#03: 嶋田健一さん

嶋田健一 Kenichi Shimada

ハーバード大学医学部で薬学を研究する博士研究員。薬は病気の治癒を助けるありがたいものですが、ときに肝臓などの臓器を傷つけることがあります。この損傷に気づかず薬の服用を続けると、やがて臓器は完全に機能を失ってしまいます。こうなると現在の医学では治せません。私は、生物学・化学・情報科学を活用して、このような薬によって引き起こされる病気を研究しています。

東京出身。小学生のころ父親の仕事の都合で4年間オランダに滞在(日本人学校なので英語は話せず)。その後は修士号取得まで日本で過ごすが、一念発起して2006年よりNYのコロンビア大学の博士課程に入学。抗がん剤の研究で博士号を取得後、2015年より現職。

Emi
自己紹介からお願いできますか。

Kenichi
現在は、ハーバード大学の医学部で博士研究員をやっています。普段は主に研究室で研究をしていて、実験室で白衣を着て、たとえばマウスにいろんな薬を投与したりしている時間がだいたい半分くらい。あとはコンピューターの前で、いわゆるビッグデータと言われる大量のデータセットの解析をしています。

特に肝臓に対する薬の副作用を詳しく調べて、たとえば重篤な、肝硬変などの病気を患ってしまった人を治すための手段を見つけるという研究をしています。

Emi
お医者さんではなくて、医学の研究をしていらっしゃる“ドクター”ということですね。

Kenichi
そうですね。よく「基礎研究」と言われますが、僕はお医者さんではない研究者、Doctor of Philosophy (PhD) です。人間を診る資格は持っていませんが、多角的に医学研究のトレーニングを受けている人たちのことです。

Emi
私たちが病院で会うお医者さんの、その後ろにいらっしゃる感じ?

Kenichi
それは非常に的確な説明だと思います。

Emi
それをアメリカでしているということは、日々の研究や生活は英語で?

Kenichi
そうですね。特にこのボストンという街には日本人の研究者の方がたくさんいますが、普段、周りに日本人はほとんどいないので、コミュニケーションのツールは英語です。

Emi
そもそも最初に英語に出会ったのは、いつどこで?

Kenichi
小学校1年から4年のときに、父親の仕事の関係で住んでいたオランダです。両親は「日本のカルチャーで、日本の教育を受けさせる」という方針だったので、日本人学校に通っていたのですが、オランダでの生活では、たとえば親についてどこかへ行くたびに、彼らが英語でコミュニケーションしているのを見ることがありました。

また、日本人学校では、週1回、英語に触れる機会がありました。よくわからないけれど、英語の不思議な響き、口から出てくる音が、日本語とは明らかに響きが異なるということが、すごくおもしろいなと思いました。

でも、よくわからないまま日本に帰ってきています。英語の教育としては、他の日本人とまったく同じで、中学から学び始めました。そのとき、頭のどこかにはなんとなく英語をしゃべる人たちのことをイメージしながら学んでいたかもしれませんが、特に英語に興味があるということはなかった気がします。

Emi
英語との出会いは、小学校1年生でオランダに行って、ご両親と現地の方などが英語で話しているのを見聞きしたとき。

日本人学校というのは、外国に文科省が出している学校なので、カリキュラムや教科書は日本の学校と同じ?

Kenichi
はい。完全に日本のカリキュラムで、日本の教科書を使った、日本の教育を受けていました。

Emi
その当時でも、学校の授業として英語が入っていた?

Kenichi
英語が入っていたといっても、ABCもままならないような、日本語でしかしゃべれない小学生に対する授業なので、英語の歌をみんなで歌ったり、まずは簡単な挨拶を身につけさせるレベル。「まずはモチベーション上げようか」ぐらいのクラスだったような気がします。(笑)

Emi
自然な感じで、カリキュラムの中にも英語があった。それで日本に帰ってきた?

Kenichi
日本では普通の小学校に行ったので、その頃の英語の記憶が使われたり、そこからさらに引き伸ばされたりということは、少なくともしばらくはありませんでした。

Emi
4年生で帰国してから中学までは、ほぼ英語のない生活?

Kenichi
そうです。英語にはまったく触れていませんでした。

ただ、4才離れた妹が、結構ペラペラ英語をしゃべっていたということがありました。オランダの現地校はオランダ語ですが、ブリティッシュスクールという英語の学校があって、妹は幼稚園からそこに通っていました。「同じ家族の、年下の妹が、急によくわからない言葉をしゃべってる」ということにすごく興味を持っていました。

妹の方はずっとそのブリティッシュスクールにいたので、6才で帰国する頃にはだいぶペラペラになっていました。親によると、けっこう難しい単語もしゃべれていたみたいです。だから、それが頭のどこかに強烈に残っていたかもしれないですね。英語を学び始めるときには、「ようやく自分も英語に触れることができる」と思っていた気がします。

Emi
ひとくちに、「周りに英語がある」と言ってもいろんなかたちがある。おにいちゃんから見て、「ちっちゃい妹が先に知らない言語を使ってる」というのは不思議な感覚だった?

Kenichi
たぶん当時は、コンプレックスも多分にあったでしょうね。

Emi
「悔しい」みたいなこと?

Kenichi
そうでしょうね。どう自分が背伸びしても太刀打ちできない感じになってしまって。そもそも言ってることがわからない時点でスタートラインにも立てない。そこは結構大きかったかもしれないですね。

だからといって、中学高校に入ってから英語がすごく好きになったかというと、決してそんなことはありませんでした。中学高校のときはずっと塾通いで、中学の時から英語の塾にも行っていたんですが、それも自分の意志とは関係なく行っていたところがあって。(笑)

Emi
誰の意志だった?

Kenichi
ま、母親ですよね。わりと教育ママのもとで育ちました。後で考えてみればいいレールをはかせてくれたと思うんですが、ただ、英語を学び始めると同時に塾に行くという経験をしたので、正直、あんまり楽しい思い出はなかったですね。

Emi
英語は“お勉強”という印象が強い?

Kenichi
“お勉強”もそうだし、自分の中での英語というのは、やっぱり日本の、特に受験英語でいうところの文法や構文解釈などのかたちから入っていくという印象だったので、高校を終えるまで、あんまり楽しいと思ったことはなかったです。ま、それなりには楽しいんですけれども、特別英語に惹かれるとか、小さいときに感じていたようなミステリアスな部分というのは、あまり感じませんでした。

Emi
子どもの頃に出会った英語と、日本の中学高校で出会った英語とは、ちょっと違うものだった?

Kenichi
そうですね。違うものだった気がします。

Emi
その英語塾というのは、他の教科はやらず英語だけ、それも受験用の英語をやる塾?

Kenichi
受験用の英語だけをやる塾でした。中学の早いうちに、高校まで必要とされる文法の細かいところまでを詰め込んでしまって、「あとは単語を覚えてひたすら読みまくれば、受験でうまくいく」というようなシステムをとっていました。だから、たとえば英語しかしゃべれない人がやってきて、何か質問をされたときに、それに対して脊髄反射ですぐに返答ができるようには決してならなかったです。(笑)

日本の受験生は、特に英語ができる人であっても結構そういうパターンが多いと思うんですけど、一文一文をしっかり理解していくということに重きを置いていると思います。実際は、たとえば英語の文章であれば、読み進めていくうちにだいたいわかってくるもので、その過程は日本語とかなり近いところがあると思うのですが、日本の受験英語は一文一文、100%。それってわりと実生活では逆行するところがあって、しゃべれるようにはならない気がします。

Emi
英語塾では、一文一文の解析、文法的に分解したり展開したりする練習を積んだ。でも、「そういう“訓練”を高校生まで綿密に積んでも、英語をしゃべったり、たとえばアメリカ人が普通に読む文章を理解することにはつながらない」という印象?

Kenichi
そういうことでしょうかね。

Emi
受験をうまく勝ち抜いてきた、いわゆる成功した受験生の中に、「英語は公式だと思っていた」と言う人がいるが、その意味がわかる?

Kenichi
僕はそこまで英語が得意ではなかったので、「公式だ」と言えるほど達観した見方はできていません。ただ、結局受験では、たぶんそれぞれの科目を“公式”のような、あんまり頭で複雑に考えなくても、簡単に条件反射的に答えが出せるところまで落としこめると、点数が取れるというふうになっていると思うので、その感覚はわかる気がします。

Emi
大学受験までは、言語とは別の「英語科」という科目として付き合ってきていた。では、まとまった文章を読んで理解したり、子どもの頃に感じた、「誰かと話すための言語」というイメージにつながってくるのはどのあたりから?

Kenichi
大学に入った後、できることの自由度が非常に高くなって、ひとりで海外に行ったんです。あんまりお金がないのでアジアの国を中心に、バックパックで行きました。無計画で、その日泊まるところも決まっていなかったり。そこで、「英語を使わなければやばい」「ちゃんと食べていけない」という感覚を強く持ちました。ま、むしろそれを感じるために行ったというところもありました。異文化のいろいろを見ると同時に、英語を実用的なものとして使いたかったんです。バックパックの旅でもツアーでも、現地の人と触れる機会があれば、そこで無理やりにも英語を使ってみよう、という感じでした。

Emi
受験までは勉強というイメージだった英語を、日本の大学生になってから、「使ってみよう」と思ったのはなぜ?

Kenichi
うーん。「なぜ」。おもしろい質問ですね。

Emi
日本の大学生なら、「受験も終わったことだし、もう英語は忘れちゃった」ということもあるのでは?

