#15. 井内 詩麻さん(現代アーティスト、アートエデュケーター)

現代アーティストで教育者の井内 詩麻さんに、語学留学で感じた“温度差”、外国人向けESLと英語ネイティブの国語教育、カナダの大学とニューヨークの大学院での経験、英語が自身のアートに与える影響などについてうかがいました。

井内 詩麻 Shima Iuchi

京都市出身。ニューヨーク州在住。現代アーティスト・アートエデュケーター。School of Visual Arts修士課程修了。幼児からシニアまで幅広い世代を対象にアートとの関わり方、共感、楽しさを伝える仕事を手がける。

成安造形大学アートプロデュース学科卒業後、商社に就職。その後、視野を広げ、さらにアートを学ぶために1997年渡加。カナダ・ブリティッシュコロンビア州での語学留学を経て、同州トンプソンリバーズ大学、造形芸術科にてFine Arts学士号取得。同大学卒業後、二年間大学研究員として働く傍ら、制作活動に従事し、自己最大のインスタレーションを北米各地で展示した。北米・アジア・ヨーロッパにて個展や作品の出展を行い、数々のタイトルを受賞。

その後、アルバータ州バンフセンターにてテクニカルアシスタントとしてタスクを担った後、レスブリッジ大学およびトンプソンリバーズ大学にてファカルティーメンバーとして勤務、アートの教育者としての活動を本格開始した。

現在は結婚し、二児の母。育児の傍ら、アート教育・制作活動を行なっている。

Emi
自己紹介からお願いいたします。

Shima
現代アートと美術教育をしております井内です。出身は京都市です。カナダでずっとやりたかった制作を学び、大学で働かせていただいた後、昔から憧れていたニューヨークシティの大学院に参りました。卒業後、今もニューヨークに住んでいます。

Emi
美術を教える教育者と、実際に制作をするアーティストとの二本柱でご活躍。のちほど作品のお話もうかがいたいと思います。

詩麻さんが初めて英語に出会ったのは、いつどこでですか?

Shima
中学校でした。高校時代からずっと留学に憧れておりましたが、やはり生の英語を体験したのは初めてカナダに降り立った瞬間でしたね。

Emi
中学校で英語の授業が始まるまで、英語に触れる機会はなかった?

Shima
中学校に入る前に、英語教室に行っていたんですけれど、自発的に行ったのではなく、親に入れられた感が非常に強くて(笑)。英語というよりも楽しみに行ってたかな。英語という意識はなかったです。

Emi
子ども向けの英会話教室。「英語をやっている」というよりは遊び感覚だった。

Shima
歌とか、簡単な単語でゲーム遊びとか、そんな感じだったと思います。

 

いつも先生を観察していました。

 

Shima
英語教室の先生は日本人でしたが、確かご主人がアメリカ人。それまでに会ったことがない感じの方で、日本人日本人していなかったのを覚えています。すごくセンセーショナルでした。(笑)

Emi
クラスの内容よりも、「外国人の夫を持つ日本人」という先生のインパクトが強かった?

Shima
どちらかというと、その方が大きかったです。

Emi
「日本人で英語をしゃべる人って、こんな感じなんだ」ということ?

Shima
考え方もすごくサバサバした先生だったんです。「なんかすごく気持ちいい、おもしろい人だなぁ」と思って見ていたのを思い出します。

Emi
小学生で、それだけ冷静に大人を観察しているというのもおもしろいですね。

Shima
「結構小さい時から、とてもクリティカル*な目で大人を見てたな」と思います。(笑)
*critical:分析や評価をしようとする様子。

Emi
英語教室で多少触れてから、中学へ。英語の授業で印象に残っていることは?

Shima
教科書ベースで、先生もガチの日本人だったので、

Emi
ガチの。(笑)

Shima
発音とか一生懸命、頑張ってやってくださっていたんですけれど、今から考えると、私と同じジャングリッシュだったかな。(笑)

Emi
(笑)引き続き、先生を観察していたわけですね?

Shima
(笑)イヤな生徒ですね。

Emi
記憶に残っているのは先生の発音?

Shima
そうですね。発音のことがすごく思い出されます。

Emi
教科としての英語は好きだった?嫌いだった?

Shima
別に大好きでも、大嫌いでもないという感じです。中学の後半では、先生が若い女性の方になり、すごくおもしろい先生だったので、先生に乗せられて英語を好きになっていました。

Emi
ここでもやはり英語がどうこうというより、教える人がポイントになっていた?

