#23. 水越 香里さん(EdVisage社代表、グローバルリーダーシップ開発)

→Summary & Highlights in English

グローバルリーダーシップの開発を行う水越 香里さんに、学生時代は苦行だった英語が変わったきっかけ、英語で仕事をするときのコツ、異文化などズレの中にいると感じたときの考え方などについてうかがいました。

23_Kaori Mizukoshi水越 香里 Kaori Mizukoshi

大学を卒業後、大手の情報システム開発企業で10年間、国内外(日本、シンガポール、米国)のプロジェクトマネージメントに従事。その後10年間、ネット系サービスの立上げや管理運営に携わる。今までに3回(計15年)米国NYで暮らす。NYでの育児中に、今までの国際ビジネスと育児を通じた異文化経験を俯瞰し今後のキャリアを考えるため、コロンビア大学で学び始める。専門は、国際教育・異文化研究(修士)と成人学習・発達(博士)。現在は、自らのビジネスと大学院で培った知見を活かし、国際化がもたらす複雑な変化の中で、人々が新たな環境に学びながら効果的に仕事をするためのグローバル・リーダーシップ育成支援をしている。教育学博士。

LinkedIn

Emi
自己紹介からお願いいたします。

Kaori
水越香里と申します。私は個人事業で、特に企業向けのグローバルリーダーシップの開発を行っています。外国の人たちと一緒に働いたり、もしくは 海外の人が日本に来て働いたりという、日本と外国、その異文化の中で働く人たちを対象にコーチングや研修をしています。

Emi
グローバルリーダーシップの育成。お仕事でも英語を使う機会がある?

Kaori
そうですね。育成サポートさせていただく方にとって英語の方がラクだったら「英語でもいいよ」と切り替えたりもします。

仕事の多くは「何かを伝えて、教える研修」というよりは、コーチングのように 1on1*と言われるものです。それと、ワークショップで、インタラクティブにみんなが参加して、そこでチームをビルディングしていくような形のものもあります。ただ私が一方的に何かを教えるだけというようなものはあんまりないですね。
*one-on-one: 1対1、マンツーマンの

Emi
参加者から話を聞いて、そこから生まれてきたものを一緒に作るようなイメージ?

Kaori
おっしゃるとおりです。

Emi
そんな複雑な内容を、「英語でも日本語でも、どちらでもいいよ」と受け止めていらっしゃる。日常生活を含めて、いま現在、日本語と英語を使う割合は?

Kaori
日本語と英語、2対1かもしれません。

Emi
では日本語の方が多いけれど、英語もかなり使っている?

Kaori
そうですね。つい最近までずっと、アメリカの大学院に遠隔で所属して学び、研究もしていたので、いまだに研究のつながりはもう完全に英語ですね。それと、家族の中にも英語の方が強い人もいるので、私は日本語で話すけれど、向こうは英語で言ってくるとかいうのもありますね 。

Emi
お仕事以外の日常生活の中でも、やや英語が優勢な部分がある?

Kaori
おっしゃるとおりですね。優勢な部分あります。研究なんかは、むしろ日本語ではわからないかもしれない。笑

Emi
笑 日本語に訳したことがないでしょうからね。

Kaori
専門用語はわからないですね。だから、(同じ本の)英語版と日本語版の2冊を持つことがよくあります。

 

中学まで英語と出会うことはなかった

 

Emi
そもそも香里さんが英語に出会ったのは、いつ、どこででしたか?

Kaori
中学の必修科目で、週に3時間。そこで英語を学んだのが本当に初めてのことでした。今の方たちは、小学生ぐらいのもっと早い時期から生の英語に触れることもあると思いますけれども、私の時代、(英語の授業は中学からで)なおかつ地元が都会というより、ちょっと山あいの方だったので、小学校で英語というのはあんまり考えられませんでした。日本人以外と会うこともないので、特に何もせず、中学で学んだのが初めて。”This is a pen.” から始まりました。笑

Emi
その時の印象で、何か覚えていることは?

Kaori
うーん…。物心ついた時から本を読むのがすごく好きでした。家の中に本があふれていて、世界のいろんな話が書いてある子ども向けの全集とかがありました。だから「外に出たい。いつか行ってみたい」っていう気持ちはたぶん、もともとすごく強かったと思うんです。なので、英語を始めることで、もしかしたらそういう世界に繋がれると思うと非常にワクワクしました。

でも、週3時間の授業を受けて、中学から初めて塾にも行きだして。そうすると「ワクワク」ではないですよね。日々、文法や単語を覚えなきゃいけない、ひたすら綴りの練習をして…。その繰り返しで、ワクワクの「ワク」くらいのところで、あとは苦行みたいな感じになりました。笑

Emi
中学で英語を学ぶ前には、本を通じて、外国に対する憧れなど、ポジティブな感情をもっていた。学校で英語を勉強すると、そこに繋がるんじゃないかという期待感があった?