Kenichi
ああ、それは僕の場合、英語に限らずいろんな科目に関して共通して言えることですが、「せっかくこんなストイックな思いをして勉強をいっぱいしたんだから、その知識を使っていきたい」という気持ちがあります。よく、たとえば数学とか、「こんなもん実生活で役に立たないじゃないか」と言って学ぶのを止める人がいますが、僕の場合はその思考をむしろ逆転させて、「必ずどこかで使い道はあるはずだから、せっかく築き上げた自分の力をもう少し伸ばしていこう」と考えます。たぶんそれが英語の場合も働いて、「旅行や実生活で、無理やりにも英語を使ってみたらどうなるんだろう」と感じるようになったんでしょう。

Emi
「勉強してどうなるんだ」というのは、先生方も尋ねられることが多いですね。「受験を乗り越えて終わり」ではなく、自ら知識を使う機会をつくる。それが英語の場合は、「英語を使わないと寝る場所も見つけられないような状況に、自分を追い込む」ということだった?

Kenichi
そういうことだと思います。それから、これも英語だけではないですが、それぞれの分野のエキスパートに対する憧れが強いんです。たとえば研究なら各科目のエキスパートなど、あるサブジェクトを、自分よりも明らかに自由に扱うことができる人がいますね。

ピアノなど楽器の場合も、弾き始めの初学者がプロの演奏を見ると、「自分もうまく弾けたらこういうふうになるのかな」と妄想する。僕の場合、特にそれが英語に関して働いたんだと思います。現地の人、英語を普段からしゃべっている人をいっぱい見てみたかった。

Emi
英語に不安があって、うまく使えていないなという時期に、「自分の先を行っていて、これを自由に使いこなせる人とはどんな人だろう」「実際に人々が英語を使っている場面を見てみたい」と思った。

バックパックの旅で、英語を使わざるを得ない状況に自分を追い込んだ時、どんなことが起きた?

Kenichi
これは後々留学の話にもつながってくるところですが、ひとつには、「ツールとしては、いま自分の持っているスキルだけでも十二分に使えるな」と感じました。ただ、同時に「必要最低限のコミュニケーションをするために自分が使う実用英語では、あんまり文法や表現の複雑さは要求されないな」とも感じました。たとえばすごく極端な話、安宿街の店に入って、「ディスカウントプリーズ」って言うとか。(笑)

「思ったことを日本語でしゃべるレベルと、英語でしゃべるレベルというのは、だいぶ違う」と認識させられました。英語で、しかも限られた時間内にメッセージを伝えようと思ったら、頭の中でいちばん言いたいところだけを残してシンプルにするという作業を、口に出す前にすごくしなければいけないなと感じました。もちろん日本語の場合も多少は頭の中で推敲しなければいけないけれど、日本語の場合と英語の場合は大きく違う。

「話が通じた」という自由さと同時に、不自由な点も結構あるなと感じましたね。「このあと伸ばすべき道が見えた」とも言えるかもしれないです。

Emi
初めての外国で、「実際に自分の持っている英語はどのくらい通用するのかな」という“実験”をしてみたところ、「ある程度は通じる」「自分の持っているもので十分」という結果がひとつ。もうひとつは、「日本語と同じようにはいかないんだな」「ギャップがあるんだな」と発見した?

Kenichi
そうですね。そういう実験結果でした。(笑)

Emi
その不足部分が、留学につながってくる?

Kenichi
留学に関しては、ひとつには、バックパック経験の前後から「海外で暮らしたい」という思いが強くなってきたというのがあります。たとえば、近くの研究室に、日本に来ている留学者がいて、その方たちとコミュニケーションをする機会もあったので、そこで多少、英語を使うことに対する喜びみたいなのが出てきました。

でも、僕の場合はそれよりも、まさに今やっている研究がきっかけでした。研究の手法が、明らかに日本よりもアメリカの方が進んでいた。だから、「英語や生活など仕事以外の興味と、仕事の上での興味が合致して、アメリカに来たくなった」というのが、留学のいちばん大きな理由だと思います。

Emi
日本ですでに始めていた研究を続けていく場所として、アメリカがいいだろうという判断から留学が見えてきた。同時に、日本にいる外国人と英語で話す機会がすでにあった。

たとえば周りの人たちは、ニューヨークでの留学が始まった2006年の時点で、「じゅうぶん通用する」と思っていたのでは?

Kenichi
(笑)そうでしょうね。

Emi
本人はどんな予定だった?

Kenichi
その当時は、どういうわけだか根拠のない自信にあふれていて、失敗するのが全然怖くなかったんです。なんかセンサーが壊れていたんですよね。

たとえばクラスでは、授業や同級生の英語がほとんどわかりませんでした。理系の博士課程の学生の過ごし方というのは、2年目以降は各研究室に配属されて、主に自分の研究テーマを追究するのがメインになるので、実はあんまり会話をしなくても成立してしまいます。でも、1年目には必要最低限の知識をかなり詰め込むカリキュラムになっているところが多いですから、留学が始まると同時に英語の嵐。当たり前だけど、みんな英語を普段からしゃべっている人たちです。「自分にはまだ足りない部分があるな」とおぼろげながら思っていたところを、思い切り刺激されました。“刺激”というのは柔らかい言い方ですが、ま、要するにさっぱりわかんなかったんですよね。

ただ、生物学に関しては一度日本語で勉強していたので、「授業がよくわからなくても、結論は知っている」という事柄が多くありました。なので、わからなくなって、「あ、ちょっと自分の知ってることと違うぞ」というのがひどくなってきた場合には、授業を…、これ、かなり嫌なヤツだったと思うんですけど、質問してインタラプト*していました。「ここは、僕の感覚ではこういうことだと思うんですけど、それってあなたが今しゃべってることですか?」って。(笑)
*interrupt:さえぎる、一時的に止める

Emi
ええっ、1年目で?

Kenichi
1年目ですね。同級生は16人ぐらいしかいなかったんですが、その中で「ああ、あいつは空気読めないヤツだ」というキャラが確立してしまったので、そこからは授業をインタラプトするのは苦ではなくなりました。周りの人は、ニヤッとして、「またあいつ、なんか言ってるよ」みたいな感じで。

英語に関しては、「足りないな」と強烈に感じましたが、フォロー*できないからといって、「みんなから置いてきぼりをくらってるな」とは、あまり感じなかったんですよね。
*follow:聞き取る、理解する

Emi
それは、アメリカで、留学生として授業を受けはじめた頃のお話ですよね。日本で、アメリカを目指していた頃は、“根拠のない自信”があって、「大丈夫だろう」と思っていたけれど、現地でガーンとやられた。

Kenichi
どう自分が背伸びしても、簡単には手の届かないところにいる人たちに囲まれました。実は、大学生のときにはそういう人たちを求めていたところがあって、「ようやく居場所を見つけた」「燃えるものが出てきた」と感じられたのかもしれないです。

Emi
厳しい環境に身を置きたかった。それが叶った?

Kenichi
そういうことになるかもしれないですね。ま、ちょっとMっ気が出てきてますけども。(笑)

Emi
ですねぇ。(笑)

希望どおりのとても厳しい環境にいると自覚した。ただ、そこで単純に「英語ができないとダメなんだ」と凹んでしまうのではなく、「ま、それはそれとして、自分で授業の流れを変えてみよう」「“健一流”に持っていこう」と考え出して実行した?

Kenichi
いや、たぶんそこまで強くはありません。先生のイメージしている授業のストーリーラインを変えようという気は一切なかったです。ただ、自分の質問や意見を多少ねじこんでも、それをフレキシブルに授業の内容に反映してくれる、スキルの高い先生が多かったので、「言葉が足りなくても、みんな我慢強く聞いてくれる、受け入れてくれる」という、よくわからない自信がありました。

それに、「わからないまま先へ行ってしまうと、後々大変になるぞ」と、なんとなく肌でわかっていたので、「事態が悪化する前に聞いてしまおう」と思っていました。特に、それが後々絶対に試験で必要になってくる場合には「その場で処理しておいた方がいいだろう」と。周りの人には「とりあえずごめんなさい」と思いながらも、自分の方向に持ってくるために、「一回ちょっと戻って」という言い方をした、というぐらいの感じでした。

Emi
今の話は、文脈としては大学院というアカデミアの場ですが、たとえば会社などビジネスの場でも同じ。聞き流していいところと、絶対に聞き流してはいけないところ、聞き直さないことによって後々すごく展開が変わってしまうところは誰にでもある。

もちろん聞き直した方がいいし、多少流れを止めてでも、質問することはそこにいる人の権利でもある。特に大学のような環境では歓迎される動きでもある。ただ、それが正しいとわかってはいても、なかなかできないのでは? 何回かやれば、クラスメートの間で「あぁ、また健一か。じゃあいいや」いう空気はできてくるが、最初は怖くなかった?

Kenichi
これが正解だとは思っていませんが、自分のキャラクターとして、日本にいるときにも質問をはさむことが多かったんです。それに対して、周りの人たちは「勝手にやってるな」ぐらいにしか捉えない。そのことをなんとなく知っていたので、周りがどう思うかは気にしていなかったかもしれないです。アメリカに行って、いちばん初めの日から手を挙げて、「すみません、いま何言ってるのかわかんないんですけど」と言うことが、あんまり恥ずかしくなかったのかな。詳しくは覚えていませんが。

クラスには、僕以外にもアジア人が何人かいましたが、その人たちはすごく行儀よくしていました。おそらく英語の理解度は僕よりもはるかに高くて、質問をしない代わりに「一語一句、聞き漏らさないぞ」という意識があるのをすごく感じました。おそらく僕は「日本人ってことは、たぶん算数はよくできて、全然しゃべらなくて、しゃべってみると何言ってるかわかんない」というステレオタイプで見られていたと思うんですが、僕はむしろ「そのイメージが固定する前に、『あぁ、こいつはちょっと、そのステレオタイプからずれているな』ということを、みんなの意識に植え付けよう」「それには、初めの方が楽だな」と思ったんです。

コミュニティが自分にとって居心地のいい場所になればなるほど、自分のふるまい方を変えるのは難しくなる。なので、このコミュニティの人たちと長く付き合っていくために、日本にいるときにはさすがにしなかったようなバカみたいな質問も、「初めだから、むしろいっぱい出せる」と、意図的にしていました。

