#17. 梅田 麻友子さん(日系精密機器メーカー勤務)

精密機器メーカーで海外営業に携わる梅田 麻友子さんに、カナダでの語学留学、アメリカのコミュニティ・カレッジやルームシェアの経験、細く長く、ゆるく(笑)続ける学習スタイルなどについてうかがいました。

梅田 麻友子 Mayuko Umeda

北海道出身。東京にある日系精密機器メーカーのメディカル部門で、主に海外営業・営業企画に携わること8年。家族の誰も日本を出たことがないという、海外生活とは無縁の家庭で18歳までを過ごした一方で、子供の頃から本好きで言葉に触れることが多かった影響か、はたまた幼少期に通っていた英会話スクールのおかげか、学生時代の得意科目は英語。英語を使って外国で生活することへの強い興味と憧れを抱き、初めて日本を飛び出してカナダを訪れたのは20歳の時。その後日本の大学在学中にカリフォルニア州・サンディエゴに留学した1年間、会社の赴任でニュージャージー州に勤務した3年間を合わせ、トータル4年間をアメリカで過ごす。

Emi
では、自己紹介からお願いできますか?

Mayuko
梅田麻友子です。日系の精密機器メーカーで働いて8年になります。直近の海外生活は、昨年2017年の6月までアメリカ・ニュージャージー州に3年間赴任をしておりました。大学生の時にも1年間、カリフォルニア州サンディエゴに留学していたので、計4年間のアメリカ生活を経験しています。それ以外は、特に帰国子女だったり小さい頃に海外をよく訪れていたりなどというバックグラウンドはありません。主に大学生から海外生活を始めて、そこから本格的に英語を学び始めたという感じです。

Emi
現在、日常的に英語を使う機会はありますか?

Mayuko
今の生活で英語を使うのは1割ぐらいに激減してしまいました。アメリカ赴任前は海外営業をしていて、クライアントとのやりとりは全部英語だったんですが、今は日本語で仕事をすることの方が増えました。メールは半分以上英語なんですが、英語を話す機会はなかなかありません。

Emi
日本で英語を使ったり、アメリカで仕事をしたり。麻友子さんがいちばん最初に英語に出会ったのはいつどこですか?

Mayuko
確か4歳ぐらい、幼稚園の頃だったと思います。母親の勧めで英会話教室に通い始めたのが最初でした。特に「英語をやりたい」と言って始めたのではなく、きっとピアノや習字と同じ、習い事のひとつ。「両親がいろいろ考えてやらせてくれた習い事の中に、英会話があった」という位置づけでした。日本人の先生が一人でやっている教室で、たしか先生と一対一でした。

Emi
どんなことをしていた?

Mayuko
印象に残っているのは、先生が「アルファベットを折り紙で作ってみよう」というのをやってくれていたことです。「A」から始まって、折り紙でアルファベットの形を毎週ひとつずつ作る。それがすごく楽しかったんです。英語の会話や歌よりも、折り紙でアルファベットを作ったことが、いちばん思い出に残っています。

Emi
え、折り紙を折ってアルファベットの形にする? そんなのあるんですか。英語教室なのか、折り紙教室なのか(笑)。

Mayuko
私もいま「作れ」と言われても、ぜんぜん思い出せないんですけど(笑)。先生とお話ししに、遊びに行っている感覚でした。

Emi
その教室はずっと続けていた?

Mayuko
転勤族だったので、2年おきぐらいに引越をしていたんです。引越した先で続けていたかどうか思い出せません。4歳から3~4年通った後、おそらく一回やめていると思います。

Emi
「チャンスがあれば行くけれど、続けなくても、別にどっちでもいい」という感じだった?

Mayuko
そうですね。途中で田舎の地方に引越して、近所に英会話教室がなかったり。そういう事情で一旦中断して、小学校高学年になって再開するまで、5~6年は間があいていると思います。

 

言葉というものが、すごく好きだったんです。

 

Emi
高学年で英語を習いに行った時は、自分の意志だった?

Mayuko
そうだったと思います。中学校に入ると英語の授業が始まるので、「その準備のためにも、始めておこうかな」というぐらいですけど。

Emi
中学校の英語を先取りしていた?

Mayuko
多少はそういう要素もあったのですが、教室では英会話を重視していました。同級生のお母さんがご自宅を使って教えてくれるような教室で、同級生の女の子3人とグループでレッスンを受けていました。

Emi
友達と一緒に、友達のお母さんと英語を話す。それは好きだった? 楽しかった?

