#21. 山本 未生さん(World in Tohoku代表理事)

World in Tohoku代表理事の山本 未生さんに、幼少期から揺らぐことのない「外国の人とコミュニケーションしたい」という想い、自ら学ぶ場所を探し、自らの学びを実践してきた経験、大勢の中で言いたいことを言うためのコツなどについてうかがいました。

山本 未生 Mio Yamamoto

一般社団法人WIT共同設立者&代表理事。国境やセクター、世代などの境を越えて、一人ひとりが社会を良くする一歩を踏み出しあえるエコシステム、Change-making Communitiesを人生のビジョンとして活動しています。

大学時代、マレーシアの非営利団体での経験を通じて、戦略・ネットワーク・資金の不足が、非営利団体のミッション達成を妨げていることを実感。大学後は住友化学株式会社で営業・マーケティングに携わりつつ、SVP東京にて社会起業家を資金・経営面で支援。2011年、東日本大震災を機にWIA(現WIT)を設立。日米のビジネスエグゼクティブ、NPO/社会企業、若手ビジネスリーダーが、事業提携・メンタリング・ボードマッチング等共創を行う事業を展開している。

英語日本語双方での講演多数。2005年東京大学教養学部総合社会科学科国際関係論課程卒業。2013年MITスローン・スクール・オブ・マネジメントでMBAを取得。ボストン在住。

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Emi
自己紹介からお願いできますか?

Mio
はじめまして、山本未生です。日本で生まれて育って、2009年からアメリカ在住。今はマサチューセッツ州ボストンに住んでいます。仕事は、一般社団法人 WIT という非営利組織の代表をしています。日本の法人なので、日本とアメリカの遠隔で行き来したりもしながら、社会起業団体や NPO と日米のビジネスパーソンをつなぎ、それによってソーシャルイノベーションを加速させるという仕事です。

Emi
社会起業団体、人と人、日本とアメリカをつなぐ。仕事では日本語と英語のどちらも使っている?

Mio
そうですね。メンバーには日本人の他、主にアメリカ人ですが英語を話す人がいますし、理事にもアメリカ人がいます。また、私たちは外に伝える内容を日英の両言語で発信しようとしているので、常にバイリンガルという感じです。

Emi
日本で英語を使ったり、アメリカで日本語を使ったり。未生さんの今の生活全体で、日本語と英語の割合は?

Mio
アメリカにいると日中は英語ですが、夜と朝には日本とのミーティングが入るので日本語が多くなります。あと、旦那さんが日本人なので、彼との会話は日本語です。

Emi
おもしろいですね。アメリカが昼間のうちは英語、日本が昼間になると日本語(笑)。

Mio
(笑)そうですね。英語を使うのは、1日のうち1/3ぐらいかな。

 

英語の歌が、子守唄でした

 

Emi
英語と最初に出会ったのは、いつどこで?

Mio
たぶん幼稚園に上がる前、毎晩寝る前に聴いていたカセットテープです。当時はまだカセットテープの時代で、そこにお母さんが入れてくれていたのが英語の歌だったんです。マザーグースやクリスマスソングなど、英語の童謡。意味はわからないけど、子どもだから歌うようになるじゃないですか。それがたぶんいちばん最初だったと思う。

Emi
日本語で生活しながら、寝る前には英語の歌を子守唄がわりに聴いていた。お母様が英語教育のために用意して聴かせていた?

Mio
私は長女なので、お母さんが買ってきたんだと思うんですが、別に「これを歌えるようになりなさい」というわけではありませんでした。他の日本語のテープと同じような感じで、その中に入っていたんだよね。

Emi
英語の歌が流れる中、いつのまにか寝ちゃう。歌っていたら寝れなくなりそうですけど?(笑)

Mio
そんなそんな。本気で歌ったりしないんで(笑)。寝れない時に絵本を読んでもらう感じで、カセットテープをポチッと。ほとんど覚えてないですけど。

Emi
それは好きだった?楽しかった?

Mio
好きだったと思います。歌だし、楽しいし。「その時に聞いていた発音がすごく役立っている」と思いますし。

Emi
ずっと続けていた?

Mio
いつごろ聴くのをやめたか、全然覚えていないです。テープ自体はずっと家にありましたけどね。

 

「言葉や文化が違うだけで、友達になれないのはおかしい」

 

Emi
その次に英語をやっていた記憶は?