「ここでたくさん取りこぼしてしまうと、後々関係がこじれ、みんなとうまくつながっていけないな」と思っていたので、周りの人たちに「自分の英語のレベルはこんなもんだよ」とアピールすることによって、なんとなくわかってもらおうという感覚でした。

Emi
「1年目だからこそ」という気持ちが強かった。「後々このコミュニティで、この仲間たちとやっていく。今はその最初の部分なんだ」という意識が初めからあった。

「最初だから遠慮してしまう」「今はとりあえずいいかな」という先送りは、視野として短期的なもの。長い目で見ると、最初の失敗なんて、本当に些細なことですよね。

Kenichi
ビジネスのシチュエーションなど、「その場でわからないままにすることによって、後々事態が大きくなる」というのは、どういう状況でもあると思う。「わからない」と即座に言えることが、特に自分ひとりではなく集団で働いているときには、本当にすごく大きな差になってきます。

「今はわからないけれど、後々誰かに聞いてフォローしよう」という思考回路が有効な場合ももちろんありますが、僕の場合、全部そうしてしまうと、周りの人に迷惑をかけすぎてしまって、あまり度が過ぎると嫌がられてしまう。そのさじ加減を学んだのも1年目でした。

「聞かなければいけない」「ここで理解がそろっていないと後々事態が深刻になる」という部分をうまくおさえておく。そのために、「聞くは一時の恥」というのが絶対にあると思います。

Emi
本当に、「聞くは一時の恥」。その「恥ずかしい」「怖い」のために後々犠牲になることの大きさを考えたら、まったく比較にならない。

Kenichi
そこは誰だってわかってるんでしょうけどね。「一時の恥」のリスクの大きさが、普段あんまり質問をしない人と、質問をし慣れていて、「バカバカしい質問をしても、なんてことない」と思える人とでは、受け止め方に差があると思います。

日本人の場合、アメリカなど異文化な場所ではどうしても言葉が足りなくなってしまう。そういう状況に置かれたときに、その「一時の恥」のリスクは本当に小さいもの。聞かないことによって事態を重くするリスクの方がはるかに大きいというのは、本当に今でも強く感じるところです。

1年目の自分にとって、「すごくありがたかったな」というエピソードがあります。先ほどお話ししたように、大学院では授業を受けると同時に、自分で所属する研究室を決めて、先生のもとで研究をするというシステムになっています。実はたまたま選んだ研究室がすごく多国籍で、それが僕の中ではありがたかったなと感じています。

というのは、同じ英語を使うにしても、英語が母語でない人としゃべるのと、英語が母語の人としゃべるのとでは違うからです。やっぱり外国語として英語をしゃべっている人たちの方が、懐が深い。1年目、外国で住むこと自体が初めてだった僕にとって、過去に同じような境遇を経て、すでに長くアメリカで暮らしている人たちに囲まれて過ごせたことは、すごく癒され、元気をもらえました。

偶然といいますか、大学院で2年を経て、研究室を変えたのですが、その後で所属した研究室はほとんどがアメリカ人。「もし、初めからその研究室だったら、心が折れていただろうな」と思うんです。

Emi
最初の期間に、自分と同じ境遇のノンネイティブで、さらに何年か前からアメリカにいる、ノンネイティブ歴の長い人たちと一緒に仕事をし、それを経て、次にネイティブが多い環境に移った。その段階的なプロセスが、「心が折れる」という言葉に表れているとおり、特に精神的な意味でよかった。

健一さんほど、厳しい環境が好きで、初日から手を挙げられるような人でも、「それが心の支えだったな」と感じるんですね。

Kenichi
いつでも気を張っているわけにはいかないですから。

我ながらおもしろいなと思ったことがあります。僕は自分からすごく強く望んで、海外で生活することも楽しみにしてアメリカへ来ていたんですが、留学生課の人たちによく、「初めての海外生活に自分を適応させていくプロセスとして、ホームシックにかかることは絶対に避けられない」と言われていました。でも僕は「そんなわけはない」と思っていたんです。「こんなに楽しんでいて、しかも今まで使いたかった英語で、チャレンジングな環境で、『いま自分は幸せだ』と明確に言える自分には、当てはまらないだろう」と。

でも、やはり初めのうちは、気を緩めたときに、すごくちっちゃなことでホームシックにかかります。そのとき、境遇をシェアできる人たちが絶対に必要。そういう面で運がよかったから、いろんな場面で初めのステップで挫けずに、だんだんアメリカの生活に慣れていくことができて、最終的に、落ち着くべきところに落ち着きました。アメリカ人ではない日本人が、英語を使って生活を日々していくプロセスの、いちばん初めの心の変化みたいなものも、ノンネイティブの人たちと話せたことで、うまく解消できたのかなという気がします。

Emi
自ら望んでアメリカに行って、誰も心配していない、いわゆる英語ペラペラのような人でも、やはり英語だけに囲まれて、英語とは別の学習をしていかなくちゃいけないというのは、張り詰めた毎日。「厳しい環境に身を置く」という意味では、日本ではありえない、願ってもない厳しい環境?

Kenichi
そうですね。精神的な部分や我慢するところは、やっぱり日本にいるときと比べると大きいです。

Emi
アメリカ人の多い研究室に移った後は、その厳しさを抜けて、順調だった?

Kenichi
研究者はパフォーマンスを示すために論文を書かなければいけないんですが、その論文を書くためのトレーニングが、英語を学ぶのとはまた別の次元で大変だったというのはあります。でも、初めに比べれば、やっぱり英語ができて、コミュニケーションがとれるようになってきて、少なくとも自分の状況を的確に示せば周りの人も的確なサポートをしてくれるので、精神的にはそんなに大変ではなかったかもしれないです。

Emi
論文や研究発表といえば、いわゆる日本の“理系”の中に、「論文や研究発表の英語は、リハーサルもできるので問題ないが、発表後の質疑応答や、国際会議のパーティーのときに困ってしまう」という人がいます。アメリカにいる日本人から見て、日本から来て学会にだけ出席する発表者は、どうしたらいいと思う?

Kenichi
問題の本質はまったく同じだと思います。「会話は、相手の言ってることがわからないと、自分が何をどう発しようとも、うまく相手の欲している答えを与えることができない」ということです。

日本から初めて来るとあまり見えないのですが、アメリカの人たちの英語のレベルは本当にまちまちで、英語が大したことない人でも、十分のびのびとやっています。質問がよくわからなかったら、「もう一回言ってくれ」と言ったり、自分でリフレーズ*してみる。
*rephrase:言い換える、言い直す

パーティーのときも同じです。質問が来たときに、「それってこういうこと?」と聞いたり、「Let me repeat your question(ご質問を復唱させてください)」のように咀嚼をして、「自分は少なくとも相手の言ってることがわかっている」というところに立つ。それで初めて答えを与えることができます。

特に日本の研究者の場合、ほぼ例外なく、自分の研究内容に関して誰よりも詳しくわかっているのは確実なんです。だから、少なくともこの会場にいる中で、この質問に対していちばん適切な答えを与えられる人は自分。そうであれば、相手の質問を2、3回繰り返して聞くことに対して、周りの人が「あぁ、なんだよ。あいつ、あんなことに時間を使ってるよ」とは絶対に感じない。だから、「時間を止めて、ゆっくり自分の理解できるペースで理解をする。そのために目いっぱい時間を使うことを恥ずかしがらない」というのが、たぶんいちばん大事なことだと思います。

場慣れしてくると、小手先の武器はいくらでも増えてきます。でも、いちばん大事なのはあくまでもコミュニケーションとしてのキャッチボール。相手のボールを受け止めて、自分の答えを返すこと。そのプロセスをおろそかにしないことです。

だから、相手の言ってることを何回も聞き直すことに対して、「会場にいる人たちにすまない」と思わないこと。日本の人にはなかなか難しく、トレーニングが要るところだと思います。でも、そこで適切な答えが与えられなければ、質問した人は一生答えがわからないままになってしまうわけですから、むしろそうやって、ちゃんと理解しようと時間を使ってくれることはありがたいと思うはず。それさえできれば、英語のレベルは関係ないかもしれません。

Emi
マインドセットにも関わるところですね。「わからなかった」「流れを止めたら悪いな」など、まったく気にする必要はない。聞き返しは、二回でも三回でも、何回でも。

一回の聞き返しならほとんどの人ができるが、回を重ねることにすごく抵抗がある。聞き返して、二回目でまだわからなかったときに、なんとなくごまかそうとしたり、自分なりに答えた結果、的外れになってしまったり。でも、「自分がきちんと答えられるところまで、とことん聞く」というのが大事ですね。

Kenichi
それと、ただ聞くだけではなくて、自分なりに、「それってこういうこと? Do you mean ~?」と聞いてみる。違っていれば、相手がまた別の表現の仕方をしてくれるはず。それを経るしかないですね。

Emi
相手からの協力も引き出す。いいポイントが聞けました。

Kenichi
(笑)いえいえ、よかったです。

Emi
その後、就職活動を経ていらっしゃるわけですが、英語について何か感じたことは?