Mayuko
楽しかったですね。先生は日本人だったんですけれど、確かアメリカで生活された経験がある方で、すごく発音がきれいでした。楽しく会話していた記憶があります。

Emi
小学校高学年で英語を習いに行く頃には、「自分は英語を学んでいるんだ」「中学に入ったら、これが本格的になる」とわかっていた。先生の英語を聞いて、「きれいな発音だな」という意識もあった。

中学校で英語が始まってからはどうだった?

Mayuko
授業にはすごくスムーズに入れました。アルファベットも覚えた後でしたし、英会話教室で簡単な会話もやっていたので。文法に触れるのは初めてだったんですけれど、“英語アレルギー”ということもなく、すんなり授業に入れた記憶があります。

Emi
プロフィールによると、本を読むのが好きな子どもだった。それは英語と何か関連している?

Mayuko
はっきりとはわからないですが、関連していたと思います。本当に子どもの頃は本の虫で、本が読みたくて読みたくて朝早く起きるような、ちょっと変わった子だったんです(笑)。とにかく本が大好きで、毎週図書館に行って借りられる最大の冊数を借りて、毎日読んでいました。おそらく言葉というものが、もともとすごく好きだったんだと思います。

Emi
「本を読むのが好き」といっても内容はいろいろ。麻友子さんは言葉に興味があった?

Mayuko
強く意識していたわけではありませんが、子どもの頃に本をたくさん読んだことで、言語を処理する力が形成されたんじゃないかなと思います。言葉の裏にあるニュアンスや想像力。そういうものは英語に通ずるところがあったかもしれません。

今でも英語を話すときに、「この単語の裏側には、どういうニュアンスがあるんだろう」「同じ意味をもつ2つの単語のうち、こういう場面ではどちらを使うのがいいのかな」と考えます。皆さんされていることだと思うんですけれど、私はそれがすごく好きなんです。ドラマなどを見ていても、「今の言い回しはすごくいいな」と思って覚えたり。場面場面で使われる言葉に興味をひかれます。

Emi
物語と並行して、言い回しや表現など、言葉そのものを敏感にキャッチしていた?

Mayuko
無意識にしていたかもしれないです。

 

中学までは英語大好き。高校では…

 

Emi
中学校で英語科が始まったときも、それと同じように言葉の意味や表現の面白さに魅力を感じていた。

英語は好きな科目だった?

Mayuko
そうですね。いちばん好きな科目でした。

Emi
特にどんなことが好きだった?

Mayuko
特に「これが!」というのはなかったのですが、英語の次に得意だったのは国語でしたし、やっぱり全般的に文章の読み書きが好きだったんだと思います。スピーキングはやっていなかったし、特に中学生の頃は人前で英語を話すことが恥ずかしかったので、話すよりは読み書きが好きだったんだと思います。

Emi
日本の英語科は国語科に引っぱられている部分が結構ある。国語が好きだった小学生が、国語と英語の2教科が得意な中学生になった。

英語の本も読んでいた?

Mayuko
いえ、全然読んでいなかったと思います。英会話教室はずっと続けていたので、読んでいたとすればそこでの教材など、短いものです。

Emi
英会話教室では話すことを続けていた?

Mayuko
はい。ただ、自由に会話ができるようには全然なっていませんでした。「先生が言ったことをリピートする」というレベルだったと思います。

Emi
学校の英語も楽しい。英会話教室の英語も楽しい。高校でもそんな感じだった?

Mayuko
いちばん得意な科目ではありました。ただ、恥ずかしながら高校では全然勉強しない生徒だったので、英語の点数が良かったわけではなくて。高校英語の教科書の、長い文章を読んだりするのはすごく嫌いでした。成績が良かった覚えもありません。

Emi
中学までの「英語好き」という気持ちが減った?

Mayuko
減っていたと思います。「いつか海外に行ってみたい」という気持ちは持ち続けつつも、「だから英語を頑張ろう」とは考えていませんでした。「受験して、大学に入る」ぐらいの意識しかありませんでしたね。

Emi
海外への憧れ、「行ってみたい」という気持ちはどこで芽生えた?