Mio
小学校1年生の時に、クラスに転校生が来たんです。たぶん日系台湾人。その子との体験が結構強烈でした。転校生は日本語がほとんどしゃべれないので、クラスで浮いちゃっていた。そういう状況を見て「あぁ悲しいな」と思って。それである日、もちろん日本語ですけれど、「友達にならない?」とその子に話しかけました。それで友達になって遊ぶようになったんですね。

これはその時に思ったのか、後で思ったのかわからないですけれど、「言葉や文化、国が違うというだけで、コミュニケーションができなくなったり、友達になれないというのはおかしいな」と。「じゃあどうしたらいいんだろう」と考えて、「世界でいちばん話されている言語は英語である。だから英語を学ぼう」となりました。

でも、小学校では英語の授業がないじゃないですか。だから、わら半紙に、りんごの絵と英語で「Apple」って書いて、トイレの壁に貼ってた(笑)。Aから何まで書いたか知らないけど、ぶわーってすごいいっぱい貼ってて。

Emi
紙1枚に、アルファベット1個?

Mio
そうそう。お母さんに「何やってんの」と言われてました(笑)。

Emi
小学校1年生のとき、日本の公立小学校に、日本語のできない子が転入してきた。そこで“文化の壁”、“言葉の壁”を感じて、「これは良くないな」と。台湾から来た子なら、中国語に向かうのでは?

Mio
たぶんその時ではなくて、小学校の低学年の頃にそう思ったんだよね。台湾が中国語ということも知らなくて、ただ単に「言語が違う中で、どうしたらいいんだろう」と考えて、「話す人がいちばん多いのは、英語だ」と。

Emi
その情報はどこから入った?

Mio
わからない。(笑)

Emi
(笑)ご両親は英語を使っていた?

Mio
使ってない、全然。(笑)

Emi
でも、どこかから聞いたんでしょうね。小学生で「外国の人とコミュニケーションを取るためには、自分が英語をやるのがいちばん早い」と考えた。それで、わら半紙に。よく英会話教室には市販のものが貼ってありますが、自作で。AからZまで完成した?

Mio
たぶんしたんだと思うんですよね。「Apple」はいちばん最初だから覚えていますが、それ以外は、いっぱい貼ったことしか覚えてないです。あとは、家族に「邪魔だな」「なんでこんな貼ってあるんだろう」と言われていたこと。(笑)

Emi
何かを見ながら書いた?

Mio
あ、いま思い出した!家にアルファベットの本がありました。赤くて、薄い子ども用のABCの絵本。「A」にはアップルとかワニとかの絵が描いてあった。そういうところから着想を得てたんじゃないかしら。

Emi
素晴らしいですね。絵本をただ見るだけではなく、そこから抜き書きして、自分が1日の中で必ず立ち寄るトイレに(笑)。

Mio
なんでトイレなんだよ(笑)。

Emi
「覚えよう」という意思があったということですよね。日本の子どもは九九や地図を貼って覚えることがよくありますが、未生さんは他の教科でも書いて貼っていた?

Mio
うーん、少しはしていたかもしれないです。あんまり覚えてない。でも、そういうのとか、百ます計算、漢字とかは学校でひたすら繰り返しやるじゃないですか。だからわざわざ家に貼ったりはしていなかったかも。

Emi
なるほど。「英語は学校でやらないから、自分でやらなくちゃ」と。小学生なのに、独立心がすごい。楽しくて、きっと「最後まで行くぞ!」という気持ちだったんでしょうね。(笑)

Mio
絵を描くのが好きだったし。よくやりましたよね。自分じゃないみたいです(笑)。

Emi
英単語は覚えた?

Mio
うーん、わかんない。覚えたんじゃないかな。何とも言えないです。誰もテストしないしね。でも、覚えようとはしたんだと思います。

 

文通、歌、ラジオ

 

Emi
小学生のうちは単語を見て覚える程度。では、中学校で英語が始まってからはどうだった?

Mio
今でも覚えているのが、さっき言った「テープが役に立った瞬間」です。英語の授業が始まって、時間の言い方を習いますよね。7時だったら「セブン・オクロック」。でも、私はテープの中にあったマザーグースの時計の歌を聴いていたから、普通に「seven o’clock」って、/n/と/o/をつなげて言ったんです。そしたら先生がびっくりして、「その言い方はどこで習ったんだ」と言われ、「そういえば、あのテープでそう言ってたな」みたいな。

Emi
テープを聴いてから7~8年経って、中学1年生の授業で、「あ、あのことだ」とつながった。

Mio
そうそう。それで、「そうか、意味があった」と。(笑)

Emi
よく覚えてましたね。小さいうちに、意味がわからなくても英語を聞かせておいた方がいいのかもしれない?