Kenichi
ほとんどないですね。誤解をしないでいただきたいのですが、決してもう英語に関してコンプレックスを持っていないというわけではありません。

こういう言い方が正しいかどうかわかりませんが、初めの頃は、「アメリカ人になってやるぞ」ぐらいの感じで、ほとんど日本人とつるまず、「研究室の中でも外でも英語をしゃべり続けよう」という気概でいたんです。でも、向こうは日本人として見てくるし、言語的にもカルチャー的にも、自分は絶対にアメリカ人にはなれない。そういうことを考えていくと、日本人としてのスタンスが大事になってくるし、同時に、日本人である自分を再認識する。「日本人としての意見はどうなのか」「日本人としてのふるまいはどうなのか」というところを、自分の中で全部ひとつに捉えようとするフェーズに入ってくるんです。

英語学習に対する貪欲さは、落ちてきているというか…。今でもたとえば知らない単語やフレーズを新たに吸収して自分で使えるようにしたい気持ちはあるにはあります。ただ、「このレベルのことがわかっていれば、周りの人から見ても、自分としても大丈夫」というラインが明確にできているので、もうそれがぶれることはないですね。

今でも、わからないときに質問をはさんで会話を止めたりするのはほとんど習慣化していますが、明らかにその回数が減っている。むしろ、「ここは聞いてはいけないな」みたいな、多少空気を読むところが出てきました。カルチャーを学んだからこそ出てきた行動パターンだと思います。

だから、英語に関しては「今から貪欲にまた学びたい」というより、「ツールとしての学習は一段落」というのが現状ですね。

Emi
おもしろいですね。臆せず、ためらうことなく質問をしていた健一さんが、自分の英語に満足できるフェーズに入ってから、質問しないでおくことを覚えた。

Kenichi
やっぱり自分がわからないことを前面に押して、会話をフォローするところだけを必死にしていくと、特に少人数での会話ではスムーズに進まない。文脈によって話し方や話し出すタイミングを変えるなど、いろんな細かい部分の機微があり、本当にコンテクストに応じてしなければいけない。そういう点で、センサーを全部オフにして、なんでもかんでも聞いてしまうのではなく、他の人がやっているようなしゃべり方を、英語とは違う、一歩細かいレベルで学んでいくフェーズがどうしても必要になってくる。

「あまり質問しなくなってきている」というのは確かなんですが、自分の中では、「質問しまくった過去を経て、ここらへんがいい落としどころかな」と。(笑)今でもたまには質問しますが、「この情報が要るか要らないか」という取捨選択がより瞬時にできるようになってきました。これも、たぶん経験知だと思います。

Emi
アメリカに渡ってきて、自分の英語に意識が向いているうちは、どうしても視野が狭くなっていて、周りの人の英語やふるまいに目がいかない。それが「空気が読めない」という部分かも。

ただ、その「几帳面に、全部わかるまで聞く」という段階を経ているからこそ、徐々に視野が広くなってきた。先ほどの「アメリカは、意外と英語の使い手のレベルに幅がある」というのも、「あ、あの人の英語はすごく上級だな」「あの人の英語はたどたどしいな」というのも、だんだん見えるようになってくるし、「他の人はどんなときに、どういう切り出し方をしているんだろう」「どういう声を使って、どういう話し方をしているんだろう」というところに興味が移っていくのも、やはり段階。すべての必要な段階を経て、自分としては、満足のいくところに到達した?

Kenichi
そうですね。満足というよりは、「突き詰める方向が変わってきたので、妥協せざるを得ない」というところが大きいかもしれないですけど。(笑)

Emi
それも優先順位。自分のエネルギーや時間など、リソースを割く対象が、英語ではないものに移っていくということでしょう。

Kenichi
そうだと思いますね。

Emi
このインタビューを聞いている人たちにとって、アドバイスとなるような内容でした。ご経験に基づいた、貴重なお話をうかがえてよかったです。

Kenichi
もしそう受け止めていただけるのであれば、よかったです。

Emi
本日はありがとうございました。

Kenichi
こちらこそありがとうございました。楽しかったです。

#02: 平松里英さん

平松里英 Rié Hiramatsu

ロンドン在住日英会議通訳者、大学講師。留学後、日本の外資系企業やイギリスの日系企業などでのインハウス勤務を経てフリーランス通訳者に。得意分野は、マーケティング、通信、メディア(テレビ・ラジオ・インターネット)、ウェブサイト翻訳(トランスクリエーション)。アナウンサートレーニングの経験を生かしボイスオーバーの仕事も好き。通訳訓練や英語力ブラッシュアップの他に、外国語学習の初心を忘れないようフランス語を勉強中。フランス語の次は、スペイン語をブラッシュアップしたいと思っている。北アイルランドのアルスター大学で国際メディア研究修士課程(MA)、ロンドンメトロポリタン大学大学院通訳課程(PGDip)、IIEL日本語教授法コース(TJFL-PGCert)を修了。現在、『通訳翻訳WEB』にてコラム『通訳者通信fromロンドン』を連載中。

ウェブサイト
ブログ『I INTERPRET LONDON』

Emi
自己紹介からお願いできますか?

Rié
ロンドン在住で日英の通訳者をしております平松里英と申します。イギリスに来てからは10年ほどですが、その間ほとんどフリーランスの通訳者をやっております。翻訳やボイスオーバー*などの仕事もしますが、メインは通訳です。
*voice-over:映像に、翻訳した音声を重ねること

Emi
いま英語を自由に使えている人というのは、そもそもどこから始まっているのかをうかがっていきます。里英さんがいちばん最初に英語と出会われたのは、どこでどんなふうだったんでしょうか。

Rié
いちばん最初は、幼稚園か小学1年生かな。日本で、実家のすぐ近くにLL教室ができて、親に連れられて見学に行ったような気がします。字が読めたから小学生だったかもしれません。そのときの体験が印象深かったんです。

よく「ワンツースリー」って聞くじゃないですか。ところが、その見学先の先生に「“ツー”ではなくて“トゥー”って言うんだよ」って言われたんですよ。それで、「ほう、トゥーって言うんだ!」って。衝撃でした。

Emi
(笑)

Rié
それが最初の英語に関わる経験ですかね。

Emi
そのまま、そこで英語の学習が始まっていくんですか?

Rié
いえ、始まらなかったんですよ。まともに英語を勉強しはじめたのは、みんなと同じで中学校に入ってからですね。

Emi
中学の英語科で?

Rié
そうですね、普通に授業で。ただ、私は私立中学に行ったんですけど、1年生のときの担任の先生が英語担当だったんですよ。学校には英語担当の先生が2人いて、ラッキーなことに、私の担任の先生の方がいい先生だったんです。もう1人の先生はものすごく声が大きくて、授業が全部外まで筒抜け、ものすごい発音だったんですよ。私の担任はそうではなく、アイルランドに留学経験があって、発音にうるさい先生だったんですね。ジョン万次郎じゃないですけど、「ウォーターじゃなくてワラのほうが近いんだ」とか、そういうことを教えてくれる先生でした。

Emi
今のところは、まったく一般的な日本の子どもの英語との出会い方ですね。近所にLL教室ができて体験入学に行き、「あ、英語の発音って違うんだな」。しばらく時間を置いて中学生になって、「あ、英語の発音のいい先生とそうでもない先生がいるんだな」。発音に敏感というのが共通していそうでしょうか。

Rié
そうだったと思いますね、おそらく。

Emi
そんな普通の日本人の中学生だった里英さんが、英語の世界にぐーっと入っていくのはどこから?

Rié
小学校までの4科目(国語・算数・理科・社会)の中で、私、理科が得意だったんですよ。暗記科目が苦手で、理科が好きでした。中学校に入った時も、まだ英語は得体の知れないものだったので、自分では「私は理科の人」と思っていました(笑)。ところが、英語の方が伸びてきちゃって。

Emi
中学の間に?

Rié
中学1年生のときですね。特に物理系がダメでした。理論はともかく、式を覚えなきゃいけないっていうのが、頭に入らなくて。

Emi
あぁ、「暗記」ですね(笑)。

Rié
はい。「突然こんな公式出てきちゃった、どうしよう」みたいな感じ。数学もそうでした。そんな中、英語の方が伸びていきました。英語は苦労しなくても、すっと頭に入る感じだったんですよね。それで、英語に触れる時間、英語を勉強する時間が増えていきました。

Emi
科目の一つとして英語と出会って、他の科目と横並びでスタート。リードしていたはずの理科がだんだん下がっていって、英語が追い抜いていったようなイメージ?

Rié
そういう感じです。

Emi
英語が追い抜くきっかけとして、理科の「暗記」があった。英語も、たとえば単語を覚えるなど、「暗記科目」と思っている人は多いと思いますが、里英さんにとっては暗記科目ではなかったんでしょうか?

Rié
いわゆる丸暗記と呼ばれるやり方は、多少やりましたが、それだと私の頭には入らないんです。これはいまだにそうで、繰り返し繰り返しやっても入りません。また、書いても入りません。たとえば目の前に何か書き写す対象のものがあってノートに書いていく場合、ただ写しているだけで、まったく考えていないんです。ノートは埋められていくんだけど、頭と全然つながらない。それで、「あ、これはダメだ」と。よく先生にも、「書いて覚えるんだ」と言われましたけどね。

例外はたくさんありますが、英語の単語ってわりと規則性があるじゃないですか。頭を変えたり後ろを変えたりすると、音で覚えられて、その規則性を当てはめると、ある程度つづれる。

Emi
スペルと発音の関係のお話ですね。それに気づかれたのは中学生ですか?初期の段階?

Rié
ええ、結構早かったと思いますね。1年生じゃないかと思います。というのは、私、小学校のとき、ローマ字が苦手だったんです。

Emi
ほう。おもしろい。

Rié
ローマ字でつづれるようになっても、それと英語って合わないですよね。ローマ字は英語の基礎段階として、入門の入門みたいな感じと思っていたのに、全然“オランゲ”みたいな感じになっちゃって合わない。

Emi
「オレンジ」のことですね。(笑)

Rié
みんな最初はそうやって、ローマ字読みで英語を覚えていったりしましたよね。つづりと音が違うので、「オランゲって書いてオレンジって読むんだ」とか。私も最初はそうだったんですけど、「ローマ字読みの規則を捨てなきゃいけないな」「ここでうまく切り替えができないと、英語が嫌いになっちゃう人いるんじゃないかな」って思いましたね。

Emi
すごくおもしろいお話です。今後、英語が小学校で教科化されると、学習の順番も変わる可能性がありますが、今のところ、日本人は英語の前にローマ字をやっています。里英さんのように「ローマ字が苦手だった」というのは珍しい例で、逆にローマ字を先に覚えて、しっかり定着させてしまったことが、英語の読みに影響してしまうことが多いです。里英さんはローマ字が苦手だったために、英語のスペルの方に規則性、パターンを見出して、それで覚えていったんですね。

Rié
そうですね、やっぱり音ありきだったのかなという気がしますね。

Emi
パターンを自分で見つけて、当てはめていく、音がスペルから聞こえてくるような、その感覚がおもしろかったんでしょうか。

Rié
あぁ、おもしろかったですね。ただ、ネイティブの人のように、全部スペリングすることはできません。音を考えながら書きますが、イメージというか、パターンで覚えているので、「S-C-I-E…ん?」というふうにはなりません。

Emi
スペルというより、単語の並びが映像としてばっと出てくる感じ?