Mayuko
はっきりとした記憶はありませんが、最初は中学生の頃だったのかなと思います。英語がとにかく好きだったのと、 外国人の先生が学校に来るALT*の授業を受けていたので、おそらくそのあたりから芽生え始めて、高校生の頃にはもう「いつか行きたい」という気持ちになっていました。
*Assistant Language Teacher:外国語指導助手

Emi
「英語、大好き!」という中学の頃に、実際に外国人の先生と話して、「外国に行って英語を使うんだ」という気持ちが高まっていた。高校では「勉強イヤだな」「受験があるな」と、いったん英語への興味が薄れてしまったけれど、「外国に行きたい」という気持ちは持ち続けていた。

Mayuko
その気持ちは常にありました。また、中学で身につけた基礎的な英語力も保っていたんだと思います。センター試験に向けて勉強を始めたときも、最終的に得意だったのは英語でした。

Emi
いったん勉強から離れても、いざ受験となったら中学で学んだ基礎が役立った。

 

大学で「英語をやらねば」

 

Emi
その後、日本の大学へ。英語を使う専攻だった?

Mayuko
国際総合科学部に進学しました。「名前に『英文』や『国際』がついた学部に入りたい」という気持ちはありましたね。

ちょうど私が入学した年から大学で改革がはじまり、プログラムがごっそりと変わりました。英語についても、「文系・理系に関係なく、一定の基準をパスしないと2年生から3年生に進級できない」という新しい要件が入ったんです。基準は、TOEFL で500点、 TOEIC で600点。そんなに高い点数ではないんですが、それでまた「本格的に英語をやらねば」という気持ちになりました。

Emi
英語の強化を意図して入学したわけではないけれど、大学ではTOEICやTOEFLの具体的な数字が提示され、それをパスしないと進級できない、授業でも不都合が出てくるような状況に。

Mayuko
そうですね。ただ、その先に目標があったわけではないので、学生は「その点数を取って、いったい何になるのかな」と疑問に思っていたんですけれど(笑)。

Emi
麻友子さんは、「そんなに高くない」とおっしゃいますが、日本の大学2年生にとって、TOEFL 500、 TOEIC 600といえば、そこそこ高いハードル。「そのぐらいならクリアできる」という感じだった?

Mayuko
英語が得意ではない人にとっては結構なハードルですよね。私の場合、1年目はそれほど危機感がなく、2年目でお尻に火がついてから試験を受けて、クリアしました(笑)。

Emi
クリアするために、何か特別な勉強をした?

Mayuko
特に記憶に残るほどのことはしていません。1年目で点数を申請していない学生は2年目に補講を受けることになっていたので、それを受けていたぐらいです。毎週土曜日の午前中いっぱい、外国人の先生が英語漬けの授業をしてくれていました。

Emi
大学が熱心に提供してくれるプログラムに乗っかって英語を学んでいた。とはいえ、そんなに根を詰めてやらなくてもクリアできた。

Mayuko
そうだったかもしれません。やっぱり好きは好きだったんですよね。

 

初めての海外で、「自分の英語は、意外と通じるな」

 

Emi
そのままいくと、別に英語を使わなくても卒業できそうな雰囲気ですが(笑)、途中でなにか変わった?

Mayuko
大学2年の夏に変わりました。私は「家族の誰も日本を出たことがない」という環境で育ったので、「海外に行ってみたい」「外国ってどんなところだろう」というのがずっと頭の片隅にありました。海外旅行もしたことがなかったんです。それで、大学2年の夏にカナダのトロントへ行き、1ヶ月間、現地の語学学校に通いながらホームステイをするというプログラムに入りました。その生活が楽しかったことがきっかけで、「次は長期で行ってみよう」と思うようになりました。

Emi
中学生の頃から抱いていた「いつか外国に行ってみたい」という思いが、いよいよ大学2年生の夏に実現した。

Mayuko
すべてが本当に新鮮でした。初めて海外行きの飛行機に乗ったのですが、アメリカのデトロイトで乗り換えをしなくちゃいけない。英語を話せるかわからないし、すごく不安だったのを覚えています。それでいきなり1ヶ月の滞在。いま思えば、結構なハードルを自分に課していたのかもしれません(笑)

Emi
「知らないからできる」ということもありますよね(笑)

Mayuko
いざ現地に着いてからはホストファミリーにも助けられ、語学学校には同世代の人もたくさんいて、ワイワイ楽しく授業を受けていました。夏休みだったので日本人も結構いて、中南米から来ている人たちとも友達になりました。

Emi
出発前には不安があったが、行ってみたらスムーズに溶け込んだ。1ヶ月はあっという間に過ぎた?

Mayuko
あっという間でした。本当に楽しい思い出が多いです。

Emi
語学学校には日本人を含め、いろんな国の人たちがいた。そこでの印象は?