Kaori
「見てみたい。外に行ってみたい」という気持ちは変わってないです。変わってないけれども、「外に出てわかるためには、言葉がわからないとダメよね」っていうのは一応、理解はしていて。そういう意味で、人とコミュニケーションする力って、なかなかそんなに簡単につくものじゃないので。笑

Emi
「この英語っていう言語で、私のやりたい『外の人とつながる』っていうことに近づいていくのかな」と思って始まったけれど、始まってみたら、文法、単語や綴りを覚えるなど、苦行だった。イメージしてたものと違った?

Kaori
そのとおりですね。たぶん、「こんなふうに学べる」って、自分がふわっとイメージしてたものと、日々やってることとか、そんなに簡単には…。

日本語はずっとしゃべってるわけじゃないですか。日本語で考えて、日本語でしゃべって、コミュニケーションをとる。ここに行き着くのってかなり長い話ですよね。自分が日本語でやってることを、同じように英語に置き換えて生活できるようになるまでには「自分が考えたこともない山とか谷がありそうだぞ」っていう感じですかね。

Emi
「日本語と同じくらいラクに使えるようになるのかな」と思ったら、「いや、これは大変そうだぞ」と?

Kaori
そうかもしれませんね。それまで言葉の習得って、日本語以外したことがなかったので。漢字を覚えるなど、やらなきゃいけない練習はありますけど、言葉って当たり前に、気がついたらできるようになってるじゃないですか。

 

大好きな読書で知らない言葉を覚えた

 

Emi
「言葉を、日本語を習得した」という感覚は持っていた?

Kaori
ないですね。強いて言うなら、理解できる漢字が増えてくるとか。

最近思い出したことがあります。私はすごく本が好きなんだけれども、その本の中に知らない意味がたくさんある。たとえばアメリカの昔の本を読んでると「長持(ながもち)」ってあるんですよね。英語でいうとチェスト。見たことないので、「長持って何?」って親に訊いたりとか。

あと、落語も好きだったんで、時代のものとか、また知らない単語がたくさんあって、住んだことのない場所の情報が入ってくる。その単語や概念がわからないという時に、当時はネットもないし、広辞苑を開くこともしないんだけど、うちは割と親に訊けばすぐ教えてくれる。そういうことが多かったなって、なんか最近思い出しました。笑

Emi
英語が始まる前の段階で、母語である日本語、言葉に対する興味が強かった?

Kaori
そうかもしれませんね。「それがどういう意味を持つのか」「どんなふうに見えるものなのか」「どうやって使われるものなのか」。それが概念、たとえば感情に関するものであっても、「どういう気持ちなのか」。

そこで(知らない言葉があるたびに)止まっちゃうと読むのが楽しくなくなるんで、読み飛ばすこともあるんだけど、読んでると何度も何度も、物語の中で繰り返される言葉って出るじゃないですか。「それを知っておくと、この物語がもっと理解できる」っていう時に訊いてました。一個一個、出てくるたびに訊くというよりは、「長持を知らないと、この生活がいま一つ想像できない」みたいなことになった時に訊くような感じ。物語のキーワードは、訊いて、もう一回読み返して、イメージがより深まる。そんな感じの言葉の覚え方はしてたけど…。でも、日本語は最初からしゃべれますからね。笑

Emi
中学生になるまで十数年使っているといっても、実は日本語に対する興味や「知っておきたい」という意欲は人それぞれ。香里さんは言語に対する信頼が高かったように思います。

Kaori
なるほど!そっか。考えたことなかったですね。笑

Emi

 

中学の英語はゲーム攻略

 

Emi
そんなふうに言語を近くに感じていた香里さんですが、英語が始まってみたら、あまり華やかじゃなかった。どんなところに苦しさが?

Kaori
苦しさは高校で来ました。(中学の頃は)「海外に行ったら…」みたいなイメージがぽわんとあるものの、やっぱり日々の学校と塾の英語をやっていくと、しかも目前には高校受験が見えてくると、英語ができるっていうことはつまり、一つの自分のアカデミックな力を証明するものというか。笑

Emi
学力。笑

Kaori
だから、たとえば英語の文法は、私にとっては算数とか数学。「ここにカッコをつけて、カッコ閉じる」みたいな感じのフォーミュラ*に見える。パズル というか、ブロックを積み重ねるように英語を学んできました。
*formula: 数学の公式

単語や文法を覚えていくことも、どこかゲーム感覚。受験というゲームの上に乗っかった状態で、攻略をしていくっていう感覚になってましたね。たぶんその時は苦しみというのはあんまりなく、ただ「やんなきゃいけない。ゲーム感覚で攻略するんだ」って。

Emi
思っていたのとは違うけど、攻略していくのは嫌じゃない?

Kaori
そうなんです。嫌じゃない。

もう一つ、塾の先生たちがビートルズ世代でした。すごいガチガチに、ゲーム攻略みたいにうまく英語を教えてくれる先生が、それでもちょっとした余力や余った時間で私たちに植え付けようとしたのはビートルズの曲でした。笑

Emi

Kaori
「イエスタデイの歌詞」みたいな感じ。まあ生の英語というより詩的ですけれど。いま考えると、あれだけ受験勉強 ガンガンやらせてた先生も、そういうところから私たちが英語の喜びを感じてくれるといいなとか、好きになってほしい、受験とは違う枠で学んでほしいっていうのがあったのかも。笑

Emi
当時の香里さんは「楽しいな」とか、受験勉強とは違う面白さを感じていた?