Mio
うん、やっぱり耳が慣れるね。

中学では英語がいちばん好きな科目になって、自分でもやりたいから、いろいろ試しました。「学校の勉強はあまり助けにならない」ということがわかったので(笑)、まず海外の人と英語で文通、「ペンパル」を始めました。その頃は SNS もないので、便箋に書いて、送って、返事が来るのを待つ。相手はオーストラリアの子と、マレーシアか中国の子でした。

Emi
先ほどの「seven o’clock」のことですが、中学生の思春期に、子どもによっては「日本の教室で、英語っぽい、ネイティブっぽい発音をすることに抵抗がある」という場合があります。特に、先生がびっくりするというような際立った反応したことで、「変なこと言っちゃった」「もうやめよう」と引っ込めちゃう子もいます。未生さんは全然気にならなかった?

Mio
なるほど。これは深いですね。私はなかったけど、そういう場合が存在するということは…興味深いよね。私は「発音って大事だな」と思っていたので、強化するためにセリーヌ・ディオンとか、英語の歌をよく聞いていました。(笑)

Emi
もともと童謡を聴いていたこともあり、「発音の強化のために」と、英語の歌を聴いていた。

「学校の勉強は役に立たないと思った」というのは?

Mio
どうしてそう思ったのかわからないんですけど、「これでは十分ではない。コミュニケーションが取れるようにならないだろう」という何かがあったんだよね。学校の英語は、ほとんど読み書きだけなので、「これじゃあ、しゃべる・聞くがない」と感じてた。

Emi
「学校だけじゃ足りないから、自分で補強しよう」ということで、思いついたのが文通。相手は同世代で、共通の話題もあった。そこで読む、書く、自分の言いたいことを表現する。文化が違うから、自分の国のことを説明することもあったかも?

Mio
文通と、さっき言った歌を歌うこと、あともう一つはNHKのラジオ。『基礎英語』。

Emi
「歌を歌いながら発音の練習」というのは?

Mio
CDの歌詞ブックを見ながら、合わせて歌えるように。歌手本人と同じように聞こえていれば発音できるはずだから。

Emi
中学生の知らない単語もいっぱい出てきますよね? 意味は気にしていた?

Mio
意味はあんまり調べてない。セリーヌ・ディオンだとラブソングが多いので、そんなに難しい単語は使わないですよね。だから、いちいち調べたりはしてないな。

Emi
意味は大体わかるし、わからないものがあっても細かく追求しない。あくまでも音の練習として、音を楽しんで自分の発音を確認していた。

Mio
カラオケみたいな感覚で、「一緒に歌えれば楽しい」。

Emi
たとえば「この発音がいまいちできないから、ここだけ何回も戻して」とか…

Mio
(笑)しないしない。

Emi
だんだんわかってきました(笑)。発音できないことはあったかもしれないけれど、突き詰めない。なんとなく一緒に歌って、リズムや流れをつかむようにしていた。

『基礎英語』は毎日聞いていた?

Mio
3年間ずっと毎日聞いていたわけではないです。3年生になって、部活が終わり、集中して受験勉強するための期間に入ってからは毎日聞いていました。

Emi
高校受験のために聞き始めた?

Mio
いやぁ、高校受験のためというわけではなさそうですね。別にラジオで紹介されたものが受験に出るわけではないので。ただ「英語ができるようになりたい」と思っていたんだよね。番組は夕方放送なので、夕ごはんの時間にかかっちゃう。でも聞きたいから夕ごはんを後にまわして、「なんで来ないの!」って怒られていた(笑)。なんか聞きたかったんですね。

Emi
情熱を感じますね。

文通で英語を書く。歌で自分の口から英語の音を発する。ラジオを聴く。この中でいちばん「後々、自分の役に立ったな」と思うのはどれですか?