Mayuko
学校の中では「絶対に英語以外の言語を話してはいけない」というルールがあったので、日本人同士でも英語で話していました。クラスには他の国から来た子たちがいましたが、会話は「ゆっくり話せば、思っていたより通じるんだな」と感じました。語学学校なので、先生も私たちにわかるように話してくれる。もちろん難しいことは難しいし、通じないこともたくさんありましたが、通じなかった悲しさよりも通じたときの楽しさの方をよく覚えています。「なんとか生活していけるものなんだな」と自信がつき、ポジティブな気持ちで日本に帰りました。

Emi
「自分の英語が通じた」と思ったのは、どんなとき?

Mayuko
たとえば、ホストファミリーの家から学校に通うバスの中です。アメリカやカナダの人たちって、話しかけてくることがありますよね。ある日、小さい子どもが話しかけてきて、ちょっとおしゃべりしたら懐いてくれたことがありました。他には、お店で普通に注文ができたとき。その頃はまだぜんぜん流暢というわけではありませんでしたが、英語でサバイバルする力に自信がつきました。

Emi
街の人、店員、バスで出会った子どもなど、語学学校と関係がない人たちと話して、「結構できているな」と感じた。それは学校の中よりも「できた」という手応えが大きいですよね。

 

日本でも毎日少しずつ英語学習を継続

 

Emi
その後、日本に帰国。英語学習について、何か変わった?

Mayuko
「次は1年ぐらいの長期留学がしたい」という決心がつき、「それまでにもう少し英語を勉強しないと」と思っていました。ちょうどそのタイミングで、私の大学が新しく英会話教室を採用したんです。大学の一室にネイティブの先生が毎日通って来てくれるので、私たち学生は自分の授業の空きコマを使ってそこで英会話のレッスンを受ける。「30分くらいの短いレッスンを毎日続ける」という英会話プログラムで、それに申し込んで通っていました。

Emi
カナダでの生活を経て、「もっと英語を勉強したい」と思っていた矢先、大学で毎日30分間、外国人と英語を使ってコミュニケーションする機会を得た。

Mayuko
そのレッスンを受けた半年間で、「一週間に1回、1時間~1時間半やるよりも、毎日20~30分やる方が頭に入ってきやすい。身につきやすい」と実感しました。おかげで次の留学生活にも、思っていたよりスムーズに入れた気がします。

Emi
短期の語学留学から帰った後も、継続的に少しずつ英語を使っていたことが、次の留学の準備になった。留学することを念頭に置いてレッスンの30分間を使うようにしていた?

Mayuko
「できるだけ発言しよう」「わからないことは積極的に質問しよう」と思っていました。レッスンは、多い時でも5~6人、少ない時なら2~3人という少人数のグループだったので、一人一人が発言しやすい雰囲気でした。そこでは積極的に先生と話すようにしていました。

Emi
やっぱり、短い時間でも毎日続けるって大事ですよね。

Mayuko
大事ですよね。でも、それもほぼ遊びに行っている感覚でした。「文法を勉強する」「一つでも多くの単語を覚える」ということが得意ではないので、とにかく行って、その場で話す。「そのやり方が自分には向いているな」と思います。

Emi
「このあと留学をするんだ」というはっきりしたモチベーションがあった。そして、「学校に行けば、そこに先生が待っている」という環境で、自然に無理なく英語学習が続けられた。

 

アメリカへ留学してから、一念発起

 

Emi
その後、実際に留学した?

Mayuko
はい。その半年後、大学3年目でした。ただ、大学には英語圏への交換留学のプログラムがなかったので、自分で休学して学校を探してこなきゃいけないという状況でした。最終的にサンディエゴのUCSD* に決めたのですが、それはサンディエゴ市と私が住んでいた横浜市とが姉妹都市だった関係で、大学にもコネクションがあったからです。留学先の選択肢がたくさんあってどこにしていいかわからないから、「じゃあ、なんとなく繋がりがありそうな、そこにします」という感じでエイヤと決めちゃったんです。(笑)
*University of California, San Diego:カリフォルニア大学サンディエゴ校

Emi
特に強い思い入れや予備知識があったわけではなかった。実際に行ってみて、どうだった?

Mayuko
最初はホームステイをしたのですが、そこでもホストファミリーがすごくよくしてくれました。学校には、日本の同じ大学から同時期に来ている友達が何人かいたので、精神的にだいぶ安心した状態で行けたと思います。実際に語学学校に通い始めてから、英語学習に対する意欲がめきめき上がってきました。

Emi
ここまでのお話では、「なんとなく行ってみたいな」「なんとなくここかな」という程度の希望や興味は感じられるけれど、「これだ!」「絶対だ!」という強さはない。行く先々でも、何か衝撃的な事件が起きるわけではなく、ふわふわと進んでいって、いつのまにか馴染んで…

Mayuko
そうなんですよね。そこまではずっとそうです。

Emi
語学学校に行って、そこまでの“ふわふわ”とは違う何かが起きた?