Kaori
やっぱり中学ぐらいになると音楽はすごくみんな好きだし、聴きたい。ビートルズだけじゃなく、当時は結構イギリスやアメリカのポップスが流行ったり。日本だと中学生の男の子たちが好きなのはオフコースとか YMO とか。そういう時代 なので、洋楽は歌詞カードとか見ながら聴いたりしてました。

Emi
束の間だけど、外国とつながる言語という意識があったんですね。

 

高校の英語は苦行

 

Emi
その後、高校に?

Kaori
そうですね 。すごい田舎といいながら、一応東京近郊なので、都内の私立の高校まで2時間ぐらいかけて通学していました。ここでですね、別に帰国子女受験とかではないのに、かなり多くの人が(海外に)行ったことがある、住んだことがある。英語やフランス語ができちゃう、みたいな人たちが多かったんですよ。

受験勉強しかしてこなかった、ギリギリ受験英語でどうにか入りました、みたいな人は、たぶん半数切ってたと思います。

Emi
カルチャーショックみたいな感じ?

Kaori
そうですね。女子校だったんですけど、彼女たちと話して、いろんな海外の話を聞いたり、本が好きだって言うと本の話をしたり。彼女たちが住んでたところについても、私が本で知ってるとか。日本語版ですけどね。

すごく楽しかったんですよ。15歳から、本当にいい刺激をもらって、今でもすごく仲がいいんです。だけど、英語の授業となると、もう苦行どころか…。

Emi

Kaori
正直、 私が習った英語の先生は、申し訳ないけど何もいいとは思えなくて。(あの学校は)先生もやりにくかったと思います。ご本人が(海外に)長らく住んでたわけでもなく、帰国子女とか教えなきゃいけない。生意気盛りな年頃で、しかも結構、本当に生意気な人たちのいる学校なので。笑

たぶん先生もやりにくかっただろうなと思う反面、(中学の)3年間、ギリギリどうにか受験勉強だけで英語を学んできた人向けでもない。だから、すごく中途半端なんですよね。私にとっても超えられないハードルというか、いきなりハシゴを外された気分になりました。

Emi
香里さんが「自分向けでもないな」って感じたのは、どういうところ?

Kaori
笑 知らないことだらけです。

Emi
へー!

Kaori
文法とかもたぶんそうですし。たとえば「ここ訳してみて」みたいな感じになっても、さっき言ったとおり、中学の時って算数みたいに文法をやっていくんですが、そうではなく、カンマの位置とかも感覚的な感じでザザザっと訳されて、「いや、全然ついていけないし。こんな文章、私には作れない」と思うわけですよ。それをいきなりボンと渡されて。量も違うし。

とにかく今までやってたアプローチが通用しない。先生も、正直もし(自分の)授業(内容)が伝わってなくても、半数は自分の力で解けちゃう人たちなので、別にいいわけですよね。だから私みたいな生徒はひっそりこっそり取り残されて。私、いまだに英語に苦手意識がすごくあるんです。

今はある程度、2つの言語で考えるようにはなってきてるんですけれども、語学の才能みたいなものは、おそらく別にびっくりするようなものはなかった。でもたまに、日本で生まれ育って、日本語しか使ってなかったはずなのにスルッと(難なく)ついていけてるような感じの人もいました。ただ私は、先生にとっても正直、見捨ててもいいセグメントぐらいに入ってたと思います。笑

Emi
日本の中学の英語が得意だった方たちの中には、帰国子女のように使えていてうまくいっていたタイプの人と、香里さんがおっしゃるとおり「公式に当てはめて、単語を組み替えてパターン化すると、高得点が取れる」っていう攻略法を知って、大学受験まで行ける人がいます。

香里さんは後者のルートで高校に入ったら、「様子が違うぞ」と。

Kaori
笑 そうですよね。

Emi
香里さんの見解としては、自分にはとてもついていけない内容。たまたま外国で英語を使った経験があるような人は何とかしてる。中には、途中からついていけるようになった人もいたかもしれないけれど…

Kaori
いたかもしれないですけどね。笑

Emi
香里さんの心は離れてしまった?

Kaori
もう一つ、離れてもよかった理由もあって。高校行くと、大学が付いてたんですよ。だからもう受験がない。それはすごく大きかったですね。

 

大学では「英語はできない私」

 

Emi
なるほど。じゃあ英語を捨ててしまっても、大学には行ける。

Kaori
そう。自分が好きじゃない科目をバンバン捨てつつ、次は英語を捨てたいぐらいの勢いになってました。

Emi
捨てられるものなら捨てたかった?