Mio
全部役に立ったけど、いちばん「やっててよかったな」と思うのは、ラジオでシャドーイングをしていたことです。番組は別にシャドーイングを目的としているわけではなくて、毎回テーマがあって、練習時間がある。そのとき先生が英語で言うところを全部シャドーイングしようとしてたんです。それはすごく役に立ちました。

Emi
『基礎英語』のネイティブ講師が話しているのに対し、普通はテキストを見て質問に答えたり、リピートしたり。未生さんはその音声が流れてくるのとほぼ同時に発音して、シャドーイングに使っていた。

Mio
そうそう。それで、テキストは持ってなかったんです。うちはお小遣いがなかったんですよね。テキストを買うとかとんでもないので、テキストなしで音声のみ。(笑)

Emi
目から入る情報は何もない状態で、講師の言っていること、聞こえてくる音に合わせてシャドーイング。それは中学生の未生さんが自ら編み出した方法?

Mio
とにかく「コミュニケーションを取れるようにならなきゃいけない」と思っていました。「英語で人とコミュニケーションを取れるようになる」というのがすべての目的。そのためにやるという感じ。

Emi
小学校で台湾から来た子と友達になった頃と同じ気持ち?

Mio
まあ、根源は一緒だと思います。(笑)

Emi
中学時代、外国人との接点は?

Mio
年に1人、たまに交換留学生が来るぐらい。それも1年いるんじゃなくて、1か月ぐらいで帰っちゃう。

Emi
一般的な日本の子どもと同じくらいで、接点はあまりなかった。でも未生さんには「もっと英語ができるようにならなくちゃ」「まだ足りない」という気持ちが。

Mio
何かあったんですよね。

 

英語を使う場所は学校の外に

 

Emi
英語への情熱は、高校に入ってからも続いていた?

Mio
そうですね。高校に入ってからは自分でバイトしてお金も得られるようになるし、もう少しクリエイティブなことができました。高校の時に役立ったのは、近くの教会で宣教師がやっていた無料の英語教室かな。

Emi
学校の勉強とは別の方法で英語を学ぼうと、教会でESLのようなクラスに参加していた。

プロフィールを拝見すると、進学先は東京大学教養学部総合社会科学科国際関係論。「外国人とコミュニケーションをとりたい」という気持ちから、外国との接点を具体的に持つことに?

Mio
高校の頃は「通訳になりたいな」と思っていました。大学に入って、国際協力や世界の人をサポートする、つなぐことに興味が出てきて、国際関係論を選びました。

Emi
通訳になりたかったということは、英語を専門的にやるつもりもあった?

Mio
うーん、あんまりそこまで深く考えてなかったと思います。「通訳という仕事があるんだな」というぐらいで、別に調べたりもしなかったし。ただ英語が好きだから、通訳。通訳になるなら外語大に行けばいいのかなぐらいの、連想の範囲を出ない(笑)。

Emi
そこはわりと普通の高校生だった(笑)。「英語、ということは通訳、ということは外大かな」。

Mio
そうそう。授業ではよく寝てたしね。友達が他の大学を受けると聞いて、「そういう大学もあるんだ」みたいな(笑)。

Emi
自分で英語を習いに行ったりしない限り、日常生活で外国との接点はなかった。大学に入った後は?

Mio
うーん、留学生はクラスに1人ぐらいいますけど、自然にしていると英語に触れる機会はないですよね。授業も日本語だし。それで、将来のキャリアや進路を考えて、大学の途中で東南アジアにインターンシップに行ったんですが、それまではそんなに英語をやろうと思ったことはなかったです。

Emi
「高校生までは英語が得意だった。もう私は英語の人なのに、大学に入ってこんなに使わなかったらサビついちゃう」と考えたりは?

Mio
全然ないです。「もう英語が使えるようになった」「サビついちゃう」なんて意識はなく、「まだまだわかんないこといっぱいあるな」みたいな感じだったので。(笑)

 

マレーシアの孤児院でインターン

 

Emi
国際協力という目的が先にあって、方向性が決まってきた。その時の行き先がマレーシア?

Mio
そうなんです。大学生を世界のいろんなところにインターンで派遣する学生組織に登録して、そこで派遣されたのがマレーシアでした。

Emi
活動中は、マレーシアの人たちとコミュニケーションを?