Shima
そうですね。先生のノリがいいというか、上手に教えてくださる先生だと、スッと乗っていけるタイプでしたね。

Emi
中学生の詩麻さんを乗せてくれる先生は、どんなやり方だった?

Shima
ノートやテストの答案用紙が返ってきたら、いろんなところに先生のイラスト付きのコメントが書いてあるんです。それが大好きで(笑)再提出の時に私がわざとコメントに対して書いておいたら、それに対してまた返してくれるということがあったりして。すごくおもしろかったです。

Emi
提出物やテストのフィードバックがこまめで、イラストが付いているなど、先生の個性が感じられた。

Shima
個性が楽しくてしょうがなかったですね。

Emi
中学生のうちは、英語そのものというより、「どんな先生に当たるか」ということに注意が向いていた?

Shima
そうですね、今から考えると。

 

北米への憧れが、“ビビ感”に。

 

Emi
高校生の頃には、すでに留学したい気持ちがあった。何かきっかけがあった?

Shima
小さい時から、北米には、大雑把だけれど「自由に発言できる」「自己を表現できる」というイメージがずっとありました。日本で、私はそうしたくてもうまくできなかったんでしょうね。それで、「いいないいな」という憧れがあったんですけれど、「でもこれはもしかしたらステレオタイプで、本当なんじゃないかもしれない」とも思っていました。だから、「実際に自分の目で見たいな」というのがあったんです。

Emi
北米のカナダやアメリカに対して、「今いる環境よりも、自分を表現できる場所」というイメージがあった。でも、「果たして本当にそうなんだろうか」と思い、「自分で行って、自分の目で確かめたい」という気持ちが出てきた。

その気持ちが出てきてから、英語学習に何か変化があった?

Shima
高校の時は受験英語ばっかりめちゃくちゃ頑張ってやっていたんですけれど、大学に入ってから英語の先生が外国人の先生になって、意識がビビっと変わりました。それから、研修旅行の行き先がアメリカだったんです。もう「これだ!」と思いました。(笑)「まずはそこで確かめよう」って。研修旅行に行ってからは“ビビ感”がグワッと上がりました。

Emi
高校では大学受験のために英語を勉強していた。大学では外国人の先生に英語を教わるようになり、実際にアメリカへ行くチャンスも得た。

Shima
はい。初めての海外旅行でした。

Emi
大学に入って「意識が変わった」というお話でしたが、どう変わった?

Shima
「やっぱり書いて読んでるだけではダメなんだな」ってすごく思いました。しゃべれない、聞けない。すごくいい先生だったんですけれど、パッと目が合うと、「何を言われるんだろう」と、もうドキドキしてしまって。(笑)

Emi
高校までは穏やかに、読み書きを中心に進んできた。それが、大学で外国人の先生と直接英語を話すことになり、緊張感が高まってライブ感が上がったんでしょうね。

Shima
(笑)上がりましたね。

Emi
「受験までに積み上げてきた英語は、あんまり機能しないな」と感じた?

Shima
その時はそう思いました。「私の暗記はなんやったんやろ」って。

Emi
初めは「うわ、何を話そう」と緊張していた。その後は変わっていった?

Shima
いやぁ、大学時代の英語はそんな感じで終わってしまった気がします。それなりに「頑張ってしゃべりたいな」というのはあったんですけれど、そんなにめちゃくちゃは上達しなかったと思います。

Emi
大学に入って、英語を使う経験をしながら「もっと上達させたい」という気持ちもあったけれど、本人としては伸びた気はしなかった。

Shima
そんな感じですね。「ちょっとだけ外国人慣れしたかな」という程度です。

Emi
緊張しなくなった?

Shima
そうですね。

Emi
アメリカの研修旅行はどうだった?

Shima
とにかく楽しかったです。楽しくて楽しくてしょうがなかったのを覚えています。帰りの飛行機で「絶対私は帰ってくる」って、もう決めてました。

Emi
現地の人と話す機会もあった?

Shima
「頑張ってしゃべってみたい」という好奇心がすごくあったのを覚えています。どれぐらい通じていたかは、ぜんぜん覚えてないですけど。(笑)

 

「現地に行って、24時間英語に囲まれた方が早い」

 

Emi
「すごく楽しい」「絶対帰ってくる」という気持ちで日本に戻り、大学卒業後にカナダへ?