Kaori
はい。「赤点を取っても、気にしません」ぐらいまで行ってました。笑

アイデンティティが変わりましたよね。中学までは英語もできていたのが、高校に入ったら、もうできなくてもいいし、いっそ「英語はできない私」ぐらいな感じで。大学もそのまま卒業しました。

Emi
「他の得意な科目を伸ばしていけばいいから、英語はいいや」っていう時代がしばらくあったんですね。

Kaori
おっしゃるとおりです。大学では今度、受験組の方が多くて。高校までの単語が全部(頭に)入ってるわけじゃないですか。だからますます「(内部進学の)下からなんだ。じゃあ、しょうがないね」っていうところで収まる。笑

Emi
高校で帰国子女と一緒になり、大学では受験組と。その中で、「私、英語やらないタイプなんで」って。笑

Kaori
笑 そうです。大学の英語の授業は、必修が1年ぐらいと、ゼミに入ると文献講読がありますけれども、1行に3つぐらい単語がわからないと、読む気もなくなります。小学生の時は、物語を読むために「キーワードを知っときたい」って聞いたり調べたりしていましたが、1行に3つとなると、もうそのキャパを超えるなという感じでした。

Emi
「赤点、それがどうした」というマインド。必修科目も単位が取れれば OK ですもんね。笑

Kaori
笑 はい、おっしゃるとおりです。

海外に行くというのも、そのときの自分にとっては目の前にぶら下がるニンジンというわけではありませんでした。高校、大学で「留学したい」って頑張る人や、住んだこともあって、英語も得意で、「もう一回留学する」という人がいても、「それは私に敷かれたレールではない」という感じでした。そこは一線を画して、全然そうじゃないところでハッピーでした。

Emi
周りに英語が得意で外国に出て行く人がいたとしても、「私は違うから」という感じで影響されることはなかった?

Kaori
なかったですね。(当時の)私の地元の感覚で言うと、たとえば海外旅行に行く人なんて、まずいません。私の家族もそうですし、今でも海外に住むっていうのは家族を見渡しても私だけなんです。そういう環境なので、別にそれが自分に与えられた機会だとは感じてなかったと思います。

Emi
香里さんにとっては、(行かないことが)当たり前?

Kaori
外国と日本を自由に行き来するような友達は、すごく仲のいい人たちに何人もいるんだけれど、彼らが「留学を考える」とか、「仕事は外資系で」とかって言っても、私の選択肢には入らない。でも、そこに何かの感情、たとえば寂しいとか悔しいとか、そういうことでもなく、「ああ、そうなの」ぐらいな感じでしたね 。

Emi
「その人たちはその人たちの世界、私は私の世界」という感じ?

Kaori
「日本と外国」という点では世界が違っていて、でもいつもは一緒の世界を共有してる。そんな感じでしたね。

 

就職後、英語学習に急展開が

 

Emi
その香里さんが後々、生活の3分の1を英語で暮らしたり、アメリカに留学をされたりする。どんなきっかけが?

Kaori
最初に就職したのが情報産業でした。今は IT って言いますけど、インターネットのない時代の話です。(大学で)政治学を勉強して、「情報ってすごい大事だ」と思って、日本企業とか外資とかにはこだわらず就職活動しました。結局、入った会社は日本の会社で、99.9% 日本の仕事。この時点で(この会社から)海外に繋がる機会はないのかなと思いましたが、情報の分野では(行きたかった会社だったので)非常に満足していました。そこで力をつけて、別に将来どうなるかはわからないぐらいな感じで構えてたんです。

その頃、留学したい人は TOEFL などを受けていました。でも、今後はもっと日常に近い英語を評価するテストが流行るらしいというのを聞きました。会社に入ると、(TOEIC などの)テストを社内でもやっていたり、留学制度があったり。細々ですけれども海外の支店があったり。そのとき初めて「英語をもう少し頑張っとこうかな」って思いました。

当時、外資系のコンサルティングに行った学生時代の仲のいい友人が「これがいいよ」って教えてくれたのが NHK のラジオビジネス英語や、アルクのヒアリングマラソン。まだ元気もあったので、仕事もすごく忙しくて結構ストレスもあったんですけど、空き時間をそういうことに使ってみようと思って、独学でやっていました。

社内の (TOEIC) テストでは、「(海外)出張に行くには、700いくつ必要」みたいな(目安の)スコアがありました。私、大学卒業する時はたぶん 500 あるかないかぐらいだったんですけど、700ぐらいまでは上げておきました。そうこうしてる間に、たまたま部長に「水越君、シンガポール行ってみる気ある?」と言われました。

私のいた部署は、国内のいろんなところにコンピューターシステムを作りに行ってたんですけど、3つ目ぐらいが終わった時、入社4年目か5年目ぐらいのことです。「シンガポールの仕事が取れそうなんだけど、取れたらシステム作りに行く?」って言われたから、「行きます!」って言ったんです。建築現場で情報システムを入れるっていう面白い機会だったんですけど、そこで初めての海外。1年間、英語で生活し、英語で仕事をしました。

日本に帰ってきて、(以前と)同じような(国内の仕事の)繰り返しで、「シンガポールに行く前とあまり変わらないな」と思いました。そこで、外国の子会社に出す制度があったので手を挙げてみたらアメリカのニューヨークに出してもらえました。考えてもいなかった機会でした。

ニューヨークで1年間、駐在で働いてる間に今の夫と知り合いました。その時は別に結婚とか決めずに日本に帰ってきて、また元の会社で働いていましたが、そのうちに仕事の立ち位置を変えたくて(転職して)ベンチャーに出たり。そうこうしているうちに、「まあ結婚しようか」ということになって、結婚生活がニューヨークで始まりました。だから実は大学院も留学ではなくて、ローカルの人として行ったんです。笑