Rié
そういう感じですね。“License”など、「ここはCじゃなくてSだったな」とか。

Emi
違う文字がはまっていると、なんとなく変な感じ、違和感がある?

Rié
そう、スペルアウトするというよりは、フォネティックス*に近い感じです。
*phonetics:音声学

Emi
中学生で自らパターンを見出したり、他の人とは違う方法で覚えるようにしていた。その時点で、英語が得意だった?

Rié
そうですね、たぶん早かったと思います。中1の1学期とかで、もう結構おもしろかったです。また、担任が英語の先生でしたから、目をかけてくれましたし。

Emi
それで楽しくなっていった。「もっと英語の学習を進めよう」「英語を職業に」と考えたのは、どのあたり?

Rié
えーと、たぶんそれも中1とか、そのぐらいだと思います。

Emi
えー、早い!

Rié
理由があるんですよ。私が中1のときに、いとこに高1と高3のお姉ちゃんがいました。その二人がすごく英語が好きで、ビートルズが好きだったんですよね。その頃、そういうちょっと年上のお姉ちゃんって憧れの存在だったりするじゃないですか。その二人が英語のことを、ああでもないこうでもない、リバプールがどうのこうのってしゃべってるのを聞いていたんです。小学校のときは「何を言ってるんだろう、この人たちは」と思ってるんだけど、中学校に入って、英語という教科が始まったら、ちょっとつながり始めるわけです。

Emi
点と点がつながってきたわけですね。

Rié
「あ、もしかして、これのこと言ってるのかな」みたいな感じから、興味をもちました。ものすごくビートルズが好きだったというわけではないんですけど、とにかくその二人の、外国のものや違う世界を垣間見た感じ、そういうお姉ちゃんへの憧れが、エネルギーというか燃料になって、私の方が英語にどんどん入っていったんです。

Emi
身近にいた少し年上のお姉さんたちが、何かその向こうにある世界を知っているらしい、と。

Rié
「知ってる?」みたいなことを言われるわけです。会話にも入りたいし。

Emi
それが後々、ビートルズだったり、イギリスだったり、英語だったりと、種明かしされていく。学校の教科である英語と、いとこのお姉ちゃんがやってる憧れのかっこいい何かとが、どこかでつながっていく感じ?

Rié
そうです。辞書なんかも、こんな分厚いのをパッとかって開くのが、もうかっこいいわけですよ。「んー、あれは?」「あの単語は?」とか言って、フッと調べてるというのがね。

Emi
(笑)それで謎の言葉に意味が付いてきて、一個の点がどんどん肉付けされ、つながっていくわけですね。おもしろい。本当にそのときのビートルズが、イギリスにつながったりするんですか?

Rié
結構つながったりするんです。たとえば、よく夏に軽井沢へ連れて行ってもらったんですけど、軽井沢ってジョン・レノンがよく行ってたので、彼のゆかりの場所があって、写真が残ってたりするんですよ。自転車で通っていたパン屋さんとか。

あと、やっぱりイギリス出身の人の発音も聞きますよね。確かジョン・レノンもアイルランド系だったと思うんですけど、もともとアイルランドから移ってきた人ってリバプールに定住してることが多いんです。私もアイルランドに留学してたりとか。そういう感じで少しずつ。

Emi
担任の英語の先生もアイルランドの留学のご経験がおありでしたよね。日本で、まだ英語を始めたばかりの段階から、少―しずつ里英さんをその方向に導く種が蒔かれている感じですね。

Rié
いま改めて考えるとそうですね。そのときは先生が留学していた先がアイルランドとも知りませんでした。あとで、ずいぶん経ってから、その頃の同級生がぽろっと言ったんですよ。

Emi
知らないうちに、たとえばアクセントなどが先に耳に入っていて、あとで種明かしのように情報が入ってきたということ?

Rié
そうですね。

Emi
中学1年生で「英語が好きだな、英語をやっていこうかな」と思う一方、いとこのお姉ちゃんや軽井沢の影響があった。「英語を職業にしていこう」というのは早くに決めていた?

Rié
私、実は音楽がやりたかったんです。高2ぐらいまでは、オーケストラとかブラスバンドとかに入っていて、そっちの道に行くつもりでいました。高2の後半ごろ、そろそろ進路を決めなくちゃっていうときに、親に「音大に行きたい」って相談をしたら、「そんなお金はないから、うちはダメよ」って(笑)。

いま思えば、「どうやって説得しよう」とか考えたらよかったんですけど、私、あっさりあきらめちゃったんです。「そっか、じゃあ次に得意な英語でもやる?」みたいな感じで。

Emi
高2の、もう本当に進路を決めるという時期に、「じゃあ音楽じゃなくて英語だ」と切り替えて、英語の専門に進んだということ?

Rié
そうです。ただ、持ちあがりの大学だったので、言語学系ではなく、英文科でした。言語学も少しはやりましたが、やっぱり授業の中心は文学。「んー、またシェイクスピアかー」「とりあえず卒業しないといけないし」という感じでした。それよりは、統語論*や音声学の方がおもしろかったです。
*統語論:文法などを扱う言語学の分野

Emi
進学先は、英語関係とはいえ英文科。メインで受ける授業は文学だけど、本人としては、統語論や英語音声学の方に興味がわいていたということですね。学校の他に何か英語の勉強をしていた?

Rié
高2のときに、「あぁ、じゃあ英語にしよう」って思ったタイミングで、夏休みの3週間ほど、ホームステイに行きました。アメリカのサンディエゴに。それが、いま思うといちばん大きな転換期、lasting impression*というか。
*lasting impression:長く心に残る感動

Emi
どんなことが?

Rié
まず、「言い出してみるもんだな」と思いました。まさか親が海外に出してくれるとは思わず、「英語が好きだから、本当はホームステイとかしてみたかった」と言ったんです。そしたら、「出してあげるよ」みたいな感じで。「え?海外行けちゃう?」みたいな。

Emi
(笑)いつも里英さんを驚かせる親御さんなんですね。

Rié
それでトントンと行って。そのときの体験がものすごくポジティブだったんです。

Emi
それが最初に外国に出た経験?

Rié
そうですね。パスポートもそのときに初めて取りました。

Emi
どんなことを覚えている?

Rié
ホストマザーがレバノン人で、強烈な英語、強烈なキャラクター。食事もよく知ってる食事じゃなくて。夏っていうのもあったでしょうね。

80年代で、その頃はみんな「海外行きたーい!」みたいな気運があった気がします。高校に入って最初の年、仲のいい子で、「留学したい、留学したい」って言ってる子がいたんです。私はその子から聞くまで、まったく考えたこともありませんでした。その子が情報を持っていて、『留学ジャーナル』とか、いろいろ紹介してくれて、自分も首っ引きで読むようになったわけです。

ホームステイに行ったときは、初めての経験ですから、「アメリカ人って、外国人って、なんかすごいフレンドリー。オープンだし、なんかすごい自由闊達。こういうの好き」みたいな感じですね。カリフォルニアといったら、解放感のある、広い場所じゃないですか。お天気もいいし。いいことだらけですよね。

Emi
初めての外国、初めてのアメリカで、実際に英語を使って、ある程度生活をしてみた経験が、すごくいい印象だった。でもそのまま「アメリカに留学しよう」「アメリカで仕事しよう、暮らそう」とはならず、イギリスへ? 普通に考えるとアメリカにつながるのでは?

Rié
「アメリカへ行こう!」と思っていました。なので英語も、バリバリのアメリカ訛りで、ボキャブラリーもアメリカ英語。でも、私の最初の夫がベルファスト*出身だったんです。日本で知り合ったんですけど、それがきっかけで、縁ができたのがアイルランドでした。
*Belfast:北アイルランドの都市

Emi
最初はアメリカを見ていて、英語もアメリカのアクセントで勉強していたけれど、ご主人との出会いがあって、イギリス英語に切り替えた。「それまで日本で勉強していたアメリカ英語と、すごく違うな」というところはあった?

Rié
つづりや、日常のものの呼び方が違いますね。具体的にいうと、車の方向指示器を、アメリカ英語だと「blinker」と言いますが、アイルランドでは「indicator」。

Emi
車の部品はアメリカとイギリスですごく違いますね。日本語だと「ウインカー」で、また違いますけど(笑)。そうやって、ボキャブラリーや表現の学習を、また新たにイギリス英語という分野で始められたような感じでしょうか。

その後、イギリスに住み始め、通訳の仕事につながっていく?

Rié
20代後半でアイルランドに留学して、帰ってきてから6、7年日本で勤めました。そのとき始めたお仕事がバイリンガルセクレタリーみたいな感じだったんです。通訳訓練は受けていないのでOJT*で始めて、あとから技術を勉強していきました。
*On-the-Job Training:実務を通じて行うトレーニング

Emi
アイルランドの留学は、ご主人と出会ってイギリス英語に切り替えられた後? どんな勉強を?

Rié
切り替えた後です。国際メディア研究で、映画やテレビ、インターネットについて学びました。通訳の勉強ではなく、アイデンティティとか、カルチュラル・スタディーズ*とか。
*cultural studies:文化一般に関する研究

その時点では、まだ通訳は選択肢にありませんでした。日本に帰って仕事を始めていくうちに、英語ができるということで、紹介される仕事に翻訳や通訳が入ってきました。

Emi
「留学を経験してきた、英語のできる日本人。じゃあ通訳だ、翻訳だ」。それに対して、「いや、通訳になるつもりで留学したんじゃないのに」など、ジレンマはなかった?