Shima
いや、卒業後は就職して、4年ほど、一生懸命お金を貯めていたんです。

Emi
お金を貯めている間、英語学習は続けていた?仕事で英語を使っていた?

Shima
仕事ではまったく使っていなかったです。英会話教室に通ったり、仕事が休みの時には、京都にある国際交流会館を利用したりしていました。そこで外国人との接触は続けていたんですけれど、それが直接英語の上達につながったかというと疑問です。

Emi
京都に住んでいる外国人との交流?

Shima
住んでいる方が多かったです。私はとにかく英語をしゃべりたかったんですけれど、向こうは日本語をしゃべりたかったんですよね。(笑)

Emi
Language Exchangeという、お互いの母語を教え合うシステムですね。両者とも自分のターゲット言語をやりたい場合、バランスが難しい。

Shima
そこのバランスがすごく難しかったです。

Emi
自分のターゲットである英語をちゃんと教わるために、英会話教室へ。そこではどうでしたか?

Shima
レッスンよりも、フリートークの方がよかったです。時々ラッキーだったら先生と自分の一対一になる時もあったりして。

でも、英会話教室での1時間なり2時間なりをのけたら日本語の生活に戻ってしまう。それを繰り返しているうちに、「これは変にレッスンするよりも、現地に行って24時間英語に囲まれた方が早いんじゃないんか」と思い始めました。

Emi
英会話教室で話すことで、力がついてきていた。ただ、教室以外の生活は全部日本語。「これを繰り返しているより、もういっそ現地で24時間英語を話す環境に身を置いた方がいいんじゃないか」と思い始めた。

それで、留学に踏み切った?

Shima
そうですね。もうそのまま留学したという感じです。

 

語学学校で感じた“温度差”

 

Emi
カナダに行ったばかりの頃のことで、覚えているのは?

Shima
ESL*ですから外国人ばっかりですよね。その時代って日本人の留学生も多かったんです。「せっかくカナダまで来て、英語を伸ばしたいんだから、絶対に私は日本語をしゃべらない」と決めて、ちょっと堅物になってました。(笑)「私は一匹狼でもいい」と思ってました。
*English as a Second Language:英語が母語でない人向けのクラス

Emi
大学に入った?

Shima
いちばん最初は、プライベートの ESLの学校に行っていました。語学留学です。

Emi
語学学校で、いろんな国から来た人がいる中には日本人も結構いた。でもそこで日本語をしゃべっちゃったらカナダへ来た意味がないから、日本語を封印して生活していた。

ESLのクラスはどうでしたか?

Shima
科目によって先生が分かれていたんですけれど、先生の授業内容によってすごく楽しい授業とつまんない授業と、波があったのを覚えています。

Emi
ここでもやっぱり「誰が教えるか」によって、楽しかったりそうでなかったり。

その ESLのクラスメイトは、詩麻さんのように「その後、大学に進学する」という目的で?

Shima
いえ、皆それぞれでした。よく覚えていないですけれど、体験だけの語学留学の方や、ワーキングホリデーの方もいらっしゃったんじゃないかなと思います。

Emi
クラスメイトたちの意識は多様。英語学習に対する熱の入れ方にも違いがあった?

Shima
まあ、きっと温度差はありましたよね。

Emi
詩麻さんは「留学する」と決めて来ているので、熱心に授業に取り組んでいた?

Shima
そうですね。数ヶ月、普通のESLを取って、先ほども言ったとおり授業によってすごくバラつきがあるのが感じられ、「ちょっともったいないな」と思っていました。学校には TOEICと TOEFLのプレパレーション(受験準備)クラスがあったので、そちらを観察していたら、みんなすごく熱心に勉強している。それで「そっちに入りたいな」と思って、テストを受けました。ぜんぜん成績が良くなくて、「んー、ちょっとしんどいかもよ」と言われたんですが、「そしたらもう1回。1ヶ月勉強させて」と頼んで。その後、TOEFLのクラスに入れていただいて、そこからバーンと伸びました。

 

「文法やイディオムって、本当に使うものなんだ」

 

Emi
最初に入ったESLのクラスは、一般的に語学留学と言われるイメージで、がっつり英語を勉強する雰囲気ではなかった。「なんとなく物足りないな」と感じて、より厳しいクラスを自ら志願、しかも入るためのテストを再受験。かなりの熱意ですよね。

Shima
いえいえ。(笑)