Emi
「英語が苦手だった」というところから、一気にアメリカのローカルの人として大学院に入るところまで、ギュッとまとめてお話しいただきました。笑

Kaori
ごめんなさい、飛ばしちゃいましたね。笑

Emi
少し戻ってお聞きします。まず、英語が得意でもなく、あまり英語を必要とする環境でもない中、「TOEIC っていうのがあるらしいよ。取っとくといいらしいよ」という感じで始めた。経験のあるお友達に薦められたラジオや教材を使って、独学でざっくり500から700まで上げた。具体的にどんなことを?

Kaori
うーん、そうですね。具体的にはアルクの TOEIC マラソンと、リスニングマラソン。あとはラジオのビジネス英語。そのあたりは日常的に触れるようにしていました。

あ!思い出しました。私ね、日本語だと本を読むスピードがあまりに早すぎちゃうんで、ある時に「そうだ、英語で読もう」と思ったんです。旅行に英語の本を持っていくとか。

初めて読んだ本は、英語の作家でもない、ドイツの作家なんですけれども(笑)ケストナー。有名なところでは『ふたりのロッテ』とか書いてる。その人が書いた『エーミール』っていう子ども向けのシリーズ。すごく簡単な本なんだけど楽しいんです。

あとは、そのころ流行ってたサスペンスのシドニィ・シェルダン。ジョン・グリシャムの法廷もの、弁護士の話。あとはジェフリー・アーチャーの『ダウニング街10番地』とか『ケインとアベル』とか。

そういう本って、ワクワクドキドキしながら読める。日本語だと、たぶん1日で読むんですけれど、英語だから1ヶ月2ヶ月かかっちゃう。そういうのを携帯して読んでましたね。楽しかった。笑

Emi
え、ちょっと待ってください。大学時代は「1行に3個わからない単語があったら読む気が失せる」っておっしゃってましたよ?

Kaori
笑 本当ですね。言ってましたね。

Emi
そこから、いわゆる洋書を持ち歩いてワクワクしながら読むように。どうやって読む気になったんでしょうか?

Kaori
ああ、そう言われて「こういうことかも」と思うんですが、もともと私はフィクション、小説がずっと好きだったんです。それと、さっき言った『エーミール』なんかは子ども向けの本なんですよ。だけど、大学の文献講読では『エーミール』 も『ふたりのロッテ』も読まない。政治学なので「主権とは」みたいなものを読んじゃうんです。笑

英語に対して興味を持って続けるために、おそらく単純に楽しめるものがほしかったんだろうなと思います。

それが読めるようになって、ブロックを積む感覚ではなくなったんですよね。「ストーリーラインを追いたい、知りたい」という、そっちに目が行くようになった。そうなると、大人向けの本にも行けるようになる。

(物語は)7割わかってれば、あとの3割は想像で埋められるんです。最初にきちんと設定がわかって、登場人物がわかって、「こっち方面に行く話ね」と思ったら、あとはわかんなくても埋められるんですよね。たぶん子どもの時にそうやって埋めながら本を読んでいたので、その力が英語でも発揮されたっていう感じですかね。どうしてものキーワードだけは調べる。笑

Emi
小さい頃からの読書量がじわじわ効いてきた。ポイントの1つは、コンテンツが好きかどうか。

英語だからといって読まされる。興味のないこと、読んでもさっぱりわからないこと、味気ないものを与えられていることを、「英語が嫌だ」と解釈してしまっていた時期があった。そこを抜けて、「仕事をしていく中で英語があるといいな」という目的と前提の上で、自分の好きなものを選んでいった。

すると英語が記号ではなく、読んでいるものから、それが連なって人物が見えてくる。ストーリーが見えてくる。言語ではなく、その向こうにある世界にもう一度触れることができた。

Kaori
おっしゃるとおりです。もう英語が目的じゃないんですよね。それは仕事でも本当そうでした。

よく言われることかもしれないけど、(英語は)ツールにすぎない。ツールって言うとちょっとイメージ変わっちゃうんですけど、その先にあるものを取りに行きたくて英語をどうにか乗り越えるって感じですよね。

 

シンガポールで、英語で仕事をする

 

Emi
シンガポールに初めて行かれて、そこで英語を使う経験もそんな感じだった?