Rié
「こんなことになるんだったら、学生のうちからもっと通訳の勉強をやればよかったな」と思いました。留学を考えたことがなかったのと同じように、英語がずっと好きだったのに、通訳者や翻訳者になるとは考えたことがなかったんです。「ずーっと勉強しなきゃいけないからイヤ」「絶対無理」「向いてなさそう」「私、飽きっぽいし」などと思っていて、たぶん考える前からルールアウト*してたんですよ。
* rule out:除外する

それに、「言葉は道具だから」というのがずっとあって、言葉自体を商品にするよりも、言葉を使って何か活動することをイメージしていたので、通訳や翻訳になるとは思っていませんでした。

Emi
中学生のときは「自分は理科なんだ」と思っていたら英語の道へ。「留学なんて関係ない」と思っていたら、お友達の持っている本にはまってしまった。いとこのお姉ちゃんのお話もありました。お仕事も、「私は通訳なんて選ばないわ」と思っていたけれど、通訳の仕事が来て、やってみたら、「自分に合っているかもしれない」。

それで通訳の学校に行くことに?

Rié
東京でテレビ関係のお仕事に就き、OJTで(通訳を)6、7年やりました。その後、イギリスに来て2、3年したころに、「今後、どうしようかな」と考えはじめたんです。ヨーロッパの通訳者は通訳科のマスター(修士課程)を出ている人が圧倒的に多いので、「メディアが専門なのに、なぜ通訳の仕事してるの」となるわけです。だったら、いちいち聞かれてうっとうしいし、体系的に勉強してみようかなということで、学校に行き直しました。

Emi
そのあたりのご経験や苦労話は、いま連載されているコラムに詳しく書いていらっしゃいます。通訳に興味がある人には、そちらがすごく参考になりますね。

私たち通訳でない素人は、「通訳学校に行く人は、英語の勉強が終わった人。もう英語の勉強はしなくていいんじゃないの?」と思ってしまいますが、実際はどうですか?

Rié
それは絶対にないと思いますね。私も、まだそういうのが雲の上のお仕事だったときには、特にニュースや国際会議を訳す人に対して、「ネイティブよりもできるぐらい英語ができて、英語の勉強は必要ないんだろう」と思ってました。

でも、言い回しひとつとっても勉強は必要です。私がいま自分で「課題だな」「力をつけたいな」と思っているのは、日本語、英語とも、figure of speech*の引き出しを増やすことです。
*figure of speech:文彩。効果的で巧みな言い回し。

Emi
たとえばどんなこと?

Rié
イギリスの例ですが、あるとき「うーん、courageous decision」って誰かが言ったんです。「courageous decision」って直訳すると、「勇気ある決断」ですが、実は「それ危ないね」という意味。出所は、”Yes, Prime Minister” というテレビ番組です。その中で、首相が「どう思う?」と言ったのに対して、もう一人が「それはcourageous なdecisionだと思いますよ」と答える。「政治にcourageousは要らない、危ない」、つまり、首相がcourageousなdecisionを持ってきたら、そんな提案はイケてないわけですが、イギリスだとそういう婉曲な言い方をする。それが人々の会話の中で生きていて、ビジネスの場でも、「うーん、それはcourageousなdecisionだね」などと出てくるんです。

Emi
なるほど。それは私がアメリカにいても、そう思います。映画やドラマなど、国民であればみんなが知っているような背景情報が、外国人にはなかなか追いつけない。言葉はわかる、意味もわかる、でもその文脈が追いつかない。

Rié
そこに表れる文化やウィットを、いい感じにスッとわかって訳せるか、レファレンス*がとれるかというのが、ものすごく大事です。深い造詣が求められます。
*reference:情報の元になる資料

Emi
文化に根付いた言語使用、社会言語的な使われ方ですよね。ちょっと余談になりますが、私の研究仲間に、”That’s what she said.”というフレーズについて、どんなときに使われて、外国人(第二言語話者)はどのくらい理解できるかという研究をしている人がいます。「それは彼女が言ったことです」という意味がわかったところで、どのくらいそこにセクシャルな文脈を見いだせるか。外国人にはピンと来なくても、アメリカ人はみんな笑う。

Rié
そこってすごくディープなところ。でも、その部分がわかるかわからないかで、通訳者の力を推し量られてる気がします。

英語学習、外国語学習、日本語でもそうじゃないかな。「笑いのツボが同じ」とか、そういう部分が合うと、相手との距離感ってグッと縮まると思うんです。懐に入りたいじゃないですか。なかなかできないですけど(笑)。

Emi
通訳者レベルでは、文法やボキャブラリーなど、一般の学習者が考えるような学習はさすがに済ませておかなきゃいけない?

Rié
そうだと思います。英語がかなりできる人でも、複数形になったときに意味がすっかり変わるなど、そのへんが結構あやふやで、意味を取り違えちゃう人が多い。そういうセンスは、磨けるものであれば磨いておいた方がいいと思います。

Emi
日本語には冠詞や複数形がないとされているので、学習者にとっては難しいところ。また、日本にいる限りはあんまり気にしなくても過ぎていけるので、「曖昧でもいいかな」と思うかも。でも、やはり英語圏で、きちんと正確に伝えようと思うと、そういうところが命取りになったりする?

Rié
そう思いますね。「そんなの、小さくてどうでもいいじゃない」と思っているところが、実はそうじゃなかったりします。「We want deal」ですよね。“a” が抜けてるんですけど、ああいうので揶揄されたときに、「あ、これはからかわれてる」と気づけるかどうか。

Emi
里英さん自身は、そこに気づかなかった日本人から、気づけるプロになった。それをどこで学習した? 「あ、これは大変なことなんだ」と気づいたきっかけは?

Rié
それには、フェイストゥフェイス(対面)でさんざんやりあうのがいちばんいいと思います。相手の表情に出ますから。通訳者という帽子を脱いで、自分ひとりで話をしたときに、別の意味にもとれる言い回しをしてしまうと、相手がクククッて笑ったりするんですよ。

Emi
間違える経験をして、表情などで指摘を受け、「あ、いま自分は何か変なこと言ったんだな」と気づく。そういう経験を積むということ?

Rié
それが大事だと思います。間違えた場合はもちろんそうですし、間違いではないんだけれども、自分で気づくこともあります。「あ、今こう言ったけど、もしかしてこれって隠喩? 暗にこうとられてしまったかな?」とか。たとえば”quick”などの単語も、言い方やタイミングを間違えると、違う意味にとられることがありますよね。

Emi
相手が、自分の意図していない意味にとってしまう。

Rié
何人か集まって丁々発止でやりあったりするとき、何気なく言った言葉が別の意味にもとれるとなると、わざとそっちを拾ったり。そういうやりとりの中で、気づく。スポーツみたいなものかもしれません。

Emi
ライブ感やその場の動き、その時々の、その後どうなるかわからないおもしろさも、学習意欲になっている?

Rié
そう思いますね。そのへんのおもしろさがお互いに通じ合えると、関係がすごく近づきます。日本語でも同じ。そうじゃないと、「この人、何考えてるかわかんないな」「いまいち掴めないな」と思われている気がする。それでは惜しいなと思います。

Emi
英語学習を進めていって、その「惜しいな」という感覚がわかれば、学習者には生きた英語の本当の意味での使い方が見えてくるかもしれないですね。

Rié
そのとおりだと思います。フェイストゥフェイスの生きたやりとりの中で、テンポなどちょっとした感覚をつかむ。「相手との関係性が、ここでグッと深まったな」とか、逆に「すれ違っちゃったな」とかは、瞬間のことなので、ずっと注意を払っていないとつかめない。

Emi
特に里英さんは、英語を話している人物と、日本語を話している人物の間にいて、両方を見ているから、表情や仕草、声のトーンなど一つ一つにも、アンテナを張っていらっしゃる。そのことがご自身で英語を使うときにも生きてくるのかもしれないですね。

Rié
それから、マナーもすごく大事。特にイギリスでは、みんなすごくアイコンタクトをとります。目が合ったら、とりあえず作り笑いでもいいから「ニッ」。それが、「敵意はないよ」「あなたのこと嫌ってないよ」というメッセージだったりするわけです。メッセージって、言葉で伝えるものと思われがちですけど、言外のメッセージというものを忘れてはいけません。

Emi
イギリスという英語圏の文化に、日本から来た日本人が入っている場面に同席すると、日本人のアイコンタクトや表情の中に、英語文化にそぐわないと思うことがある?

Rié
イギリスに来た頃は自分もそうだったのかもしれないんですけど、今はものすごく違和感があります。特に笑顔を見せないのは、日本だと別に普通ですよね。私も怒ってるわけじゃなく、つい無表情になっていることがありますが、そうすると夫に「Smile(にっこりしなさい)」って言われるんですよ。

結局は”be yourself”*ですけど、でも、そういうことを知っておくのは大切です。
*be yourself:無理せず、自分らしく。

Emi
言葉でも表情でも、自分の意図しないことが表現されていて、相手が別の解釈をする場合があるということは、知っておくといいですよね。

Rié
そのとおりだと思います。そんなつもりは全然ないのに、誤解されることがあります。

Emi
「通訳など英語のプロになりたい」という方にとっても、「そこまではいかなくてもいいけど、英語が得意になりたくて学習している」という方にとっても、参考になるお話がいろいろ聞けたんじゃないかと思います。本日はありがとうございました。

Rié
少しでもお手伝いできていたらうれしいです。こちらこそ本当にありがとうございました。

#01: 村井裕実子さん

村井裕実子 Yumiko Murai

マサチューセッツ工科大学メディアラボ 博士研究員。オンライン学習コミュニティにおける人的つながりの発達と学習者のやる気および自信について関心をもち、研究活動を行っている。現在は、クリエイティビティ教育やSTEM分野における教員トレーニングへのオンライン学習コミュニティの活用や、Massive Open Online Courses (MOOCs)と呼ばれる大規模オンライン講座における非英語圏学習者の参加サポートなどのテーマに取り組んでいる。日本で環境情報学学士・メディアデザイン学修士を修めた後、2010年に大学院留学のため渡米。2015年に教育学博士を取得し現在にいたる。

プロフィール MIT Media Lab

Emi
では、自己紹介からお願いできますか?