Emi
それで TOEFLのクラスに入った。大学に入る要件としてTOEFLを受ける人たちのためのクラスですから、取り組み方がずいぶん違ったでしょうね。

Shima
生徒の意識、姿勢がぜんぜん違いました。だからといって勉強ばっかりしている雰囲気でもなく。先生もまたすごく良かったんですけれど、切り替えがすごくうまいクラスでした。だからすごく楽しかったです。一週間に1回、毎週金曜日に模試があるんですけれど、みんなで張り合ってというか、良い意味で刺激しあいながら点数をガーッと上げていきました。

Emi
一口に「語学留学」「ESL」と言っても内容はいろいろ。TOEFLのクラスは、環境としても、目標としても、詩麻さんの考えていることにマッチしていて、仲間たちと一緒にピア・プレッシャー*を感じ合いながら上達していった。
*peer pressure:仲間から受ける影響。

そこですごく力がついた。特にどこに伸びを感じた?

Shima
いちばん感じられたのは文法です。それまで、文法というのがうまく自分で組み合わせられなかったんですよね。「これを習っているけれど、どういう時に使ったらいいんだろう?」という感じで。

Emi
文法は文法として独立していて、「しゃべる英語と文法が、どうリンクしているのか」が見えていなかった?

Shima
そんな感じでした。だけどTOEFLのクラスを取り始めてからは、ボキャブラリーもイディオムも文法も、実際のライティングやリーディングの中で、「これってこの文法だ!」というのがホロホロと出てきて、おもしろかったです。

また、先生が生徒たちにしゃべる機会をたくさん与えて、流さない。生徒が間違って言うと、「あぁ、ちゃうちゃう」と直してくれる、きめ細かい先生でした。直されたところはしっかりと覚えて、「直していくことで上達する」という感じでした。

Emi
日本で学んでいた英語と、カナダの、特に TOEFLのクラスに入ってからの英語との印象の違いが2つ。1つは「習う英語」と「話す英語」のつながり。TOEFLのクラスに入って、「文法は、話したり書いたりする時、こんなふうに使うものなんだ」というリンクができた。ボキャブラリーやイディオムも、ただ覚えるだけではなく「本当に使うんだ」ということがわかった。もう1つはたくさん話すこと。しかもそこに都度都度フィードバックがあった。詩麻さん、こまめな先生がお好きなんですもんね。(笑)

Shima
(笑)丁寧な先生、大好きですね。

Emi
間違っていればすぐに訂正してくれる先生に当たったので、間違いを直しながら学んだ。あるいは他の人たちが直されているところを見ることも、学びになっていたんでしょう。

Shima
「私じゃなくてよかった」って思うことがたくさんありました。(笑)

Emi
やはり環境が大事。自分のレベル、目的に合った仲間たちと一緒に学んでいる意義がそこにありますね。

Shima
それはすごく大きかったです。それに、TOEFLに入ってからは「絶対大学に行くから、何点ぐらいは行きたいよ」という、しっかりした目標があったんです。普通の ESLやそれ以前には、「留学したい」「英語をしゃべりたい」というだけで、それもまあ目標なんですけれど、しっかりとした具体的な目標ではなかった。TOEFLのクラスに入ったおかげで目標ができたことが、大きく伸びること、成果につながったんじゃないかと思います。

Emi
TOEFLに限らず点数がつくものについて、点数そのものを目指すのは、目標としてちょっとまずい。ただ、いまの話は、「あまりにも目標が漠然としていると、たとえ英語を続けていくにしても、どこへ向かっているのかわからなくなる」ということ。「伸びているのかどうなのか、手応えがない」という状態のところへ、「TOEFLで何点を達成して大学に入るんだ」という具体的な目標を立てることで、前に進みやすくなった。点数を利用したということですね。

Shima
おかげで非常に具体的に見えてきました。勉強中、たとえばリーディングでカタい内容のものを読んでいても、「これを速読できるようになったら、大学でも教科書を速読できる」。ライティングでも、「書き方のノウハウがわかったら、書きやすくなる」。書き方の“方程式”を学ぶと、「それに沿ってるなあ」というのが見えてきて、おもしろかったです。

Emi
当たり前ですけど、エントランスで力を試すのは「入った後、困らないかどうか」を測るため。「そこをクリアすることがゴールではなく、後々必要だからやっているんだ」ということが本人の中で明確であれば、やる気になるし、できるようになったら嬉しいし、「もっとできるようになりたい」という気持ちも湧いてくる。

 

外国人向けのESLと、英語ネイティブの国語教育

 

Emi
TOEFLのクラスで鍛えられて点数が上がり、カナダの大学に進学。大学ではいかがでしたか?