Mayuko
語学学校の生徒って、全員ノンネイティブじゃないですか。大学付属の語学学校だったので、先生もプログラムもしっかりしていてとても良かったんですが、やっぱり「先生以外はノンネイティブで、みんな同じくらいのレベル」という中では、会話をしていてもすぐ壁にぶつかるんです。「毎週毎週、同じ話をしているな」と思いました。

まだ語彙が少ないし、話す力もお互いに同じぐらいなので、「自由に会話してみましょう」と言われても、できる話といえば「週末は何してた?」とか、「どこの国から来たの?」とか。そういう会話を永遠に繰り返している。そのことにフラストレーションを感じました。そのフラストレーションをきっかけに、「このままここにいて、私の英語はどこまで伸びるんだろう」という気持ちが芽生えてきたんです。そこからいろいろ調べて、現地のコミュニティ・カレッジに通うことになりました。

Emi
何の問題もなく、あまりにもスムーズだったために、「これを繰り返していて、果たして私の英語は伸びていくんだろうか」というフラストレーションが。

Mayuko
小さなトラブルはあったと思うんですが、記憶に残るほどの事件はありませんでした。語学学校にはいろんなテンションで来ている人がいますよね。大学に入る前の準備として、すごく真剣に通っている人もいれば、バケーション気分の人もいる。課せられるものはそれほど厳しくない。私自身も休学で行っているので、特にプレッシャーもなく、自由。自分で何かを課さない限り、同じことの繰り返し。最初の3ヶ月が過ぎた頃、「1年後に帰ったとき、私の英語はどうなっているんだろう」と思ったんですよね。

Emi
「このまま1年過ごしてしまったら、せっかく来たのにもったいないな」と思い始めた。大学の ESL というノンネイティブばかりの環境から、「今度は コミュニティ・カレッジ というネイティブの、現地のアメリカ人が行く学校に入ってみよう」という新しい挑戦を自らに課した。

Mayuko
実は、直近で行けるクォーター*の授業の申し込み締切は過ぎていたんです。でも友達が「行ってみたら大丈夫かもよ」と言うので、学務課へ交渉に行きました。締切を大幅に過ぎていたんですが、「どうしても次のクォーターから行きたいんです」と訴えて、OK をもらいました。その時、「アメリカって結構フレキシブルだな」と思いました(笑)。
*quarter:4学期制における1学期。

Emi
なんとかなりますよね(笑)。叩くと扉が開く。

Mayuko
なんとかなりますよね(笑)。それもきっかけとなってアメリカ生活が楽しくなってきました。「こうやって交渉すれば、物事が良い方向に動くことがあるんだな」と思いました。断られた大学もあったんです。2番目か3番目に行った学校がOK を出してくれました。

Emi
1つ目で断られて、「あぁ、もう行けないんだ」と挫けるのではなく、「では、他に行けるところはないだろうか」と動いた。

Mayuko
その時は、何かエネルギーがあったんでしょうね(笑)

Emi
やっぱり「このままじゃいけない」「このまま日本に帰るわけにはいかない」という気持ちが、突き動かしていたんでしょう。

Mayuko
「1年しかない」という意識が強くありました。「その1年で、何を持って帰れるんだろう」というのをよく考えて、それをエネルギーに換えていたのかもしれません。

 

大変だからこそ、成長を実感

 

Emi
その勢いで見事に扉が開き、コミュニティ・カレッジに入学。そこではどうだった?

Mayuko
大変なことの連続でした。急にネイティブが多いクラスに入って、当然ですが、授業を全部理解することはできません。「英語を勉強するのではなく、英語を使って別のことを勉強する」という環境に初めて入って、苦労したとは思います。それでもやっぱり、「成長できている」という実感がありました。そのことがすごく嬉しかったんです。

Emi
自ら「厳しいところに入るぞ」という覚悟で入っているので、ネイティブたちの中で揉まれて大変だけど、やりがいが感じられた。

Mayuko
授業ではグループワークもありました。「4~5人のチームを作って、何か一つ発表しましょう」となった時、「チーム内でノンネイティブは自分だけ」ということもありました。クラスで初めて会った人たちと、グループを作るのも初めての経験。 そこで、ディスカッションやグループワークをする時には、必ず最初に「私は日本から来て、まだ英語が全然しゃべれないんです」という自己紹介をするようにしていました。そうすると現地の学生も親切に助けてくれるんです。アメリカ人はお世辞がうまいところもありますが、「全然そんなことないよ」「言ってることわかるわよ」と言ってくれるのを励みにしていました。