Mio
マレーシアの孤児院で、子どもたちと一緒に生活しながら、英語や算数を教えるというロール(役目)だったんです。マレーシアには民族がいくつかあって、主な民族はマレー系、中国系、インド系。そのインド系の貧しいコミュニティで生まれた子たちが対象でした。孤児院にいる子たちなので、親がいなかったり、片親だったり。インドのタミル語はしゃべれるけど、英語はあまり得意じゃないという子が多く、そこで英語や算数を教えたり、一緒に遊んだりしていました。

Emi
マレーシアは言語的、民族的にかなり混ざり合った国。公用語はマレー語(マレーシア語)ですが、英語もかなり使われている。そんな中で、インド系でタミル語が母語の子たちに、英語と算数を教えるミッションだった。

一般的な日本の大学生として日本語で過ごしてきて、「マレーシアで英語を教える」となった時、いかがでしたか?

Mio
高校の頃に3日間、卒業旅行でハワイに行った以外、外国に行ったこともなく、最初は「どうなるかな」と思っていました。でも、結局、家庭教師みたいなものなので、そんなに難しい会話をすることはありませんでした。2ヶ月間の滞在で、日常の言語は英語だけど、子どもたちが学校から持って帰ってきた宿題を一緒にやる、英語で手伝う。だから、別に大変じゃなかったです。(笑)

Emi
小学生の頃から考えていた「外国に行って、英語を使って、現地の人たちとコミュニケーションすること」を実践。マレーシアに行く前後で、英語に関して何か変化はあった?

Mio
英語に関しては、あまり変化はないと思います。あるとすれば、「英語でもっと難しい会話ができるようになりたい」と思ったぐらい。マレーシアで出会った子どもたちは心理的にストレスの多い状況に置かれていたので、カウンセリングのような形でライフストーリーを聞いて、子どもたちとの対話をもっと深めたいと思ったんです。それで実際にやってみたんだけど、やっぱり子どもの心をつかんで話を引き出すほどの英語力はなかった。そのことに気づいて、「まだまだ先があるな」とは感じましたが、そんなに変化はなかったです。

Emi
行ってみて初めてわかることはあったけれど、マレーシアに行った時点でもう普通に英語を使っていたし、劇的な変化はなかった。

Mio
そう。英語よりも、それ以外の面で、今後のキャリアや、「そこで発見した問題を、どうやって解決していけるだろう」ということを考えていました。

Emi
お話を伺っていると、最初からずっと、「どこかで大きなドラマが起きて転換した」というより、「なだらかに学習が続いている」という感じですね。英語、語学そのものが学習の目的なのではなく、「英語を使った向こう側に、目標がある」。マレーシアでの体験も、英語を使って実際に活動しながら、英語を使った先に問題を発見したり、現地の人と人間関係を結んだり。そこにもっと大事なことがあった。それが表裏一体となって、英語を学ぶモチベーションにもなっていた。

大学卒業後は日本の会社に就職。職場での英語は?

Mio
英語が好きだったから、「国際的な部署に行きたい」と言ったんですが、いろいろあって国内の部署に。英語を使わない仕事だったので、「残念だな」と思っていました(笑)。途中で、アメリカの子会社とのコミュニケーションを任されたことはあります。仕事の中では超一部だったんだけど、そこでちょっとだけ英語を使う機会があった。でも、それ以外はほとんどなかったです。

英語は、会社の外、SVP東京という団体でのボランティアで使っていました。SVPはもともとシアトルから始まった団体なので、アメリカにヘッドクォーターみたいなグローバルオフィスがあったんです。ボランティアとして、いろいろ自分でやれることを選んでやる中、アメリカとの連絡や、英語で届く知恵や情報を日本語にするということをやっていました。

Emi
学生時代、学校とは別に、自分で英語を使う場所を見つけてきたのと同じように、ここでも仕事とは別に、ボランティアで英語を使うようにしていた。アメリカとのやり取り、アメリカから来た情報を訳して日本の人に伝えること。今のお仕事にだんだん近づいてきていますね。

Mio
2009年、旦那さんが博士課程に留学していたので、結婚を機にアメリカに移住しました。それから2年間ほど経って震災があり、2011年に団体を立ち上げたという感じです。同じ年の9月からは大学院に行きました。

 

ジャーナリストのおばあちゃんとの出会い

 

Emi
2009年以降、主な拠点はアメリカ。2011年に団体を立ち上げてから、日本との行ったり来たりが始まった。初めてアメリカでの生活が始まった頃はどうだった?