Shima
最初はESLを並行して取り、「いちばん上のレベルが終わったら、通常クラスに入っていい」と言われていました。でも、「これでいきなり行くのはしんどいだろ」と思ったので、カナダ人のためのカレッジ・プレパレーション・イングリッシュというのを取りました。それを取っておいて、非常に良かったです。周りは全員カナダ人なんですが、ちょうど ESLと1年生のイングリッシュ(日本でいう「文学」)の間ぐらいで、良いブリッジ、架け橋になりました。

Emi
語学学校を経て大学に入り、大学の授業を受ける前にESLのクラスに入って英語を学んだ。でも、ご自身の中で「外国人向けの ESLをクリアしただけで、いきなり通常授業に行くのはまだ早いな」という予感があった。なんでそんな予感があったんでしょう?

Shima
私の専攻が造形芸術で、ものづくりがメインだったからかもしれません。授業では、特に実技だと、聞き取れなくて「へ?」となっても、「ああ、あの先生はこのことを言っているんだ」と、知識でバックアップできたんです。でも、一般教科でイングリッシュの1年生のクラスを取るとなると、まったくガチの英語(ネイティブしかいない環境)なので、ちょっと怖かって(笑)。「カナダ人と一緒に英語で、というのは怖いな」と思いまして。

Emi
専門の美術に関しては、予備知識もあるし、たとえば「見せてわかる」ということでカバーできる部分が大きかった。一方、カナダ人たちと一緒に文学の授業を受ける場合は、予備知識も少ないし、「見せてわかる」というものでもない。言語以外でカバーできる部分を取り除かれ、“ガチ”の英語だけで戦っていくのはちょっと厳しい。そこを補強しようと思った時、現地のカナダ人たちが大学準備のために行くクラスを見つけた。

そのクラスには、どんな人たちが来ていた?

Shima
大半が、高校を出たばかりという感じの若い学生でした。「国語は得意じゃない」というような。たとえば宿題で「この本2冊読んできてね」と言われたら、「そんなの僕が1年間に読む量よりも多いよ」と言う人とか。(笑)

Emi
外国人が集まって英語を第二言語として学ぶESLでは、学生は、まあ文句も言わないし、

Shima
そうですね。言いませんね。(笑)

Emi
「みんな大変だけど、なんとか頑張ろう」というムードがありますよね。でも今度は、カナダ人の国語教育。ネイティブだから、日常的に、生まれた時から英語を使っていて、英語そのものは問題ないけれど、いわゆる国語が苦手で、「読み書きが不得意」「分析したり、考えを議論したりすることが苦手」という人たちの中に入った。同じ言葉を学ぶといっても、ずいぶん違う環境ですよね?

Shima
雰囲気がぜんぜん違いました。

Emi
「取っておいて、すごく良かった」というお話でしたが、何がいちばん良かった?

Shima
場慣れですね(笑)。私以外は全員カナダ人だったので、「こういう環境で勉強していくのか」というのがわかりました。たとえば質問なども、ESLでは皆さんゆっくりと質問しますが、このクラスでは質問するのもしゃべるのもすごく速い。「こういうペースなのか」って(笑)。とはいえ先生の教え方は非常に丁寧で、それですごく安心したのを覚えています。

Emi
ESLを受けていた頃は、「この後、学部の通常クラスに入るのは怖いな」と感じていた。

Shima
結構プレッシャーがありました。

Emi
ネイティブの中、とはいえ通常の授業よりは少しサポートが手厚い環境で、クラスのスピード感や、ネイティブの人たちの学び方を体験。それでイメージがつかめ、安心できた。

確かに、ESLである程度のところまで進むと通常クラスに入れますが、実際に行ってみると「ESLとぜんぜん違った!」というのは、すごくよく聞くんですよね。

Shima
あ、そうですか。

Emi
“準備期間の第2弾”みたいな感じでネイティブ中心のクラスに入り、「速いな」「このタイミングで、こういうふうに質問するんだ!」という感覚がつかめたのはラッキーですね。

Shima
それで学んだので、その後すぐにイングリッシュは取らなかったんです。2~3年生になるまで待ちました。自分の得手不得手を考えながら4年間のカリキュラムを組み立てられたことが、語学で打ち勝っていくことにつながったと思います。

 

自分にとって学びやすい環境を、自分で作る。

 

Emi
外国人としてカナダに渡って1年目のうちに、カナダ人が行く大学準備のクラスを見つけたり、大学で「どの授業をいつごろ取ろう」「これは難しそうだから、後にしよう」などと考えたりしていた。日本から行ったばかりの留学生にとって、そういう情報を得るのは難しいのでは?どこで情報を見つけていた?