Yumiko
はい、村井裕実子と申します。現在、マサチューセッツ工科大学のメディアラボという研究所で、博士研究員をやっています。大学院では教育心理学を勉強したんですが、かねてからオンライン教育に関心を持っていて、オンライン学習コミュニティにおける人的なつながりの発達と、学習者のやる気および自信をどうやってサポートしていくかという研究をしています。

Emi
自由に英語を使えている人というのは、いったいどこをどう通って今に至っているんだろうというあたりをお聞きしていきますが、まず、裕実子さんが生まれたのは日本ですね?ご両親も日本人で、おうちの中は100%日本語?

Yumiko
両親は日本人で、家の中は100%日本語なんですが、母が英語の先生で、小さいとき、子どもに知られたくないことがあると英語で話していました。でも、私が正式に英語を勉強しはじめたのは中学に入ってからです。

Emi
その秘密の会話を受けるお父さまも、英語で話していらしたということですか?

Yumiko
そうですね。父は研究者なんですが、その頃アメリカで仕事が多かったので。

Emi
じゃあ暗号のようではあるけれど、おうちの中にわりと頻繁に英語が入ってきていた感じ?

Yumiko
頻繁にというほどではないですけど、日常的に英語を話している人がいました。内容は理解できないものの、「わからない言語があるんだ」という感じは常にありました。

Emi
子どもの裕実子さんは日本語だけで生活しながら、「意味のわからない言語というのが、この世にあるんだな」という感覚があったということですね。後々、その言語が英語だったとわかる。いま振り返って、そのことが何か影響していると思いますか?

Yumiko
それ自体がということではないかもしれないですけど、そのときに、「何を話してるんだろう」「何を話しているのか知りたい」という気持ちがすごくあったのは覚えています。それが、「英語をしゃべれるようになれば、知らないことを知れるかもしれない」みたいなことを最初に感じたきっかけだったかもしれないと思います。

Emi
モチベーションというほど大がかりなものではないにしても、うっすらと、「英語を勉強すると、この秘密の言語が秘密じゃなくなるかもしれない」という感じがあったのかな。

このあたりは、英語学習者本人よりも、日本に大勢いらっしゃる「我が子には英語を話せるようになってほしい」という親御さんが興味を持たれるところでしょう。いわゆる「浴びせかけ」に効果はあるんだろうか、ないんだろうか。浴びせかけは、もしかすると学習の種まきにつながるかもしれない?

Yumiko
そうですね。ただ、「シャワーのように浴びせられた」というよりも、「なんか隠してるな」「子ども扱いされて、隠されているという状況が悔しい」ということに結びつけられていたのが強かった気がします。

Emi
「図らずして学習につながった」というところが面白いですよね。親御さんが子どもに向けて英語を話すのではなく、「あなたは仲間に入れないわよ」「あなたにわからないように英語を使っているのよ」というのが、かえってやる気にさせた。お母さまが計算の上でされていたんだったらすごいですね。

Yumiko
(笑) そうですね。たぶんそうじゃないけど。

Emi
中学からというのは、日本の一般的な公教育を受けられて、中学1年生の授業で英語と出会ったということ?

Yumiko
そうですね、正式に学んだのはそうです。ただ、私の母が、私が小学校1年生のときから3年生のときにかけて、アメリカの大学院で勉強してたんです。母は大学の教員で、自分の夏休みを使ってシアトルにいて、その間、日本で父が私と私の妹の面倒を見ていました。私は夏休み中の3週間程度、母に会いにアメリカへ行っていましたが、母は忙しいので、私は保育園みたいなところに入れられていました。そこでアメリカ人の他のお子さんと遊んでいたのは記憶しています。

そのときに何語でしゃべっていたのかはよくわからないんですけど、おそらく何か英語っぽいものを話していました。たとえば、「お手洗いはどこですか」とか、「お腹すいた」、「私の名前は」とか、そういうフレーズを親に教えてもらって、それだけを持って保育園に行ったのをすごく覚えています。なので、勉強したのは中学1年生からなんですけど、英語を使ってみるというのはそのときが初めてだったかな。

Emi
英語科という科目で触れるよりもずっと前に、アメリカで、アメリカ人を相手に、なんらかのコミュニケーションをとっていたということですね。現地の保育園にポーンと入れられたのは、別に怖かったとかイヤだったとかいう記憶はないですか?

Yumiko
私、そういうのすごくイヤなんです(笑)。知らない場所に入っていくというのが、英語に関わらず得意ではありません。ただ、責任感の強い子どもだったので、「親は仕事しなきゃいけないんだから、自分はワガママ言わないで、ちゃんと保育園に行かなきゃダメだ」みたいなことを強く感じていました。

いつも行くまでは本当に怖くて、でも行くといろんなアクティビティがあって、部屋も楽しいものであふれているので、楽しかったのを覚えてますね。3回とも同じ場所に行ったのですが、毎回行くときはめちゃくちゃ怖くて、イヤで、でも行ってみるとわりと楽しくて、最後は楽しんで帰ってくるみたいな感じでした。でも、すごくイヤでした。

Emi
日本に帰るときには、「帰りたくないな」とか「残りたいな」、「またここへ戻ってきたいな」「すごく楽しいから、これが続いたらいいな」と思っていた?

Yumiko
…そこまで記憶してないですね。小さかったし、わりとドライだったのかもしれないけど。

Emi
英語に対する印象という意味では、「英語を話さなきゃいけないからイヤだ」とか、「英語を話していると楽しいから続けたい」とか、どちらもあんまりなく、ニュートラルな感じ?

Yumiko
そのときは、英語というのをあまり意識してなかったですね。「舞台の上で踊らなきゃいけない」みたいな恥ずかしさはあったけど、たぶん「英語がしゃべれるから」「しゃべれないから」というところまでは考えていませんでした。

小学校1年生から行っていて、3年生のときの方が友達ができにくかった記憶があるので、それは、あとから分析すれば「英語が頭に入りにくくなってたのかな」と思います。でも、そのときは英語が好きとか嫌いとか、あまり言語のことは意識していなかったかもしれません。

Emi
英語が自然な存在として、溶け込んでいたんでしょうか。3年生以降、その後はアメリカに行かず、中学に入学。中学では授業に「英語」という名前が付いているし、自然な流れではなく、「これが英語なんだ」と突きつけられたと思うんですけど、そのときのことで何か覚えていることはありますか?

Yumiko
私、英語がすごく好きだったんですよね。なぜかよくわからないんですけど。英語を勉強しはじめたときには結構好きで、授業が楽しくて。「やっとちゃんと学べる」みたいな感じがありました。学校で学びたかったというのがあったような気がします。

Emi
お待ちかねの、英語をようやく学べるときが来たというような?

Yumiko
そうですね、教科書とかもすごくうれしくて、楽しんでいたような気がします。

Emi
教科書や授業で、何か覚えていることはありますか?

Yumiko
教科書に付いていたCDを聞いていました。たとえばハンバーガー屋さんにいてハンバーガーを注文するとか、エピソードごとに会話があったのですが、私、それに一生懸命になって、完全に暗記するぐらい聞きこんで、めちゃめちゃ頑張ってたのを覚えてます。「覚えたら、そこに載っているフレーズは口から自然に出てくるようになる」と気づいて、「これが言語を習得するってことなのか」と感じましたね。

Emi
始まる前から楽しみにしていた英語が、予想どおり楽しかった?

Yumiko
そうですね、結構楽しかったです。先生もよかったんだと思います。歌を歌ったり、映画を観たり、いろんなマテリアルを使って授業をやってたので。

ベイブ』っていう豚が都会に行く映画の、簡単な英語だけで書かれた本を読むというのをやってくださっていた先生がいました。「英語で本を読める」というのが私にとってはめちゃくちゃ誇らしくて、読めるようになることがすごくエキサイティングでした。

Emi
「お勉強」という感覚ではなさそうですね。

Yumiko
単語の試験はちょっと苦手でした。勉強しても全然頭に入らなくて。でも映画を観て、その映画の本を読むとか、そういうのはすごく好きでした。

Emi
日本の学校では、教科書を日本語に訳すというような作業が多いですが、今のお話だと、あまり日本語を介していなかったのでしょうか?どうやって英語を理解していましたか?

Yumiko
いや、日本語にしていたと思いますね。紙の辞書を使って、かなり日本語に訳していました。左側に英語を書いて右側に日本語を書く、細いノートがあって、それを買って、ちくちく書いたり(笑)。

でも、先生にも親にも、ずっと「訳しちゃいけない」と言われていた気がします。わからない単語は調べていいけど、訳さないこと。「英語を日本語に訳して理解すると、ステップがいくつも入って時間がかかるし邪魔になるから、英語でそのまま理解しなさい」というのはずっと言われていたような気がします。それがすごく頭に残っていました。

ただ、「英語を日本語に訳しちゃいけない」って、留学のヒントでもよく言われていることだと思うんですけど、私はアメリカで大学院に入ったときに考えが変わりました。私は思考が日本語なので、やっぱり日本語に訳さないと、本当の意味でよくわからないようなところがあって。そこからはハイブリッドというか、「訳さないとわからないときは訳すし、訳さなくてもわかるならそのままでもいいし」というふうに、考え方が変わりました。

Emi
日本語の比重が大きくなったのは、ずっと後になって、自ら編み出して取り入れてからなんですね。アメリカに渡って、大学院に入った後、日本語を引っぱり出してきたということ?