コミュニティ・カレッジで、「やってみると、良い反応が返ってくる」という経験を積めたことで、「自分がやればやっただけ、周りの人も助けてくれるし、良い結果が返ってくる」というアメリカ生活の楽しさを学びました。

Emi
そうやってクラスメイトと仲良くなったり、一緒にプロジェクトを成功させたり。最初に壁の高さを感じたからこそ、そこを乗り越えた経験がより大きく感じられたのかも。

英語について、何か特に頑張ったことは?

Mayuko
これはまたゆるい話になっちゃうんですけれど(笑)、その時も、「根を詰めて、英語の勉強をすごく頑張った」ということはありませんでした。とにかく日常生活の中、授業の中から、いかに吸収できるか。そういう意味では、当時一緒に住んでいたルームメイトたちにすごく助けられました。「苦しみながら英語を勉強した」というより、「なんとかこの人たちと一緒に会話ができるレベルまで持って行かなきゃ」という一心で、日常生活の中で彼らに鍛えてもらいました。

 

ルームメイトたちに鍛えられました。

 

Emi
ルームメイトは全員アメリカ人?

Mayuko
台湾系のアメリカ人3人と一緒に生活していました。そこでだいぶ英語を鍛えてもらいました。

Emi
どんなふうに鍛えられた?

Mayuko
とにかく、すごくよくしゃべる人たちなんです。私と女の子1人、男の子2人の男女2人ずつ、4人で一緒に生活していたんですが、男の子たちも本当によくしゃべる人たちで。みんな寂しがり屋なのか、家にいるときは自分の部屋にこもるのではなく、一日中みんなでリビングに集まって、飲んだりゲームしたりという家でした。すごく恵まれていたと思うんですが、しゃべるのが速いので、住み始めた頃はみんなが話していることの半分ぐらいしかわかりませんでした。「ここでみんなと仲良くなるには、私も話せるようにならないと」と思いました。みんなが一日中しゃべっているのをずっと聞いていることで、耳がすごく鍛えられました。

Emi
「3対1」というのも大きな要因ですね。同世代の、当時二十歳ぐらいの若者たちが容赦なくしゃべってくる。

Mayuko
彼らは一人も日本語がわからないので、私が何か困っても英語で発信しない限り伝わらないという環境。そこに身を置いたことが、すごく大きかったです。

Emi
まさに24時間鍛えられた(笑)。

Mayuko
そうですね(笑)。メンバーの中には外国で生活した経験のある人もいて、私の気持ちを多少わかってくれていました。引越した当初から、「私の英語が間違っていたら、コレクション(訂正)してほしい」と伝えておいたので、彼らは親切に私の英語を直してくれたり、普段の表現を教えてくれたり。おかげで楽しみながら話せるようになりました。

Emi
麻友子さんの「限られた時間で、英語をなるべく吸収したい」という気持ちを汲んで、ルームメイトが協力してくれた。

1年の間に、語学学校、コミュニティ・カレッジ、3人のネイティブたちとの共同生活を経験。帰国する頃には、かなり英語に自信が持てた?

Mayuko
そうですね。でも、「自分の英語がどれくらい伸びたか」というのは、自分では実感できないものです。

留学生活も後半に入ったある日、最初の2ヶ月間滞在させてもらっていたホストファミリーのお母さんと再会したときのことです。アメリカに行ったばかりの頃は、お母さんの言っていることが4~5割ぐらいしかわからなくて、なんとなく雰囲気で「ハイハイ」と聞いていただけでした。でも、再会して、「今こういうメンバーで一緒に住んでるんだよ」というような会話しているときに、「私、今この人がしゃべっていることが全部わかる」「普通に会話ができている」と実感できたんです。そのとき初めて、「意識していない間に鍛えられていたんだな」と、自分の英語力の伸びを感じました。

Emi
アメリカに行って最初にお世話になったお母さんと、半年ほど間をあけて再会したら、相手の言うことがすごくよく聞こえるようになっていて、「英語が理解できるようになっている」と感じられた。定点観測みたいですね。

Mayuko
また、その後に現地で TOEIC を受けたのですが、リスニングがグンと上がっていました。初めてのリスニング満点。その結果を見て、私以上にルームメイトたちが喜んでいました。「ここに住んで、自分たちも役に立ったよ」と(笑)。

 

机に向かうことが苦手な私の英語学習法

 

Emi
同じ人の話す英語が、明らかによくわかるようになっている。試験でも明らかに点数が上がっている。「1年留学した甲斐があったな」と感じられたのでは?