Shima
何よりも先に、カレンダーです。学校の授業案内を片っ端から見て、だいたいの知識を頭に入れておき、学部長や教授など、話しやすそうな先生に「これって、どんなんかな?」と聞きに行きました。あとは、そのクラスを取った人に片っ端から話を聞いていたと思います。

Emi
それはすごく有効な手段ですけど、なかなかできることではないですよね。

Shima
そうですか。(笑)

Emi
留学予定の人は、ぜひ盗んでいただきたいところ。アメリカもそうですが、聞けば教えてくれる人はたくさんいる。

Shima
います。本当に丁寧すぎるぐらい聞いてくれたり、自分がわからなければ専門の先生にすぐ電話して聞いてくれたり、「先生に直接会いに行け」と言ってくれたり。だから、いろんな先生に会いに行きましたね。

Emi
すごいなあ。行動力と人脈をつなぐスキル。これは英語そのものとは関係がないですが、ぜひ盗んでもらいたい。素晴らしい。

Shima
英語は今もそんなに上達してないんですけれど、その頃は本当に片言だったと思うんです。でも、「どうしても知りたい!」というオーラが出てたんでしょうね(笑)。「こいつは助けてやらなきゃ、どうにもならん」という感じで、非常にたくさんの先生や友達に助けてもらいました。

Emi
「まだ英語がうまく話せないから、積極的に行けない」と思ってしまう人もいるけれど、「英語が十分でないからこそ、助けを求める」。実際、情報を得るか得ないかで、その後の組み立ても変わってくる。積極的に動くことが、結局は自分を助けることになる。

Shima
「絶対に同じ教科を2回履修したくない」と、ずっと思っていたので。(笑)

Emi
最初にいろんな人に聞いて情報を集め、計画を立てて進んでいくから効率がいい。自分が学びやすい環境を自分で作るということですね。

Shima
先が見えなくてドキドキしているよりも、ある程度スケジュールが立つので、楽になると思います。

 

将来のビジョンを持って、強くなった。

 

Emi
大学4年間では美術を専攻。何か印象に残っていることは?

Shima
学部生になってから、その先を見るようになってきました。英語に対するコンプレックスはもちろんあるんですけれど、「卒業するまでにこういう作品展をして、卒業してからこういう作品に変えるんだ」という強いビジョンができたんです。それを持つまでは、「私は英語がしゃべれないから」「発音が悪いから」「通じないから」と、黙っていることが多かったんですが、「いや、黙ってちゃいけない」と思い、しゃべるようになりました。

それから、昔のホストファミリーに、「ゆっくりしゃべりなさい。ゆっくりしゃべったらわかるんだから。あなたは興奮したらしゃべりがすごく速くなる。速くなったら何を言ってるかわからない」と言われて(笑)。それを心がけていたら、通じるようになってきました。

あともう一つは、大学を卒業するぐらいの頃、イングリッシュの先生に「いま詩麻、何て言った?」って言われたんです。そしたら私が答える前に、美術の先生が「あ、いま詩麻はこう言ったよ」と。「もう4年も一緒にいるから、詩麻のジャングリッシュがすごくわかるようになった」って(笑)。それぐらい強くなった方がいいのかもしれません。

Emi
制作や展示など、やりたいことが出てきた。最初のうちは、「まだ英語がうまくないから」と遠慮しているような時期もあったけれど、「そんなことを言ってる場合じゃない」「とにかく英語を使っていこう」と。そうしているうちに周りには助けてくれる人も現れた。「ゆっくり話すと伝わりやすい」というアドバイスを受け、実際にやってみたら本当に通じて、「あ、こういうことなんだ」と気づいた。

また、長期的な関係性ができてくると、アクセントがあっても周りの人が自分の英語を理解できるようになってきた。

ただ、それは受け止め方次第で「いつも話している美術の先生にしか通じない」「やっぱり自分の英語は、外から来た人にはわかってもらえない」と後ろ向きに捉えることも可能。詩麻さんは、その時どう解釈した?

Shima
「…あぁ、通じなかった」というのはあったと思います。

Emi
ショックではなかった?