Mio
「英語がぜんぜん足りない」ということに超ショックを受けました。ニュージャージー州プリンストンに住んでいたのですが、普段の何気ない会話やお店に入った時の店員さんの素早いやり取りなど、「これ、ぜんぜん通じないわ」みたいな。

Emi
初めての、いわゆるネイティブ環境。アメリカの中でも比較的早口の人が多く、物事がスピーディーに進む地域。そこで初めて、「英語が足りない」と思った。

Mio
それで、英語の先生についてもらったんです。家の近くに、英語で仕事ができるくらいのプロフィシエンシー*まで上げるためにボランティアの先生を派遣するNPOがありました。そこに登録して、来てくれた先生が超良かったんです。元ジャーナリストのおばあちゃんなんですけど、その人と毎週1回会って、いろいろ教えてもらいました。
*proficiency:習熟度、ここでは英語力のこと。

まず教わったのは、アメリカの文化。おばあちゃんが良いと思った記事を新聞から切り抜いてきて、それについて意見交換したり、私が書いた文章を添削してもらったり。英語特有の表現を教えてもらったり。

Emi
元ジャーナリストで、話す・書くのプロだった人。それは偶然?

Mio
偶然です。本当、ラッキーだった。

Emi
ネイティブの中でも言語能力が高く、言語的センスや感度の高い人だった。また、英語の先生とは違う切り口で教えてもらえたでしょう。新聞記事を元に2人で意見交換したり、ネイティブならではの表現の仕方を教わったり。そのおかげですごく力が伸びたと感じた?

Mio
伸びたと思う。「1対1」と、「1対多」のコミュニケーションは違うので、1対多のコミュニケーションは課題として残ったんだけど、その先生とやることで、しゃべること、読むことはもちろん、アメリカの文化や人々の態度について教わったことがすごく大きかったです。「アメリカでは、自分でどんどん主張していかなきゃいけない」とか、そういうのは非常に大きかったな。

Emi
「インターネットを使えば、別に外国に行かなくても情報は入ってくるじゃん」という考え方もある。でも、実際にカルチャーの中で、具体的に見たり聞いたり肌で感じたりしながら、同時にその裏にあるロジックを知識として入れていくと、「あぁ、あれはこういうことなんだな」とカンが働くようになってくる。

 

1対1から、1対多へ

 

Emi
1対1の話はできるようになってきた。では、1対多、あるいは大勢が話している中に自分1人で入っていく場合については?

Mio
その段階になってくると、やっぱりただ単に「スキルを身に付けるために練習する」というよりも、「自分の興味があることや、自分が英語を使ってしたいことと関連付けて、自分を学習環境に入れる」ということが大切だと思います。

たとえば私がやったことだと、プリンストンのコミュニティカレッジで、Nonprofit Management(非営利組織のマネジメント)のクラスを取る。ボストンに来てからは、コーチングのコースをアメリカ人と一緒に受ける。ビジネススクールのクラスの環境もそうですね。

Emi
たくさん人がいるところに入っていった。コミュニティカレッジ、コーチングのクラス、大学院など、大勢の中で話す場に参加することが練習になった。日本から来た留学生は、特に最初のうち圧倒されてしまって、「言いたかったけど、言えなくて終わっちゃった」となることが多い。そのあたりはどうだった?

Mio
それは全然ありますよ。うーん、 「言いたかったけど言えなかった」というより、「言っても言わなくてもどっちでもいいこと」かな(笑)。「あ、タイミング逃した」って。

Emi
(笑)言わなかったけど、別に後悔するほどのことじゃない。「まぁいっか」。

Mio
そうそう。超言わなきゃいけないことの場合は、別に言いますけど。

Emi
そこを聞きたいんですよ。超言いたいことも、言えないで過ぎちゃうことがあるんです。

Mio
ありますよね。

Emi
「あ、これを言おう」と思っても、まだアメリカ歴は浅いし、わからないこともある。でも、「これは言っとかなきゃ」というときに言える。なんで言えるんですか?そこでは何が起きている?