Yumiko
そうですね。それが良いのかどうかわからないですけど。そうしないと大学院を切り抜けられなかったんです。

Emi
日本で中学、高校、大学、大学院まで行かれて、その後アメリカへ渡っていらっしゃったんですよね。アメリカ留学の準備はどうでしたか?英語に関して、何か準備したことはありましたか?それともあまり必要なかったですか?

Yumiko
いやぁもう、すごくしましたね。留学生活のために勉強する余裕はまったくなかったんですけど、大学院に合格するために、TOEFLのスコアを上げなきゃいけないとか、志望理由書を書かなきゃいけないとか、そういうのが突然目の前にやってきて。

もちろんTOEFLの問題集もやったんですけど、英語の文章を読んだり聞いたりして、サマライズ(要約)する練習をしました。自分が楽しくできるものをと思って、TEDトークの中に、ちょうど設問と同じぐらいの短いものがたくさんあったので、それを聞いて訳すっていうのをずっとやってました。それはすごく役に立ったと思います。

トランスクリプトは使わず、字幕もなしで、英語を聞いて訳しました。「次の5分間のスピーチやレクチャーを聞いて、1分で書き出しなさい」みたいな問題があるので、その練習として、ただ聞いて、ばーっと書き出していました。本当にレクチャーだと思って、書けるだけ書き出して、っていう練習です。

Emi
自分で「これが自分の好きなやり方かな」と考えてやったということですよね。自分の向き不向き、個性や得意を、なかなか見つけられない人が多いと思いますが、それが見つかれば、やる気にもなるし、やった手応えも大きいということでしょうか。

Yumiko
そうですね。まさにそんな気がします。

Emi
スコアなど書類関係を整えて、アメリカに来られて、一人で英語に囲まれて暮らすという生活が始まるわけですが、そのときの印象はどうですか?

Yumiko
いやぁ、もう本当に、「英語をもっと勉強してくればよかったな」という感じでしたね。授業に参加したときの、私のビジュアルイメージなんですけど、「手の、指の間から情報が落ちていく」と思っていました。手の中にはあんまり残らなくて、授業の中に座っていても、もらっている情報のほとんどが落ちていく。他の学生が発言してもほとんどわからなくて、全部落ちていく。そのイメージをいつも持っていて、「あぁ、また全然わからない」「授業料を無駄にしてるなぁ」と、すごく感じていました。

最初、ぜんぜん聞き取れなくて。単語単語で聞き取れるときがあるんだけど、全然わからなくて、聞き取れた単語や部分を、日本語でも英語でもいいから、ノートに書いていました。とにかくそのスピードで書き取れるだけノートに書くんだけど、意味が全然わからないときもあるし、情報が限られていて、「本当に無駄だな」と思ってましたね。

私のプログラムでは、プログラミングのクラスもあったので、最初の学期はそういうのをやって、「自分はできる」みたいな気持ちを補填しながら、英語をやっていたという感じでしたね。

Emi
言語の重要性が低い科目もありますからね。そうやって気持ちを巻き戻さないと、なかなか続かない。

Yumiko
そう、心が折れてしまう。

Emi
そういう苦しい日々の中でも、やはり「音声を聞いて書き取る」というのがあった?

Yumiko
確かに、そこから入っていったかもしれないですね。やっぱり入口は「聞き取ること」、「聞き取って頭の中でイメージできること」だと思います。聞くだけだと頭にキーワードがふわふわ浮いちゃうだけで全然つながらないのですが、書き出すことで、センテンスとしてわかるという感じ。今もそうですね。ミーティングのときとか、言われたことを書き出していくと、「書きながら理解していく」みたいなところがあるかもしれないです。

Emi
音声を文字に落としていくとき、落とした時点でもう理解できている感じですか?それとも後で、文字を振り返って理解するという感じ?

Yumiko
両方ですね、たぶん。文字に落としているプロセスの中で理解しているところもあるし、後で読み返してもっとしっかりわかる、というときもあるし。

Emi
大学院で、最初は指の間から情報がこぼれ落ちてしまっているようだったというお話でしたが、どこかで指が閉じて、「こぼれ落ちなくなってきたな」という感じはありましたか?

Yumiko
それは、「気づいたら」という感じでしたね。学期が終わって、休みに日本に帰ったりして、ちょっと離れて戻ってきたときに、気づいたら、「あ、わかるようになってる」という感じでした。「どこで」というのは、はっきり覚えてないです。気づいたら、「あ、先学期よりマシになってる」「あ、先学期よりマシになってる」というのが、毎回ちょっとずつあって。

Emi
その「マシになってる」というご自身の査定は、リスニングに対するもの?

Yumiko
そうですね、基本的には。やっぱり聞いてわからないと、何を聞かれているのかもわからなくて、返す言葉も思いつかないから。聞いて、何か返すことをその場で思いついたら、それは聞いた中からわかっているサイン。それで、「あ、前よりわかるようになってるな」と感じていました。

Emi
大学院にいた期間で、自分の変化や手応えを感じたのは、リスニングの成長?

Yumiko
そうですね。基本的にはリスニングがすごく強かったかな。スピーキングは、大学院が終わったときも未発達なところがあったなと思います。ライティングは大学院でトレーニングを積むので、それをやっていくうちに。それも自分では成長の過程に全然気づかないんですが、他の人のを見たときに直したいところが見つかるとか、そういうことを通して、「自分の英語がちょっとずつできてきてる」とわかる感覚はあったかもしれないです。

Emi
順調な期間は、英語が自然にそこにあるという感じなのかもしれないですね。トラブルが起きていると、「あ、いま私はリスニングに困ってるんだ」とはっきり自覚できるけれど、気がついたらトラブルが消えていて、英語をあまり気にしなくなっている。

その後、大学院を終えられて、ニューヨークからボストンに移られたときはどうでしたか?いったん山を越えたら、もう大丈夫?

Yumiko
いやぁ、今の職場に移ってからが、むしろいちばん辛かったですね。「振り出しに戻った」みたいな、大学院の最初に戻ったような感覚でした。突然まわりにいる人の英語が全然聞き取れなくなっちゃって。

自分でしゃべるときも、しゃべりながら考えていることがわかんなくなっちゃったり。パーソナルレベルでもプロフェッショナルレベルでも、すごくコミュニケーションに困って、突然人と話しづらくなるという感覚が強くありました。


photo courtesy of Lauren M. Whaley

理由はいくつも考えられるんですけど、エンジニアやコンピュータ・サイエンティストという、全然違う分野の人たちのところに移ったということがあります。それ以前にいた教育大学院では、みなさん外国人の話を聞くのに慣れているし、扱い方にも慣れている人が多かったんです。

でも、今の職場では、外国人の学生や研究者もすごく多いんですけど、外国人でもプロフェッショナルレベルでできる人ばっかり。ぐずぐずしていたら聞いてもらえないし、はっきりわかりやすくしゃべらないとすぐ切られちゃう。そういう環境の変化が大きくて、同じ英語ではあるんですけど、違う分野の人たちのリズムや話し方に慣れるのに時間がかかりました。これも気づいたらかなり慣れていて、今は前ほど気にならなくなりました。

Emi
ボストンに移られたのは1年前と、最近の話ですよね。今日までの1年足らずの間に、新しい洗礼を受けて、「振り出しに戻った」と感じて、気づいたらまた溶けて、消えていった。何が起きたというのは特定しにくい?

Yumiko
特定しにくいですね。たとえば細かいことだと、ミーティングがうまくいかないので、ミーティングのために準備をして話すようにしました。そういうことをやっていくうちに、そんなに細かく準備しなくても、ちゃんと意見を整理してしゃべれるようになってきたり。あと、まわりの人が私のテンポに慣れてきたというのもあると思います。

Emi
この1年間の変化と、ニューヨークでの変化を比べて、そのサイクルはだんだん短くなっている?「トラブル発生、それを認知する、気づいたらなくなっている」というパターンは同じだとしても、期間は短くなった?

Yumiko
そうかもしれないですね。「新しい場所に行けば、最初はなかなか通じない」というのが今回すごくわかりました。言語に関わらず。なので、次のときはもうちょっと速く対処できるかなと思います。わかんないけど。

Emi
言語そのものが問題ではなく、その影響の出る先が言語。じゃあどう対策を立てればいいかなという考え方になってくる。そういうことが、どんなに高度な英語の使い手になっても、やっぱりつきまとうということ?

Yumiko
そうですね。英語と日本語はものすごく違いの大きい言語だと思うんですけど、言葉って、本当にいろんなレベルで違いがあります。方言はもちろん、分野や立場によっても全然違う。それに慣れるのは、ある程度、時間の問題みたいなところもあります。あとは観察して、他の人たちの話し方を盗んでいく。結局、英語を勉強するのも、英語を使いながら違う環境に馴染むのも、同じプロセスだったのかもしれないと思います。

Emi
1年前の、「振り出しに戻ってしまった」と思った裕実子さんに、今の裕実子さんから何かアドバイスはありますか?

Yumiko
ひとつは、落ち込まないこと(笑)。「自然な現象だから、しょうがないんだよ」「環境によって言葉が違うのは当たり前」ということです。

あと、萎縮しちゃって、しゃべるのが恥ずかしくなっちゃってたんですよね。英語を最初に学んだときもそうだったんですけど、やっぱりそれはあんまり良いことがない。めちゃくちゃな英語でも、胸を張って人に話しかけていった方が、自分のためにもいいし、まわりの人にとっても、私がどういう人間かがもっとわかるから、大事。だから、「気にしないで、もっとどんどんしゃべりかけていけよ」と思います。

Emi
いま同じような状況にいる方や、不安に思っている方にとって、すごく力強いメッセージではないかと思います。今日はありがとうございました。

Yumiko
ありがとうございました。