Shima
それはそうです。「あらら」と思った矢先、美術の先生が「詩麻、こう言ってるじゃん」と言ってくれたので、「やった!」と思いましたね(笑)。ショックはショックだったんですけれど、数秒間のうちに救われました。

Emi
文化的な影響もあり、日本人は「通じた経験」と「通じなかった経験」の量が同じだったとしても、通じなかったインパクトの方を強く記憶に残してしまう場合が多い。でも、冷静に考えると「通じなかったイングリッシュの先生が1人」、「通じている美術の先生が1人」で数の上では同じ。「こっちではガッカリだけど、こっちではやった!」と思えばそれでいい。そう言われればそうなんだけど、なかなかそうは思えないのでは?

Shima
特に北米の国々は移民でできているので、彼らは私たちが思う以上に外国人に慣れています。仮に通じなくても、「私が思うほど気にしてないかな」というのはあります。「通じないから、あなたとはしゃべらない」という扱いを受けたことは、特にカナダで学生をやっている間には、まったくありませんでした。

Emi
自分の思い込みによって、「こんな英語では、話してもらえないんじゃないだろうか」「周りに迷惑をかけるんじゃないか」「だから話さない方がいいんじゃないだろうか」となってしまうと、「話さない、上達しない」というスパイラルに自分をどんどん追い込んでしまう。そうではなく、「相手はこれだけ外国人と長く付き合いがあって、私以外の英語が上手じゃない人とも付き合っているんだから、あんまり気にしなくていいな」と思った。

Shima
自分が一生懸命になっている場面で英語が通じなかった時は、「こっちがゆっくりしゃべっているのに、わからないキミが悪い」ぐらいのノリで(笑)。「あなたに聞く気がないから、もういい」と。

Emi
「少なくともこちらはそちらの言葉に合わせているんだから、多少アクセントがあっても、理解しなさいよ」っていう。(笑)

Shima
はい。それくらいでも大丈夫です。(笑)

 

「教える」という、忘れられない経験

 

Emi
その後、大学で教えることに?

Shima
学部生の時から「絶対に教えたい」と思い始めたんです。「私は絶対うまいこと教えられる」という、自信ではないんですけれど、興味というか、何か強いものがありました。だからといって、「さすがにレクチャーを専門には教えられない」とも思っていました。自分は手を使ってものづくりをするのが大好きで、まあ、うまいと言いますか、「できるだろうな」というのがあったので、それを教えることができればありがたいなと。そして、「それを職にするためにはどういうステップを踏んでいったらいいんだろう」と考え、それを目標に行動を始めました。

Emi
やはりここでも「何かしたい」という気持ちから、「じゃあそれにはどんなことが必要なのか」「そこにたどり着くために、どんな情報を集めたらいいか」と準備をした。それに、「私にはこれができる」「これはできない」と、すごくはっきりと選別されていますね。

「自分の才能を活かして、教える」ということを実現するために、どうしたらいいか、自分で探した。実際に教えるクラスが始まってからはどうでしたか?

Shima
初めて海外で教えさせてもらった時のことが、忘れられない経験になっています。カナダのバンフでコミュニティクラスをさせていただいたんです。初心者を相手に、もちろん英語で。大学在学中から、「どういう授業のストラクチャーだったら、わかりやすいかな」と考えながら授業を受けていたところもあったので、「自分が考えたことを実践してみよう」と思いました。やってみると、生徒たちの絵画のスキルもすごく上がったし、雰囲気も反応もすごく良かった。その経験が、今でも自分の宝であり励みになっています。

Emi
小さい頃から教える人をよく観察していた詩麻さん。「こうすると学ぶ人によく響くんだな」「自分だったらこう教えるのにな」と考えながら授業を受けてきたことが蓄積されていた。それと並行して、美術の分野でスキルや知識が積み上げられ、カナダのバンフでその2つが結びついた。初めてクラスをやってみたら、自分が思い描いていたとおりの授業を実現することができた。

Shima
もちろんその時も、私の英語にはすごくキツいアクセントがあったと思うんです。プロジェクトが終わるたびにクリティーク(批評)をするなど、私もたくさんしゃべらなきゃいけなかったんですけれど、生徒たちは私の言っていることを理解してくれていました。「あれは何だったんだろう?」と思います。(笑)

Emi
それはねぇ…。言語って何なんでしょうね。

Shima
漠然とした言い方ですけれど、「気持ちが入っていたら通じるものなのかな」ってすごく思います。(笑)

Emi
授業では、ネイティブの人たちがクリティークを含め自由に話すわけですが、「生徒の言うことを理解する」という面で、特に困ったことはなかった?