Mio
うーん…。もちろん初期の頃、「言えなかった」と思って、あとでもう一回言ったり、メールを送ったりしたことはあります。

「タイミングを逃した」「言えなかった」という場面では、自分が“会話の波”を把握できてる感じがしないんだよね。母語の日本語なら、どんどん会話が流れていっても、言いたいことを言いたい時に、いい感じで割り込める。割り込んでちょっと空気が乱れても、なんとか修正しながら自分の話したいことにつなげていくことができる。でも英語だと、フローを感じ取って波に乗せていくほどの自信がないからかな。

Emi
たとえば10人アメリカ人がいる中で、未生さんだけが日本人、英語のノンネイティブ は自分1人という場面で、「会話に入れなかった」「言いそびれた」というとき、何が起きていたか。それを分析すると、「自分が話すか話さないか」ではなく、「他の人が話している会話の“潮目”が見えていない」。入れるところはあるかもしれないけど見逃していたり、全体がどこへ向かっているのか見えてなかったり。

Mio
そうは言っても、私は日本語でも、たとえば女子会でめっちゃしゃべるタイプじゃないので、これは別に日本語・英語の問題じゃないのかな。最近は、「そんなに思いつめなくていいな」という感じです。(笑)

Emi
なるほどね。押しのけて話すタイプじゃないなら、英語でだけできるわけがないし、する必要もない。

今のお話はちょっと新しいと思います。「入れなかった」「うまく言えなかった」というと、ついスピーキングにフォーカスしてしまう。でも実は、足りていないのは「聞く」「見る」かもしれない。

Mio
餅つきみたいなもんですよね。良いタイミングで、サラサラッと出さないと。

でも、それも私たちの考えすぎかもしれない。“流れ”とか“潮目”とかは関係なくて、「言いたいことがある時には言えばいい」みたいなマインドセットもありますよね。

Emi
そう。それも真実なんですよね。あんまりロジカルに考えすぎて、「こういう仕組みだから、ここで入れるはずだ」と思っていても、そうとは限らない。餅つきはいい例えですね。私は大縄とびに入るタイミングを思い浮かべていました。縄の外で、いくら一人でジャンプ力を高めても、結局入れないこともある。考えすぎ、準備をしすぎると、硬直して入りにくくなってしまう。

Mio
そうなんですよね。そもそも日本人は「何かメインのものがすでにあって、そこに自分が合わせなければいけない」など、「同質性を作ろう」「同調しよう」という姿勢をとりやすい。でも、別にそれだけが正解ではない。たとえば縄とびでも、もし入ってつまずいちゃったら、別にそこからみんなで新しいリズムでやり直せばいい。こっちが合わせる必要は本当はないんだけれど、そういうマインドセットになっちゃうんだよね、どうしても。

Emi
未生さんも最初のうちは「すでにできている何かの中に入って、私が合わせなくちゃいけない」という感覚があった?

Mio
今も全然ありますよ。それが別に正しいわけじゃない。でも自分の傾向として、気づかないうちにそういう風になっちゃう時は、やっぱり今でもありますね。

Emi
それはそれで別にいいんですよね。それも含めて多様性。いつまでたっても私たちは日本人ですし。

準備をして周りをよく見て、自分で「これだ」というところで意見を言う。一方、「言えなかったけど、まあいっか」と自分を許すことも。「日本語でもそんなに話さないのに、アメリカに来たからって急にアメリカ流にしなくてもいいか」という気持ちの切り替えがあった。

Mio
そうですね。それに、別にアメリカ人全員が全員すごくしゃべるわけじゃない。経験を通じて、「いろんな人がいるよね」というのもわかってきますよね。

Emi
これもアメリカ社会に入ってみてわかることの1つかも。メディアなどを通してしまうと、どうしても目立つ人、声の大きい人の情報が中心になる。でも、実はアメリカ人の中にも控えめな人、おとなしい人、無口な人はいる。「いわゆるステレオタイプだけではないんだな」という気づきもあった。

いま日本で英語を学習していて、「将来的には未生さんのように、外国の人たちと英語を使って仕事をしていきたい」という人たちに向けて、アドバイスやメッセージをいただけますか?

Mio
英語に限らず、何か新しいことを学ぶとき、「何に自分がモチベート*されるか」ということを自覚しながら、それと学習プロセスを重ね合わせると、つらさは減るかも(笑)。私の場合は、人と話すことが楽しいから、人と話すことに全部寄せていく。でも、たとえば「テストで高得点を取るのがめっちゃ楽しい」という人なら、そういう人はテストに寄せていくんだと思います。自分が喜びや達成感を覚えることと、学びをつなげていくのがいいんじゃないかなと思います。
*motivate:やる気にさせる、意欲を起こさせる

Emi
長い道のりですからね。自分のやりたいこと、自分の好きなことで“エサ”をぶら下げつつ、自分で自分を調教していく。

Mio
はははは。

Emi
本日はありがとうございました。

Mio
いえいえ、ありがとうございました。

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