Mayuko
そうですね。留学前から、「最終的には、4年制大学の授業も受講してから帰国したい」という希望がありました。アメリカに渡った時点ではそれに必要な TOEFL の点数が足りていなかったんです。それで語学学校からスタートして、当初の計画にはなかったコミュニティ・カレッジを挟むことになったわけですが、そのおかげですよね。「TOEFL のために勉強した」というより、コミュニティ・カレッジで先生の授業を毎日聞いてリスニング、エッセイを書いてライティング、グループワークで発言しなきゃいけないからスピーキング。そういう要素を、授業を受けながら身につけていき、最後には念願かなってUCSD の授業を取ることができました。目標をクリアして、「これでやっと帰れるかな」という気分になりました。

Emi
試験のための勉強ではなく、語学学校、コミュニティ・カレッジと自らハードルを徐々に上げながら、生活の中で身につけるようにした。その経験が結果的に試験の対策にもなった。試験準備として理想的ですね。

Mayuko
これは本当にオススメの方法です。私は「何時間も机に向かって、単語を覚えて、文法を勉強して…」というスタイルではなく、生活の中で、自分が楽しくやっていく勉強でないと続かないタイプなんです。「やらざるを得ない、やれば自分を認めてもらえる、周りとのコネクションもできる」という環境に身を置く方が私には向いています。

Emi
「自分がいちばん吸収しやすい状態」を自分で把握できると、効率よく進んでいける。麻友子さんは高校時代に、「机に向かってする勉強は好きじゃないし、進まない」という経験をした。「机に向かう勉強ができないから英語は嫌い。やめちゃう」という選択をする人もいるが、そうではなく、「方法を変えたら、自分はもっと吸収できるんじゃないか」と思って探していった。

いわゆる座学が苦手な人は、「聞く・話すは楽しくできるが、読み書き・文法は嫌い」ということが多い。そこはどうやって両立していた?

Mayuko
「やっぱりその時に助けられたのは、中学で学んだ基礎かな」と思います。 中学生の時に基礎的な文法をしっかりと、100%に近い状態で自分に叩き込んでおいたおかげです。高校以降、新しく難しい文法は出てきません。単語が増えたり、文章の構成が複雑になったりするだけ。毎日の生活の中で本当に使っているのは、実は中学までの文法です。

ルームメイトと話していても、「あ、いま関係代名詞が出てきた」という感じで(笑)、会話を使って文法の復習をしていたと思います。「文法を勉強するぞ」と思ってやったわけではなく、「あ、今のセリフにこの構文が出てきたな」とか。それに気づくと、「意外と文法って無駄じゃなかったんだな」と実感できましたね。

Emi
中学校で積み上げておいた文法の基礎が、他の人の話す英語を聞いたり、学校で読み書きをする中で生かされた。「こんなところに関係代名詞が、that節が、助動詞が!」と気づいて、文法が肉付けされていった。机に向かう勉強ではなく、日常生活の中で楽しみながら。それが学習になっていた。

大学の正規のクラスを受講して帰国。その後、どうやって英語力を保っていた?

Mayuko
できるだけ英語を使えるアルバイトを探しました。英会話教室の受付をすることになり、ネイティブの先生たちがいたので、特に話す機会が多かったです。

それから、ひたすら海外のドラマを英語字幕で見ていました。アメリカでできた友達とたまに電話をしたり、メッセージのやり取りをしたり。そうやってできるだけ「聞く・話す・読む・書く」のバランスを保つようにしていました。

Emi
日本で英語を教える先生たちと、仕事で会話をする。アメリカでできた友達と連絡を取るためにメールを書いたり、電話で話したり。帰国後も英語を使い続けていた。

 

英語で仕事をしながら、さらに成長

 

Emi
その後は日本で就職。就職活動では、英語を使う仕事を探していた?

Mayuko
そうですね。それは必須で考えていました。

Emi
入社後はどうだった?

Mayuko
入社してから半年ほど経った頃、たまたま人事異動でオーストラリアとロシアのお客様を担当するようになり、そこから仕事で英語を使い始めました。

Emi
学生のうちに使っていた英語と、仕事で使う英語は違った?