Shima
何に関しても、疑問に思ったり困ったりすることはなかったです。私はあがり症なんですが、あがってしまうとスムーズに音が耳に入ってこない時があります。でも、クラスにはそういうプレッシャーがまったくなかったので、すんなりと言語が入ってきていました。

Emi
そのクラスでは、生徒との関係性などからリラックスした雰囲気で、お互いの言葉が通じやすい環境だった。脳が脅威を感じていると、どうしても言葉を理解しにくい状態になってしまう。リラックスしていることで、言語を理解しやすい状態になっていたのかも。

 

アメリカの大学院で、大打撃。

 

Emi
その後アメリカに移って大学院に。何か変わったことは?

Shima
クラスで一緒になった人たちが、非常にアカデミックな方が多くて。さらに、一部の方たちはあんまり外国人と接触されたことがなかったらしく、私の英語が通じませんでした(笑)。

すっごい打撃を受けましたね。カナダでは頑張って一応コミュニケーションも取れていたつもりだったので、そこで打ちのめされたという感じでした(笑)。

Emi
カナダでは移民や外国人に慣れている人たちと、何年かかけて関係性を築いてきていた。あるいは美術を通して、言葉以外で通じる体験をして、ご自身の中で「英語圏での生活はイケてるな」というところまで来ていた。ところが、アメリカに移り、大学院というアカデミックな人たちが集まる中で、相手はどうやら外国人の英語に慣れていない様子。「ここに来て、自分の英語が通じない」という経験をされた。

Shima
まあ、みんながみんなじゃなかったんですけれど、ある一部の方に通じなかったかなという感じでした。年月を重ねるにつれてマシになったんですけれど、最初は大打撃を受けたのを覚えています。

Emi
そりゃそうですよね。大打撃を受けて、どうされましたか?

Shima
いやぁ、初心にかえるわけじゃないですけど、昔のホストファミリーに言われた「ゆっくりしゃべれ」というのをパッと思い出して、それに努めました。あとは、プレゼンテーションの中に少し説明を書き添えるとか、言語のサポートになるマテリアルを増やしました。「とにかく私の言おうとしていることが伝わらなかったら意味がない。だったらそうするしかしょうがないのかな」と思って耐えました。(笑)

Emi
厳しい時期。これは、“お客さん”じゃなくなった時に起きることかも。“外国人割引”がなくなって対等に扱われるようになると、いろんな人が見えてくる。

Shima
あ!そうですね。はい。(笑)

Emi
「自分の英語が、今までより通じていない」というときに、たとえば言語以外で補助できるのであればそれをする。言語の中でも、書いて見せておくことでポイントを間違いなく伝える。それで少しずつ状態がよくなっていった?

Shima
そうですね。

 

日本語と英語、そしてアート。

 

Emi
カナダやアメリカで、アーティストとして活動する中で、展示や現地の人たちとの交流など、思い出に残っていることは?

Shima
なによりの思い出は、私の数ある作品の中でいちばん大きく、いちばん制作時間のかかった作品です。『Illuminations of Kamloops』というインスタレーションで、日本から来た自分のバックグラウンドをもとに、カムループスの地域の方たちとのコミュニケーション、そこでのリサーチや土地勘をも含めて表しました。自分を大きく変えた作品であり、自分の表現として、いちばんふさわしい作品です。
作品について詳しくはこちら

Emi
詩麻さんご自身の背景にある日本と、カナダの風景を融合させてつくった作品。日本語で育ってきた詩麻さんが、現地の人と英語で交流したことも作品に反映させた。

外国人に英語を教えるESLでは、アートをツールとして利用するという活動がすでにあります。たとえば子どもたちに絵を書かせたり、ものを作らせたりして表現させ、「じゃあ、これを英語で言うにはどうしたらいいのか」とモチベーションにつなげる。
参考資料:Art as a Tool for Teachers of English Language Learners

その逆で、バイリンガルになった詩麻さんが、日本語母語話者として英語を話し、制作をする。2つの言語を使うことが、ご自身のアートに影響を与えているということはありますか?

Shima
それはもう、大いにあります。文化の違いや経験・体験の違いが、私の人生において非常に大きなインパクトになっています。それが制作の根源、エネルギーの源ですね。

Emi
本日はありがとうございました。

Shima
いえ、こちらこそ。どうもありがとうございました。

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