Kaori
そうですね。自分のミッションははっきりしていて、さっき言ったように「7割わかれば3割埋めます」という感じでした。そもそも部長が私をそこに行かせていいと思ったのには「いくつか理由がある」と言われました。

一つは、同じような規模のコンピューターシステムの開発をプロジェクトマネージした経験が2、3ある。もちろん環境やパートナーは違うし、言語も、法律だって契約だって違うんだけど、そういうことはバリエーションの問題なので「どうにかやるでしょ」って。私も「そこはどうにかやります」。7割というより5割。新しいものが5割でした。

あとは「何でも食べて、どこででも寝る」。

Emi

Kaori
確かにそうなんですよ。なので、「いつもと同じ環境でないと力が発揮できない」みたいなところはあんまり心配なく、「たぶんすぐ立ち上がるだろう」と信頼してもらえました。

それから営業の人、マネージャーが1人。彼はアメリカでもトップのウォートン・スクールを出ているので、私ができない英語やビジネスの契約をひととおり全部カバーできる。私は現場に近いところ。この2人体制はすごくありがたかったです。

英語については、まだまだできない英語を、(ビジネスの相手に) “テイク・アドバンテージ*” されないように、いかにリスクをヘッジしてやるか。私流のやり方をいくつか編み出して、どうにか仕事を終わらせて帰ってきました。笑
*take advantage: 巧みに利用する、付け込む

Emi
素晴らしいですね。人によっては最初から10割、なんなら「120%の準備ができていないと、一歩が踏み出せない」という慎重な方もいらっしゃるけれど、香里さんは7割、なんなら5割でも「行けばどうにかなる」。

もともとそういう考えだった?それともこのシンガポール、外国っていうチャンスのために切り替えた?

Kaori
元々、たぶん昔からそうなんだと思います。チャンスがあれば、120%は求めない。

仕事は毎回やるたび、絶対に新しい環境なんです。それに対して「終わるまでの責任を持ちます」という中で、リスクの取り方というより、リスクヘッジの仕方をそれなりに学んできました。

もう一つ、すごく私がありがたかったのは、その会社の、特に部署です。同僚、先輩たちからも、部長からも、「何かあったら、俺らがどうにかサポートするから」と言われていました。「一人で苦しんでこい」というメッセージはなかったんです。

いつも大変なのは、もちろん自分。誰よりも大変なのは自分なんだけど、「ブクブク沈む前に、絶対に白旗を上げろ」と。「一人でブクブク沈むことが一番良くない。お前のプロジェクトで、他の人はまったく関わってないとしても、旗は上げていいんだ。見てるんだから」っていうメッセージが常にあるところだったんです。甘い言葉なんか全然かけてくれないけれど、そういう人間関係、サポートはずっとあった。面白いですよね。だから踏み出していけた気がします。

Emi
行ったことのない場所、やったことのないことに飛び込む怖さ。そのときに香里さんが「まだ5割だけど、行ける!」と思うためには、やはり周りのサポートがあった。

「一人じゃないんだよ。一人なんだけれど、一人じゃないんだよ」。まさにヘッジ、分散するようなイメージで、リスク、不安、これからどうなるかわからない部分を一人で抱えない。それが勇気を出すためのコツかもしれないですね。

Kaori
おっしゃるとおりです。私だけでできたことではなく、その環境がそれをさせてくれた、そういう力をくれました。

コツの話をすると、完全に自分の方からアクションを取った、あるコツがあるんです。

 

「聞こえてないことを前提にしてくれ」

 

Kaori
建築現場で、英語でミーティングをする。私は情報系のコントラクター*で、ゼネコンさんもいる。その他にも、いろんな利害関係を持った人たち ― コンサルタント、設計士、お客さん。利害の違う人たちが、毎週10人ぐらいでミーティングをしていました。また、3人ぐらいで現場で話す機会もありました。パパパッと情報を受け渡したり、ちょっと交渉が入ったり。
*contractor: 請負業者

「あ、そういう機会が結構あるな」って思った時に、相手がお客さんであっても、全員に対して、私が言ってまわったことがあるんです。

「私がニコニコして聞いてても、私がわかったと思わない方がいい」と。

Emi

Kaori
よくあるじゃないですか。「うん、うん」って頷いて、ニコニコしてナイスな感じで聞いてるけど、英語だから聞こえてない。自分に対して真正面に「香里ね」って向けられた言葉ならまだどうにか理解するし、わからなかったら聞き返せるんだけど、3人ぐらいでしゃべってて「え?いま三者間の交渉だったんだ」みたいな話。

たとえば現場にクライアントとゼネコンと協力会社の私がいて、3人でパパパッとあることが話し合われた場合に、クライアントとゼネコンに「あの時、おたくの会社の香里は『うん』って言ってたよ」 みたいなことにされたら困る。なので、「まず、そもそも聞こえてないことを前提にしてくれ」と。「私が聞こえてるって期待しないでくれ」ってことですね。

Emi
え、それは「英語だから聞こえてないよ」とおっしゃったってこと?

Kaori
そういうことです。「私が100%理解してるように見えたとしても、あなたがそう思ったとしても、私は今ここで行われた会議の内容が実はわかってない可能性がある」。

Emi
え、ちょっと待ってください。それは実際そうだろうとは思うんですよ。日本人がネイティブじゃない英語で、スピード感のある難しい交渉の場だったり…

Kaori
ちょろっとチョロまかして言われたこととか。わかんないじゃないですか。

Emi
腹の中で考えていることがそれぞれ違う。そこで全部わかるというのは、おそらく母語でも難しいから、実はわかってないというのはよくある。香里さんは自らそれを面と向かって告知した?

