「スイスではうまくいくけど、アメリカではそうはいかないんだ」と知って、それを持って帰った。そういう経験を重ねているんですね。

Eri
そうですね。私の英語学習はそんな感じです。ま、英語だけじゃなく他のこともそうかもしれないんですけど。

 

英語を使う機会を意図的に、自分でつくる

 

Eri
日本に帰ってからは、大学に9月入学で入ったので、帰国子女が多い環境でした。周りの友達と遊ぶときに英語をしゃべっていたりとか。スイスにいたときは、基本的に友達としゃべるときは日本語だったので、むしろ日常会話の英語は日本に帰ってきてからの方が上達したかなと思います。

だから、どの場所にいるかというのはあんまり関係なくて、やっぱり「どういう人とコミュニケーションをとるかなんだな」というのはすごく思いました。それと、大学では英語の授業もありましたが、他の専門的な科目の授業も英語で受けられるようなところだったので、英語を忘れないように、さらに上達させるようにと心がけていました。大学の先には海外の大学院に行きたいとも考えていたので、専門的なことを英語で学ぶ訓練を徐々に徐々にやっていましたね。

Emi
場所は日本だけれど、周りにいるのは帰国子女など英語を普通に使える人たち。では、その後またアメリカに留学したときは、スムーズなトランジション*だった?
*transition:移行、転換

Eri
わりとスムーズだったと思います。たぶんスムーズにできたもう一つの要因は、インターンの経験です。スタンフォード大学の中にある、アジアの学生に向けて学習プログラムを提供するNPO法人で、約2年間、プログラムを作って実際に提供していました。そこではネイティブのスタッフと一緒に、仕事をするような感覚でやっていたので、業務的な英語をビルドアップ*できました。おかげで、コミュニケーションの面でも、文法的な読み書きの面でも、上達したかなと思います。
*build up:築き上げる、高める

Emi
日本の大学にいながら、英語で日常のコミュニケーションをしたり、専門性の高い読み書きをしたり、業務的なやりとりをする相手もいた。留学前の準備として、普通はなかなか手に入らない機会に恵まれていたということですね。

Eri
やっぱり自分としても、「せっかく人よりも英語ができるんだから、もっといろんなチャンスをものにしたい」と思って、あえて日本の外のopportunity(機会)にも目を向けていました。

Emi
日本にいても、そういう環境を作ろうと思えばできるということですよね。

Eri
そうですね。それから、「英語を学ぶ」を最終目的にするんじゃなくて、やっぱり「英語を使って何かをする」。英語の上達、学習のためには、何か物事を作ったりすることがいちばん効果的なんだなと、大学時代に強く感じました。

Emi
「英語を使った先に何かがあるから、そのために英語を勉強する」というモチベーションですね。

「日本にいながら英語を使う環境を作る」という点に関して、依梨さんはアメリカでの大学院生活を終えて日本に戻って約1年半。留学を終えた人たちは「日本に戻ってしまうと英語を使う機会がない」「自分の英語が日々衰えている感じがする」と言うことが多いが、そのあたりはどうしている?

Eri
私の場合は、海外出張や学会に行くなど、仕事で英語を使う機会があります。やっぱり「仕事で英語を使う機会を、意図的に、自分でつくる」というのは大切だと思います。

それから、私の研究分野では日本語の文献がなかなかないので、海外の学会誌やアカデミックな雑誌をsubscribe(購読)して、常に自分の専門に関わる情報を通して英語に触れる工夫をしています。「上達はしないけど、落ちてはないかな」と思います。

Emi
今日のお話には、子ども、中高生、日本の大学生、留学を終えた社会人など、いろんな方にとって「あ、自分もそうだな」と思うポイントが、あちらこちらにあるような気がします。

Eri
よかったです。私の経験が役に立てばうれしいです。

Emi
本日はありがとうございました。

Eri
ありがとうございました。

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