Mayuko
仕事で英語を使い始めた頃は、オーストラリアから英語のメールが飛んできても、「これは私が知っている言語なのかな?」と思うぐらい(笑)。暗号にしか見えませんでした。精密機器のメーカーなので、医療の専門用語が多く、現地の代理店のエンジニアからテクニカルな話が日常的に上がってきます。それまではアカデミックな場面や日常会話で英語を使っていましたが、まったく違う分野。「今までの私の英語の知識は何の役にも立たないんじゃないか」と思いました。いちいち辞書を引く生活に戻ってしまったんです。

Emi
新しい分野では初めて見る単語が多いから、辞書に頼ることになる。ビジネス英語の言い回しはどうやって身につけた?

Mayuko
フォーマルな言い回しは、学生の時にはまったく学んでこなかったので、「仕事をしながら覚えた」という感じです。メールや会話の中で、先輩に指導してもらったり、やりとりの相手が使っている表現を盗んだり。最初は真似事から始まりましたが、実は今でもそうです。「この人の英語、素敵だな」「この人の英語きれいだな」と思うものは参考にするようにしています。

Emi
ビジネスで英語を使う場合、相手は自分と専門が近く、共通の話題を持っている。その人たちから盗むのがいちばんの早道ですよね。

書き言葉にしろ話し言葉にしろ、「素敵だな」と思う表現を盗んで学ぶ。そうやって日本で外国人を相手に英語を使う生活をしていた。その後アメリカへ赴任。何か印象深いことはあった?

Mayuko
アメリカでの新生活ですから、立ち上げる際に何かとトラブルはありました。でも、学生時代に経験済みだったので、「そういうものだ」と。また、「交渉次第でなんとかなる」とも思っていました。西海岸と東海岸という違いはあっても、すでに「アメリカ生活」というものに対するイメージができていたので、特に苦労することはありませんでした。「出張感覚でポーンと飛んでいったら、そのまま3年経っちゃった」という感じでしたね(笑)。

Emi
(笑)簡単そうにおっしゃっていますけど、これ本当にすごいことなんですよね。「学生時代に1年間アメリカで暮らして、知っていたから特に問題なかった」というお話ですが、そのときの過ごし方がものを言っている。麻友子さんはホストファミリー、ルームメイト、コミュニティ・カレッジの人たちなど、現地でその土地の人たちと一緒に生活をしていたから、短期間で「アメリカ人の普通の暮らし」の細かいところまで吸収できていたのでは?

Mayuko
無意識にそうだったのかもしれないですね。

Emi
無意識だということがすごいんですよね(笑)。

 

英語を学び続ける原動力と、自分の学習スタイル

 

Emi
たとえば学生時代、1年間西海岸にいた時には、同じ大学から行った日本人がいた。語学学校にはノンネイティブの人たちがいた。その環境に安住する選択肢はあった。社会人で東海岸に行った時にも、日本の会社からの赴任だし、大都会で日本人コミュニティもあるので、そこにはまってしまっても別に悪いことではない。でも、麻友子さんはそうしないで、その土地の人たちと過ごし、限られた時間をなるべく濃いものにしようとする。その原動力は何?

Mayuko
やっぱり人が好きなんでしょうね。とにかく人と話すのが好きなんです。相手が日本人でもアメリカ人でも、「この人、今なんでこんなことを言ったんだろう」「この人のバックグラウンドをもっと知りたい」という気持ちになります。とにかく話したいし、相手のことを聞きたい。それに尽きると思います。

Emi
その場所でしか会えない人に対する興味。言葉を使って相手をよりよく知りたい。英語でないと話せない相手とも話したい。

Mayuko
そうなんです。ありがちな表現ですが、アメリカは多様な社会。毎日一緒に仕事をするだけの関係の同僚でも、よくよく話を聞いてみると、「子どもの頃にすごい苦労があってここまで来ている」、「家族がいろんなところから移住してきた」などのバックグラウンドがある。聞けば聞くほど、いろんな話が出てくる。そういうことにすごく興味があります。その影響が大きいと思います。

Emi
「絶対これを!」という強い情熱ではなく、なんとなく流れに沿って、逆らわず進んできている感じですね。

Mayuko
たぶん負けず嫌いなところが少ないので、「点数をよりよくしてやろう」「あの人に絶対勝ちたい」というモチベーションでは勉強ができないんです。「自分がより楽しく感じられるように」「周りの人と生活していくために」という、ゆるいモチベーションをずっとキープしている感じです(笑)。

Emi
細く長く、ともしびが絶えずずっと寄り添っているような。「“低温熟成”みたいなタイプの学習もあるよ」ということですね。

本日はありがとうございました。

Mayuko
ありがとうございました。

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