Kaori
そう。後で私の同僚のマネージャー、〇〇さんに「香里は OK って言ったよ」とか言われても、私は全然…。なので、まず(私がわかっていると)期待するな。そして、本当に大事な、私に関わって私に約束させたいことは、私に対して言ってくれ、と。それを私が自分の言葉で、「あなたは今、私にこれをしてほしいのね」って言い換えるから、あなたがイエスかノーか言ってくれ、と。

そこまでしないと危ないんです。わやわやのことを「香里がわかった」とか言われちゃうことの方がリスクが大きい。だから、私は自分の言葉で、拙い英語で理解したことを伝えるんで、あなたが「香里、(その理解で)OK だよ」と。そのプロセスを経なかったら、私は何も合意したとは思わないでくれ、と。笑

Emi
…いやぁ、すごいなー。本当に、実際はそうなんですよ。

Kaori
笑っちゃいますよね。

Emi
でも、多くの人はそれをどうやって隠すか、どうやってバレないように、わかったフリがそのうちわかったようになってくれるのを願って、何とかごまかしているんですよ。

Kaori
危ないですよ。

Emi
危ないんです。

Kaori
あと、それは人間関係が作りにくくなります。

Emi
そうなんです。信頼されない。だけど、日本的な相槌や笑顔、なんとなくわかったようなわからないような感じで進めていきがち。それを香里さんは未然に防がれている。なぜそうした方がいいと思った?

Kaori
たぶんプロジェクトマネージをやっていると、どこにリスクがあるのか、頭の中で整理されるんです。リスクは、この人個人、この協力会社のカルチャーといったソフトの部分にも、ハードの部分 ― 契約そのものが無茶とか、新しい技術だから要注意とか。いろんなことがリスクとして整理されていく中で、初めて海外に行った時に、自分が新しく追加したリスク。それが、わかってないのに「わかったよね。香里、OK って言ったよね」と言われること。このリスクは実はすごく大きいことに気がつきました。

(期日に間に合わなかった場合の)ペナルティーも大きなプロジェクトだったんで、私の目的はペナルティーなしでとりあえず着地させること。そのためには四の五の言ってられない。

もう一つは、シンガポールという場所。最初がニューヨークや、アメリカのすごい田舎で「みんな英語話者」みたいなところじゃなくて良かったんです。

シンガポールって、結局みんな、家では違う言葉をしゃべってますよね。たとえば中国系の会社だったら、私の目の前でも中国語でしゃべってから、共通語として英語でしゃべってくるんですよ。共通語が英語しかないからしゃべる。だからシンガポールで本当にラクだったのは、私(の英語)が別にすごく飛び抜けてどうしようもないわけではなく、ある程度、許容される。「そういうこともあるよね」って思えるようなマルチリンガル*、マルチカルチャー**の場所なので、言いやすいですよね。
*multilingual: 多言語の
**multicultural: 多文化の

Emi
確かに、モノリンガル*の英語ネイティブしかいない場面とは大きく違うだろうと思いますけど…
*monolingual: 一言語だけ使用する、単一言語の

Kaori

Emi
それにしても、香里さんの責任感から来る正直さ、誠実さ。そして重大な事態を招かないために先を読む力。本当に素晴らしいですね。

Kaori
それはやっぱり、その前の5年間でかなり鍛えられてたんで。「何にリスクがあるか」を常に探しに行ってる感じ。「あ、ここリスクになるな」と気がついてよかったと思います。

30年ぐらい昔の話で、仕事ではいろいろあったけれども、今でも付き合いのある、信頼関係のある人たちがいます。笑

Emi
香里さんがご自身を開示して作った人間関係だからこそできた絆みたいなものですかね。

Kaori
そうですね。自己開示については、たぶん性格もありますよね。割と平気で、開示することと自分のプライド云々はまったく関係ない。これも前からあると思います。

Emi
そのあたりを部長さんが見込まれて、送り込まれたのかもしれません。「変なプライドでリスクを自ら呼び込まない」というのがプライド?

Kaori
そうですね。「仕事がきちんと全うできる」ということが自分のプライド。「なりふり構わず」っていう言葉、私は「そうだよね」と普通にやる方です。なりふり構わないことで周りがドン引いちゃうみたいなことがあれば、それは決して全体的にはいいことではなくなるので考えますけど。

あの時は、私がそういうふうに言っても受け止めてくれるような環境でした。シンガポールの建築現場って、ジェネラルワーカーで働いてる人たちも英語はしゃべらないんです。現場でケーブルを引いてる人とも、共通語として、かろうじての英語でやり取りする。英語が流暢であることなんか、何のプライドにもならないっていう感じですね。

 

自分のアクションで、変えられる

 

Emi
アメリカに移られてからは、どうだった?

Kaori
今度は子会社でしたが、完全にアメリカの会社みたいな組織で、その中でも昔から細々と残ってる日本人部隊みたいなところに入りました。(社内の多くは白人でしたが、部内は)アジア系が多かったですね。

「こっちが最初じゃなくてよかったな」というのはありました。シンガポールでも、国の名前を挙げるのは申し訳ないけど、あるイギリス人のコンサルタントで、一言で言ってほしいところを1パラグラフぐらいで長くしゃべる人がいました。私は途中でわかんなくなって、ボーっとしちゃう。よく現地のマネージャーに「香里は今、選択的に聞かないようにしてるよね」とか言われました。

Emi

Kaori
それがアメリカに行って、ニューヨークみたいな場所だと、みんな早口ですごくたくさんしゃべる。ま、でも、それは慣れてくる。で、やっぱりさっきの「7割・3割」から「6割・4割」で、英語も一度シンガポールでやっていたので、そんなに…。「また全然違う環境で、いい練習させてもらいました」ぐらいな感じですかね。

むしろビジネスカルチャーがかなり違いました。シンガポールは、今だとまた別ですけど、30年ぐらい前、特に建築現場の一番上が日本の会社(ゼネコン)だったこともあって、日本的なやり方が割と通っていました。(日本とは)違うんだけど、どこか共通のものがあったんです。たとえば信頼関係の作り方。一回作ると、協力会社がもう「水越さんのためにやってあげる」って言ってやってくれたりとか。

ニューヨークって、そういう場所ではないので(笑)。私がクライアントなんだけど、何回電話しても(担当者が)まったく出ない。で、彼の上のマネージャーを抑えてそっちに言ったら、5分で(折り返しの)電話がある。そういうことがあるじゃないですか。これは言葉とはまた別の問題。

英語については、その頃にはシンガポールでみんなに伝えてまわった時のようなリスクはなかったけど、よく伝えてました。「わかった顔しても、ごめん、わかってないことが多いかも」。

Emi

Kaori
それは大学院に行っても言ってました。一応伝えておかないと。グループワークで「うんうん」とか言ってたけど、「あれ、わかってないや」みたいな。

「ごめん、わかんなかった。何回も聞くかも」とか言うと、みんな「大丈夫。自分たちだって、日本語でやったらもっとひどいことになるわけだから。香里は(母語じゃない)英語でやるんだから OK だよ」って言ってくれるんで、「ありがとう」って。笑

Emi
香里さんが作り出した伝家の宝刀。笑

Kaori
笑 でも、新しい業界で新しいことやる時には、私、たぶん今でも使うと思います。日本語でも英語でも、業界や領域によっては、同じ言葉が違うように使われるんで。

「期待値設定」がすごく大事だと思っています。(お互いの)期待値を合わせる。仕事でも何でも、私は「いま期待値がズレてないか」を考えてます。それでも外すことが多いですけどね。笑

Emi
最初に言うだけではなく、その時々に「いまの期待値どうかな」と手入れをされている?

Kaori
大事ですよね。それはすごく大事だと思います。

Emi
それはご研究やお仕事の「異文化」や「グローバル」という文脈にも共通している?

Kaori
ありますね。たとえばコーチングでも、何らかの問題意識が起点になったりするじゃないですか。「いま私はこんなことをしてるけど…」とか、その人のキャリアに関しての問題意識かもしれない。もしくは「部署の中で、なんかちょっとモヤモヤしちゃう」とか。

個人の中にも(自分に対する)期待が複数存在する。周りからの期待、会社という組織、もしくは部署のこの人(の期待)。「ここ、たぶん激しくズレてるよね」みたいな。笑

Emi
自分にしている期待、周りからされている期待、相手の期待と自分の期待のズレ…

Kaori
ありますよね。上司とクライアントと協力会社と、実は全部の期待値のズレの中で自分が苦しんでいたりとか。ズレのあるところが、私のやってることなのかなって思いますね。笑

Emi
英語や外国がきっかけで、ズレにはまってしまっている人はたくさんいる。香里さんから何か一言いただけるとしたら、どんな言葉になりますか?

Kaori
アドバイスというより私のやり方で、これが全員にとっての解決策だとは決して思わないんですが。

ズレの中で、victim ― 日本語に直訳すると「犠牲者」になっちゃうけど ― 「自分は今、その環境のせいで困ったことになっている」とはあんまり思わないんです。私は「そこに自分ならではの働きかけができる」っていうことを前提において行動をとってるんだと思うんですよ。「自分のアクションで、何かが変えられる」っていうのが、どこかのすごく奥底にあるんだと思います。

私がいちばん嫌いなのは(ズレの中で起きる)膠着状態。AさんとBさんとCさんが、誰が本当に権限を持ってるかもよくわかんない状態で、「決まんないから、自分は動けない」とか言うわけです。そうなった時、私は若い頃から、石を投げ込みます。だから全員から怒られたり、もう激怒されたり。でも「膠着してるよりいいんじゃない?」 って。笑

Emi

Kaori
自分が何かアクションをとることで、一瞬はすごい「えー!」っていう方へ行くかもしれないけど、でもそれも含めて「雨降って地固まるって言葉、あるよね」っていう世界です。笑

Emi
自分の望まない環境に置かれていたとしても、自らが動く。何かを変えられると信じている。

Kaori
そうですね。「選択肢は自分にある」っていうことを、仕事の局面では一応、頭のどこかには置いとくかなっていう感じですね。

まあでも、たくさん失敗して、たくさん怒られてるんですけどね。笑

Emi
本日はありがとうございました。

Kaori
こちらこそ貴重な機会をいただきまして、どうもありがとうございました。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *